キャラの関係性とアプローチの違いについての考察※この文章を書いているのは勝デの女です。
※でもお茶子ちゃんも好きです。
〖大前提〗
かっちゃんもお茶子ちゃんも出久に対して思っているのは【緑谷出久は誰かを救けたいというヒーロー性の塊】だということ。
でもその先に対してのアプローチが違う。
そして読者が感じる
〘①かっちゃんとお茶子ちゃんは緑谷出久にとってのターニングポイント〙と
〘②かっちゃん・お茶子ちゃんが緑谷出久に対して尊重しようとしているもの〙もちょっと違う。
私が主に言いたかったのは②番。
以下に考察って程でもないけど考察と銘打った文章たち。
【】は出久のヒーロー性、
《》は出久の人間的なもの
と言う感じで書き表しています。
①緑谷出久にとってのターニングポイントな2人
かっちゃんは出久を【ヒーロー】にするし、お茶子ちゃんはデクくんを《人間》にする。
それはヒロアカの物語上そんなふうに読者は捉えられる。
かっちゃんは見下していた《人間》の木偶の坊のデクを【ヒーロー】として認めていくし、大戦を経て無個性に戻った出久を【ヒーロー】にしたくてかっちゃん中心で資金集めてアーマードスーツを作った。
対してお茶子ちゃんは『未成年の主張』が良い例で、デクという【ヒーロー】だって《人間》なんだと、助けて助けられる存在なんだと言ってくれる存在。
②2人が緑谷出久に尊重しようとしたものの違い
1)お茶子ちゃんは【ヒーロー】を尊重した。
お茶子ちゃんは出久自身が持ってる純粋な【救けたい】を否定しなかった人。そして《出久という人間》がヒーローになることを後押しした人。
お茶子ちゃんにとってデクくんは出会った時から頑張れって感じのデクで【ヒーロー】だった。
お茶子ちゃんはデクくんの【誰かを救けたいヒーロー性】を大切に思っているから、それに対して邪魔になるであろう《出久個人に対する恋心》を締まって【ヒーロー】であるデクくんを尊重したかった。
2)かっちゃんは《人間》を尊重した。
一方でかっちゃんは出久が持っている異常な程の【救けたい】を知っている人。
自分を勘定に入れないヒーローの《出久という人間》を理解出来ずに苦しんだ人。
かっちゃんにとって出久は出会った時は《人間》だった。
かっちゃんは幼い頃から出久の【誰かを救けたいヒーロー性】という自己犠牲は際限ないことを知っているから、出久自身が【ヒーロー】として《出久という人間》を消耗させてしまうのを阻止したかった。
(※この下からは上記の《出久という人間》の消耗を阻止したかったかっちゃんに対してかなーーーり自分の妄想も入ってると思う勝デ女の偏見考察😌)
かっちゃんにとって出会ってすぐの出久は無個性とか関係なく《緑谷出久という幼なじみ》だった。
友達だった、身近にいて当たり前だった《出久》が《出久自身》を大切にしない【自己犠牲の塊】だった。
それって確かに畏怖を覚えるけど、かっちゃんからしたら純粋に悲しかったんじゃないかって。
酷く虐めてた時のかっちゃんの深層心理は分からないし、原作からはそこまで読み解けないけど、ヒーローになるんだ!オールマイトってすげぇんだ!って2人でオルマイのカードを大事に見せ合いっこしてた仲だよ??
そんな仲の出久が【自分はどうなってもいい】って思考回路してたらさ、じゃあ【俺の幼なじみの出久】はどうなってもいい存在だって出久自身が言ってるってことなんだよね。
そんなの悲しいよ。私は自分の大切な友達がそんな風に周りばかりを大切にして友達自身を蔑ろにするようなことを思ってたら悲しい。
かっちゃんは出久の【自分を勘定に入れない】とこが不気味で遠ざけた・虐めたって言ってたし虐めは勿論許される事じゃない。
だけどかっちゃんの出久へのクソデカ感情が顕になった時から思ってたことがありまして。
私はかっちゃんが出久を【ヒーロー】として認めなかったのって、『俺の幼なじみの出久を出久自身が大事にしないなら、ヒーローとしての出久が出久自身を壊してしまわないように俺がヒーローとしての道を絶ってやろう』としてるようにしか見えなくて。
『俺の幼なじみをお前自身が雑に扱うなボケ』って言ってるようにしか思えなくて。
そうなったら爆豪勝己という男が、どれほど緑谷出久のことを思っていたのか計り知れなくて、「それって愛じゃん」しか出てこないよね!!!
これが愛じゃなければなんと呼ぶのか私は知らない!!!!
まーーじで出久はさ、かっちゃんにしろお茶子ちゃんにしろ引子ママにしろ愛情注いでくれてた相手に感謝しろよ!!!!
かっちゃんが怒ってるよ『鈍感クソナードがっ!!』って!!!
そう思えば思うほど爆豪勝己は緑谷出久に人生狂わされてるなってなりました🤗(Q.E.D)