イヤホン=ジャックのプロデュース②ピッ、ピッ、ピッ、___
カーテンの隙間から漏れ出る月の光が、君の左手に重ねた包帯だらけの僕の左手を優しく照らす。
静かな電子音が鳴る夜の病室のベッドに、治療に必要な管に繋がれて眠る君。
傷付いた右頬と、何重にも包帯とギブスが巻かれた右腕。
そして、傷付いた心臓を物語る君の胸に巻かれたガーゼと包帯。
その他にも沢山の傷を負った君を見る度に僕の目からは涙が溢れてくる。
涙がこれ以上溢れてしまわないように静かに上下する君の胸の鼓動を見て僕の胸に宿るのは、
どうしても君を失えないと感じる不安と、
今君の隣に居れられる安堵と、
隣に居られることが永遠では無いと知った寂しさと、
幼い頃から少しずつ育っていった途方もない愛おしさだった。
自分の不安を掻き消すために、
深く眠る君の痛みが少しでも和らぐように、
心地よい夢が見られるように、
僕は何度目か分からないこの歌を小さく口ずさんだ。
【イヤホン=ジャックのプロデュース②】
耳郎響香が喉を痛めてから2週間、『みく』と1曲目のガバー動画を配信してから1週間が経過した。
耳郎は喉が快復するまで、もっと憂鬱に日々をやり過ごす未来しか見えていなかったが、かくかくしかじかで出久と過ごす時間が増え、想像以上に質のいい生活を送れていた。
何がいいって出久が滅茶苦茶に褒めてくれる。
「このニュース見たよ!イヤホン=ジャック大活躍だったね!」「耳郎さんこんな事もできちゃうの!?すごい!」などなど、会えば会うだけ褒められる。
人間疲れを取るには食事・睡眠・緑谷を揃えるべしと本気で思う。
まじて、本当に。
それはさておき、現在絶賛2曲目のカバー動画の練習中である。
実は2曲目を選曲するのにだいぶ時間を掛けてしまった。
以前爆豪から貰ったリクエスト、《寝る前に聞く歌》を主軸にリクエスト募集の専用サイトからの投稿も照らし合わせてしまおうとした結果、ジャンルを絞り込めずに100曲近く候補が出てしまった為、2人で考えるより大勢の知恵を借りようということでまたまたA組女子のグループチャットへ相談をした。
みんなが色んな意見を出してくれた中で、麗日が専用サイトの中から1つのリクエストを見つけた。
「わたし、この人のリクエストが凄くいいなと思った」
そう言って見せてくれたリクエストには、
《イヤホン=ジャック、みくさん こんにちは。
いつもイヤホン=ジャックの配信見ています。喉が早く治ってイヤホン=ジャックの歌が聴けることを楽しみにしています。
先日の配信、みくさんの歌とても素敵でした。
みくさんの声がとても安心できる声でしたので、夜も安心して眠れるような子守唄みたいな歌が聞きたいです。》
と書かれていた。
すると他のみんなも「子守唄いいね」「緑谷の声なら安眠効果バツグンそう!」と絶賛した。
『子守唄』のキーワードが功を奏したのか、出久が候補を上げて先程の煮詰まりはなんだったのかと言うほどあっという間に2曲目が決まった。
「うん、いい感じだね」
「耳郎さんの教え方が上手だからだよ」
「私は大した事教えてないよ」
「えー??」
5回目の練習を終えて出久を見ればふんわりと笑ってくれた。
やはり『子守唄』をテーマに選曲しただけあって、ゆったりとした歌は出久の柔らかい声にとても合っていた。
「今日はここまでにして、明日予定通り本番撮ろっか」
「うん!」
「あ、帰る前にお茶していかない?実は事務所から美味しいお菓子貰ったんだ」
「え、いいの?そしたら頂こうかな」
「そうしてって!」
耳郎がニッと笑えば出久も釣られてニッと笑った。
そうと決まれば楽器や楽譜を片付け、部屋の隅に追いやったローテーブルを元の場所へ戻す。
片付けが終わり、キッチンへ移動してケトルでお湯を沸かす。雄英時代にヤオモモから習った紅茶は今では立派な耳郎の嗜好品となっていて慣れた手つきで準備を進める。
ケトルのお湯が沸いたところでカップにお湯を注ぎ温める。
茶葉は何にしようかと悩み、耳郎は出久へ声を掛けた。
「緑谷ー、お茶は何がいい?」
「んー…、耳郎さんのオススメで!」
「そしたらハーブティーでもいい?」
「うん!」
話をしていると出久は気になったようでキッチンまで来て様子を見ていた。
相変わらず探究心…というよりオタク根性が凄い。
出久の了承を得て茶葉を閉まっている箱からカモミールティーを取り出す。
ティーポットに茶葉を入れ、熱いお湯を2人分注ぎ3分蒸らす。
「何かお手伝いする事あるかな?」
出久は丁寧にお茶を入れる耳郎を見て、ソワソワと聞いてきた。
お茶やお菓子が楽しみな気持ちと何か手伝いたいという気持ちが表情から溢れ出していて、耳郎は出久らしいなとクスッと笑った。
「そしたら冷蔵庫からお菓子を出してくれる?」
「うん!」
出久は冷蔵庫を開けてお菓子が入った箱を取り出す。
耳郎はお菓子用のお皿とフォークを棚から取り出して出久へ渡すと、受け取った出久がローテーブルへ運んで楽しそうにお菓子をセットし始めた。
全く、かぁいい生き物だ。
耳郎は出久を見ながら何度目か分からないかぁいい確認をしてカップを温めていたお湯を捨てる。
そろそろ3分経つであろうティーポットと2人分のカップを持って出久の後へ続いた。
「凄く美味しそう!」
お皿へ盛ったお菓子を見て出久はキラキラと目を輝かせていた。
「このお菓子、いつも事務所の先輩が買ってきてくれるの。穴場なお店らしいんだけど凄く美味しくてさ!」
「そうなんだね!それにカモミールの香りも良いね!」
「ふふ、これはこの前ヤオモモからオススメされた茶葉だよ」
「そっか、カモミールティーなら刺激物にならないし、喉にも良さそうだもんね」
「直接そう言われた訳じゃないけど、きっとそうなんだと思う」
気が利く自分たちの素敵な友の気遣いに2人でほっこりしたところで、お菓子とお茶を楽しんだ。
「気になってたこと聞いてもいい?」
2人で楽しくお茶とお喋りが進んだところで耳郎が話を変えた。
「ん?なーに?」
出久は温かいカモミールティーが入ったカップを両手で包みながら返事をする。
「2曲目の選曲理由が気になってたんだ」
「今回歌う曲?」
「うん」
そう聞けば出久はキョトンとした顔で耳郎の顔を見て、小さく考え込むように唸った。
「うーん…」
「あ、喋りたくない事だったらいいよ?」
「え?ううん!そうじゃないんだ!」
小さく唸った出久の反応に耳郎は慌てて言うと、出久はそうでは無いと直ぐさま否定した。
「でも、そうだな…。耳郎さん、これは内緒にしてくれる?」
「うん、もちろん」
口の前で人差し指を立てた出久に耳郎は頷いて見せた。
「この曲はね、大戦が終わってセントラル病院に入院してた時に歌ってた歌に似てた歌なんだ」
「入院してた時って、爆豪とオールマイトと一緒にの時だよね?」
「うん、その時」
そう語る出久の瞳が、少しだけ不安定に揺らいだ気がした。
そう語るにはこの歌はピッタリな気もするし、逆にピッタリな状況に陥っていた事があるのだと耳郎は思い知った。
「夜眠れない時とか、不安になる時に1人で歌ってたの」
「そっか…、じゃあその歌は緑谷を安心させた実績があるんだね」
「へへへ…」
「いいチョイスじゃん」
「耳郎さんにそう言って貰えると自信つくなー!」
先程の揺らぎなんて無かったかのように、出久はニッと笑って耳郎も釣られてニッと笑った。
お茶とお菓子を食べ終えて、出久は耳郎の家から出て帰路に着く。
外に出れば辺りはすっかり夜の暗がりが広がっていた。
しばらく歩き出していると、ふと足元が明るくなった。
空を見上げれば先程まで雲で隠れていた月の光が届いていた。
ああ、思い出してしまう___。
月の光に照らされた自分の左手を見て、出久は先程耳郎に言えなかった本当の選曲理由を思い出していた。
__大戦後、セントラル病院。
出久は勝己・オールマイトと共に怪我の治療の為に入院をしていた。
3人とも致命傷レベルの傷と怪我を負い、比べるなんてそれこそどんぐりの背比べだが、その中でも酷かったのはやはり勝己の心臓だった。
驚異的な回復力を持つ勝己だったが、それでも入院中に発熱して何度か寝込み、ベッドから起き上がれず眠るだけの日が何日かあった。
最初に勝己が寝込んだ時、出久はいつも医者に怒られながらも自分とオールマイトが居る病室へ来る勝己が来ない事を不思議に思ったが、今日は検査か何かだろうか?とその時は特に深く考えなかった。
その日の夕方、廊下を小走りで行き来する看護師さん達を目撃し、その後すぐに出久の容態を確認に来た担当の看護師さんに何かあったのかと尋ねたところ「別室の患者さんが熱を出してしまったの。慌しくしてしまってごめんなさいね」と申し訳なさそうに話す姿に慌てて気にしないで欲しいと伝え、「その患者さん、早く熱が下がるといいですね」と言うと看護師さんはまた申し訳なさそうに笑った。
消灯時間が過ぎ、そろそろ眠りに着きそうな頃合で廊下からまた小さく小走りする音が聞こえた。
その時だけ何故か、いつもは聞き取れないはずの看護師さんの小さな話し声が聞こえて来た。
「爆豪さん、熱下がらないわね…」
「いつもは元気過ぎるくらいなのに、昨日の夜から一度も起き上がらないなんて…」
それだけが鮮明に聞き取れて、また小さな足音と共に遠ざかって言った。
__え、かっちゃんが…?
今日ここに来なかったのは容態が良くないから?
だって、いつもあんなに先生や看護師さんから怒られるくらい動いていたのに?
でも、
かっちゃんの心臓はあの戦いで一度止まりかけたんだ。__
そう思ったらいても立っても居られず、出久はカーテンを隔てた隣に居るオールマイトを起こさないようにできるだけ静かに病室を出た。
病室を出た出久は立っているだけでやっとな自分の身体を勝己に会いたい気持ちで奮い立たせて廊下の手すりを掴みながら少しずつ勝己の病室を目指した。
どれほど時間を掛けたか分からないが出久は奇跡的に誰にも見つかることなく勝己の病室へたどり着いた。
ゆっくりと扉を開け、中の様子を伺うとそこにはベッドに横たわり、氷枕等で身体を冷やす勝己の姿があった。
ピッ、ピッ、ピッ、___
静かに電子音が響く病室が、初めて怖く思えた。
目には今にも涙が溢れそうだったが、それを堪えることも出来ずどんどん出久の頬を伝う。
よろよろの足取りで勝己の隣へたどり着いた出久は、勝己用に用意されていたであろう車椅子へ力無く座り込み、布団から出ていた勝己の左手を優しく握った。
握った左手は発熱していることの証明のように熱かった。
「かっ、かっちゃ、っ…!」
止まらない涙と同じペースで溢れ出す不安感。
それをどうにか抑え込みたくて、勝己の左手を包み込むように握り直す。
__いつもかっちゃんはこの手で僕の右頬を撫でてくれるのに、
つい最近取れた出久の右頬のガーゼから出てきたのは見慣れたそばかすでは無く、大きな傷跡だった。
勝己はガーゼが取れる前から出久達の病室に来る度に出久の右頬を一撫でしていった。
それはもう消えてしまったそばかすを惜しむように、そして大きく残った傷跡を労うように優しかった。
「かっちゃん、っ…いつもみたいに右のほっぺ、撫でてよぉ…」
涙声でそう呟いても、少し前まで聞いていた怒声も、最近知った優しい声も返ってこない。
聞こえてくるのは、安定して響く電子音だけだった。
泣いているうちにいつの間にかそのまま眠ってしまった出久は、その後勝己の担当医師の吉田と看護師に見つかりしこたま怒られた。
「君たち幼なじみだって聞いてるけど、こんな所まで似なくていいからね!」
学校だけではなく病院でも2人揃って問題児認定されたが、どうしても勝己の傍を離れたくなかった出久は頭を下げて「かっちゃんの傍にいさせて欲しい」と頼み込んだ。
根負けした吉田は今回だけ特別に、と勝己の横にベッドを用意してくれて「絶対安静!!」を5回復唱させられてそこへ横たわり、少しだけ手を伸ばして勝己の左手を握った。
やっぱりその手は熱かった。
「…かっちゃん」
そう呼んでも返事は返ってこない。
静かに眠る勝己の頭の下や脇には熱を冷ますための氷枕や保冷剤が変わらず置かれている。
出久はまた涙が溢れて来て、頬を濡らした。
「…また、寝てた…」
またしても勝己の手を握りながら出久は眠ってしまったようで、いつの間にかまた夜の暗さが部屋を充満させていた。
モゾ…と身体を動かすと上にかかっていたタオルケットがシワを作った。
眠っている間に看護師さんか誰かがタオルケットを掛けてくれたらしく、その優しさが更に心に染みてまた涙が溢れそうになる。
「…かっちゃん、」
すぐ横に横たわる勝己を見つめて小さく名前を呼ぶ。
握ったままだった左手をキュッと握り直した。
勝己の高い体温が移ったのか、出久の右手も暖かかった。
ピッ、ピッ、ピッ、____
暗がりの病室に変わらず静かに響く電子音。
病院には医者や看護師、自分達の他にも患者さんが居るはずなのに、それ以外の音を感じない。
勝己の手を、もう一度キュッと握る。
けれど、それを握り返されることは無い。
__夜が、怖い。
決壊寸前だった涙はとうとう流れ出て、静かに頬を伝って枕を濡らす。
__お願い、手を握って。
声を聴かせて、いつもみたいに言ってよ、泣き顔ブスって。クソナードって。
黙って僕に手を握られてて、言い返さない君なんて君じゃない。
涙を堪えたくてきつく目を閉じ、もう少しだけ強く手を握る。
すると、勝己の手がピクリと少しだけ動いた。
出久は勝己が目を覚ましたのかと思い、ハッと反射的に目を開き、勝己を見た。
けれどそこには変わらず静かに眠ったままの勝己がベッドに横たわっていた。
ただ、少しだけ空いていたカーテンから漏れ出る月明かりが、勝己と出久の重なった手を照らした。
『夜が怖いなら、いつでも傍に居る』
その光が優しくて、出久は無意識にとある歌を思い出して、いつの間にか口ずさんでいた。
いつだろう、この歌を知ったのは。
雄英に入ってから?それとも中学生の頃?はたまたもっと幼い頃だろうか?
少しだけ思考を巡らせたが、答えは出てこなかった。
それでも夜が怖い自分と勝己の傍に居たい自分が重なっていて、このどうしようもない不安を掻き消すには丁度いい歌詞だった。
『夜が怖いなら、いつでも傍に居る』
それは出久にとって、心強い言葉だった。
そして、ひとり熱と闘っている勝己の痛みが和らぐように願いを込めて傍に居るよ、と手を握り直した。
__かっちゃん、明日は手を握ってくれるかな。
口ずさんでいくうちに心が落ち着きを取り戻し、出久はいつの間にか睡魔に襲われ眠りについた。
チチチ…__
窓の外から聞こえる鳥のさえずりで出久はゆっくりと覚醒した。
__何だか、右手が暖かい。
覚醒しきらない頭でそんな事を思い、その暖かさを確かめるようにモゾりと右手を動かすと、指の間を絡める何かに動きを制限され、暖かさを包み直すように覆われた。
「?」
それを不思議に思った出久はゆっくりと目を開ける。
そこにはベッドに横たわりながらこちらを見つめる勝己の姿があった。
「っ、かっちゃ、」
勝己が起きている。
嬉しくて、昨日も散々泣いたのにまだ溢れ出る涙に自分でも呆れてしまう。
「ついに病室まで来たんか、クソストーカーナード」
勝己はそう言って指を絡めて握ったままの出久の手の甲をスリッとひと撫でして手を離し、出久の頬へ手を伸ばして流れた涙を拭う。
いつも通りの悪態に安心して出久の目からは一層涙が溢れ出す。
涙を拭う勝己の手を優しく包んで出久は微笑んだ。
「せめておはようくらい言ってよ、かっちゃん」
「…はよ」
そうやって笑えば勝己はまた出久の手に指を絡めた。
___あれから入院中に何度か勝己が熱を出して寝込む事があり、その度に出久は自分の病室を抜け出すため折角治ってきた身体に無理をさせないように、精神的にも一緒に居させた方がいいと判断したのか医者と看護師達は半ば諦めて最初から出久を呼ぶようになった。
出久が勝己の隣で目覚めを待つ夜は、必ずその歌を口ずさみ眠った。
そして次の日に目を覚ます勝己は、必ず出久の右手を暖めるように指を絡めて握ってくれていた。
__耳郎の家から歩き出し、月明かりに照らされた自分の左手を見ると、病室に響いたあの静かな電子音が今も聞こえてきそうな気がした。
「もう、あれから何年も経つのにな…」
1人呟いた言葉は暗がりの夜に飲まれていく。
何年経ってもあの時味わった消えない不安は、出久の心を闇へ引っ張ろうとする。
その度にこの歌を小さく口ずさむ。
『夜が怖いなら、いつでも傍に居る』
__そうだ、夜が怖かったあの時にいつもそばにいてくれたのはかっちゃんだった。
「かっちゃんはずっと、僕にとってのヒーローだなぁ…」
暗くて静かな夜の病室で、やりきれない不安をこらえるために繋いだ勝己の手。
熱により深く眠る勝己が必ず目を覚ますように口ずさんだ歌。
歌を口ずさんで繋いだまま眠った次の朝には、必ず握り返して出久の手を優しく包んでくれていた。
何度も何度も、そうして暗くて不安な夜を超えた先で優しい朝を連れてきてくれた。
それが苦しくなるくらい嬉しくて、大好きで。
幼い頃から身近にいた僕のヒーローは、もっとカッコよくなって今や名実共にヒーローだ。
「これ以上カッコよくなったら困るなぁ」
なんて呟いた後に怖かった夜を乗り越える歌を口ずさんで、出久はまた帰路を歩き出した。
「よし、それじゃあ本番撮るよ!」
「うん!」
2曲目の本番を撮る当日、撮影用のスマホと耳郎がアコギを演奏する用の椅子、曲名が書かれているスケッチブック等などの小道具を準備してもう一度リハーサルを行い、問題がなかったのでそのまま本番撮影へ挑んだ。
この歌を歌うと決めた時、耳郎は演奏をアコギにするかピアノにするか悩んだ。
それを出久に相談すると、「アコギがいいな」と即決で答えが返ってきた。
そこに少し驚いたが、「わかった」と短く返事をしてアコギをケースから取り出した。
1回2回と練習をした後に、出久が「アコギの方がね、子守唄っぽいかなって思っただけなんだ」と照れながら言い出し、「いいじゃん、この歌はピアノ演奏はよくあるけどギター演奏ってあまり無いから新鮮で私は気に入ってる」と真っ直ぐ伝えれば出久はまた柔らかく笑った。
確かに合唱曲にも選ばれるような歌だからピアノはよく合うけど、今回は壮大さは必要ないからアコギの方がゆったり聴けるし、いいチョイスである。
さて、本番と行きますか。
耳郎はスマホの録画をONにして、曲のタイトルが書かれたスケッチブックを映し出す。
それを下に下ろして、アコギを持って椅子に座ると出久と視線を合わせてタイミングを合わせる。
出久の歌い出しと同時にアコギをゆったりと弾き始めた。
__『夜明けの来ない夜は無い』
そんな歌い出しで始まるこの歌を歌う出久の表情は、ヒーロー活動をしている時とは違った聴く人を夜の暗がりから守るような、穏やかな強さを持った顔をしていた。
そして今その瞬間を見ることが出来るのは私だけなのだと耳郎は少しだけ優越感に浸った。
「よし、録画完了!」
無事に録画を終えて耳郎と出久は心地よい達成感を共有した。
「2曲目だけど、やっぱり配信は緊張するねー」
「大丈夫、そのうち楽しくなってくるよ」
「ふふ、そうかなー?」
ローテーブルに出久と2人でぐだっともたれ掛かる。
会話はゆったりしていて、眠ってしまいそうだ。
「さて、眠くなる前にSNSで予告だけしちゃうね」
「明日の夜に配信だっけ?」
「うん、その予定」
耳郎はそう返事をしてスマホを操作し、イヤホン=ジャックとして運営しているアカウントで配信予告を投稿するため文章を打つ。
ふと、ある事を思い付き、文章を打つ手を止めて出久を見た。
「ん?どうしたの?」
「緑谷、先に爆豪に連絡しておきなよ」
「えっ!!!??」
あまりにも大きかった出久の反応に少し驚きつつ、たった一瞬で顔を真っ赤にした可愛い友達の顔を見るのは嬉しかった。
「え、いいの?」
「いいよいいよ、って言うか爆豪のリクエストだしね」
「そ、それもそっか…」
耳郎はアワアワと可愛らしく取り乱す出久を見て、恋する女の子は可愛いもんだと一人納得していた。
「そういえば、リクエスト聞いた後は何かやり取りあったの?」
実は、というかかなり気になっていた出久と爆豪のその後のやり取りを思い切って聞いてみた。
すると出久は更に顔を赤くして、「あの、その、えーっと」と意味の無い言葉を呟き出した。
何だこの生き物、可愛すぎるぞ。
「その反応を見れば絶対何かあったね」
「っ、そうなんだけどさぁ…っ!」
ニヤけがこられきれずに笑った耳郎に対する出久の反抗も全て可愛らしくて、更に笑ってしまった。
「で、何があったの?」
「…言わなきゃだめ…?」
「うーん、出来れば聞きたいなぁー?」
気恥ずかしさから少し涙目になった出久の上目遣いを見るとキュートアグレッションなのか、少し虐めたくなってしまう。
爆豪、ごめん。今この時だけはこの可愛さは私だけが味わわせてもらうわ。
「…必ず寝る前にね、連絡が来るの」
「へぇー?チャットで?」
「…えっと、チャットでもあるんだけど…」
え?チャットでもある??
他もあるということ?…って事は…
「もしかして、電話…?」
そう聞けば出久は真っ赤な顔でコクリと頷いた。
「マジか、大進歩じゃん」
「やっぱりかっちゃん忙しいから基本はチャットで連絡くれるんだけど、早く帰れた時とかは電話くれるみたいなんだ」
耳郎は真っ赤になった顔の火照りを何とかしようと顔の前で手をパタパタと扇ぐ出久が可愛過ぎてどうしようかと思った。
爆豪、やるじゃん。
「そうしたら今日の寝る前の連絡で言ってあげたら?」
「うん、そうしようかな…」
少し火照りが落ち着いたのか、出久は自分の頬を両手で包んだ。
耳郎がそんな出久の頭をよしよしと撫でると、出久は更に嬉しそうに笑った。
録画を終えて、耳郎の家から帰宅した出久は夕飯を簡単に済ませ、入浴を終えて明日の講義の準備をしているとスマホが通知を知らせる音が鳴った。
予想が着く送信相手に、スマホのロックを開けてチャットを見れば予想通りの人物だった事に顔が綻ぶ。
『もう寝たか?』
まだ寝てない事は分かっているだろうに、夜も遅い時間だからわざわざ聞いてくれる事に我が幼なじみの律儀さを感じて改めて胸に好きが積もっていく。
『ううん、明日の授業の準備してたところ。
かっちゃんもお仕事お疲れ様!』
直ぐさま返事を送れば、勝己からも直ぐに返事が来た。
『はよ寝ろ。』
そんな雑な言葉に最早安心感を覚える自分は色々と手遅れなんだろうなと1人で笑ってしまった。
『もう寝るよ!
ちなみに明日の夜に耳郎さんとの動画を配信するよ!
かっちゃんも早く寝てね、おやすみ!』
しっかり耳郎との約束も守り、授業の準備も終えたしそろそろ寝ようとベッドへ入り布団を被るとまたスマホが通知を知らせた。
『ん、分かった。
誰に言っとんだ、オメーこそはよ寝殺せ。おやすみ』
その勝己らしい分かり辛い優しさの文章にニンマリ笑って、スマホの画面を閉じて布団を被り直して眠った。
『Jiro:さっき動画アップしたよー!』
今日は夕方まであった大学の授業を終えて、その後附属図書館で課題の為の資料集めをして、気付けば閉館時間ギリギリで大学を出て帰路に付いていると耳郎から通知が来た。
『ありがとう!
次の集まりは明後日だったよね?またお家にお邪魔するね!』
直ぐさま耳郎へ返事を送ると『OK!』と可愛らしいスタンプが送られてきたのを確認してスマホの画面を閉じた。
家に帰る前にスーパーに寄ろうと買い物カゴを手に取ろうとした瞬間、スマホから着信音が鳴り出した。
スマホを確認するとそこには《爆豪勝己》と表示されていて、慌てて店内から出て通話を繋いだ。
「も、もしもし?」
『出久、今どこにいる』
「え?」
聞こえてくる勝己の声はどうやら移動中らしく、歩いているのか走っているのか少し吐息混じりだった。
「今はアパートに帰る前にスーパー寄ろうとしてた」
『…そのスーパーの最寄りはどこだ』
「?…○○って駅だけど」
『わーった、行く』
「え、行くって…かっちゃんの事務所から離れてるだろ?」
『今日近くで仕事あったんだよ、電車乗るから切るぞ』
「あっ、ちょっと待って!僕も駅の近くにいるから向かう!」
『はぁ?』
「だって、その方が早く会えるだろ?」
『…っ、改札の前で待ってろっ!』
「うんっ!」
通話が切れて出久は駅を足早に目指す。
勝己に会えるのは雄英卒業以来だ。
メディアでは何度も姿を見ているが、やっぱり会いたい。
会いたい気持ちは、恋心に蓋をしないと決めてから日に日に大きくなっていた。
出久は息を切らせて駅の改札に着く。
先程まで居たスーパーは駅から徒歩5分程なのに、それ以上に長く感じた。
キョロキョロと辺りを見渡すが勝己の姿は見当たらない。
それもそのはずだ、勝己は先程電車に乗ったばかりだと言っていた。
勝己は何処から来るのか、どのくらい時間がかかるのか、どうしてここへ来てくれるのか。
分からないことだらけで心が落ち着かない。
でも何よりも落ち着かない原因は勝己に早く会いたいと速る出久自身の鼓動だった。
改札前の広場の隅で壁に寄りかかり、勝己が来るのを待つ。
ドっと電車から人が降りて改札を通る度に勝己が居ないか探してしまう。
それを3度程繰り返した時、黒いキャップを深く被った人物が改札へ現れた。
そのキャップから覗く、見慣れた紅い瞳と目が合った。
それから改札を通り抜けて真っ直ぐと出久の方へ進んでくる姿が何故かスローモーションのように感じた。
出久の目の前で、勝己は足を止めた。
目の前に立っても一言も発さず自分の顔を見つめる出久に痺れを切らした勝己は声を掛けた。
「出久…?」
すると出久はふにゃりと笑ってやっと声を出した。
「かっちゃんだ…」
「っ、」
それを聞いた勝己は堪えきれずに左手で出久の右頬に触れてスリ…っと右頬に残る傷跡を親指で撫でた。
「ふふ、もう痛くないよ?」
「別に傷を撫でてんじゃねぇよ」
「じゃあ、これはなぁに?」
「…居なくなったソバカスを偲んでんだよ」
「えー?」
少しずつ蘇るあの頃のやり取りに自然と会話が増える。
「久しぶりに会えて嬉しい、かっちゃん」
「ん、」
「ここまで来てくれてありがとう」
「ん…」
仕事終わりにここまで来てくれたし、明日も仕事があるだろうから勝己は早めに帰るのだろうと思った出久は右頬を撫でる勝己の左手をそっと握ってゆっくり下へ降ろした。
「出久、」
「ん?」
「お前夕飯は?」
「まだだよ?さっき言ってたスーパーで食材買って帰ろうとしてたとこ」
そう聞いた勝己はまだ勝己の左手を握ったままだった出久の右手を握り直して改札前の広場から歩き出した。
「え、かっちゃん?帰らないの?」
「誰が帰るっ言ったかよ、腹減ってんだよ俺は」
「うん?」
出久の手を握ったままどんどん駅の出口へ歩き出す勝己の言葉を上手く理解できないまま出久は足を動かす。
「…飯食い行くぞ」
「へ、」
飯食い行く??
出久は驚きのあまり歩みを止めてしまった。
「っ、だから腹減ってるって言ってんだろ!!足動かせアホ!!」
「ご、こめん!!」
グイッと手を引っ張りキャップを深く被り直した勝己と事態に着いていけない出久。
「ここら辺でどっか美味い店知ってんのか」
「えっと、ここから2本進んだ通りに美味しい中華料理のお店があるって教えて貰ったことがある!
確か四川麻婆もあるって!」
「っし、そこ行くぞ」
「うん!」
出久は大きく頷いて勝己の手を握り返した。
ただ会うだけじゃないんだ、まだ一緒に居られるんだ、と出久は嬉しさを隠さずに笑った。
勝己の手は暖かくて、風に乗って少しだけニトロの甘い香りが香った。
「…ちなみにそこを教えたヤツは誰だ」
少し低い声で勝己に問われた出久は何か気に触ったのだろうか?と思ったが素直に答えた。
「大学の附属図書館の職員さんだよ。資料探しをいつも手伝ってくれて優しいお姉さんなんだ」
「…あっそ」
「え、かっちゃんから聞いたのに反応それだけ?」
「うっせぇ、つか店に行く道合ってんのか?」
「あ、もうすぐ右に曲がるの」
そんなやり取りしながら歩けば、出久と勝己はついさっき約2年半ぶりに再会したとは思えないほど会話がポンポンと進んで心地が良かった。
そうして歩いていると勝己が少し躊躇ったように話を始めた。
「耳郎との配信、見た」
「え、もう聴いてくれたの?」
「…自分でリクエストしておいて見ねぇのはおかしいだろ」
「そっか、そうやってかっちゃんに直接言われると照れちゃうね」
えへへ、と出久は繋がれていない方の手で頬を掻く様子を見て、勝己は歩みを止めて出久の顔を見て言った。
「…また、泣いてんのかと思った」
「え?」
静かに出久を見つめる勝己の瞳は、少し揺らいでいるように見えた。
「病室で歌ってた歌に似てっから、」
「かっちゃん…あの歌、聴こえてたの?」
「人間寝てても耳は聴こえてんだよ」
なんてことだ、まさか聴こえていただなんて。
出久は恥ずかしい気持ちに目を逸らしたいのに、勝己の揺らいだ瞳から目が離せない。
「そっか…」
「ん、」
勝己の気持ちが優しすぎて、別の意味で泣きそうになってしまう。
涙腺から涙が溢れて出久の視界を歪ませる。
きっとそれも勝己の瞳から目が離せない今はバレてしまっている。
「あの時の不安は、今でもたまに思い出すよ。
暗くて静かな夜だと余計に…」
気持ちを言葉に出していくうちに、出久の視線がどんどん下がっていく。
それを見ていた勝己は握ったままの出久の右手の甲をスリ…っとひと撫でした。
自分はここに居ると安心させてくれるように。
__ああ、やっぱり君は僕のヒーローだ。
そう改めて感じた出久は再び顔を上げて勝己の瞳を見た。
「でも、かっちゃんが傍に居てくれるから、乗り越えられる」
真っ直ぐ勝己の瞳を見つめる出久の目には、もう涙は無い。
それに少し意表を突かれた勝己は少しだけたじろいだ。
「…傍に居たっ言ったって、最近なんて会ってなかっただろうが」
「それでも今日逢いに来てくれただろ?」
「…チッ」
「うわぁー、かっちゃんの舌打ち聴くの本当に久々だぁ」
「んで舌打ちで懐かしんでんだよ」
「僕だって自分が舌打ちで懐かしんでる事に驚いてるよ」
今度は出久が勝己の手を引っ張って前へ進む。
その足取りは先程よりも軽やかに感じた。
「病室で歌ってた歌、歌うんだと思っとった」
「リクエストのやつ?」
「ん、」
「あ、そっちの方が良かったかな?」
「いや、配信の歌も悪かねぇけど、単なる疑問」
もしかしたら勝己に聞かれるかも知れないと思っていた質問は予想通り聞かれた。
出久の中ではその答えは決まっているが、それを勝己へ伝えるには少し恥ずかしかしさが勝るが、そんな事で折れる勝己では無いことを知っているので意を決して言葉に出した。
「その歌は…かっちゃんの傍でしか歌いたくないなって、思ったから…他の人に聴かせるのは…ちょっとなって…」
その言葉と顔を赤く染めて視線を下げた出久の表情に、勝己はどうしようもなく愛おしさを感じて、握っていた出久の右手を指を絡めるように握り直して歩くペースを上げた。
「今度はその歌歌っても泣くなよ…」
それを聞いた出久は、ふと勝己の耳が赤くなっている事に気付いて握り直した勝己の手を優しく握り返した。
「…それはかっちゃん次第かな?」
「うっせ、テメェの涙腺の根性が弱っちいんだよ」
「涙腺の根性とは??」
手を握って歩く2人の他愛のない会話は目的の店に着いたあとも続いた。
ちなみに明後日に控えている耳郎との3曲目のカバー動画の練習で出久がこの事を報告すると、
「え、これでなんで付き合ってないの??」
と言われドン引かれたのだった。
【病室回想シーンで歌ってたイメージソング : 夜、夜中唄/星野源】
【 2曲目のイメージソング: 瑠璃色の地球/松田聖子】
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(おまけ)
セントラル病院。
何度目かの勝己の熱に寄る寝込みと出久の病室逃亡に看護師達も慣れ始めた頃、
((((((あの子達、付き合ってないの…?!))))))
それを知った看護師たちの間で激震が走った。
看護師A「幼なじみって言うのは聞いてたけどさ…」
看護師B「甘酸っぺぇ…甘酸っへぇよ…アラサーには刺激が強すぎる…」
看護師C「もう病室行く度に可愛すぎる衝動をどうにかしたくて毎回緑谷さんにタオルケット掛てる…」
看護師B「あ、あれ貴方だったのね」
看護師C「たまにさ、爆豪くんは起きてて緑谷さんが寝てる事あるんだよ。
その時にさ『スンマセン、コイツの上に何か掛けてやって貰えないっすか?…俺じゃ動けないんで。』って言われてご覧よ…そんなのいくらでも代わりにかけますよって言いたくなるじゃん??!!」
看護師B「良く耐えた…私だったら即言う。」
看護師A「頼む…もう2人付き合ってくれ…」
看護師B・C「ほんとにそれな👉」