――十二月某日、花の金曜日の宵。
駅前の大衆居酒屋は、忘年会シーズンということもあり大層な賑わいをみせている。
その一角で、整った面立ちをした四人の男がずらりと顔を突き合わせ、麦酒のジョッキを高々と掲げていた。親族会議と称した飲み会のはじまりである。
「それで、我が家で行うクリスマスパーティーの件なんだが……」
乾杯の音頭からしばらく経った頃、先陣を切って口を開いたのは今回の幹事である金子軒だった。
「ちょっと待て! その件は俺が仕切る!」
続く言葉を遮るように、勢い良く手を挙げて声高に叫んだのは魏無羨だ。一杯目の麦酒は乾杯の合図と共に一瞬で空にしており、いつの間にやら追加で注文した熱燗の徳利が、彼の目の前にずらりと並べられている。
「お前に仕切らせたら地獄を見る。絶対にやめろ」
江澄は麦酒を飲み下しながら、隣に座る騒がしい義兄に冷ややかな視線を送った。
「はあ? どういう意味だ」
「言葉の通りだろうが。お前が張り切るといつも碌なことにならない」
その一言に苛立った魏無羨は、口に運びかけた御猪口を卓上へと叩き付けた。
「江澄、喧嘩がしたいのなら買うぞ? 表に出るか?」
「お前だけが勝手に出ていけばいい」
「まあまあ、二人とも落ち着いて」
今にも殴り合いに進展しそうな二人をやんわりと引き離し、金光瑶が笑みを浮かべる。一見穏やかな態度にも受け取れるが、その表情の裏では何を考えているのかわからない恐ろしさもあり、金子軒は僅かに眉を潜めた。そして、目の前で繰り広げられる義兄弟たちのやりとりを無言で眺めながら、深々とした溜め息を落とす。
「……話を進めてもいいか?」
江澄と魏無羨は、仕切り直しとばかりに同時に酒を煽りながらも未だに睨み合っている。
金子軒は呆れた様子で二人に一瞥を投げつけ、さっさと話を続けた。
「つい先日、『くりすます、あーりん、サンタさんとおはなしする!』と阿凌が阿離にお願いしているのを聞いてしまって。出来れば叶えてやりたいんだが……」
男たちの間に一瞬の沈黙が流れる。金子軒が額に手を当て、あまりにも神妙な面持ちで告げるものだから、魏無羨は堪えきれず煽っていた酒を盛大に吹き出してしまった。
「もうそんなことを言える様になったんですね」
金凌はひと月前に三歳の誕生祝いを済ませたばかりだ。少し会わない間に随分と会話が上手くなったものだと感心し、金光瑶は眼尻をやんわりと緩めていた。
「純粋な子どものおねだりってやつは本当に可愛いなあ。江澄、お前もそう思うだろ?」
つい先程まで睨み合っていた筈の義兄弟だが、魏無羨は手の平を返したように上機嫌になり、江澄の肩を抱き寄せて笑っていた。酒精では酔わないくせに、場の空気には完全に酔っている。
口には出さないものの、義兄の言葉を聞いた江澄が感慨深そうに目を閉じて口端を吊り上げたところを見ると、魏無羨とそっくり同じ意見らしい。こういうところだけは何故か気の合う二人だった。
「つまり、この中の誰かがサンタ役になれってことか?」
「そういうことになる」
魏無羨の問い掛けに、金子軒はこくりと頷いてみせた。
「それなら聞くまでもなく、父親である貴方がやるべきでしょう」
可愛い甥の願いだが、金光瑶は早々に一抜けを決めたいらしい。私は演技が苦手なので、と念押しして、わざとらしく眉を寄せている。
普段から演技で塗り固められた様な男だとこの場にいる三人は既に知っているが、本人の前では決して口に出来るわけがなかった。
「子軒、お前がやるといい」
江澄が視線を送ると、金子軒は慌てた様子で首を振る。
「……いや、その、俺は芝居をするのはどうも苦手で。昔、阿離にも笑われてしまったし……」
過去の痴態を思い出したのか、わかりやすく言葉尻を弱めた金子軒の頬には酷く赤みが差している。愛息子の願いを叶えたいとはいえ、どうやら羞恥心の方が遥かに勝ってしまったらしい。そもそも金子軒という男は本当に芝居が下手だ。こういうところは昔から相変わらずだなと江澄は鼻で笑った。
「悪いけど、俺も辞退させてもらいたいな」
割って入るようにおずおずと片手を上げた魏無羨が、珍しく消極的な声音で宣言する。
「どうした? お前のことだから『絶対にやる!』と言い出すかと思ったが」
普段ならここぞとばかりに飛び付くであろう義兄の珍しい態度に、江澄は目を丸くした。
「こないだ藍湛の家に遊びに行った時、阿苑のままごと遊びに付き合ってやったんだけどさ。気合入れて演技してやったら、何故だか大泣きされちゃって」
「お前、一体どんな役をやらされた?」
なんとなく嫌な予感はしたが、怪訝そうな顔で金子軒が尋ねる。
「俺が母親役で、阿苑は子供の役だな」
「母親役で一体何をしたというんだ……」
「ありきたりなままごと遊びじゃつまらないだろう? 俺が想像力を働かせて話を進めていくうちに、母親は子供と楽しく買い物に出掛けて、その途中で出会した刺客に殺されたって設定になった」
(は? 買い物の途中で、刺客?)
隣で聞いていた江澄は、唐突に降って沸いた設定の意味不明さに思わず頭を抱えた。
「母親は一度殺されたが、復讐のために蘇ったんだ。そして恐ろしい怨霊を操る術の使い手になり、子供と共に刺客を探し出してそいつを残忍な方法で、」
「いや、その先はもう言わなくていい。むしろ言うな」
聞いてしまったことを金子軒は激しく後悔した。そして、自分の息子と大して年の変わらない子供が垣間見た恐怖の光景を心の中でひたすら憐れんだ。
「藍湛にも後からこっぴどく叱られたな……」
気不味そうに苦笑いを浮かべる魏無羨の姿に、この場にいる男たちは全てを察して同じ意見に辿り着く。――こいつには絶対に任せたくない、と。
「では、残ったのは江澄ですね。おめでとうございます」
金光瑶の強烈な圧を帯びた視線を受け、江澄は頬をひくりと引き攣らせた。
「待て、俺には無理だ」
「じゃんちょーん? お前、学生の頃に文化祭の演劇でそこそこ良い演技してたじゃないか。今こそその真価を発揮すべき時だろう?」
江澄の肩に、背後から擦り寄ってきた魏無羨の両腕が絡み付く。わざとらしい猫なで声を浴びせられて、江澄の背筋にはぞわりと寒気が走った。
「それとこれとは話が違う!」
「お前が引き受けてくれるなら、阿離もきっと喜ぶだろうな」
「それは……そうかもしれないが……」
「貴方の可愛い甥の為ですよ?」
「俺は――」
姉と甥を引き合いに出され、畳み掛ける様な言葉の応酬を食らい、江澄は続く言葉をあっさりと失ってしまった。
「お前ならやれる! やってくれ!」
魏無羨が江澄の背中を叩き、強い言葉で後押しをすると、金子軒も賛同する意味で首を何度も縦に振った。
「では決まりですね。宜しくお願いします」
反論する猶予もなく、金光瑶の放った一言で早々に話の決着はついてしまった。
その言葉を合図とばかりに金子軒が江澄の目の前にそっと空の御猪口を差し出し、魏無羨が上機嫌で並々と酒を注ぎ込めば、やれ目出度いとばかりに金光瑶が本日二度目の乾杯の音頭を取る。
白々しい程に朗らかな笑みを湛えた男たちに取り囲まれ、江澄は堅い面持ちで安酒を一息で煽ってやった。
(何故こんなことに……)
そうして普段より随分と回りの早く感じる酒精に目眩すら覚え、眉間の皺を深めながら唯々途方に暮れるのだった。