ハレの日に捧ぐ【凌澄&忘羨(現代AU)】 荘厳なチャペルの扉が開かれ、その中から姿を現したのは、純白のタキシードをそれぞれ身に纏った魏無羨と藍忘機である。
二人は参列者に向かって一礼をすると、悠然とした足取りで外階段を降り、鮮やかな花々で彩られた庭園内へと歩みを進めはじめた。
魏無羨は左手に花束を、そして右手には永遠の誓いを立てた夫の手を強く握り、参列者たちが振り撒く祝福の花弁を嬉々として浴びている。普段は表情の変化に乏しい藍忘機ですら、今日は目に見えて頬に歓喜の色を滲ませ、隣を歩く愛しい伴侶へと柔らかな微笑みを向けるばかりだ。
庭園の中央で二人は立ち止まり、人々を振り返る。魏無羨は藍忘機に目配せで合図を送ると、互いに絡めていた手指をゆっくりと解き、両手で花束をぎゅっと握り直した。
香り立つ赤白の薔薇と大ぶりの芍薬を、上品な白色のリボンで纏めた美しいウェディングブーケは、春の陽光を浴びて一際美しい色で咲き誇っている。藍忘機の胸元には、揃いの花で造られたブートニアが二人の愛の証を主張していた。
金凌はその様子を見つめながら、そっと感嘆の吐息を洩らす。幸福を絵に描いた様な光景は、目が眩むほどに輝いていた。
気付かれないよう隣へ視線を向けると、ハレの日に相応しいとは言い難い仏頂面を湛えた、端正な男の輪郭がそこにある。
淡紫の双眼は魏無羨を強く睨めつけている様にも見えるが、その意味は決して怒りでも悲しみでもない。
幼い頃から共に肩を並べて育ち、家族も同然だった友の新たな人生の旅路を、江澄は今生もただ黙って見送るだけだ。
「……相変わらず幸せそうな顔をしやがって」
江澄の唇からぽつりと溢れ落ちた独白が、春の風に混じって去ってゆく。
遥か遠い時代にも、同じ様な台詞を聞いたかもしれないと金凌は思ったが、あえて素知らぬふりをして、じっと前を見据えていた。
世が代わり、地が代わり、人が変わったとて、友の旅立ちを江澄が見届け、その背を追い続けるのが金凌の役目だ。
それぞれの想いが積み重ねた運命のしがらみに、魂は今も繋がっている。
恩師後輩らに取り囲まれ、幸せそうに笑い合う男たちを遠目に眺めながら、江澄は眉根を寄せて小さな溜め息を落としていた。
金凌は周囲に気取られぬ様、苦笑いを浮かべながらこっそりと耳打ちする。
「……せめて今日ぐらいは素直に祝ってやったら? そんな顔してるの江澄だけだよ」
「余計なお世話だ」
江澄の目に映る魏無羨の手の中には、美しい愛のかたちを象徴する花々がある。純白のリボンは彼等の未来永劫を固く結びつけた強い願いの証だ。
「あいつらは性懲りもなく出会って結ばれて、いつだって同じ場所へ帰っていく。……ハッ、因果応報とはよく言ったものだ」
鼻を鳴らして嘲笑う江澄に、俺とあなたも大して変わらないじゃないかと金凌は揶揄い混じりに呟き、肩を竦めていた。
離れたところで参列者たちに愛嬌を振り撒いていた魏無羨は、並んでなにかを話している江澄たちの様子に気が付いたのか、ふたりに向けて大きく手を振ってみせる。
「お前ら、そんなところに突っ立ってないでこっちへ来いよ! なあ、江澄ってば、江澄~!」
顔を背けられてもお構い無しといった様子で、魏無羨は喧しく名を叫び続けていた。
苦笑混じりの参列者たちの目に晒される羽目になり、江澄は思わず歯噛みする。この場で一悶着起こすのも面倒だと、仕方なしに唇の動きだけで「俺に構うな」と嫌味を込めた台詞を飛ばしていた。
予想通りの冷めた反応を見透かしていた魏無羨が声を立てて笑っていると、彼の傍らに立っていた藍忘機が魏無羨の肩にそっと手を置く。
「魏嬰、静かに」
伴侶の無作法を窘める様に小声で耳打ちするが、さして悪びれた様子のない魏無羨は、にやにやと笑いながら返事の代わりに唇で夫の頬を何度も啄み始めた。
何か物言いたげに唇を小さく動かした藍忘機に気付くと、魏無羨はあっけらかんとした表情で言い放つ。
「さっき誓いのキスを晒したばかりなのに、今更何を照れてるんだ?」
「そういうことではない」
「俺は可愛い旦那様の頬にも、たくさんキスをしてやりたいんだよ!」
「……魏嬰」
なんとも甘やかな戯れに周囲から小さな失笑すら漏れ聞こえてくるが、永遠の愛を誓ったばかりの夫夫には、そんな些細なことなど全く気にもならない。
胸焼けしそうな光景を直視できず、江澄は視線を彼方へ逸らし、深々と息を吐き出した。
もう随分と見慣れたものではあったが、それでも決して認めてやるものかという意地だけはおそらく一生消えることはない。遥か過去から付きまとう記憶が、それを易々と許してはくれないのだ。
突如、狙い済ましたかの様な軽風が庭園を吹き抜け、短く切り揃えられた江澄の髪がふわりと揺れる。少し乱れた前髪を煩わしそうに指で払いのけていると、不意に自分を見つめる金凌の強い視線に気が付いてしまった。
「どうかしたか?」
「えっと……」
金凌は曖昧に言葉を濁すと、ばつが悪そうに首を横に振ってみせる。
小さく溢した「なんでもない」という言葉の先に何かを言いかけたように見えたが、すぐに唇を閉ざしてしまった。
江澄は訝しげな表情で問う。
「俺に、まだ何か言いたいのか?」
「それは……」
「はっきり言え」
「いい。今は言わない」
金凌は少し困ったように眉尻を下げ、それ以上の答えを告げることはなかった。
刹那、江澄の脳裏を過っていったのは、同じ顔で江澄を見つめる『別の時代』の金凌の姿である。
同じ様な遣り取りを交わしたのは、決して初めてというわけではない。数えきれない程の過去から正解を掴もうとしたが、どれも掴みきれずに去っていくばかりだ。
時代は違えど、似た人生を繰り返して江澄と金凌は生きてきたが、金凌が濁す言葉にはいつも「続き」がなかった。
何も告げられないまま、なにも変わらないままの二人でいること。きっと、今生も似たような光景を繰り返すのだろう。
わかりきっている展開を、江澄は別段気にすることもなく、そっと天を仰ぎ見ていた。
とある催しを行うとのことで、庭園で暫しの談笑を楽しんでいた参列者たちがチャペルの前へと集められる。続く話も見つからないまま、江澄たちは流れに沿って人々の輪の後方へと加わった。会話の途切れた気不味さもあり、江澄はほんの少しだけ金凌と距離を置き、人の隙間へと立つ。
厳かなチャペルの外観を背に、魏無羨は両手の中の鮮やかな花々を見せつけるかの如く、ブーケをしっかりと握り締め、頭上へ高々と掲げ上げた。雲の切れ間から差し込まれた陽光が、まるでスポットライトの様に魏無羨を照らし、参列者たちは揃って祝福の眼差しを彼に送る。
「さて、俺のブーケが欲しい奴はいるかー? 幸せのお裾分け、奪い合ってでも取ってやってくれ! これは全員参加だからな? 絶対に落とすんじゃないぞ!」
「魏嬰、もう少し真面目にやって」
魏無羨が行おうとしているのは、結婚式において定番の催しであるブーケトスだ。
本来美しいはずであった儀礼は、魏無羨の雑な台詞で一気に台無しにされるが、それでも人々は微笑みを絶やさない。幸福の花束が宙を舞うのを今か今かと待ちわび、藍忘機とて言葉では苦言を示しながらも、その頬は緩んだままだ。
ふと、魏無羨は江澄の方へと目を向けた。ほんの一瞬だけ交わされた視線に江澄はぴくりと眉を跳ね上げる。彼の言わんとすることは、なんとなく察しがついているのだ。
魏無羨はくるりと参列者たちに背を向け、そっと瞼を閉じる。手の中の愛と幸福へ祈りを込める様に、花束へ額を押し当てて魏無羨はにやりと笑うと、高らかに声を上げた。
「ほら、受け取れよ!」
愛と幸福と祈りを詰め込んだウェディングブーケは、そうして天高く放り投げられたのだった。
【続く】