リーシュコード やあ、ミランダ。元気にしてるか?母さんや他のみんなはどうだ?俺はまあまあ元気にやってるよ。
大口叩いてそっちを出てきた割に、やっぱりノースショアのサーフショップでは技術とか経験がなくって採用してもらえなかったんだ。でもなんとかホノルルのはずれのショップで働いてる。
家賃も物価も高いけど、家からも職場からもちょっと行けばすぐ海なのは最高だよ。そりゃあ故郷が懐かしくなることはあるけど、俺にとってはこの環境が何にも替え難いんだ。
ところで、俺はこの間ちょっとした失恋をしたんだ。可愛い妹にしか言えないからちょっと聞いてほしい。
ある日、俺の働くサーフショップにお客が来たんだ。俺が働き出してから初めて見る客で、俺より数インチ背が高い、両腕にがっつりタトゥーの入った奴でさ。ワックスを片手にリーシュコードを熱心に見てた。
俺は暇してたし、一応店員として話しかけてみたんだ。
「お客さん、そっちはキッズのコードだよ。あんたみたいなガタイの良い人には短すぎるだろ」
「ああ、俺のじゃないんだ。ちょっとしたプレゼントでな」
その男は眉を下げて、その体格に不釣り合いな柔らかい笑顔で言った。正直なところ、その顔がすごい好みだった。
「ああ、お子さんに?」
好みだけど、この年頃のこんな良い男は大体家庭持ちだ。俺だってそれを散々学んだからあえて聞いてみた。
「まあ……友達の娘に。最近サーフィンを始めたんだ」
そう言ってピンク色のコードを物色する姿がやけに可愛く見えて、ちょっとドキッとした。
「ピンクも可愛いけど薄紫とか水色も人気だよ」
「そうか、本人か父親に聞いた方がいいかもな。ありがとう。今日はとりあえずこれだけ買っていくよ」
俺は商品を受け取りながら、その『友達』ってのが女じゃなくて本当に普通の友達だろうことにちょっとホッとした。
「OK、また来てよ。うちは初心者とかキッズ向けのグッズは結構充実してるからさ」
「ああ、近いうちに来るよ」
その数日後、本当にまたそのお客が来た。偶然俺のシフト──まぁ俺は大体毎日シフト入れてるから当たり前だけど──に来てくれて、内心めちゃくちゃテンション上がった。そのお客の横には小柄なブロンドの男がいて、そいつはこのハワイにそぐわないシャツとネクタイにスラックスっていう服装だった。
「そんなヒモなんてさぁ、別になんでもいいんじゃねぇの?ボードだってなんか小さいのでいいんだろ」
「ヒモじゃなくてリーシュコードだ。ボードもコードも、身体に合ったのじゃないと危ないんだ。お前はグレイスを危ない目に遭わせていいのか?」
「いいわけないだろ!……あーわかったよ。はーい!波乗り水兵さんよ、シティボーイに教えてくださぁい!」
そのお客とツレは、ギャーギャーと言いあいながら店に入ってきた。あぁあれが友達か、と思って見ていたら、お客も俺に気づいて手を上げてくれてちょっと嬉しかった。
二人は店内をそれぞれ勝手気ままに物色していた。お客は自分用らしい商品を探して、ツレはキッズ用コードを何本か見て飽きたのか、すぐにその横のサーフウェアの棚を見始めた。そりゃあサーファーじゃなけりゃリーシュコードの違いなんてわからないだろうからな。
俺が暇潰しがてらそのブロンドに声をかけようと思って近づいたら、どうやら新たに入ってきたらしい他の客がそいつに話しかけた。
「そのサーフパンツ良いじゃん。でもアンタみたいな細腰じゃあそのサイズだとデカすぎだろ」
「んー、でもおれ結構ケツがデカいんだよね。これくらいでちょうど良いんだわ」
「たしかに、良いケツしてるわ、アンタ」
そう言ってその客はブロンドの尻を鷲掴みにして揉みしだいたんだ。一瞬固まって声も出せずにいた俺の横に素早く何かが通った感触がしたと思った次の瞬間には、例のお客がその痴漢客の首根っこを掴んでブロンドから引き離してた。
「おい、今コイツのどこを触った」
「んぐっ、なんだよ!ただのスキンシップだ!男のケツを触ったくらいで何すんだ!」
身体が浮きそうなくらいの剣幕で痴漢客を引っ張り上げて詰め寄るそのお客は、腰につけたバッジを痴漢の目の前に掲げてドスの効いた声で言った。
「男だろうが女だろうが、痴漢は痴漢だ。俺たちは警察だ。今すぐにお前を淫行の罪でブチ込むことだってできるんだぞ」
「わかったよ!離せよ!」
そう痴漢客は叫んで店を出て行って、ツレはお客の腕を引いて小言を言い始めた。
「おい、スティーヴ!やりすぎだ」
「お前が隙を見せるからああいう輩が出てくるんだろ!」
「隙ってなんだよ。おれは何にも悪くないだろ!だいたい揉まれたのはおれのケツだ。お前のじゃない。お前にそこまで言われる筋合いはないね!」
「だから問題なんだ!気をつけろと言ってるだろ!」
二人はまたギャーギャーと言いあいをしていたけど、ふとブロンドは手に持った水色のROXYのコードを俺に差し出した。
「騒いじゃって悪ぃな。これ包んでくれる?」
「あっ……はい、じゃあレジにどうぞ」
そうしてレジに行ってカウンター越しに二人を見たら、お客──スティーヴっていうらしい──の腕はブロンドの腰に回っていた。その間も二人はギャンギャンと言いあっていて、俺は二人の関係が『そう』であると確信してちょっと胸が痛んだ……んだけど。
「なんでそこまでお前に言われなきゃなんないんだよ!」
「俺はお前のバディでボスだからだ!」
「ボスだからっておれのケツの心配までする必要は無ぇだろ!」
「お前は俺のダノだからだ!他の奴が触って良いわけないだろ!」
その言葉にダノ──どうやらブロンドの名前らしい──も俺も固まった。
「っ……あっ……まぁ……あ、そう……」
「そうだ、わかったか」
鼻息荒く断言するスティーヴと、その顔を呆然と見上げるダノを見て、俺はわかってしまったんだ。二人は『まだ』『そういう』関係じゃないけど、スティーヴはダノに惚れてるって。
これは二人がデキてるより遥かに望みがない。さっきより深く胸に傷ができたのを隠して、俺は会計を済ませた。
見返りがなくてもこんなに強く誰かを好きになったり、媚びなくても誰かに好かれたりすることができるってことが衝撃だった。
ミランダ、もし良かったら母さんと父さんにコーヒーとチョコレートを分けてやってくれな。俺からだって言わなくていいからさ。まあハワイ産だから気がつくと思うけど。
もう六十年も生きた人の価値観なんてそうそう変わらないのはわかってるよ。俺がこっちにくる直前、カムアウトした後ですら父さんは「帰ってくる時はフラガールの一人や二人、連れてこい」って言ってたからな。俺みたいな人間の存在も認めないし、父さんにとって女の子ってのはそんな扱いだってわかった。
俺はしばらくはそっちに帰らないつもりだ。ミランダも来たかったらこっちにおいでよ。ハワイも色々あるけど、スティーヴとダノが守ってくれてるから大丈夫だからさ。じゃあまた。