水も滴る見上げる
ああ、いい朝だ。久し振りによく眠れたし、昨日までの疲れはある程度消えたみたいだ。一週間ぶりの朝のロードワークをこなしてシャワーを浴びる。
ちょうど一週間前に仕込んだ鶏のササミ肉は冷凍しておいて正解だった。ジップロックごと卵と一緒に茹でて、生のブロッコリーと一緒に食べる。
脂質が足りない気がしてコーヒーにバターを入れる。これをすると明らかに嫌そうな表情をする相棒の顔を思い出す。……いや、思い出すどころかほんの十時間前まで一緒にいたあいつのことを忘れている暇なんてない。いつだってあのベイビーブルーの瞳は俺の中に光っている……なんてな。
あいつは……ダニーは今日は一人でいるだろう。昨日の夜にようやく、そして唐突に解決した事件は本当ならもう少し長引くはずで、グレイスはこの週末はずっとレイチェルのところにいる予定にしていたんだ。
「あーあ、誰かさんの無茶な突入のお陰で事件は無事解決だ。こんなことなら明日からのグレイスの当番を変わらなきゃ良かったわ」
そう唇を尖らすダニーだったが、俺のおかげで月曜にはグレイスに会えるんだから、感謝してほしいものだ。
レイチェルのことだ、今日ダニーが急にグレイスに会いたいと言っても了承なんてしないだろう。あいつはこの二日間ヒマなはずだ。うん、奴を誘ってどこかに出掛けよう。
とは言えどこへ行こうか。きっとダニーはまだ疲れが残ってるだなんだとギャーギャーうるさいだろうからな。トレイルはきっと断られる。俺があいつをおぶって登ったっていいけどそんなこと言ったら殴られそうだ。
サーフィンはこの間断られたし……あ、そうだ。ボディボードなら良いんじゃないか?グレイスがやりたいと言ってたし。サーフィンほど体力はいらない。今日は波もそんなに高くないからちょうど良いな。
そうと決まればあいつを迎えに行こう。父さんがなんでだか買っていたボードを二台、シルバラードに積んで家を出る。
ラニカイに向かう車で混み始めている反対車線を尻目にダニーの家に向かう。
都会育ちの男の、おそらく初めての木枠の窓のアパート。明るいピンクのバービーの家とユニコーンのぬいぐるみがちょこんと並んでいる部屋。
少し眉根を寄せ、倒れた人形を起こしてまたスタンドに立て掛ける相棒。その顔を見るたびに何故か胸が苦しくなるのに暖かくなる。
抱きしめられたいのに抱きしめてやりたい。あいつに対する自分のそんな感情には気がついているけど、それがなんなのかはまだわからない。
少し緑がかった水色の外壁のアパートの、一階の部屋の前に着いた。白いドアのノブを回して押してみるが鍵がかかっている。用心深いなと以前笑ったら、警官もどきの仕事をしているのにお前は不用心すぎると怒られた。
無惨に枯れた、前は何かの植物が植えられていただろう植木鉢の底にキーを隠してあるのは知っている。しゃがんでそれを探していたら、不意にドアが開いた。
「お前……何やってんの?」
「なんだ起きてたのか。まだ寝てると思ってたぞ」と言おうと思った俺の口は、視界に入った光景にみっともなく開いたまま固まった。
濡れた足に突っかけたフリップフロップ、金色の薄い毛が張り付いた脛、骨ばった膝の上の腿もほんのうっすらとだけ産毛が生えている。
バスタオル……というには小さい、バスタオルとフェイスタオルの中間の大きさのタオルが巻かれた腰はいつものスラックス姿よりもさらに細く見える。そのタオルから覗く内腿には水滴が細い筋を描きながらくるぶしまで垂れている。
乾きやすいからというだけで買ったという薄手のタオルはあまりにもぎっちりと腰に巻きつき、股の膨らみを僅かに拾ってしまっている。
臍から下の毛は思ったよりも──俺はそれを想像したことがあったのか?──薄く、こいつが誇ってやまない男らしい胸毛とは対照的だ。
日に当たっても赤くなるばかりで色濃くはならない肌は白く、ダークブロンドの胸毛が張り付いた胸筋の下縁の小さな乳首はいつもよりも──なんで俺はこいつの乳首の色を覚えてるのか?──紅く色づいている。
気がつけば俺の口の中に唾液が溜まっていた。それを飲み下す音が頭に響く。目の前のこいつに聞こえるんじゃないかとすら思うほどに。
いつもぴっちりとオールバックに撫でつけられた前髪は濡れて束になって額を隠している。そのブロンドの隙間から覗くのは、訝しげに俺を見下ろすベイビーブルーだ。
「あ……な、なんだ。起きてたのか。お前と、その……出掛けようと思って」
ドアが開くのも、この部屋の持ち主が出てくるのもそんなに驚くようなことではなかった。なのに、いつもと違うダニーの姿を見てしまうと、なんだか俺なんかが見てはいけないものを見てしまったような気まずさと恥ずかしさに襲われる。
「お前さぁ、約束もしねぇで勝手におれの予定を決めるなって前から言ってんだろ」
「だって、どうせグレイスに会えるのは月曜日だろ。何も予定がないんだったら俺と遊びに出たって良いだろ?」
気まずさを隠すようにダニーの文句へ応酬する。大丈夫、いつも通りだ。心拍がいつもより少し速いのはバレていないはずだ。
ダニーは一つため息を吐いて、腕を俺の方に伸ばして言った。
「おいおいスティーヴィー……一週間ずっと一緒にいたのにまだおれといたいのかよ……仕方ねぇなあ。ほら、入れよ」
唇の端を僅かに上げたその顔が満更でもなさそうなのを感じて、俺の心臓は大きくどくんと跳ねる。
お言葉に甘えてその懐に入るとしようか。……でも、今日はボディボードは無しだ。これ以上水に濡れたダニーの身体を見ていられる自信がないし、何より他の誰にもこいつの身体を見せたくないからな。