9本のバラ/3本のバラ 「ただいまー。」
労働でくたびれた掠れ声で、Youはリビングでテレビを見ているであろう恋人に声をかける。
手にした白い包みを潰さない様に気を付けながら、後ろ手に玄関の鍵を閉めた。
Youの声に反応したドゥが、小走りに玄関まで彼女を迎えに駆け寄る。
「おかえり、You」
彼女の首に両腕を回し、ハグとキスを一緒に送るドゥに、Youは苦笑する。
今日もまた、いつも通り帰宅しただけだというのに、毎日こんな調子の彼は、それでも飽きずにYouを出迎える。
「ただいま、ドゥ。」
大型犬の様にじゃれつく彼と、帰りに買った彼へのプレゼントの白い包みを気にしながら、ドゥのくせ毛を片手でくるくる、よしよしと掻き混ぜる。
ふと、キッチンの電気が付いていることに気付くとYouは静かに眉をひそめた。
「……なんか、作ってた?」
「うん」
何度か、彼の手料理で"酷い目"にあった彼女は、眉根に皺を寄せた顔を遠慮なくドゥに向ける。
「……、何を?」
彼女の渋い顔に気付いてか、気付かずか、ドゥはいつも通りの上機嫌で彼女に笑いかける。
「大丈夫だよ、You今回はかなり期待していい」
彼女の頬に口付けをひとつ落とすと、Youの返事も待たず、ドゥは踊る様に(なんなら鼻歌を歌いながら)キッチンに向かった。
そんな後ろ姿を、恐れ半分諦め半分で見送り、Youはひとりため息を零す。
「(言ったら聞かないところも、犬そっくり…。)」
そして、彼が気付かなかった手に持ったプレゼントに目を落としてから、ゆるゆるとダイニングに向かった。
カチャカチャと静かに響く、カトラリーが触れ合う音。
「(…音だけ聞けば、確かに今日は期待していいのかも。)」
以前、手料理を振る舞うのだと張り切っていた時など、ガリガリとコンクリートを削岩機で壊すような音や、びちゃびちゃと何か粘着質の液体が撒き散らされるような音まで響いて、それは恐ろしい心地で料理の完成を待ったものだった。
(結果出てきたのが、Youが普段口にするものよりやたらドロドロしている以外、"見た目は"普通のガンボだったのも怖かった。)
「(結局、あのガンボはなんの肉が入っていたんだっけ…?)」
現実逃避をしながら、プレゼントの包みを開く。
白い簡素な包装に包まれているのは、ピンクのバラ。
Youは帰り道に見かけた"あなたの大切な人に送りましょう"の広告に引き寄せられるように花屋のレジに立っていた。
真っ赤に開いたバラの花を、同じくらい真っ赤な顔をしてこちらに差し出すドゥの顔を思い出し、愛しさに口元が緩む。
テーブルの上に活けられている、6本のバラを整えながら、隙間にピンクのバラを差し込む。
Youが買ってきたバラは3本だけだったので、花瓶代わりのマグカップにも難なく収めることができた。
「…これ以上増やすなら、花瓶がいるわね。」
散り始めた真っ赤なバラの花弁を拾い上げたところで、グラタン皿を持ったドゥがやって来る。
「お待たせ」
……どうやら見た目も、匂いも、極々普通のチーズマカロニのようだ。
立ち上る湯気に包まれたドゥは、どこか得意気な顔でグラタン皿をテーブルに下ろす。
「……、美味しそう。」
疑り深い視線と裏腹に、素直な賞賛を口からこぼす。
「そう?良かった」
鼻歌混じりのドゥは、取り皿とカトラリーを丁寧に並べた。
「……ちなみに材料は?」
「Kraftのインスタントと、バターと牛乳」
「…それだけ?」
「…あ、うん。」
一瞬、ドゥの目が泳いだ。
「ほ、ほら食べてよ冷めちゃうと、美味しくないよ」
Youの鼻腔をくすぐる、チーズの美味しそうな匂い。
「……それもそうか、…いただきます。」
フォークを直にグラタン皿に突き刺し、いくつかのマカロニを引き上げる。
にゅぅ、と白く糸を引くチーズ。
固く目を閉じて口に入れると、味は思ったより普通のチーズマカロニだった。
「…。」
「…ど、どう?」
ぱちり、とYouの目が開き、不安そうなドゥと見つめ合う。
「…美味しい。普通に美味しい。」
次々口に入れるYouに、ドゥは胸をなで下ろした。
「良かったぁ…。…へへ、ちゃんとパッケージのレシピ通りに作ったんだよ。」
「レシピ通りが、結局1番美味しいものよ。」
Youの向かいに腰を下ろしたドゥは、ようやくテーブルのバラが増えている事に気が付いた。
「…You、これ、君が?」
「ああ、うん。」
なるべく言葉に感情を乗せないように意識して、マカロニを頬張る。
キザったらしい花屋の広告に、ドゥ共々乗せられたと素直に認めるのが何だか気恥ずかしかった。
「…ど、どうして?買ったの?」
「なんとなく…。ドゥも私にプレゼントしてくれたから。」
「…僕に?」
「もちろん。」
ほぅ、と感嘆のため息を零しながら頬杖をついてバラを見つめるドゥをこっそり盗み見て、Youは小さく笑う。
「ピンクのバラ…、可愛い。…3本、…3本のバラは…。」
独り言を呟く彼は、何かを思い出そうと思いをめぐらせている。
「……ねぇ、You。」
「んー?」
フォークを止め、Youはドゥに視線を投げる。
彼の黒い瞳は、Youをじっと見つめている。
「…愛してる。」
うっとり囁く彼に、Youも唇に笑みを乗せた。
返事もなく、残りのマカロニを口に運ぶ。
フォークがグラタン皿に擦れる音をBGMに、ドゥは幸せそうにバラを見つめ続けた。