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    hiko_kougyoku

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    hiko_kougyoku

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    若やまささ+雨緒紀、乃武綱……他
    「希望という名の罪」③
    ※続・雨緒紀の物語
    ※やまささと言い張る。
    ※捏造あり。かなり自由に書きました。
    ※名前付きのモブ有。

    希望という名の罪③  5

    「あれは嘘だ」
     こちらを睨みつける作兵衛の声が、鉛の重厚感で臓腑の底へと沈んでゆく。「俺は山本重國を始末するためにここにいる」続けられた声に脳天を殴られた心地になった長次郎は、ただただ呆然としながら目の前の人物を眺めることしかできなかった。
     そこには自分を一心に慕ってくれた後輩はもういない。純粋さの下に隠した本性をむき出しにして冷たい狂気に身を浸す、一人の復讐者が存在していた。その目には自分以外――長次郎を含めた全ての人間を拒絶し、否定し、ひたすら孤独に徹してきた、悲痛な感情が宿っているのが見て取れた。
    「何故……」
     足元から競り上がるこの感覚はなんだろうか。悲嘆か、憐憫か、それとも恐怖か。肋骨の下で渦巻く感情に喉を締め付けられる心地になりながらも、長次郎は凛然と作兵衛を見つめる。ついさっきまで先輩と呼んでいた人間の、隠しきれない不安に染められた声を聞いた作兵衛の方は、自虐的な笑みを崩さないまま訥々と話す。
    「教えてやるよ。俺の父親はあの男に殺されたんだ」
    「元柳斎殿がそんなこと……」
    「あの爺を敬愛するお前には信じられないだろうが、残念ながら紛れもない事実だ。もう昔の話になる。だが、俺にとっては忘れられない日のこと。山本が手下とともに家に押し入ってきて、父を斬ったことを……!」
    「元柳斎殿がそんなことをするはずがない! なんの罪もない人間を切り捨てるなど、元柳斎殿は……」
    「確かにあいつだった! 見間違うはずもない。額に描かれた、一本の大きな傷を……!」
     それは確かに、自分と出会った頃の元柳斎の姿だった。ひときわ目立つその傷がもとで元柳斎はノ字斎と呼ばれるに至り、かつての長次郎も頑なにその名で呼んでいたことを思い出す。その懐かしい日々をしかと覚えているからこそ、作兵衛の言葉は残酷な事実として長次郎の胸に深く突き刺さった。
     長次郎が元柳斎のもとに入り浸るようになるより前……元字塾ができるよりも以前の元柳斎は、戦いに明け暮れていたという話を耳にしたことがある。
     そんな元柳斎ならばあるいは……という疑念が頭に一瞬浮かんでしまったものの、長年憧憬を向けてきた主がそんなことをする人間ではないという強烈な願いが沸き上がり、気付けば長次郎はうわ言のように違うと繰り返していた。
     その時だった。落ち葉を踏む乾いた音が耳に入り、長次郎と作兵衛は反射的にそちらに向く。林の奥から長髪をなびかせて歩んできたのは雨緒紀だった。雨緒紀は驚愕に言葉を失った二人をそれぞれ一瞥すると、「渦楽」とおもむろに口を開く。
    「お前が言っていた『自分にできること』とは、やはり父の敵討ちのことだったのだな」
    「ああそうだ。山本重國の首をこの手で討ち取ることだけを考えて生きてきた。必ず成し遂げてやる……!」
     横溢する怨嗟に衝き動かされるように、作兵衛は声を振り絞ってため込んだ憎悪を一気に吐き出す。千切れるほどに見開かれた目に灯る、強烈な光――人間が抱え込める限界点をとうに超えたのではないかと思えるほど増殖した殺意が込められているのを読み取った長次郎は、その感情が自分にも向けられていることを一瞬で察知してしまい、全身が硬直するのを感じた。
     明らかな動揺を見せ無防備となった長次郎の姿を捉えた作兵衛は、負の感情を起爆剤に瞬時に中腰の姿勢になると持っていた斬魄刀を振り上げ、長次郎の刀の柄を鋭く叩いた。びり、と骨に響く振動とともに手から離れた斬魄刀は闇を舞い、持ち主の視界からあっさりと消えてしまったが、それを追いかけることはできなかった。抵抗する意欲を削がれた長次郎は、真後ろで斬魄刀が地面に落ちた微かな音を、棒立ちのまま聞いていることしかできなかった。
     恐慌状態のあまり、どうする? という自問ばかりが浮かぶ頭はもはや使い物にならなかった。精神の最奥にある柔らかな部分が、自分を射殺さんとばかりに睨みつける視線を避けることも、塞ぐことも、潰すこともできないとわめき立てている。これが甘さか。これが弱さか。ならば自分はその感情に殉ずるのだろう。沸き上がった諦めが、全身へと広がろうとしていた時だった。
    「縛道の一〝塞〟」
     隣から飛んできた雨緒紀の声。同時に襲い掛かろうとしていた両手が背中で一つに拘束され、無抵抗状態となり、作兵衛は再び地面に尻もちをつくこととなった。
     一拍遅れて危機的状況を脱したと理解した長次郎は、場を支配していた緊張が薄れてゆくとともに急に体中の毛穴が弛緩し、死覇装の下に汗が浮かぶのを感じた。首を動かし、そっと見上げる。作兵衛の殺意を共に受けたはずの雨緒紀は、長次郎とは対照的に無表情のまま作兵衛を睨みつけて言う。
    「……長次郎、お前の後輩はこう言っているが、どうする?」
     癖のある前髪の下で相手を見つめる双眸は、物を見る冷たい目だった。波一つ立たない湖面を思わせる冷静な瞳に、長次郎は先ほど作兵衛に感じた恐怖とはまた違う鋭さに背筋が凍りつくような気がした。
    「私は……元柳斎殿を狙う者を、許すわけにはいかない」
     放たれた声は、内容の重さに反して緩く震えていた。自分の忠誠は何があっても揺るがない。かかる火の粉を全て払い、元柳斎の描く未来のために奔走する……危機に瀕する度に自らの胸に楔として打ち込んできた誓いは今もなお存在しているが、この時ばかりはその楔の重さに立っていられなくなりそうだった。「ならばこの場で始末するしかない」言いながら雨緒紀が長次郎の背後に移動し、弾き飛ばされた斬魄刀を拾い上げる。
    「やれ」
     柄を受け取る手が、小刻みに揺れていた。恐れだ。その恐れは作兵衛を失うことだけではない。作兵衛を討つことを躊躇いなく口にする雨緒紀に対してもだ。昨日の昼、作兵衛に向けていたあの眼差しはどこに行った。期待している、これからも精進するようにと激励を紡いだ唇が、今はその命を奪うことを自分に命じている。温度差に慄然とした長次郎は、心臓が一つ、大きく鳴るのを自覚した。
    「それは……」
    「どうした。自分を慕う後輩に情が湧いたか」
    「当たり前じゃないですか。作兵衛を、殺すなど……」
    「だが山本が危うくなるぞ?」
     何も言い返せなくなった長次郎は、拘束されて大人しくなった作兵衛に視線を引き移す。目の前で今まさに、自分を殺めることを提案された作兵衛からはもう激情は感じ取れず、そこにはただじっと事の成り行きを見守る無抵抗な人間がいるだけだった。
     ごくり、と生唾を飲んだ音は自分のものか、作兵衛のものかは分からなかった。ただ、生殺与奪の権を握られた長次郎を見上げるその目の奥には、誰もが裡に備えている、死を恐れる本能的な恐怖が灯っていた。俺は死ぬのか。底なしの憎悪を潜ませていた青年が発するには弱さが際立ち、純粋さすら感じ取れる問いが鼓膜を震わせたような気がした長次郎は、雨緒紀の言葉に真正面から答えることができなかった。
    「王途川殿、元柳斎殿は本当に作兵衛の父親を殺したのでしょうか。私は、元柳斎殿が殺したなどとは考えたくありません。でも作兵衛が嘘を言っているとも思えない……」
    「……確かに、渦楽は嘘は言ってない。まあ、真実とも言い切れんが」
     含みのある言い方に、どういうことだと目だけで訴える長次郎。雨緒紀はそんな長次郎に軽く頷いて見せると膝を折り、作兵衛と目線を合わせた。
    「渦楽、お前は……火付けの権兵衛のせがれだろう?」
    「何故、それを……」
     作兵衛の顔が一瞬のうちに驚愕に変わる。「火付けの権兵衛?」長次郎が呟くと、雨緒紀はそれに応えるように淡々と言葉を続けた。
    「昔、北流魂街七十五区で盗みを働く男がいた。火事を起こし、周囲の注意がそちらを向いた隙を狙ってあらかじめ決めておいた家に盗みに入る手口から呼ばれた名は、火付けの権兵衛……こいつの育ての親だ。渦楽というのは権兵衛の姓。名前を見てすぐに分かったよ。ただし、お前が受け継いだのは姓だけではなかったようだがな。
     通常なら盗みにおける放火というのは証拠隠滅のために犯行の後に行うものだが、権兵衛の場合は盗みの前に火をつけることから警備の目を何度も潜り抜けてきた。今日の騒動もお前の仕業だろう。最初は七番隊で火事を起こすつもりが私と鉢合ってしまったため断念。一度身を引き、十二番隊舎で爆発騒ぎを起こして私や執行をおびき出し、その隙に当初の手筈通り七番隊舎内に火を点ける。隊士の注目が七番隊と十二番隊に向いたその混乱に乗じて山本を急襲、討ち取ろうとした」
     そこまで聞いてようやく、それぞれ別の場所で起こった騒動が頭の中で繋がったのを感じた長次郎は、何故あれだけの騒ぎになったにも関わらず元柳斎が部屋に留まったままだったのかを理解した。おそらく元柳斎は自分が襲われると予見していたのだろう。だからこそ隊士たちを他の隊舎に行かせたのだ。護廷十三隊の総隊長である自分が襲われたと知られれば、瀞霊廷は更なる混乱に発展すると容易に予測できたから……。
    「権兵衛のやり方で有名だったのは火付けだったが、手口が有名になると人々の警戒心も強くなり、放火が難しくなった。そうしてとうとう、権兵衛は人を殺した。その頃の権兵衛は生きるために盗むのではなく、盗むために生きる人間になってしまっていたのだ。やがて刺激を求めた権兵衛は北流魂街七十五区以外の場所でも事件を起こすようになり、被害は拡大していった。ある時、被害に遭った他の地区の住人が山本に助けを求めてきたのだ……火付けの権兵衛を始末してくれ、と。その依頼を受けた山本はこいつの家に行き、火付けの権兵衛を粛清した……」
    「そうだ、俺は火付けの権兵衛の息子だ」
     一度落ち着いた精気が再度煮沸した作兵衛の頬はぴくぴくと痙攣し、長次郎にはそれが自嘲じみた笑いを浮かべているように見えた。
    「あの日のことはよく憶えている。俺の家に来るなり父を切りつけたあいつは、手下に命じて逃げ惑う父の首を刎ねさせ、その首を持って行ってしまったんだ」
    「それで、お前は見逃してもらったと」
     立ち上がった雨緒紀の声が冷たい闇に霧散する。その問いを拾い集め、作兵衛は「そうだ」と強い口調で答えた。
    「山本は動かなくなった父の隣で泣いていた俺を、憐れむような目で見たかと思えばそのまま何もせず出て行ってしまったんだ。てめえでやったことなのに、勝手に同情して生かされて……あの惨めさはいくら時が経っても忘れられない。あの時俺は思ったんだ。いつか、山本重國に復讐をしてやると……この惨めさをあいつにも味合わせてやると……!」
     父親の死を目の当たりにし、徐々に温度を失ってゆく鮮血の中で意思を目覚めさせた少年は、元柳斎への怨嗟を産声として二度目の生を受けた。生まれたばかりの頼りない精神を抱いたのは、よりによって屈辱と憎悪という、狂気に転がり落ちるために必要な負の感情。そうして自らの在り方の根幹から歪みきった少年は今ここに渦楽作兵衛という人格となって存在している……。
     こいつの父親は極悪人だ。それは長次郎自身も十分に理解していたし、許すつもりもない。しかし作兵衛はどうだろう。被害にあった人間から請われた結果殺された火付けの権兵衛、火付けの権兵衛の復讐をするために身を捧げてきた作兵衛、その先にいる元柳斎……もし元柳斎が命を失うことになるならば、次には長次郎自身が作兵衛と同じ場所に立つだろう。そうして繰り返される恨みの連鎖には終焉などなく、永遠に続く。その先に何があるのだろうか……。
     すると、雨緒紀に向いていた作兵衛の目が長次郎を見た。苦々しく歪んだ表情とは裏腹に、その瞳の奥には人間の本質にあるもの……漠然とした死への恐怖が未だ燻っていた。
    「……作兵衛、考えを改める気はないか」
     ようやく絞り出した声に、雨緒紀が纏う空気の重量が増した気がした。けれども長次郎は言わずにはいられなかった。例え甘いと言われようとも、遠回りの道を選んだとしても、自分の中で納得できなければ必ず後悔をする。そうした後悔を積み重ねた先には、おそらく自己への強烈な嫌悪しか残らないだろう……。
    「お前が元柳斎殿を狙うと言い続けるのなら、私はお前を討たなければならなくなる。だがお前が考えを改め、尸魂界のために頑張ってくれるというのなら、私は……もう一度機会を与えてもいいと思っている」
    「つくづく甘いやつだ、お前は……」
     不機嫌を露わにした声色で雨緒紀が低く吐き捨てるのが耳に入ってきた。そうしてこちらを一瞥した雨緒紀の瞳にはもう光はなかった。あるのは一切の隙をも見せない冷徹さと、全ての甘さを排除し峻厳さを蓄えた、護廷十三隊十番隊隊長の姿。力と知の両方を兼ね備え、誰よりも物事の道理を見抜くことに長けた男が、噴き上がる激情を静かに抑え、かろうじて人の姿を保つ様子が暗闇の中でもはっきりと見て取れた。
    「渦楽、お前の優しい先輩は弁解の機会を与えてくれるらしいぞ。どうする? もう山本を狙わないと誓うか?」
     長次郎はすがるような目で作兵衛を見つめる。二人の視線を注がれた作兵衛は、唇を引き結んだまま何も答えず、じっと地面を見据えたまま。
     それを答えと取ったようだ。雨緒紀は即座に斬魄刀を抜くと、その切っ先を作兵衛の喉元へと当てた。
    「もういい。長次郎、お前がやらないならば私がやる」
     仏の顔に三度目はない。それまでとは比にならない重厚な霊圧が場を支配したのは、雨緒紀の言葉とほぼ同時だった。全身を締め付ける圧迫感と、足元から這い上がる正体不明の不気味さ。自分という矮小な存在を丸呑みにするかのように四方から襲いかかる霊圧に逃げ道を失った長次郎は一瞬で呼吸のしかたを忘れ、酸素を求めるようにぱくぱくと唇を動かした。
     今にも刺殺せんとばかりに作兵衛を睨みつける雨緒紀が、すっと目を細め、斬魄刀を握る手に力を込めるのを視界の端に捉えた。長次郎は震える足を何とか動かし、雨緒紀の前に躍り出て、力の限りに叫ぶ。
    「お待ちください! 作兵衛は縛られており、無抵抗です!」
    「そうしなければお前が切られていた」
    「ですが……」
    「十分に猶予は与えた。それでも変わると言えないならば、こいつは復讐心と心中するつもりということ。ならばそれに応えてやろうではないか」
     苛立ち以外の感情を削ぎ落した氷の声が、長次郎をぞっとさせた。真っ白になった脳内でどうすればいい、と自問した時だった。
     それまで全身で怯えを見せていた作兵衛が、混乱と恐怖のあまりもつれる足をなんとか動かし、逃げるようにその場から去ろうとした。強大な霊圧に長次郎と同じように慄然とし、もはや正常な判断ができない心理状態だったのか、作兵衛は雨緒紀の刃が自分に向いているにも関わらずあっさりと背を向けたのだ。
     その行動に殺意を一層際立たせた雨緒紀は、無言のまま斬魄刀を一閃させ、作兵衛の左踝を切りつけた。人体において最大と言われ、体を動かす際の負荷にも耐えられるほどに強靭な構造をした腱を切断され、激痛に襲われた作兵衛は腹の底からの絶叫を雑木林に響かせる。亡者が地獄の底から生者を罵るような悲痛な叫びが闇をかき乱し、間断なく鼓膜を揺さぶるので、長次郎は思わず「おやめください!」と金切り声を上げていた。
    「王途川殿、もうこれ以上は……!」
    「退け、長次郎。さもなくばお前も斬る」
    「何卒……何卒……!」
     長次郎が地に頭を擦りつける勢いで雨緒紀に迫っていると、足元から呻きに混じって、いやだ、と漏らす声が聞こえた。
    「俺は、死にたくない……!」
     仰臥した作兵衛は、涙と鼻水でぐちゃぐちゃに濡れた顔を夜空へ向けながら、無意識的に繰り返す。激痛と、恐怖と、憎悪と、悲嘆と……多くの感情がないまぜになり、自分でもどうすればいいか分からないといった表情をした復讐者は、親とはぐれた子どもを思わせる寂寞をにじませると、許しを請うように雨緒紀を見た。
    「もう、山本重國を狙うことは、しない……」
     それは今宵瀞霊廷を揺るがした復讐劇の、あっさりとした幕引きだった。その返答に、放出していた強大な霊圧を絞って平静に戻った雨緒紀はすっかり虚脱した作兵衛の顔を見下ろし、瞳の底をさらうように目の奥を覗き込むと、哄笑を噴き出した。
    「ふっ……はははっ! なるほど、賢明な判断だ……!」
    「王途川殿……?」
    「渦楽作兵衛、お前の考えはよく分かった。お前がそう言ってくれるならば、もうお前に危害は加えない……私はな」
     雨緒紀は作兵衛の脇の下に手を入れて起き上がらせ、その場に座らせてやると、うって変わった穏やかな笑みを浮かべ、優しい声色で言う。
    「これからは長次郎とともに、山本のために身命を賭してくれ」
     わざとらしく放った雨緒紀の言葉に、涙で濡れた作兵衛の目に一瞬の歪みが灯った。その目を見た長次郎は、作兵衛の心の根幹が未だ変わっていないと感じてしまい、口の中に苦いものが広がってゆくのが分かった。
     それでも雨緒紀はもう先ほどのような殺気を放つことはなかった。なんだ、この感覚は。脳内に差し込まれた違和感に今夜何度目かになる怖気を覚えた長次郎は、「お前には同情する」と語りかけた雨緒紀の声を、どこか遠い場所で発せられた白々しいもののように聞いていた。
    「明日をも生きれるかという過酷な生活だったというのは想像できる。父の罪を償えとは言わない。お前は父親ではないからな。だからこそ霊力もあったし、這い上がれるだけの丹力もあるから、こうして死神になって、前を向いて生きていくべきだったと私は思う。むしろここまで大切に育ててきた憎しみだ。そう簡単には消えないだろう?」
     「山本はな、お前のことを知っていた」その声に、作兵衛は目を見開き、弾かれたように顔を上げる。
    「知っていて入隊させたのか? 自分の右腕を教育係にして……」
    「そうだ。その理由はな、もしかしたらお前が変わるかもしれないと期待していたからだ。長次郎とともに職務に専念し、自分の在り方を見つめれば、憎しみなどに囚われずに生きていけると……」
     背を向けているため、こちらからは雨緒紀の表情は見えない。けれども作兵衛の瞳に涙が溜まってゆくのを見ると、長次郎の中で波立っていた心がみるみるうちに穏やかなものへと変化してゆく。
     あの戦争で数多の滅却師を屠り、この瀞霊廷を赫々たる炎へと沈め、自らを〝化け物〟と揶揄したあの元柳斎が、誰にも告げずに密かに抱いていたもの――他者への希望をありありと感じ取った長次郎は、その小さな光に目頭が熱くなるのが分かった。
     確かに元柳斎は変わった。昔よりも思慮深くなり、心なしか表情が和らぎ、他者を見る目に慈悲がこもるようになったと誰かが言っていた。中にはあの山本元柳斎が、と驚く人間もいた。そうした元柳斎への評価を耳にしていくうちに長次郎は「そういうものだ」と思うようになった。
     人は変われる。まだ未熟な精神は誰かと出会い、いくつもの別れを繰り返し、そうして様々なものに触れていくうちに形を変え、そう在りたいという望みを見つけてゆく。この世に生を受けた自分の役目はどこにあるかと模索するように、ひたすらに、懸命に。
     どれだけ傷を負おうとも、悲しみに苛まれようとも、人はその先に希望があると疑わない。きっと自分の未来は明るい。信じる力があるからこそ、その目は前を向くことができる。そう悟ることができた元柳斎だから、自分を憎む作兵衛を受け入れることができたのだ。排除するだけでは何も生まないと、人は変わることができると信じていたから……。
     元柳斎殿、と内心で呟いた長次郎は、主の顔を脳裏に浮かべる。私はあなたについてきて良かった。感慨に胸を焦がされそうになった時、目の前の青年から鼻をすする音が聞こえた。一度引っ込んだ涙を再び流した作兵衛は、掠れた声で「綺麗ごとだ」と弱々しく吐き捨てる。
    「父を殺したのは、あいつだったのに……盗賊でも、悪人でも、俺にとってはたった一人の父親だった。山本重國に何が分かる。他人を慈しむことなんて知らない人間に、何が……」
     それまで生きるための精神的主柱だった憎悪を失い、空虚となった心と呆然と向き合うこととなった作兵衛は、虚脱した表情で中空に目を向けている。もう、いいじゃないか……。そんなことを思った長次郎は、雨緒紀の背中を見る。
    「王途川殿、これ以上は、もう……。作兵衛は私がよく言い聞かせます」
     すると雨緒紀は、すくと立ち上がるとあっさりと作兵衛から離れ、こちらへ振り向く。
    「長次郎、一つだけ言っておくことがある。この世界では必要なことの全てが、必ずしも納得できることとは限らない。自分の胸で納得できずとも、道理にかなわずとも、やらねばならぬ時にそれを怠れば組織が腐る。それがどんなに汚い仕事でも。いいか、よく覚えておけ」
     その顔には何の感情も浮かんでいなかった。普段の長次郎ならば恐ろしいと感じるほど鋭い視線だったが、一晩のうちに何度も感情をひっくり返した心はすっかり消耗し、もう何かに反応する気力も残っていなかった。雨緒紀の言葉に力なく「はい」と答えた長次郎は、作兵衛の拘束が解ける音を聞いた。
     雨緒紀は作兵衛を無理矢理立たせる。瀞霊廷に連れて帰るのだ。抵抗の意思がない体は、腱が切られているということもあり無力で、作兵衛は肩を貸そうと近付いた長次郎に寄りかかり、体を預けてきた。虚無となった瞳に光はない。その顔を見て長次郎は、これでようやく終わった、と小さく安堵の息を吐く。
     もうしばらく闇を塗りこめたままであろう夜空が、重々しく頭上に広がる。なんとなくすっきりしない内心の長次郎は、ゆっくりと動きはじめた作兵衛に合わせて歩きながら、前を行く雨緒紀の背中をじっと見つめていた。
     ――夜明けは、まだ遠い。

       《続く》
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    hiko_kougyoku

    DONE若やまささ+千日、逆骨
    「世のため人のため飯のため」④
    ※やまささと言い張る。
    ※捏造あり。かなり自由に書きました。
    ※名前付きのモブあり。
    世のため人のため飯のため④  4

     逆骨の霊圧を辿ろうと意識を集中させるも、それらしき気配を捕まえることは叶わなかった。そういう時に考えられるのは、何らかの理由で相手が戦闘不能になった場合――そこには死亡も含まれる――だが、老齢とはいえ、隊長格である逆骨が一般人相手に敗北するなどまずあり得ない。となると、残るは本人が意識的に霊圧を抑えている可能性か……。何故わざわざ自分を見つけにくくするようなことを、と懐疑半分、不満半分のぼやきを内心で吐きながら、長次郎は屋敷をあてもなく進む。
     なるべく使用人の目に触れないよう、人が少なそうな箇所を選んで探索するも、いかんせん数が多いのか、何度か使用人たちと鉢合わせるはめになってしまった。そのたびに長次郎は心臓を縮ませながらも人の良い笑みを浮かべ、「清顕殿を探しております」とその場しのぎの口上でやり過ごしているうちに元いた部屋から離れてゆき、広大な庭が目の前に現れた。どうやら表である門の方ではなく、敷地の裏手へと出たようだ。
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