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    hiko_kougyoku

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    hiko_kougyoku

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    乃武金
    「龍の刺青を持つ男」①
    ※乃武金と言い張る。
    ※捏造多々あり。かなり自由に書きました。
    ※ いつもと違う雰囲気。
    ※名前付きのモブ有。
    ※流血描写あり。

    龍の刺青を持つ男①  1

    「龍の刺青の男?」
     ぐい呑みから口を離した乃武綱の唸りに、鈴虫の鳴き声が重なった。秋の夜は長いと言うが、肴にするには陰鬱な内容だ。それは言い出した方も感じているのか、目の前に座る有嬪はにっと笑って見せる。
    「ああ、聞いたことねえか?」
    「知らねえな……有名なのか?」
    「俺の周りで知らないやつはいなかった。昔、背中に龍の刺青を持つ男がいた。男はとにかく剣の腕が立つらしく、何人もの手練れが葬り去られた。出会ったが最後、瞬きをする間に殺されちまう。残された死体の顔はどれも驚きで目を見開き、一瞬で絶命されたということが分かるものだった……」
     一気に緊張を孕んだ部屋の空気に、有嬪の声が響く。背筋に感じた怖気は、何も夜の冷たさによるものではない。粟立った皮膚をさすりながらも、しかし頭の片隅で引っかかるものがあった乃武綱は、空になったぐい呑みをそのままに口を開く。
    「おいおい、出会ったが最後って言うなら、その龍の刺青の男の噂は誰が流したんだよ。生き残りがいなきゃ辻褄が合わねえ。まさか幽霊に話を聞いたとか言うんじゃねえだろうな?」
    「そこは噂に尾ひれも背びれもついてんだろ。どんな人斬りだって、さすがに会う人間全てを殺したってわけじゃねえだろ」
    「その言い方だとお前も見たことがないのか? 龍の刺青の男とやらを」
     「残念ながらな」と肩をすくめた有嬪。どうやら有嬪自身も伝え聞いた噂を話しているに過ぎないようだ。だが乃武綱にとって肝心なのはその先だ。「で、その男はどうなったんだ?」と尋ねれば、返って来たのはただ一言、
    「知らん」
    「知らん? 死んだのか?」
    「それも分からねえ。死んだって話も聞いてねえからな」
     すっかり拍子抜けした乃武綱は、有嬪の顔を凝視したまま口をへの字に曲げた。それまで胸を占めていた顔も知らない謎の手練れへの期待が急激に萎んでゆくのを感じながら、つまらなそうに吐き捨てる。
    「なんだそりゃ。じゃあなんでそんな生きてるかどうか分からねえ奴の話なんかしたんだよ」
     徳利から追加の酒を注ぐ様子は、物事が思い通りに行かずいじけているようにしか見えなかったのだろう。ふてくされた乃武綱にししし、と特徴的な笑い声を上げた有嬪は、同じように自分のぐい呑みにも酒を注ぎながらこう言った。
    「まあ聞けって。実はな、その男の噂っていうのは、ある時を境にぴたりと止んだんだ。そのある時っていうのは……」
     有嬪はそこで一度言葉を切る。そして勿体ぶったように酒をあおり喉を湿らせると、唇をひと舐めしてから続きを発する。
    「……護廷十三隊ができた時だ」
     ごくりと生唾を飲んだ音が、耳の奥で響く。なんだ、どういうことだ……一瞬で不穏を帯びた話に心臓の鼓動が速くなるのを感じながら、乃武綱は自問する。護廷十三隊の設立と同時に消えた男。それはつまり……。
    「乃武綱、おかしいと思わねえか? それだけの手練れが、護廷十三隊ができた途端に姿をくらませたって」
    「たまたま同じ時期にくたばったとか?」
     頭の片隅によぎった想像を打ち消すように、乃武綱は思っていることと反対の言葉を口にする。だが有嬪は首を横に振るだけ。それどころかこちらの反応を楽しんでいるとばかりに、やや大袈裟な口ぶりで言葉を紡ぐ。
    「まあそういう可能性も無きにしも非ずだが……俺はこう考えるんだ。龍の刺青の男は護廷十三隊に入った、だからやたらめったら暴れなくなった、と」
     世を騒がせた龍の刺青の男が、この護廷十三隊の中にいる。自分の中で熱を持ちはじめた期待と、有嬪の予想。その二つがぴたりと一致し、確信めいた空気に変わるのを肌で感じた乃武綱は、しかし耳の後ろでそんな都合のいい話があるはずはない、という冷静な声を聞き、「そんなに強い奴が山本に従うか?」と自らを律する声を出した。「強いからこそ、だ」有嬪は大きく頷いて見せる。
    「強ければ強いほど名は広まり、俺たちに目を付けられる。そうなる前に護廷十三隊に紛れ込んだんだろ。木の葉を隠すなら森の中ってやつだ。それに、いくら名のある手練れでも、山本相手じゃ歯が立たねえだろうし」
     言われてみればそうだ。尸魂界の治安維持の役割も担う護廷十三隊という存在からしてみれば、平穏と安寧を脅かす存在は真っ先に排除対称となる。そうなれば本能のままに生きていた生活から一転、常に追われ命を狙われる身と成り下がってしまう。その緊迫感を好み、味わうがためにあえて逆境に身を置く輩も時折見受けられるが、話を聞いている限り龍の刺青の男はそういった酔狂な男ではない。力は奮いたいが大々的に目立ちたいわけではなく、姿は見せないが自分の噂が広まることを厭わない。自由と孤独を謳歌する男という印象が脳内で不鮮明な像を結ぶ。その姿を護廷十三隊の隊長一人一人と重ね合わせるも、なかなか思うようには行かず、乃武綱はそれと分からないように溜息を吐いた。
     浮かび上がる同胞たちは、どれも自由と孤独を好み、そして実力もある者ばかり。しかしその誰もが龍の刺青などという仰々しい代物とは程遠い人間ばかりなのだ。ならば各隊所属の一般隊士か? だがそのほとんどが霊術院上がり。背中に刺青が入っていればこちらの耳にも入ってきそうなものだが……。
    「ま、酔っぱらいの与太話だ。忘れてくれ」
     思案に耽った乃武綱を見た有嬪が、徳利の注ぎ口をこちらに向けてくる。この話はもう終いにしようという合図だった。乃武綱がぐい呑みを差し出すと、残った酒が全て注がれ、徳利は空になる。
     忘れろと言われたものの、忘れられるような話ではない。こんなにも胸が沸き立つ話など、ここ最近で聞くことはなかった。それだけ刺激に飢えていたのだと思う。他者との調和だとか隊長としての責務といった安定した食い扶持と引き換えに得たしがらみは、乃武綱にとってぬるま湯そのものだった。牙を剥くことを忘れかけていたこの魂をこれほどまでに昂ぶらせる存在が、まだこの世界にいたとは……。
     乃武綱は酒を一気にあおる。喉を過ぎる灼熱がそのまま脳髄まで到達するような感覚は、何かに似ている。
     ああ、戦いだ。相手の刀と自分の刀がぶつかり合う、あの鋭くも熱い陶酔。全身の血液が沸騰するような際限のない興奮を、しばらく感じていない。
     龍の刺青を持つ男。その顔を是非一度拝んでみたい。乃武綱の中ではっきりと形となった願望がみるみるうちに膨張し、一つの塊となって脳内に鎮座する。

      2

     翌日。その日は綿を流したような薄い雲が漂う秋晴れだった。吹き抜ける風に冷たさが滲み、肌を撫でる感触を清々しさと言い表すような陽気だが、部屋の主はそれすらも跳ね除けるようにきっぱりと言い切る。
    「知らん」
     言いながら、机に向かっていた金勒はこちらを振り向く。龍の刺青の男の話をしてみせた乃武綱に、何を馬鹿なことを言っているという不機嫌を隠すことなく顔に出しながら。
    「大体、何故そんな眉唾話を俺に話す」
     間髪入れずに苛立ちの乗った質問を返されれば、さすがの乃武綱も居心地が悪くなる。「お前なら何か知ってると思って……」という曖昧な答えに、金勒はあからさまな溜息を吐いて見せた。
    「期待に沿えなくて悪いな。用が済んだらさっさと帰れ」
     言葉とは裏腹に、全く悪いと思っていない口ぶりだった。大した収穫もなく突き放されたものの、しかし乃武綱は言われるがまま帰るつもりはなかった。一向に動こうとしないこちらを不審に思った金勒は、眉間の皺を深くする。
    「まだ何か用か」
    「なあ、金勒。ちょっと脱いでくれ」
     眼鏡の向こうの目が鋭さを増した。
    「……まさか俺を疑っているのか?」
    「いや、一応だよ、一応」
    「馬鹿なことを……大体、善定寺も実物を見たことがないのだろう? 龍の刺青の男など存在せず、ありもしない噂が独り歩きしているだけという可能性も考えられる。そんな人間のことを調べる暇があるなら報告書の一つも終わらせろ」
     ぐうの音も出ない正論。金勒の言うことはもっともだった。乃武綱自身も生きているかどうか分からないという疑問が拭い去れていない男の噂など、普段の自分なら金勒の言う通り馬鹿げていると切り捨てているところ。だが、今回ばかりはそういう気にはなれないのは、龍の刺青の男が存在して欲しいという願望の現れだろうか。
    「いいじゃねえか、減るもんじゃねえし」
     口元に笑みを刻みながら気楽を装った声を放つも、金勒の表情は崩れない。「断る」ぴしゃりと放たれた声は一切を受け付けない冷たさが混じっており、乃武綱は未だ険を孕む目を見返した。
     隙のない硬質な視線は、少しのぶれもなくこちらに注がれたままだった。相対する者からしてみると一直線に向けられる目は内面を読み取らんとする不可知を宿しており、言葉による尋問よりも苦痛と話す隊士も見受けられるほど。
     しかし乃武綱は、金勒の射抜くようなこの視線が嫌いではなかった。内面を読み取らんとする目とはすなわち、こちらに意識を向けるということ。他の誰かにそうされるのは不快でしかないが、金勒ならば悦楽すらも感じるというのは、この男に対して常日頃から邪な感情を持ち合わせているからだろうか。めったなことでは崩れないこの仏頂面を乱したら、どんな一面を見せてくれるのだろうか。皆と同じ漆黒の死覇装を剥ぎ取ったその下は、どんな体をしているのだろうか……。刺青があるかどうかよりも純粋に金勒の体を見たいという欲望が競り上がったのを感じると、乃武綱は無意識的に手を伸ばしていた。
     右手で腰を掴む。突然のことに金勒の目がわずかに見開かれ、体がびくりと跳ねる。その反応に気を良くした乃武綱が腰回りをゆっくりとなぞってみるせると、調子に乗るなとばかりに腕が掴まれる。
    「いい加減にしろ」
     低く響いた声には怒気が込められている。
    「悪い悪い。お前、いい体してるな」
    「馬鹿にしてるのか」
    「褒めてんだよ。程よく肉付きが良くて、俺好みだ」
     言いながら小動物の俊敏さで飛び掛かった乃武綱は、勢いと体格差を利用して金勒を一気に押し倒し、床の上に押さえつける。掌で感触を味わうよう、じっくりと体の線を撫で上げれば、金勒の全身から濃密な憤怒が染み出てきた気がした。このまま続ければ今度こそ斬られるか? だが、今更退くことなどできるわけがない。体の中心から底なしの欲望がとどまることなく沸き上がっているのだ。この熱を鎮める方法はただ一つ……。
     絶え間なく流れていた思考が淫靡さに侵食されかけた時だった。部屋の入り口から飛んできた声に、乃武綱は弾かれたように首を動かした。
    「金勒様に何を!」
     そこにいたのは一人の隊士だった。墨色の長い髪を後頭部の低い位置でくくった青年は、驚愕と憤懣で揺れた瞳で乃武綱を見つめていた。こいつは確か……隊士の名前を思い出そうとしたが、集約しかけた言葉は突如鼻に感じた衝撃によってあっという間に霧散することになった。
     吹っ飛ばされた頭に体が付いてくるといった動きで仰向けに倒れた乃武綱は、起き上がった金勒が右手をさすっているのを視界の端に捉えて自分が殴られたのだと理解した。
    「今度妙な真似をしてみろ。その首を掻き切る」
     乃武綱に吐き捨てた金勒は、行くぞ、とただ一言告げると、隊士を伴って部屋を出て行ってしまった。
     残された乃武綱は、遠ざかる二つの足音が廊下の先に消えるのを聞きながら薄暗い天井を眺めていた。何となく体を起こす気にもなれず寝そべったまま鈍痛に痺れる鼻を押さえていると、心臓の動きに合わせて強弱を繰り返す痛みの鼓動に、だんだんと思考が鮮明になってゆく。
     あの隊士は見たことがある。最近金勒が連れ回している青年だ。枯れ木を彷彿とさせる体となんとも頼りない下がり眉は、はじめて見た時には知霧に似ているという印象を受けたものだが、それ以上に、何故こんな力のない人間が金勒の傍にいるのか分からないという疑問に駆られたのをよく覚えている。
     乃武綱たち隊長格となればある程度の霊力の調節は可能になるため、必要以上の力を表出することはない。ただこれが一般隊士となれば話は別だ。霊力の調節が上手く行かないものも多くいるため、対すればおのずとその力量を把握することができるというもの。霊術院を出ているということもあり、隊士の力はおおむね平均的な範囲内である。
     だが、あの隊士は違った。他の隊士よりも極端に低いのだ。あの隊士程度の霊力は、流魂街を歩けばざらにいる。そんな人間が一体どうやって入隊できたのだ。
     何より、先ほどの反応だ。上官が襲われている現場に居合わせた人間としては当然の狼狽だが、乃武綱は得体のしれない焦りのようなものを知覚したのだ。あれは恐怖に迫られた人間の目だ。まるで金勒が害されれば自分の命も危ないというように、あの青年は何かに怯えている……。
    「おい、そんなところで何をしている。ここは厳原の部屋だろう」
     考えていると、部屋の外に広がる秋空を隠すように誰かが立ち塞がる。こちらを見るなり投げ掛けられたぶっきらぼうな声に「雨緒紀か」と返した乃武綱は、両足で勢いをつけて身を起こした。
    「ちょっと金勒に用があったんだ」
     顔を上げてみれば、雨緒紀の凛々しく吊り上がった双眸が目に入る。「そうか、で、その厳原は?」という問いに、乃武綱は廊下を指して見せ、
    「出かけた。お前は何しに来たんだよ」
    「報告書を出しに来た。お前もたまには締め切りを守れ」
     溜息混じりにそう言うと、雨緒紀は乃武綱の横を過ぎ去り、金勒の机の上に紙の束を置いた。用は済んだとばかりに去ろうとする背中に、乃武綱はおもむろに尋ねる。
    「なあ、最近金勒が連れ歩いてる髪の長い隊士、知ってるか? 顔の綺麗な細い奴」
    「花叢桜達のことか?」
     はなむらおうたつ。瞬時に形を成した言葉を、今度こそ忘れないように脳内に刻み込むと、乃武綱は雨緒紀に向かってそうだと頷いた。
    「そいつ、強いのか?」
    「剣の腕はそれほどでもない」
    「じゃあ頭が良いのか?」
    「悪くはないだろうが、とりわけ良いという話も聞かない」
    「金勒はなんでそんな奴を四六時中連れ回してんだよ」
     聞けば聞くほど欠点ばかりが浮かび、率直な疑問が口を突く。そこには実力主義の護廷十三隊の中でもとりわけ厳しいとされる金勒が、何の取り柄もない人間を傍に置いておくことが信じられないという気持ちも込められていた。そんな乃武綱の心情を見透かしたのか、薄く笑みを浮かべた雨緒紀は若干の皮肉が混じった声で言う。
    「さあな。どこかの誰かと違って、素直で真面目だからではないのか? それか私たちの知らない、飛びぬけた何かがあるとか……」
    「何か……」
     乃武綱の頭に真っ先に浮かんだのは、桜達の中性的な容姿だった。化粧をすれば女に見えなくもない顔立ちと、華奢な四肢、何より大人しく従順なふるまいは、男の庇護欲を刺激するのかもしれない。桜達自身には何の才もない。しかし金勒の方が桜達の容姿を気に入ったのだとすれば……。
     その上、桜達は他の三番隊士のように「厳原隊長」ではなく「金勒様」と呼んでいた。名前で呼ばせるなど、まるで元柳斎と長次郎のようだ。他者と一線を画する金勒がそのような行いを許すなど、花叢桜達という青年はもしかして……際限なく競り上がる不穏な想像に、乃武綱の神経がちりと灼ける音がした。
    「気になるなら本人に聞けばよいだろう」
     沈思にふけっていた乃武綱を眺めていた雨緒紀は、「では」と言って部屋を出ようとする。「待て」と再び引き留めると、こちらを見下ろす雨緒紀の眉が顰められた。
    「雨緒紀、お前は腕が立つのか?」
    「何を言っている。少なくともお前よりは強い」
     当たり前のことを訊くなという口ぶりに、乃武綱は満足そうに頷くと「ならちょっと頼みがある」と雨緒紀を手招きする。不思議そうな顔をしたものの、素直に身を寄せ、顔を近づけてきた雨緒紀に躊躇いなく「脱げ」と告げると、端正な顔が一変、呆けたものとなった。
    「は? お前、いきなり何を……」
     言い終わらないうちに袷に手を掛けて隊服を剥ぎ取ろうとすると、さすがに身の危険を感じたのか、雨緒紀は慌てた声を上げながら抵抗をする。
    「馬鹿者、一体何を考えている!」
    「調べもんだ。すぐ終わる」
    「気でも触れたか!」
     堪忍袋の緒が切れた雨緒紀の拳が、乃武綱の頬にめり込む鈍い音がした。瞼の裏で今日二度目の火花が散る。あまりの痛みに喉から呻き声を上げ、床に転がっていると、雨緒紀が乃武綱から距離を取る気配がした。
    「別にお前の貧相な体には興味ねえよ。ただ、背中を見たいだけだ」
     逃がさんとばかりに放った声は、言い訳の色を帯びていた。「背中?」という怪訝な声が返ってくる。
    「ああ、お前、龍の刺青を持つ男の話は聞いたことがあるか?」
     中空を見据え、考えるそぶりを見せた雨緒紀はややあって答える。
    「かなり前、流魂街の西の方にそういう男がいるという話は聞いたことがある。刀を交えたことはないが……」
    「俺は今その男を探している」
    「なるほど。それで馬鹿げたことを言ったのか」
     合点がいった雨緒紀は、着ていた隊長羽織を脱ぎ、死覇装の袷を左右に開く。素早く上半身を露わにし、壁の方を向いてみせると、その背中は細い傷がいくつもついているものの、綺麗な肌をしていた。
    「残念ながら私は、お前が探している男ではない。満足したか?」
     期待が外れたことと、やはりという思いが混淆し、乃武綱は虚脱した声を出した。
    「なんでえ、じゃあお前の腕は大したことないってことかよ」
     頬をぴくりと動かした雨緒紀は薄笑いのような顔で乃武綱に言う。
    「お前……言う通り脱いでやったのにその言い草は……!」
     しかし何を言っても無駄だと思ったのか、雨緒紀はそれ以上の言葉を溜息に変えて深く吐き出すと、半ば呆れたように立ち上がる。
    「全く、お前の興味本位には付き合いきれん。いい加減私は行くぞ」
     部屋を出る雨緒紀を、乃武綱は今度こそ止めることはなかった。開け放たれた障子戸から枯草の匂いが吹き込む。秋の風がそれまでの空気を一掃し、部屋の温度を下げてゆくのを肌で感じながら、乃武綱はしばらく呆然と外を眺めていた。


     すれ違う三番隊士たちはこの場所に乃武綱がいることに驚いたのか、皆一様に廊下の端へと避け、こちらが通り過ぎるのをじっと待っていた。ある者は体をこれでもかというくらいこわばらせ、ある者は顔を青くし、またある者は今にも泣きそうな顔をしている。三者三様の反応に、別に取って食いやしねえよと言いたくなるのを我慢しながら歩いていると、怯えに彩られた顔が先ほどの桜達のそれと重なり、ふと考える。
     果たしてあの臆病者は、この場所で上手くやっているのだろうか。その思いは心配というよりも不審だった。大した霊力もなく得体のしれない青年が、霊術院でふるいにかけられ、それなりに鍛錬を積んだ人間たちと肩を並べて職務を全うする姿など想像できない。どういうことだ、と周囲を見回すと、遠くからこちらの様子を窺っていた隊士と視線がかち合い、無意識的に足を止めた。
     目が合うなり大げさに肩をびくつかせた青年の年嵩は桜達と同じくらいだろうか。おい、と呼びかけて近付くと隊士は瞬時に気を付けの姿勢を作り、唇を真一文字に結びながらおそるおそる乃武綱を見上げた。
     青年の目には他の隊士と同じく怯えが浮かんでいたが、それは目上の人間に呼び止められたことによる緊張だということは一目で分かった。桜達が持つ、命を脅かされる恐怖とは種類が違う。
     一体何なんだ、花叢桜達という青年は。考えていると、目の前から「あの、執行隊長」という細い声が投げかけられ、乃武綱は我に返った。
    「おお、すまん。ちょっと聞きたいことがあってな」
     乃武綱の言葉に、隊士はどう答えればいいか分からないという顔で「は、はあ……」と曖昧な返事を放つ。「花叢桜達についてなんだが」と切り出すと、青かった顔は一瞬にして驚きに変化した。
    「え、あいつ、また何かあったんですか?」
    「また?」と低く唸った乃武綱は、自分の顔が怪訝なものになるのを感じた。その声色に目の前の青年がしまったという顔を作るのを見逃さなかった。「隊長命令だ、言え」と促すと、隊士はきょろきょろと辺りを見回し「ちょっとこちらへ」と乃武綱を隊舎の裏まで連れ出した。
    「俺が言ったってこと、他の人……特に厳原隊長や花叢本人には言わないでくださいよ」
     周囲に人がいないことを何度も確認した隊士は、声を潜めて言う。一体何をそんなに警戒する必要があるんだと思いつつも乃武綱が「分かった」と約束したのを確かめると、隊士は訥々と話をはじめた。
    「と言っても、問題を起こしたってほどのことじゃないんですが……ひと月くらい前の話でしょうか。花叢が他の三番隊士に絡まれたことがありまして」
     絡まれたという言葉を聞いて頭に浮かんだのは、隊士による乱闘沙汰だった。
     瀞霊廷では多くの人間が生活する。上意下達を基本としているとはいえ、その全ての統率が取れているわけではない。ましてや護廷十三隊は常に死と隣り合わせの戦闘集団だ。隊士同士、ほんのささいなきっかけで感情が昂ぶり、攻撃的になることもしばしばある。
     その程度も原因も様々だ。つい十日ほど前など、雨緒紀率いる十番隊で、色恋から殺傷事件が起きたことがあった。その時は発端を作った隊士二名をしばらくの間斬魄刀の没収と謹慎に、騒ぎを煽った隊士三名を厳重注意としたことがあった。
     隊が異なる乃武綱が何故事の顛末を知っているかといえば、答えは簡単だ。各隊で起きた騒動については隊首会議での報告が義務付けられているからだ。しかし不思議なことに、花叢の件に関しては乃武綱の耳に入っていない。それどころか花叢の存在自体、隊首会議で上がったことなどなかった。常日頃から報告と連絡をと口酸っぱく言っている金勒が忘れたとは考えにくい。となると意図的に隠していたか。ならばその理由は……。
     考えていると、隊士の話が耳に入ってくる。
    「花叢は霊術院出身の隊士とは違って厳原隊長が直々に流魂街から連れてきた隊士です。しかも側近として。剣の腕もそこまででもない、鬼道ができるわけでもない……そのため隊の中では花叢にたいするやっかみもありました」
     黙って話を聞いていた乃武綱だが、ふと引っかかるものを感じて思わず「待て、花叢は金勒が連れて来たのか?」と口を挟むと、隊士は「ええ」と頷いた。
    「なんでも、古い友人の息子を預かったと聞いています」
     実直がそのまま服を着たような金勒が、そんな個人的な理由で入隊を許可するか……? ますます深まる疑念に首を傾げていると、こちらをじっと見つめていた隊士と目が合った。その瞳が続けてもよいでしょうか、と伺いを立てるのを聞いた乃武綱は、小さく頷いて先を促す。
    「花叢が庭の掃除をしていたある日、三番隊士数人に取り囲まれているのを見つけました。その隊士たちは三番隊の中でも腕っぷしに自信がある連中でして……日ごろから花叢のことを良く思っていませんでした。俺も一部始終を見ていたのですが、そいつらはどんな手を使って厳原隊長に取り入ったんだとか、どうしてお前なんかが隊長のお傍に置いてもらえるんだとか、そんな内容の言葉を花叢に浴びせていました」
     腕に自信があるなら、それなりの矜持もあるだろう。いきなり金勒の側近となった桜達に懐疑よりも不満を持つのは自然な心情だ。つまりは、単純なやっかみ。そう判断した乃武綱は、隊士の話に静かに耳を傾けている。
    「花叢の方は何を言われても黙って耐えているだけでしたが、一人にこう言われて顔色が変わりました……『もしかしてお前、厳原隊長のご寵愛を受けているんじゃないか』って」
     突っかかった隊士が言う寵愛とは、単に花叢を特別視をしているだけではない。深く愛するということ、つまりは夜を共にしているという意味合いも含まれる。あの金勒があれだけ連れ回していたらそう勘繰るのも仕方がない。実際、乃武綱の中でもその可能性を捨てきれていないのも事実。無論、認めたくないという気持ちの方が強いが。
    「寵愛という言葉が心外だったのか、花叢は急に取り乱し……」
    「まさか、相手に斬りかかったのか?」
    「いえ、泣き出したのです」
     返って来た言葉に、一瞬何を言われたのか理解できなかった。今、泣き出したと言ったか。思ってもみなかった内容に少しの間ぽかんとしていた乃武綱は、次の瞬間、「泣き出しただあ?」と声を上げていた。隊士は、乃武綱のあまりの大声に肩をびくつかせつつも「ええ、泣き出したのです」と、さっぱりと答えてみせる。
    「しかもぼろぼろと大粒の涙を流して、しゃくり上げながら。その騒ぎを聞いた他の隊士も集まってきてしまい、ただならぬ空気になってしまいました。
     すっかり混乱した花叢はこう言っていました。『私と金勒様がそんな関係など、考えただけで恐ろしい。私はただ、あのお方に生かされているだけでしかないのです』と。その時は厳原隊長が現れ、他言無用を厳命してなんとか騒ぎは収まりましたが、成人した男子がまるで子どもの癇癪のように人目もはばからずに泣いたことに皆驚き、同時に不気味にも思ってしまい……その日以降、花叢はやっかみを受けることがなくなった代わりに、三番隊の中でますます浮いた存在となってしまいました」
     あの軟弱野郎ならわからんでもないという気持ちと、自分からすれば尻の青いガキにしか見えないとはいえ、男性と呼べるだけ年を重ねた人間の痴態を想像してしまった乃武綱は聞いているうちに自分の唇が苦々しく歪んでゆくのを自覚した。金勒とあろうものが、何故護廷十三隊にそんな甘っちょろい人間を引き入れたのか。いや、そこまでして手元に置きたかった理由とは……桜達の整った容姿が脳裏に浮かび、煽られるように先ほどの寵愛という言葉が胃の辺りで存在感を増してゆくと、思わず口の中で舌打ちをした。
    「それでも、隊長の花叢へと態度は変わることはありませんでした。いつもそばに置いて、風呂にまで連れてゆく始末」
    「はあ? 風呂?」
     訊き返したというよりも、蓄積した鬱憤がつい口を突いたという方が正しかった。いよいよいかがわしくなってきた内容にふつふつと苛立ちが沸き上がるのを感じていると、そんな乃武綱の内心に気付くはずもない隊士の、気楽な声が聞こえてくる。
    「厳原隊長は夜の大分遅い時間に一番隊舎近くの大浴場を使うのですが、その時に必ず花叢を同行させるのです」
    「それって、一緒に……」
    「いいえ。一緒に入るわけではなく、花叢は入り口で隊長が出てくるのを待っているらしいのです」
    「何のために……金勒なら護衛なんざいらねえだろ」
    「さあ……。浴室まで連れて行くならまだ納得できるのですよ。自分の世話をさせるためだって分かるので。でもまるで任務のように待機させている理由を知る人間は誰一人おらず……花叢のあの泣きようも相まって、最近隊士たちの間では、もしかしたら厳原隊長は花叢を嫌っていて、それでわざと小間使いのようなことをさせているのではないかといううわさも立つほどです」
     あいつが嫌いな人間をそばに置くか? しかも、わざわざ流魂街から連れて来てまで。力も頭脳も並み以下。秀でているといえば顔立ちと従順さしか挙げるところのない、まさに人形のような男。悪い言い方をすれば使えない人間の代表格。完全な実力主義の護廷十三隊において金勒が贔屓や私情を挟むとはとても思えない。だからこそ深まりゆく謎に回しっぱなしだった脳が悲鳴を上げかけた時、知っていることは話し終えたと言わんばかりの顔をした隊士が「もういいですか?」とこちらを見上げていることに気付いた。
    「お、おお。ありがとよ。俺が聞いたってこと、金勒には言うなよ?」
    「言えませんよ! 隊長こそ、どうか内密でお願いします」
     一礼し、その場を去ろうと踵を返した隊士の背中に、ふと思い立った乃武綱は最後に一つだけ声を掛ける。
    「なあ」
    「……はい?」
    「花叢よりも俺の方が……顔、いいよな?」
     出し抜けの質問に、一瞬で顔を歪めた隊士から「ええっ……」と困惑した声が漏れる。隊長相手に一切の遠慮がない反応に乃武綱が「何だぁ、その顔は」と凄んで見せると、隊士は恐ろしいものを見たというように顔を青くし、何度か口をぱくぱくと動かした後、脱兎のごとく駆け出しどこかに行ってしまった。

    《続く》
    Tap to full screen .Repost is prohibited
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    hiko_kougyoku

    DONE若やまささ+千日、逆骨
    「世のため人のため飯のため」④
    ※やまささと言い張る。
    ※捏造あり。かなり自由に書きました。
    ※名前付きのモブあり。
    世のため人のため飯のため④  4

     逆骨の霊圧を辿ろうと意識を集中させるも、それらしき気配を捕まえることは叶わなかった。そういう時に考えられるのは、何らかの理由で相手が戦闘不能になった場合――そこには死亡も含まれる――だが、老齢とはいえ、隊長格である逆骨が一般人相手に敗北するなどまずあり得ない。となると、残るは本人が意識的に霊圧を抑えている可能性か……。何故わざわざ自分を見つけにくくするようなことを、と懐疑半分、不満半分のぼやきを内心で吐きながら、長次郎は屋敷をあてもなく進む。
     なるべく使用人の目に触れないよう、人が少なそうな箇所を選んで探索するも、いかんせん数が多いのか、何度か使用人たちと鉢合わせるはめになってしまった。そのたびに長次郎は心臓を縮ませながらも人の良い笑みを浮かべ、「清顕殿を探しております」とその場しのぎの口上でやり過ごしているうちに元いた部屋から離れてゆき、広大な庭が目の前に現れた。どうやら表である門の方ではなく、敷地の裏手へと出たようだ。
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