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    hiko_kougyoku

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    hiko_kougyoku

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    乃武金
    「龍の刺青を持つ男」⑤(終)
    ※乃武金と言い張る。
    ※捏造多々あり。かなり自由に書きました。
    ※ いつもと違う雰囲気。
    ※名前付きのモブ有。
    ※流血描写あり。

    龍の刺青を持つ男⑤(終)  6

     電光石火の動きで金勒が迫ってくるのを確かめた乃武綱だったが、しかし次の瞬間、目の前で銀色が閃いたことに気付くと、背筋がぞわりと粟立つのを感じた。金勒が逆手で抜き出した刀を、勢いのままに下方から振り上げたのだ。
     素早い抜刀ができるという逆手持ちの利点が頭をよぎった乃武綱は、返す刀が真っすぐこちらの首を突き刺そうとしていることに気付くと、咄嗟に刀で受けとめた。目の前で小さな火花が散る。速いと思った時には金勒の姿はすでになくなっていた。開けた視界を目の当たりにし、一瞬呆けてしまった顔は直後、背中に冷たいものが走ったところで凍り付いた。
     思考ではなく勘が体を動かした。乃武綱が振り向きざまに刀を水平に構えた瞬間、刀と刀がぶつかった衝撃が掌に伝わってくる。瞬歩で背後に回り込んだ金勒の、頸動脈を狙った突きを防いだのだ。まぐれとも天運とも言える防衛を、眉を顰めることで不快感を示した金勒は、刀をくるりと回して順手に持ち替え、畳みかけるように鋭い斬撃を繰り出す。空気を震わせた、三つの金属音。牽制でしかなかったのか、それら全てが刀身に当たるだけだったものの、瞬きする間もない攻撃に産毛が立ち上がるのを感じた。
     さて、どうするか。じりじりと鍔迫り合いをしながら、乃武綱は思考を巡らせる。このままじゃ防戦一方だ。だが、相手は戦いにおいて速さと確実性を得意とし、〝遊び〟の一切を排除した金勒。戦いを愉しむことを一義とした乃武綱とは毛色が違う。
     はっきり言ってやりにくいのだ。ならばと右腕に力を込めた乃武綱は、喉から雄叫びを上げて刀を弾くと、その勢いのまま今度は金勒の脳天めがけて叩き込む。すぐに体勢を立て直した金勒に、刀で防がれた。
     速さなら相手の方が上。だが、力ではこちらが勝る。刀の背に指を添えて踏みとどまった金勒の、圧迫された指先が白く変わっているのを見ながら、このまま押し通せるかと逡巡する。が、予想に反して金勒は粘り、しばらく膠着状態が続いた。
     埒が明かない。痺れを切らした乃武綱は、一度大きく後退し、距離を取る。今度はこっちが仕掛けてやると両手で柄を握り地面を蹴ろうとした時だった。乃武綱が動くよりも先に、金勒がまっすぐに駆け寄って来たのだ。
     俺が離れるのを待っていたのか――理解した時には遅かった。左腕に金勒の刀が差し込まれ、皮膚を切り裂く激しい痛みが全身を駆け抜けた。ぐ、と声を漏らした乃武綱は、すぐさま刺突された部位に目を向ける。染み出た鮮血が死覇装を濡らし、体の熱を奪ってゆく。まだだ。こんなことで怯むほどやわじゃねえ。口内で呟くも、激痛が闘争機能をすっぽりと覆い尽くしているように体は言うことをきかない。
     さて、終わりだ。そんな声が聞こえた気がした。ふざけんな、と思った。どんな手を使ってでも勝ってやるさ。元来の意地の悪さが顔を出したのと、激痛を振り切って左手が上がったのが、ほぼ同時だった。
    「破道の五十四、《廃炎》!」
     乃武綱の手から放たれた火球は、赤々と燃えながら金勒へ向かって飛んでゆく。瞠目した金勒が脇に逸れようとするも廃炎は左の袖で爆ぜ、みるみるうちに死覇装に燃え移ってゆく。消そうと躍起になって腕を振るものの一度上がった炎が消えることはなく広がり続け、やがて肩へと到達した。
     炎に気を取られた金勒が、隙を突いて斬りかかった乃武綱に反応できなかったのは自然とも言える流れだった。かろうじて刀で受け止めたものの今度は踏み留まることができず、体ごと吹っ飛ばされることとなった。
    「くそっ……!」
     忌々しげな目が、乃武綱を睨み付ける。ようやく自分を映してくれた瞳に、乃武綱は哄笑を噴き出した。
    「狡いなんて生ぬるいことを言いてえのか? 馬鹿言え! 戦いに堅実さも卑怯も関係ねえ! 勝った方が正しい、それだけだ!」
     見ると、炎は皮膚を舐めようとしているところだった。その熱に業を煮やした金勒は、死覇装の上を脱ぎ捨て、上半身を露わにした。用済みとなり地面の上で静かに燃える黒い布を視認した乃武綱は、とどめとばかりに金勒へと接近する。
    「はっ、やっぱり良い体だなあ!」
     叫び声が乾いた空気を震わせた刹那、掴みかかろうとした乃武綱の目に思わぬものが映り、心臓が鷲掴まれた心地になった。嘘だ、そんなはずはないという言葉が脳内で反芻し、直前まで全身を衝き動かしていた興奮が急激に足元へと降りてゆく。
     突然足を止めた乃武綱を見た金勒は、自分の体に目を落とすと合点がいったように声を漏らし、堅物と揶揄される顔を歪めて「気付いたか」と獰悪に笑った。
     ゆっくりと後ろを向く。金勒の背中には猛々しく天を昇る龍が、はっきりと浮かび上がっていたのだ。
     重々しい墨色の龍は刺青でありながら一枚の絵に描かれた絵のように陰影までもが緻密に表現されており、芸術や美というものに縁がない乃武綱でもかなりの腕を持つ彫り師によるものだと理解できた。唯一、色という色と言えば金色に塗られた二つの目だった。お前を喰らうとばかりに輝く目が時折金勒が見せる鋭い睨みと重なり、肋骨の裏で気味の悪い感触が蠢くのを自覚した乃武綱は、頭を振って雑念を取り払い「お前が……」と言うことしかできなかった。
    「この間脱いだ時は、そんなのなかったじゃねえか!」
     「あの時は出ていなかったからな」再びこちらを向いた金勒は、無感情な声で答える。
    「執行、お前は白粉おしろい彫りというものを聞いたことはあるか」
     はじめて聞く言葉に、乃武綱は沈黙を返事にする。予想していたのか、金勒は表情一つ変えずに続ける。
    「白粉彫りとは、特殊な状況下で刺青が現れる彫り方のことだ。条件としては血の巡りが良くなり、体温が上がった時……例えば、こうやって体を動かしたり、風呂に入った時だ」
     この間背中を見た時、確かに部屋は薄暗かった。だが自分の目はそこまで節穴ではない。そんな自分を欺くとは、どれほど腕の良い彫り師なのだろう。疑問と同時に、金勒の入浴中、身の回りの世話をするわけでもなく風呂の前に座っていた桜達の姿が思い出される。足の力が抜けてゆくのを感じながら「じゃああの時のお前は、刺青を見られないようにあいつを置いていたのか? 他人が風呂に入って来ないようにするために」と言った乃武綱に、金勒が「そうだ」と頷いてみせる。
    「あいつの役目は俺に刺青があるということを誰にも知られないようにする、というもの。そのための監視要員として傍に置いていた」
    「へえ、自分の思い通りになる駒をわざわざ流魂街まで行って拾ってくるとは、ご苦労なこった」
     動揺を悟られないよう普段のおちゃらけた声色を作った乃武綱だったが、金勒の答えで再び混乱に落とされる。
    「ああ、全くだ。だが山本のおかげであいつを見つけることができた」
    「……なんでそこで山本の名前が出てくるんだよ」
     「最初から話してやろう」やれやれとばかりの声が頭の中で声として処理される前に、足をすくわれた乃武綱は仰向けに倒れ込んだ。全体に薄く雲のかかった、色の薄い空が視界に広がったかと思えば、馬乗りになった金勒の顔が覗き込んでくる。あっという間のできごとにあっけにとられていると、今度は顎の下にひやりとしたものが触れた。目だけでそちらを見ると、金勒が首筋に刀を押し当てていた。
    「どうだ、下からの眺めは」
    「お前が積極的になってくれるなんて、珍しいこともあるもんだな。これ、俺が上だと最高なんだが」
     軽口を叩いた乃武綱に奇人を見る目を向けた金勒は、刀を握る手を緩めないままゆっくりと口を開く。


    「……かつての俺は、貴族の用心棒で日銭を稼いでいた」
     今まで知ることのなかった金勒の過去が紐解かれ、虚をつかれた乃武綱は「用心棒……」と繰り返すことしかできなかった。
    「幸いにも、俺は多少の学があった。だから他のごろつきとは違い、依頼の裏にある貴族共の思惑を読み取ることもできたし、どこまでが踏み込んでよいのか、どこまでが知らぬふりを通すべき事案なのかを判断する能力もあった。向こうにとっては俺の腕だけでなく頭も、使うのは都合がつかったんだろう。おかげで食うには困らなかった。
     だが、そうは言っても用心棒は用心棒。いくら腕が立とうが野良犬には変わりない。貴族共がこちらを見下していることには気付いていたものの、そういうものだと割り切っていた……はずだった」
     金勒はそこで一度言葉を切ると、刀を握っていない方の手で眼鏡を上げた。
    「だが、年を重ねると堪え性というものは薄れていくようでな、俺に向ける侮蔑が癪に障るようになっていったんだ。いっそのこと依頼を放棄して屋敷の人間を皆殺しにしてやろうと思ったこともあった。
     そんな俺を見かねたのがとある上級貴族の男だった。名前は百々という」
    「百々……花叢が口にしていた名前……それって」
     乃武綱が先を促そうとするも、金勒は話を聞けとばかりに目で制し、言葉を重ねる。
    「百々は俺を贔屓にしてくれていたのだが、そいつがこんなことを言ったんだ……『墨の一つでも入れれば箔が付くんじゃないか』と。
     『あんたはとりわけガタイが良いわけでも、膂力があるわけでもない。その大人しそうな見た目からして舐められやすいんだ。知り合いに腕の良い彫り師がいる。そいつに一つ、大きな刺青を入れてもらうのはどうだい? この世で二つとない立派なものを。そうすりゃお綺麗なものしか見たことのない大抵の貴族は、あんたに恐れ慄くさ』……まるで自分は他とは違うという口ぶりで話すその男は、貴族と言うには癖のある人間だった。頭が回るとでも言うべきか。倒した賊の頭数を多く誤魔化した時には、どこから探り当てたのか『次は殺した人間の右の耳を削いで来い。その数の分の褒美をやる』と言ってくるような奴だった。だがその抜け目のなさを俺は気に入っていた。そしてそんな男の言うことだからこそ聞いてみようと思った」
     貴族との軋轢、獣同然の自分を見る周囲の目、そんな中でもどうにかして生き延びてきた過去……金勒が語る仄暗い記憶は、乃武綱にも共通するものがあった。かつての自分もそうだった。人が生き抜くために必要なもののうち、乃武綱が手にしたのは知恵でも阿諛でも矜持を捨てることでもなく力だった。必ず這い上がってやるという気概に追い立てられながら戦いに明け暮れ、勝つ。そうすることで自らの存在を誇示し、価値を高めていくことにより執行乃武綱という人間ができ上がり、護廷十三隊の隊長にまで昇りつめた。頭の片隅に追いやっていた記憶をぼんやりと思い出しながら、乃武綱は未だ硬質な空気を放つ金勒を見上げる。
     自分もそうだったが、蔑まれてきた人間は心の一部が頑なになる。憤りと卑屈の渦中にある時は、それこそ他人の忠告など耳に入らぬほどに。そんな金勒に囁きかけた百々という貴族は信用に値する人間だったのか、それとも利用できるとみなされていたのか。顔も知らぬ男の姿を想像していると、ひと呼吸置いた金勒の声が聞こえてくる。
    「百々の言う腕の良い彫り師は南流魂街十区の山奥にいた。名前は……花叢梅園」
    「花叢……」
    「そう、あいつの父親だ。俺が訪ねるなり梅園は体を見るわけでもなく酒を勧めてきた。どういうことだと思いつつも相手は滅多に人が足を踏み入れることのない山奥で隠遁生活を送っている男。話し相手が欲しかったのだと思った俺は飲みながら梅園の話に付き合ってやった。
     だがしばらく飲んだところで突然脱げと言われた。気分が良くなっていたこともあり言われるがままに脱ぐと、俺の体を見た梅園は面白いものを見たと言わんばかりの顔でこう言った……『白粉彫りにするのはどうだ』と。見ると、俺の体は酒のせいで赤く染まっていた」
     言われてみれば、酒を飲んだ時の金勒は他よりも顔が赤くなりやすい。この前の飲み会でもそのことを弾児郎に揶揄われていたのが脳裏によぎった乃武綱は、煽情的とも言える生理反応にごくりと生唾を飲んだ。
    「どうやら俺は他よりも血の巡りが良いらしい。梅園によると、白粉彫りというものはそういう人間に適しているとのこと。『お前が昂ぶった時にだけ見える模様はどうだ。戦いの時、女を抱いた時、酒を飲んだ時……人間の本能を炙り出したようなおどろおどろしいしるしを、その背中に刻んではみないか?』」
    「それが、その龍だって言うのかよ」
    「傷が目立つようになった体に花の一つでも添えるつもりで行った場所で、興味深い提案を持ち掛けられたんだ。乗らない理由はない」
    「意外だな。お前はそう言った派手さとは無縁な男だと思っていたが……」
    「確かに、俺は四楓院や善定寺のように目立ついでたちは好まない。その認識は合っている。だが、俺の背中の龍が貴族共に睨みを利かせるのであれば……それまで以上に面白いことになるんじゃないかと思ったんだ」
     面白いこと。金勒が、仕事に愉しみを見出していたとでも言うのか。目でそう訴えかけると、金勒はかつての自分を顧みるように目を細める。
    「俺はな、何も食うために嫌々刀を振るっていたわけじゃない。いつからか戦いそのものに生の実感を見出すようになっていたんだ。刀を振り、熱をぶつけ合い、血を流す時のあの緊迫感。理性が及ばない領域へと足を踏み入れ、自分の意識が本能と同化し、命を掛けた時に肌を撫でる戦慄。脳がしびれ、血が沸き立つ感覚、耳を刺す悲鳴、痛みが生み出す怨念、そして這い上がる絶望。一歩判断を誤れば奈落へと転がり落ちるぎりぎりの駆け引きに酔いしれたことは数知れず。お前にもそういう経験はないか? あるだろう。俺はすでに、この護廷十三隊の誰もが知るあの陶酔から抜け出せない場所に来ていた。その陶酔を、貴族共のちっぽけな虚栄やふざけた思想に潰されたくなかったのさ」
     そこまで言うと、自分の声に熱が籠っていたことに気付いたのか、はっとした顔になった金勒は不覚とばかりに唇を引き結んだ。体の内側に溜まった興奮を抜き出すように細く長く息を吐くと、少しばかり落ち着いた口調で話に戻る。
    「……百々が言っていたように、梅園の腕は見事だった。俺の昂ぶりと呼応し現れる龍を見た人間は侮蔑から一変、揃って瞳に怯えを宿し、俺を恐れるようになった。そしていつからか厳原金勒という俺の名前よりも龍の刺青の男という呼び名が独り歩きするようになった。それでも構わなかった。俺は何も自分の名を売るために力を尽くしていたわけではない。むしろ人目に付くのは苦手だ。だから逆に渾名を隠れ蓑にして好き勝手動くことができた。龍の刺青の男という仰々しい名と、いかにも算盤が似合うような容姿の男が同一人物だと考える人間はほとんどいなかったからな。
     ただ、龍の刺青の男は俺だけで良いという執着はあった。だから梅園には同じ刺青を誰にも施さないように固く誓わせた」
     金勒は一瞬だけ顔を伏せた後、乃武綱に目を据えた。光を失った瞳の底に、重々しい澱みが蠢いている。乃武綱の頭に失望と言う文字が浮かび上がったのと、無感情な声が耳朶を打ったのは、ほとんど同時のできごとだった。
    「俺の耳に腹立たしい報せが届いたのは、それから何年か後のこと。梅園が、とある男の背中に俺と同じ龍の刺青を彫ったというものだ。彫った相手と言うのは他でもない……あの上級貴族、百々だ」
     昔、とある上級貴族が屋敷で殺されているのが発見された。その男の背中には龍の刺青が描かれていた――思考が冴え渡り、今まで点として散らばっていたものが一つの道として繋がってゆくのを実感すると、乃武綱は金勒を見つめ返した。金勒は苦々しい顔をしていた。
    「あの男は俺の強さにあやかりたいなどと言い訳をしていた。そのために梅園に金を積んで彫らせたと……怒りを通り越して呆れた。俺に唯一性を求めておいて、自ら崩したのだから。露見しないとでも思っていたのだろうな。見くびられたものだ」
    「それで、殺したのか? そんなことで……」
    「俺にとってはそんなことではない。この刺青は俺だけのもの。他人と仲良くお揃いにするつもりはない。しかも、貴族なんかと」
     馬が合えども魂まで許したわけではない。長く受け続けた侮蔑と屈辱は、そのまま貴族全体への怨毒として棲みつき、一つの強大な殺意として元柳斎の友人へと向けられてしまったのだ。ただ、運が悪かった。軽い同情を覚えた乃武綱は、黙って金勒の話に耳を傾け続ける。
    「百々を始末した俺はその足でもう一人の裏切り者のもとへと向かった。だが梅園は息子を連れて逃げた後だった。元々俗世との繋がりを立っていた男。行方を探す手立てもなく、見つけることはできなかった。
     諦めようと思っていた矢先、山本から護廷十三隊の話を持ち掛けられた。俺の腕を見込んでくれたのもあるだろうが、なにより自分の友人を殺した危険因子を野放しにしておきたくないという気持ちもあったのだろう。山本は護廷十三隊の隊長を引き受ける代わりに花叢梅園の捜索を手助けするという条件を出してきたため、俺はそれを呑んだ」
     「そして山本の情報網のおかげで、少し前にようやく梅園を見つけ出すことができた」と続いた声に、愚問とは分かっていながらも「それで、梅園は……」と訊かずにはいられなかった。
    「生かしておくと思うか?」
     冷たく言い放たれた声に、皮膚の下が粟立つ。意識が遠くなる時のように頭にくらりとするものを感じた乃武綱は「じゃあなんで桜達のほうは生かしたんだよ。一緒に葬っちまえば良かったじゃねえか」と必死に口を動かした。
    「それも考えた。だが、どうせ殺すならそれまでの間、使えるだけ使ってやろうとも思った。息子のほうも俺の背中に龍の刺青があることを知る人間だ。利用するにはうってつけだった」
    「で、背中のことを喋ったら貴族や親父のように殺してやるって脅したわけか」
     せせら笑う声が降ってくる。正解のようだ。
    「お前言ってたじゃねえか。花叢の親父からあいつを頼むって涙ながらに言われたって……あれは嘘だったのかよ」
    「嘘は言ってない。泣きながら言われたのは事実だ……『頼む、息子だけは生かしてくれ』と。だからちゃんと今日まで生かしたじゃないか」
     四肢の末端が冷えてゆく心地がした。それが護廷十三隊に入ってから感じることのなかった恐れというものだと理解したのは、金勒がこちらを見下ろす目に何の感情も灯っていないと気付いてしまったからだ。嫌悪とも不快とも違う。興味の欠片もないのだ。
     悲しくはなかった。悔しいとも思わなかった。ただ、忘れかけていた欲望を思い出したように、腹の底に眠っていた熱が血流に乗ってじわりじわりと全身に広がってゆく。
    「分からんな。そこまでして隠し通したかったのか? 手練れの多い護廷十三隊だ。むしろ刺青のことを大っぴらにすれば、お前の好きな戦いの毎日になるぞ」
    「執行、お前は四六時中女を抱いていたいと思うか?」
     内容の意外性に言葉を詰まらせていると、金勒はふっと鼻で笑った。
    「そういうことだ。いくら生を実感できるとは言え、俺たちは人間だ。飽きることも疲れることも、そういう気分でない時もある。斬りたい時に斬る。その自由まで奪われたら窒息する。
     それにな、刺激的とはいえ漫然と繰り返される日々に浸ってしまうと、魂が堕落する。その先に待ち受けるのは腐敗のみ……毎日遊び惚けていた貴族どものようにな」
    「山本は、お前が刺青を隠し通すことを了承しているってことか」
    「了承というよりは推奨だ。龍の刺青の男が俺だと悟られるなと口を酸っぱくして言われた。組織内での斬り合いを避けるためと、尸魂界の混乱を危惧したのだろう。ただでさえ卯ノ花という大罪人を抱えて後ろ指をさされているんだ。これ以上護廷の立場を危うくするわけにはいかんだろう。
     その頃にはすでにあの裏切り貴族の死、つまりは龍の刺青の男が死んだという噂も流布されつつあった。ならばそれを利用して龍の刺青の男という存在自体を消し去ってしまうのも悪くはないと考えた。そして護廷十三隊の隊長として新しく生きることにした。誰にも蔑まれず、侮られず、見下されず……」
     淡々と述べながら、金勒は刀を更に首筋に押しつけて来た。薄い表皮から冷たいのか熱いのか分からない感触を実感しながら、乃武綱は「だから執行」と続けられた声を聞いた。
    「秘密を知ったお前は邪魔だ。悪いがこのまま消えてもらう」
     混じりっけのない殺意が、目の奥で閃く。滲出する霊圧は、桜達どころか他の一般隊士が触れれば最後、途端に意識をやってしまうほど濃密で、そして重苦しかった。が、そんな中でも妙に清明な乃武綱の思考は、ある本質を見抜いていた。自分の顔が意地の悪い笑みを作っているのが分かる。そうして次には、肩を震わせて笑っていた。
    「龍の刺青の男をこの世から完全に消す……いや、違うな。お前はその立派な龍の刺青を自分という檻に閉じ込めたかったんだろ。見事だもんなあ。他人に見られるのも、噂されるのも許さない。自分だけのものにして、大切に大切にしておきたかった……だから俺が最初に訊いた時にも不快感を示した、違うか?」
     今度は金勒が押し黙る番だった。図星だと判断した乃武綱は、相手の目を見たまま口を動かし続ける。
    「妬いちまうなあ、お前をそこまで虜にした刺青……なあ、もっと良く見せてくれよ」
     瞬間、乃武綱は金勒の右の二の腕を素早く掴まえると、強く自分のもとへと引き寄せる。金勒の腰が浮き、上半身が倒れ込んでくると腹の圧迫が解消され、双方の間に隙間ができる。乃武綱は膝を立てて背中を逸らすと金勒の体を持ち上げ、横に倒すと体格差を利用してぐるりと相手を転がした。今度は乃武綱が上にのしかかる。形勢逆転。こちらを見上げる金勒の目は、憤怒に濁っていた。
    「いやあ、やっぱりこっちの方がいいな」
     にやりと笑った時、ちりと顎に細い痛みが走った。体勢を変えた時に切ってしまったか。未だ自分に向いたままの刀から目を離さないまま、乃武綱は思案する。上を取ったとはいえ、完全な有利というわけではない。大立ち回りを演じることが多い乃武綱と比べ、接近戦は金勒が得意とする戦術。少しでも気を抜けば首が飛ぶと察した乃武綱は、金勒が刀を逆手に持ち変えるのを視界の端に収めると、反射的に跳躍し、その場を離れた。
    「二度とふざけた口をきけないようにしてやる……!」
     起き上がった金勒は、刀の切っ先をこちらに向けたまま瞬歩で間合いを詰め、猛然と突っ込んでくる。その刃をかわし、金勒の脇に立った乃武綱は、その耳元でねっとりとした声で「さっきの答えだが」と囁いた。
    「確かに女を抱き続けたら飽きるよな」
     金勒が刀を水平に滑らせる。ひゅ、と空気を切る音が目の前をかすめた。
    「だが俺は、お前のことをずうっと抱き続けられる自信があるぜ?」
    「こんな時までお前は……」
    「こんな時だから言うのさ……勝って、お前を俺のものにするぜ!」
     体のいたるところで、筋肉が戦いへの歓喜に打ち震える。喉を掻き切らんとばかりに襲い来る刃を受け止めているうちに金属が金属を弾く甲高い音が神経を研ぎ澄まし、頭蓋の内側から雑念が抜けてゆく。脳髄の奥がじり、と焦げる感覚を合図に思考を閉じた乃武綱は、経験と本能に身を委ね、無我の領域へと足を踏み入れた。
     血液が沸騰しているような、無限の高揚。どこからが自分で、どこからが戦いの熱なのか分からない。余計なことなど一切考えず、ただそう在ることが自明であるかの如く刀を振るう。
     これが、戦いに生きる人間が知る陶酔。きっと、今の金勒も感じているのだろう。魂を酩酊させ、どこまでも充足させてくれるこの上ない快楽を。自然と口元が吊り上がり、狂気じみた笑みを刻んだ乃武綱は、五月雨式に繰り出される突きを横から跳ね除け、刀を頭上に掲げながらがら空きになった金勒の懐へと踏み出す。
     上がったなら、あとは下ろすのみ。渾身の力で放った一撃は金勒の右肩に一筋の線を引くと、次の瞬間、蛹から蝶が這い出るように裂け、鮮血が噴き出た。
     ざっくりと切れた肩を見た金勒の目が、驚きのあまり見開かれる。その顔が激痛に歪むと、力の入らない手から刀が落ち、乾いた大地に刺さった。ふらりとよろめき、二歩三歩後退した金勒はやがてすとんと膝を付き、地面に座り込むと、神経が馬鹿になったように震える手を愕然としたまま見つめた。
    「……まさかお前がここまでやるとは」
     力なく笑う声からは、戦いの興奮は微塵も感じられなかった。ただ、自らの敗北を悟った男の虚無が滲み出ていた。構えていた刀を下ろした乃武綱が近付くと、金勒は目線を下げたまま言葉を放つ。
    「俺の負けだ」
    「随分と聞き分けがいいじゃねえか。まだ左腕が残ってるだろ? 鬼道でも拳でも使ってやり返しゃ……」
    「俺はお前のようにずる賢い人間じゃない。刀一本でここまでのし上がってきた。それで負けたなら素直に認める……この肩じゃこれ以上刀を握れん。さっさと殺せ」
    「おいおい、何言ってんだ金勒さんよお」
     金勒の胸倉を掴んで強引に上を向かせると、全てを失った顔に表情はなかった。こちらを見上げた虚ろな瞳に、狡猾な笑みが見える。
    「俺は別にお前を憎んでいるわけでも、嫌っているわけでも、ましてや殺したいわけでもねえ。言っただろ……お前を抱きたいって」
     惚けていた唇がわななき、その顔が怒りに彩られる。「ふざけるな……誰がお前なんかに……」と吐き捨てられた声が負け犬の遠吠えにも、子どもの言い訳にも聞こえた乃武綱は、自分の頬がこれ以上にないほど上がり、笑みが濃くゆくのを自覚した。
    「俺にやられて膝を付いた人間がとやかく言うな。お前に選択肢なんかない」
     乃武綱は金勒を抱きしめると、そのまま肩に担ぎ上げる。肩の傷口は灼けるような熱を持っていた。が、背中の方は汗が乾き、熱が引きつつあった。先ほどまで金勒とともに天を目指していた龍は薄れ、今にも消えようとしていた。眠りゆく龍を見送った乃武綱は、すっかり大人しくなった金勒の姿に満足そうに頷くと、その場を離れるための一歩を踏み出す。
    「……お前はもう、俺のものだ」

      7

     障子戸が締め切られているせいか、部屋は昼間にも関わらず薄暗い。外には他の隊士の気配はなく、辺りはしんと静まり返っていた。もともと総隊長と同じく厳格な人物が多い一番隊だったが、それにしてもこの静寂は不気味だ。居心地の悪さを感じながら前を見れば、考えるそぶりを見せていた部屋の主が重々しく口を開いたのが見えた。
    「実際に龍の刺青の男は死んでおっただろう」
     金勒との死闘から数日。そろそろ狸ジジイの化けの皮を剥がしに行くかと元柳斎の部屋を訪ねた乃武綱だったが、返って来たのは開き直り同然の屁理屈だった。確かに、元柳斎は嘘は言っていない。ただ、聞かれていないことを話さなかっただけ。いい年して小賢しい真似をしやがる、という悪態を喉の奥に押し込んだ乃武綱は、代わりに「俺の探していた龍の刺青の男じゃねえほうはな。ったく、二人いるなんて思ってもなかったぜ」とぶっきらぼうに言う。
    「素直に金勒が龍の刺青の男だって言えば良かったじゃねえか」
    「あやつを怒らせるような真似はしたくない」
    「それは分からんでもないが……で、わざわざ俺や卯ノ花を金勒とは別の任務に誘い出したのはどういうわけだ? あんなめんどくせえことを……」
     通常、任務は必要最低限の人数で行わせる元柳斎が、あそこまでお粗末な討伐任務に隊長二人を割くなど考えられない。それに自分を金勒から遠ざけたいなら、いっそのこと現世への任務を命じれば良いだけの話。乃武綱が数日間、いくら考えども正解の出なかった謎を真正面からぶつければ、今度は率直な答えが戻ってくる。
    「あれは金勒の考えじゃ。血の気の多い二人を組ませたらどうなるか、と」
     言葉の意味を即座に咀嚼した乃武綱は、背中にぞっとするものを感じ、自分の顔がこわばるのを感じた。
    「どうなるって……まさか同士討ちを狙ってたんじゃねえだろうな」
    「そんなわけなかろう。儂はせっかく集めた逸材をやすやすと手放すつもりはない。お主も、金勒も……」
     その言葉のどこまでが真意かは、乃武綱が読み取ることはできなかった。ただ、いつのまにか護廷十三隊内では金勒が流魂街における賊の討伐最中に負傷、加勢した乃武綱によって事なきを得たという筋書きになっていることから、元柳斎がこれ以上の組織内での混乱を望んでいないというのは理解できた。
     狸だろうが総隊長は総隊長。匙加減一つで同士討ちも内乱もなかったことにできる……一筋縄じゃいかんという千日の言葉を思い出した乃武綱は、怖気か興奮か分からない感覚に体をぶるりと震わせると、にっと口角を上げた。
    「山本、こう見えて俺はお前に感謝してるんだぜ。お前がまどろっこしいことをしてくれたおかげで。結果的に俺は欲しいもんを手に入れられたんだからな」
     「金勒か」と低く呟いた元柳斎は、黒々とした眉の下から覗く双眸を乃武綱に向けた。薄闇で光る剣呑な瞳にそよともせず、乃武綱はゆっくりと首を振ってみせる。
    「それは偶然の産物ってやつだ。結果として手に入ってくれたというだけで、最初から求めていたもんじゃねえ。お前は俺がただの興味本位で龍の刺青の男のことを嗅ぎ回ったと思ってんのか?」
    「違うとな?」
    「ああ。おれが欲しかったのは強さだ。この世の全ての人間を圧倒する完全な強さ。龍の刺青の男を倒したおかげで、俺が目指す絶対の強さに一歩近づけた……」
     孤独と自由、放浪の日々から一転、規律を重んじ、人の中に生きるという生活を送るうちに遠ざかっていた激情が、さざ波となって押し寄せてくる。金勒と戦いの熱を分け合ってようやく思い出したのだ。自分の魂が本当に求めるものは平穏でも、褒美でも、ましてや安逸をむさぼることでもない。誰も到達したことのない、無窮の強さ――遥かなる高みだと……。
    「だからよ、山本……俺はいつか、お前も越えてみせるぜ」
     部屋の壁に、喜悦混じりの声が沁みる。底気味の悪い響きに、しかし元柳斎は不快感を示すことはなく、愉悦の笑み浮かべた。
    「ほう、面白い。儂を倒すと申すか」
    「そうさ。せっかくここまで来たんだ。この力を使って駆け上がれるだけ駆け上がって、欲しいもんは全て手に入れてみせるさ……欲望のままに」
    「やってみるがよい。お主が儂の前に立ち塞がる日を、楽しみに待っておるぞ」
     そこにあったのは、同胞に向ける生ぬるさを湛えた目ではなかった。敵対者に対峙する時の警戒を光らせた、峻厳な目だった。背筋を伸ばし、岩のように佇む全身からは自分を倒せるはずもないという傲然さと、自分を倒すべき人物であればという破滅的な願望が滲み出ており、乃武綱を圧し潰そうとしている。その重圧に畏怖どころかある種の恍惚を覚えた乃武綱は、笑みを崩さないまま元柳斎から視線を引き剥がし、立ち上がる。
     ちょうどその時、失礼しますの声とともに戸が開けられ、長次郎が入って来た。乃武綱がいるとは思ってもいなかったのか、長次郎こちらを見るなり一瞬驚いたように目を丸くすると、次には背筋を伸ばしてかしこまった様子を見せる。
    「失礼しました。出直して……」
    「いや、いい。たった今終わったところだ」
     言いながら視線を下げると、長次郎の胸に抱えられた書類が目に入ってくる。「それ、もしかして金勒のところに行くやつか?」と問えば、きょとん顔の長次郎は一拍遅れて「え、ええ、そうですけど」と躊躇いがちな返事を寄越す。
    「俺が持って行ってやるよ」
    「よろしいのですか?」
    「いいって、ほら、貸せ」
     半ば強奪するように書類をひったくった乃武綱は、そのまま長次郎の横を過ぎて部屋を出ようとする。不意に足を止め、最後に元柳斎の顔を拝んでやろうと振り返ったのと、すぐ傍で「あ、そうそう執行殿」と慌てた声が発せられたのは、ほとんど同時のできごとだった。
    「何だよ」
    「龍の刺青の男のことは分かりましたか」
     長次郎の言葉に、乃武綱は未だ座したままの元柳斎に目を向ける。こいつには隠し通す気か? という非難を込めて睨みつけるも、元柳斎は表情一つ変えずに見返すのみ。
     狸めが。今一度内心で吐きつつ、口では「あーあれはもういいや」と気楽な声を発していた。聞いた長次郎は「あんなに必死になって探していましたのに?」と目を丸くする。
    「まあな、お前にも世話掛けたな」
    「もう……飽きっぽいんだから」
     長次郎の嘆息に、乃武綱はひらひらと手を振って応え廊下を歩きはじめる。
     どうも冴えないと思ったら、空一面に雲がかかっており白く染まっていた。どこからか吹き抜ける風が埃と枯れ葉の匂いを運び込み、鼻腔の奥をつんと刺激する。感傷に浸っていると、色のない空と流厳の風景が脳内で重なり、去り際に見た桜達の亡骸のことを思い出した。
     桜達が貴族の家の前にいた理由……単純に百々を弔うためだと判断していたが、もしかするとそれだけではないのかもしれない。自分だけ生き延びてしまった後悔、父と百々両方の仇の言いなりになっている自分への苛立ち、そして、どうあがいても他の隊士のように一人前になれない自分への不甲斐なさ。そういった様々な思いといつ殺されるか分からない恐怖に苛まれながら一人ぼっちで生きてきたのかもしれない。
     粗暴でもなければ野心があるわけでもない。他者を害するどころかわざわざ父親の友人に手を合わせるような人間だ。仮に金勒に見つからなければ……いや、龍の刺青に関する騒動に巻き込まれなければ、今頃は流魂街のどこかでつつましく暮らしていたのだろう。乃武綱からすればなんのこともない日常を、例えば誰かが笑いかけてくれたというだけのぬくもりを、今生の幸福と噛み締めながら。
     やっと解放されたのか? 恐怖しか見えなかった生から。「ゆっくり眠れよ」と呟き、あの時感じたやるせなさをしまい込んだ乃武綱は、前を見据えて三番隊舎へと向かう。


     乃武綱の来訪に気付いたのか、机に向かう背中が小さく揺れたのが見て取れた。金勒の許しを得ないままずかずかと部屋に足を踏み入れた乃武綱が肩越しの机の上を覗き込むと、そこにはいくつもの黒い染みを作った紙が散らかっているのが見えた。
     右肩の傷が数日で治るような代物ではないのは、斬った本人が一番良く分かっている。未だ繋がっていない神経のせいで筆を握ることもままならないというのは金勒自身も自覚しているのであろうが、それでも療養に努めないのはもはや長年の習慣のせいだろうか。
    「不便そうだな」
     他人事のように言えば、重々しいため息が落とされた。墨の滲みが不明瞭な円となって広がってゆく。「誰のせいだと思っている」低く発せられた声からは不満がありありと浮かんでいた。が、それはあくまで平時における感情の乱れの範囲内といったもので、獰猛さとも呼べる激しさとはまるっきり異なるものだった。これが戦いに生の実感と見出した男か。拍子抜けのような気持ちになった乃武綱は、預かっていた書類を乱暴に放り投げると、金勒が震える手で握っていた筆を取り上げ、机の上に転がした。
    「あんなにおっかなかった金勒はどこ行ったんだよ」
    「さあな。ろくでもない男に膝を付かされて、何もかもが嫌になったんじゃないか?」
     そう話す割には、金勒は何事もなかったように日々を過ごしている。さすがに怪我のせいで任務や隊士への稽古などは控えているものの、普段と同じように書類を片付け、報告書に目を通し、隊首会議に出席する。嫌になったという言葉を隠れ蓑に、いつか再び刃を交え、今度こそ首を落としてくれるという仄暗い願望を推測した乃武綱は「ま、今のお前もいいと思うがな」と軽くあしらうと、金勒の左肩を押しやり、床へと押し倒す。抵抗はなかった。眼鏡越しに光る、これも敗者の定めとばかりに諦念した目が、じっとこちらを見上げている。
    「お前を抱いた時、その背中の龍は天に向かって昇り詰めるんだろうな」
     乃武綱は金勒の腰に手を回す。昂ぶりとともに姿を現す龍は、主が蹂躙されればされるほど金色の目をぎらつかせ、こちらを睨みつけてくるのだろう。まるで心までは渡さないというように。その様子を想像し、下半身に熱が集中するのを感じた乃武綱は、そうでなくちゃ面白くねえと舌なめずりをしてみせると、「いいねえ、お前の体」とにたりと笑んだ。
    「体目当てか。変わった男だな」
    「馬鹿言え。体だけじゃねえ。全部手に入れてやるさ……お前の心までもな」
     隊長羽織を脱ぎ捨てると、金勒の死覇装の袷に指を差し入れる。びくりと跳ねる体と鼻から抜けるような声に気を良くした乃武綱が覆いかぶさると、立ち込めていた薄闇が熱を帯び、部屋の空気が淫靡なものへと塗り替えられてゆく……。


     斯くして、乃武綱は欲望の階梯を駆け上がる。
     絶対的な力を手に入れ、やがて太陽を討ち落とすその日へと、ひたすらに――。

     此れは、乃武綱が全てを手に入れるための、はじまりの物語。


    《了》
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    hiko_kougyoku

    DONE若やまささ+千日、逆骨
    「世のため人のため飯のため」④
    ※やまささと言い張る。
    ※捏造あり。かなり自由に書きました。
    ※名前付きのモブあり。
    世のため人のため飯のため④  4

     逆骨の霊圧を辿ろうと意識を集中させるも、それらしき気配を捕まえることは叶わなかった。そういう時に考えられるのは、何らかの理由で相手が戦闘不能になった場合――そこには死亡も含まれる――だが、老齢とはいえ、隊長格である逆骨が一般人相手に敗北するなどまずあり得ない。となると、残るは本人が意識的に霊圧を抑えている可能性か……。何故わざわざ自分を見つけにくくするようなことを、と懐疑半分、不満半分のぼやきを内心で吐きながら、長次郎は屋敷をあてもなく進む。
     なるべく使用人の目に触れないよう、人が少なそうな箇所を選んで探索するも、いかんせん数が多いのか、何度か使用人たちと鉢合わせるはめになってしまった。そのたびに長次郎は心臓を縮ませながらも人の良い笑みを浮かべ、「清顕殿を探しております」とその場しのぎの口上でやり過ごしているうちに元いた部屋から離れてゆき、広大な庭が目の前に現れた。どうやら表である門の方ではなく、敷地の裏手へと出たようだ。
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