隠れ小径喫茶店から出ると、仙台の街はすっかり人がまばらになっていた。澤村が言うには繁華街と呼ばれる場所はもっと別なところにあるらしい。
「ホテルまでの道わかるか? 送ってくよ」
澤村の言葉に黒尾は頷いた。地図アプリもあるし、大体の見当はついているので本当は送ってもらわなくても平気だけどもう少し一緒にいたかった。
手を繋いでいいのかわからないまま二人で夜の街を歩く。数年前はよくコンビニの袋をぶらさげてお互いの家の近所を歩いていた。なんて贅沢な時間だったのだろう。
あのとき自分の気持ちに気付いていたら、という後悔は何百回もした。
だから自分の気持ちを知った今こそ絶対に後悔しないように行動した。告白したときは心臓が破裂しそうだったし、もう友達としても会えないかもしれないという不安でいっぱいだった。
それがまさか付き合えるなんて。
澤村曰くお試し期間らしいが、それが自分への気遣いだということはわかっていた。
思慮深くて、頼もしくて、寛大で、そういうところを含めて澤村のことが好きだった。
アーケードの下を風が通り抜けていって、首を撫でた。その冷たさに黒尾は首をすくめる。
「寒いか?」
「うん。こっちは風が冷たいね」
「十一月の夜はもうコート必須だぞ」
そう言いながら、澤村が体をぶつけてきた。そのまま黒尾の左腕と澤村の右腕をくっつけながら歩く。
「酔っ払いだと思われるかな」
澤村がそう言ったとき、ちょうど前方から足取り怪しいままに肩を組んだ中年男性二人組がやってきた。
「でももしかしたらカップルかもしれないよね」
「その可能性は大いにある」
元彼女に打ち明けられるまでは気がつくこともなかった。もともと黒尾は他人の色恋沙汰にそこまで興味はなかったけど、男女の二人組がいればカップルだと思っただろうし、それが同性同士だったら友人なのだろうと思っていた。
だから元彼女に私は女の人が好き、と言われたとき黒尾は思考の海に沈んだ。そして「ねえ、聞いてる?」と肩を叩かれたときに自分がかつて澤村大地に抱いていた気持ちは恋であり、今もその気持ちが継続していると気付いたのだ。
あのときの分岐点がなければ今ここで澤村と一ミリの隙間もなくくっついて歩くことなんてなかったのだ。
「もっと寒いときも来たいな」
「冬は牡蠣がうまいよ。もうちょっと時期が早かったら秋刀魚もあったけど」
「それは来年にとっておくよ」
そう言って、隣を見る。澤村は口を結んで噛みしめるような表情をしていた。
胸がぎゅっと苦しくなる。どうしたらこの気持ちがいっときの気の迷いではないと伝えられるだろう。
もうすぐでホテルに着いてしまう。
黒尾は人気のない道で澤村の袖を引っ張った。
「どうした?」
丸い目がこちらを見つめる。
「キスしていい?」
あと少しで離れなければいけないと思えば、どうしても友達以上のことをしたかった。だけど堅い職業についている澤村が路上でのキスに応じるわけがない。
そんなことはわかっているが一縷の望みをかけて聞いてみた。
澤村は視線を彷徨わせて、きゅっと口を結ぶ。
「ここはちょっと」
ですよねー、路チューなんてしませんよね。
軽快な言葉で返そうか迷っているうちに、澤村に手を引っ張られた。
ジュースの自動販売機を通り過ぎ、車止めのある小径に入る。そこを数メートル進んだあたりで立ち止まった。すぐ横は草木が茂った公園だ。澤村はくるりと振り返る。
「ここならいい」
街灯の光がしだれ柳の枝に遮られて、澤村の顔に影が落ちている。だけど緊張しているらしい表情はよく見えた。
「うん」
自分の声がちょっと震えていて、情けない。
厚みのある肩をなるべく優しく掴んで、首を傾けて唇を重ねる。柔らかさとか、あたたかさとくすぐったさが混じり合って電流みたいに下腹部に流れていく。
これは紛れもなく性欲だ。頭でちゃんと理解して、何度か唇を食む。
澤村は黒尾が性的な接触をできないと思っているようだが、無用の心配だ。頭で何度かそういう想像をしていたのに見くびってもらっては困る。
肩から背中へ手を滑らせ、澤村の体を掻き抱いた。肩甲骨の下をなぞったとき、腕の中の体が跳ねて、頭がぐらぐらした。
舌で唇を開かせようとしたところ、背中を叩かれた。
「ここ、路上」
わずか数ミリ先の唇が抗議する。
「ここならいいって言ってくれたじゃん」
「ちょっと口と口くっつけるだけだと思ったんだよ。ここなら防犯カメラの死角だし」
なるほど、先ほどの場所には防犯カメラがあったらしい。
「さすが警察官」
「防カメの映像を回収することになって自分のキスシーンを同期とかに見られたら恥ずかしいだろ」
そんなことになったら一生キスさせてもらえないかもしれない。
「それじゃこれからもしたくなったら澤村さんに確認するね」
「そうしてくれ」
行為自体を否定されないのが嬉しかった。堪らない気持ちになって黒尾はもう一度キスをした。
「もう終わり!」
焦った様子の澤村の声が思いのほか大きくて、つい笑ってしまった。
「ね、澤村さん。次に会うときはもっといろいろするよ」
黒尾は宣言する。
「できるんならな」
風が吹いて、細い枝が揺れる。街灯の光を浴びた澤村は、できないと決めつけるような言葉とは裏腹に真っ赤な顔で目を潤ませていた。
黒尾は腹の中で欲望がとぐろを巻くのを感じた。