カフスと猫【黒限】 月と黒猫を青花で染めた水滴で硯へ水を落とし、レジ台を兼ねるカウンターに立ったままで墨を摩り始める。一摩りごとに、精緻な山水図の彫られた上質な墨の香が清浄に馨しい。カウンターの隣の年代物の作業台に並べられた編み柄も形も違うオフホワイトのアランニット5枚を前にして、30分以上悩んでいる女性客を小黒が接客している。ビスポークテーラー・猫洋服の開店第二号の顧客にして常連の高橋夫人だ。
「う~~~~~~~~~~ん」
「もう一度試着なさいますか?」
「それはそれで迷っちゃいそうなのよねえ。ごめんね、時間かかって」
「お気に召す物が一番ですから。どうぞ、ごゆっくり」
190cmに近い長身をわずかに身を屈めた小黒の口元に、柔らかな笑みが浮かんでいる。その器用な多才さや人当たりの良さからも接客に向いているだろうと思ってはいたが、想定以上の働きぶりだ。妖精に人間の年齢の数え方はあまり意味を持たないが、それでも人間準拠では22才の若さに似合わぬ落ち着いた物腰も、高価な服飾を扱う店で客の信頼を得るに足るものらしい。
4252