今回の出張の目的である顧客との打ち合わせ云々の時間までまだ少し余裕があった水木は、途中で見かけた神社に立ち寄ることにした。タクシーの運転手にその旨を伝えると、その神社の歴史を教えてくれた。
今では古びた小さな神社になってしまったが、その土地に住まう人々に昔から大切にされてきたという。
昔は子どもたちの遊び場にもなっていて、かく言う自分も子ども時分にはよく境内でかくれんぼや鬼ごっこなんかして爺さんら大人に罰当たりなことするなと叱られたもんですわ、と運転手が話しながら笑っていた。
その話を聞いていた水木がふと思い出したのは、あの哭倉村の山の手にあった神社だった。
龍賀家当主が代々引き継ぐというその神社では土着の神を祀っており、あやしい儀式を執り行っていた。その正体は、何の罪もない幽霊族や人体実験の犠牲になった人々の数多の怨念によって生まれた妖怪狂骨を術によって窖の結界内に抑え込んでいたというなんとも惨たらしいものだった。
当然そんな神社は正当な術者である歴代当主ぐらいしか立ち入ることはできなかっただろう。
今から向かう神社のように、村の子どもらが遊び場に出来るような場所ではなかっただろう。
「…あの神社とは全然違うんだな」
沙代と時弥の顔が頭を過り、咥えていた煙草のフィルターを強く噛んだ。
その神社は町の中心地からは少し外れた森の入り口に建立されていた。
有名どころの神社仏閣のような厳かで、ともすれば圧を感じるようなそんな雰囲気は感じられず、自然に囲まれたそこは心が落ち着くようなそんな場所であった。
本来の色より年月を重ねた朱色の鳥居をくぐり石段を上る。両側の木々からは鳥のさえずりが聞こえてくる。
時折参拝する者がいるのだろう。石段もその周囲も人が定期的に整備しているようなそんな形跡があり、大事にされていることが分かった。石段を登り切り、参道を歩いた先に小さなお堂があった。その中にこの神社の神様が奉られているのだろう。
賽銭箱に小銭を入れて、鈴を鳴らした。手を合わせて拝礼する時に、二つの願いを神様に託した。
―先ずは、この出張が何事もなく終えられますように。そして、これからも平穏な日々を共に過ごせますように。
欲張りで申し訳ない。神様に謝罪を入れて、目を開けた。
その時、何かが視界の端で動いたような気配を感じ、咄嗟にそちらに意識を向けたが、そこには何もいなかった。
周囲を見回しても視界に映るのは木々や草だけで、人は勿論動物らしきものの存在もいそうにはなかった。
「…見間違いか?」
ただの勘違いだったと結論づけて、元来た道を戻って行った。
「どうでした?心が落ち着くいい場所でしょう?」
後部座席に戻ってきた水木に、運転手がルームミラー越しに視線を合わせながら訊いてきた。その顔はどことなく誇らしげに見える。
「ええ、そうですね。静かに参拝できましたよ」
水木の同意する言葉に益々目を細めた運転手が、そういえば―と話を続けた。
「ここは霊感のある人が来ると何か感じるそうなんです。まぁ小さいながらも神社ですからね、視える人には視えるらしいですよ」
「へぇ、そうなんですね」
相槌を打ちながら、やはり先ほどの妙な気配は勘違いなのではなかったのかと考えた。
ゲゲ郎曰く、今の自分は妖怪や怪異を引き寄せやすい魂をもっているようで、その分危険な目に合いやすくなっているという。
しかし、先ほどの気配を感じたのはほんの一瞬だったとはいえ、狙われているようなそんな嫌な感じはなかった。
「悪いモノではないらしいんですけどね、…ただ、知らない間にソレを連れて帰っちゃうと厄介ですけどね」
そう言ったきり運転手は神社のことを話のネタに出すことはなかった。
だから、水木も神社で感じた妙な気配のことは口に出すことは無く、これからある打ち合わせ内容を確認すべくその作業に意識を切り替えた。
顧客との打ち合わせ等は特に不測な事態が起こることもなくスムーズに進み終えることができた。
ゲゲ郎が施してくれたまじないのお陰か、余計なモノも視えることはなく邪魔されることもなかった。
このまま何事もなく進んでくれれば今回の出張もそれなりの成果を上げられそうな目途が立って、ほっと胸を撫で下ろした。
何が何でも上にのし上がってやるという野心は昔に比べてすっかり大人しくなってしまったが、それでも自分に任された仕事はきっちりとやりきる責任感は持ち合わせている。だから、周りの人間は知らないだろう。いつも自信満々の澄ました顔で契約を交わしたり商談をしているその内心は実は緊張感でドキドキしていることを。一つ一つ終える度にこうやって胸を撫で下ろしていることを。
そして水木もまた知らないことだろう。緊張感から解き放たれ一息つくそのある意味無防備な表情こそ周りの人間の気を引いているということを。隙のない人間の隙を見れたのだから。
今回の取引相手ももそのうちの一人だった。
仕事上の繋がりだけでなく、イチ個人としても水木と繋がりを持ちたいと考えて、あれやこれやと言葉を変えては水木に誘いを掛けてきた。
「このあと宿までお送りしますよ」「一杯どうですか」「この辺り案内しますよ」
それらの誘いにお得意の営業スマイルを顔に張り付け、やんわりと『NO』を示した水木は、今ひとりタクシーに乗り手配している宿まで直行している。
「…気を悪くさせていなければいいが」
全ての誘いをやんわりと断られた取引相手の明らかに残念がっている顔が思い出されて、なんとも申し訳ない気持ちにもなったが、仕事を越えての個人的な付き合いを持つのは控えるようにしているので仕方がないことだと割り切った。
それもこれも全て過保護なゲゲ郎の施したまじないのせいでもある。
幽霊族の妖気が込められているというまじないは、悪いモノを寄せ付けない効果があるというが、その効果が妖怪だけでなく、なんと人間にも発揮されてしまうようで、それに気が付いたのはつい最近だった。
水木に対して悪意や怨恨を持つ者、もしくは厭らしい下心を持つ者の一体どれぐらいの人間がこのまじないによって跳ね返されてきたことか。それで助けられて護られていることも否めないが、もし万が一このまじないの効果が暴走して全然無関係な人間にも影響を及ぼすようなことがあったら大変だと考え、仕事以外では最低限の付き合いのみにしていた。
なので、顧客の誘いを断ったのもある意味で相手を守る為であったと言える。
「まったく、過保護すぎなんだよなアイツ」
ゲゲ郎がまじないを施した箇所―自身の唇に触れながらぽつりと呟いた。