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    ikire

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    ikire

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    美女と野獣パロのロキシモ🚺
    ⚠シモちゃ🚺としての「シムナ」表記
    ⚠シモちゃ🚺なのをいいことに一人称「私」表記
    ⚠ロキぽよの子供たち多分本編未実装&口調性格全部捏造
    ⚠「自然」←読み:9割方「じねん」
    ⚠25巻までの知見で書いてます。
    ⚠シモちゃ🚺超喋る ←new!

    #ロキシモ♀

    ねえ、そばにいて。商売運に恵まれ、莫大な財産を築き上げた商人がいた。彼は妻に先立たれてたが、(中略)薔薇が土産であったことを知ると代わりに娘を差し出すように要求した。

    「……が、野獣城主の条件の一つが『黒髪ロング』で……」
     テーブルを挟んで向こう側の二人の男のうち長旅を済ませてきたという風の男――商人が長い話を語り終え、深く息をついた。
     商人さんの娘はみんな茶髪でな……と続けたもう片方の老人はこの村の村長である。
    「お前さんは腕も立つし独り身だ。だから頼むシムナさん! 代わ」
    「召集とあらば」
     村長が言い切る前に男たちが向かい合っている一人の女――シムナは、凛と落ち着いた声を上げた。その言い様があまりにも潔く、迷いもなかったものだから村長は「待ってせめて躊躇して……!」と泣いた。
     シムナ――この田舎の山間部に小屋を構えている女猟師である。目は大きく涼し気でそれなりに可愛らしい顔をしているのだが、昔の怪我で口元に大きな傷があるので嫁に行き損ねている一人暮らし。そもそも猟師を生業としている勇ましい女に目をかける男はいない。顔を半分フェイスマスクで隠し薄化粧、パンツスタイルの女を男たちは奇異の目で見つめるばかりであった。猟師仲間以外だと唯一村長だけが、シムナの腕を買っており懇意にしてくれた。そんな村長直々の頼みを断るなど、この実直な女の選択肢にはなかった。商人はそんな彼女の毅然とした態度に恐縮しつつも大いに喜んだ。
     餞別にと贈られたAラインウェディングドレス、ついぞ自分が着ることはないだろうと思っていたそれに袖を通した。初めて身にまとう純白はちょっぴり嬉しく、しかし筋肉と傷だらけの身体には似合わなく思えて恥ずかしい。嫁入り道具は猟銃一丁、付き人は犬一頭。
     商人と共に村はずれで待機していると、夜風に紛れるように何やら気配を感じた。大きな獣の気配にたまらずシムナは愛銃を構える。商人が怯えた声を上げ、歯を鳴らしている……夜目がやっとシルエットを捕らえると、果たしてそれは熊でも猪でもなかった。
     巨きな狼が、こちらへ悠然と歩み寄って来るのだった。その体躯はちょっとした船ほどであり、脚が地を踏み尾がゆれると大気も揺れる。目は月のように光り、喉を鳴らす音は雷鳴のようだった。
     商人は喉奥で悲鳴を押し殺す。巨狼が足を止め、両者は向かい合った。
     愛犬が唸る。銃を使うにはもう近い……膠着状態の中、巨狼が口を開けた。
    「銃を納めろ。オレはあんたの迎えだ」
     深いヴァリトンボイスがその唇から滑り出してきたように思えた。流暢な人語に驚き、つい視線で周りを探るも、もちろん人間は自分たち以外にいない。
    「オレだオレだ。あんたの目の前にいる狼様の声だ。あんたがこれから向かうのは”野獣伯爵”の城だぜ? まああんたが、例えば花嫁の身代わりに城で暴れようって手合いでなければの話だがなぁ……」
     成程、さらに目を凝らすと巨狼は背に轡のようなものを背負っている。そして巨狼のこの言葉は、裏を返せば”暗殺者まがいの者ならばここで喰い殺す”ということであろう。
    「……生憎ですが、私がその花嫁です」
     やっと銃を降ろしたシムナは犬を制し、お辞儀をする。
    「何!? ならばその出で立ちは何だ」
    「猟師なんです」
    「女猟師! 随分勇ましいことだ。ならば犬も銃も花嫁道具と……いや何でだよ……」
     初めて出会うタイプの女だったのか、巨狼は目を瞬かせ息をついた。

    「猟師なら少しスピードを出しても構わないだろう?」
     そう言って人間二人と犬を背に乗せた魔狼はそう言った。興味が湧いたシムナは「いいかな、父様」と商人に声をかける。魔狼の機嫌を損ねるのを恐れた商人はかろうじて「お前の好きになさい」と言った。なのでシムナは「ぜひ」と返事をした。
    「では」と言って地を蹴った魔狼は、轡があるとはいえ崖も岩場もぐんぐん走る。動物は好きなので、遠慮のないスピードにシムナは内心はしゃいだ。
     数刻後真っ黒い森の中に佇む美しい古城に到着する。魔狼は自分たちを乗せたまま門を開け、庭を抜け、、、中ほどで商人がとうとう音を上げ降ろしてほしいとせがんだので、魔狼は後から追いつくように言い含めて商人のみを降ろして先へ進む。階段を駆け上がり、扉を開けた。エントランスホールは広く、暗い中彫刻や剥製が見て取れる。
     ホールの真ん中でやっと降ろされる。あまり休憩を挟まなかったので魔狼の背から降りた脚が震えていた。犬は酔っていた。
     すると開けてきた扉がひとりでに閉まってしまった。次いでランプが灯った。
    「あれぇもう来ちゃったの? 掃除終わってないよー」
     ふいに声が響いた。天井から降ってきた、もしくは欄干から誰かが身を乗り出して声を上げた、そんな響き方だった。ベルのようによく通る声だ。
    「フェンリル~~あんまり休憩挟まなかったでしょ~~?」
     再び声が降って来る。フェンリルと呼ばれたあの魔狼は澄まし顔で「リクエストに応えただけだ」と答えた。
     そして声は唐突に止み、次いでシムナは視線を感じた。値踏みするような平坦な眼差し――そんな気配を、彼女は居心地悪くも真っ直ぐに受けた。
     シムナは、Aラインのウェディングドレスにショートヴェール、かかとの低い靴、そしてドレスと同色のフェイスマスクで鼻から下――顔半分を隠していた。この餞別一式は村長からの贈り物である。マスクを発見した時は正直感動した。自分のマスクはドレスには合わないから。
     マスクを取った素顔を、この視線の主は何と思うだろう? なんて考えるまでもないし、マスク云々以前に猟銃を背に負った花嫁がどこにいると言うのだろう? しかし銃も犬も置いてくる選択肢はシムナにはなかった……
     再び扉が開く。満身創痍の商人が追いついてきたのだ。
    「……きみは自分の意思でここへやってきた。そうだね?」
     商人がシムナの横に並んだところで声が問う。シムナは軽くお辞儀し、はいと簡潔に答えた。
    「その男との関係は? 何番目の娘?」
    「……養子でございます」
     シムナは打ち合せ通りに答えた。
    「養子と言えど、実の娘のように愛する子でございます。一人前になり離れて暮らしておりますが、気にかけ折々に会っております」
     商人はおどおどと、台本を読み上げるように続けた。
    「僕に何を期待する?」
    「……何も求めません。私を貴方様のお好きなようになさってください。私にはそれができる」
     シムナは凛然と言い切った。
     声は沈思するように押し黙り、やがて「よしとする。お前は約束を守った。階段を上って2番目の部屋から鞄いっぱいにお土産を詰め込んでいくといい」と言った。シムナは商人と顔を見合わせ、次いで愛犬に目をやる。まだ休息が必要そうな相棒は主人の気配を察して立ち上がる――しかし間にあのフェンリルが立ちふさがった。
    「こいつはオレが見ていよう。何、これから共に暮らすのだ、構わないだろう?」
     そう言ってうっそりと笑う。信用無いな、とシムナはこっそり思う。忠義を示すため仕方なく彼女は犬に待つよう指示し、階段に向かった。

     衣裳部屋には素晴らしいものが所狭しと並んでいた。上等なドレス、宝石、金銀財宝がどれだけ持っていっても減らないのではと思うくらい溢れていたのである。
     商人はようやく家族に土産を持って帰れると喜び、品物を吟味し始める。煌びやかな光景に現実味が湧かないシムナがぼんやりと部屋内を見物していると商人が寄って来、そろりとシムナの取り分の相談を持ち掛ける。何かあって彼女が村に戻れた時用にと。変な相談だと彼女はこれを断り、代わりに知恵を提示した。
     次に二人が指定された場所へ向かうと、商人が村へ帰るための馬がすでに準備されていた。立派な体躯の馬の背には轡と、先ほどパンパンに品物を詰め込んだ鞄が括り付けられてある。
     鞄は蛇腹仕立てでありいくら品物を入れても受け入れるものだから加減が分からない。持てなくなったそれを少しの期待と共に部屋に置き去りにした結果がこれである。商人は野獣伯爵の心遣いに感謝し馬に跨った。二人は別れを惜しむ親子を演じ切り、商人は出発した。何度も振り返っているのか、感謝の声はしばらく聞こえていた。
     一人になったシムナが最初のホールへ戻ると、フェンリルと愛犬の他に2名が揃っていた。
     黒いドレスに身を包み、よく見るとヴェールと髪の間から覗く顔が半分青黒い女と大蛇、それからフェンリルが一様にシムナを眺めた。不思議な光景に呆けていると、「出揃ったね」とあのベルのような声が階上から聞こえてきた。次いで聞こえてきた靴音。やがてその音は欄干に到達する。
    「こんばんは、お嬢さん」
     その男にシムナは数秒間、目を奪われた。
     妙な雰囲気を纏った男であった。一目で人間でないと思わせる特徴の数々をその身体に露出しておきながらしかし、美しい男であった。
    「……こんばんは、伯爵様」
     ゆっくりと階段を下りてくる男にシムナは慌てて挨拶を返す。
    「あんたも水を飲むのか? その子犬はヘロヘロのくせにあんたを待っていた」
     横手から上げられた寂々とした声に振り向くと、大蛇が犬の前に置かれた小さいボウルを指し示していた。見ると女の方は空のグラスを持っている。先達である商人から、出される料理はいただいて大丈夫だと教わっていたので、ひとまず礼を言い、犬に声をかけると相棒はやっと喉を鳴らして水を飲み始める。出番なしと見た女はちょっぴり残念そうにし、グラスを放った。するとグラスは消えてしまった。
     男が彼らに並んだ。
    「さて、まずは初めまして。僕はこの城の主、周りからは”野獣伯爵”なんて呼ばれているロキだよ」
     野獣伯爵――ロキはラフにそう名乗る。次いで彼は「きみを運んできた狼が長男フェンリル、大蛇が次男ヨルムンガンド、そしてこっちが半分死人の長女ヘルだよ」と登場人物たちを順に紹介していった。シムナは居住まいを正しお辞儀をする。名乗ろうと口を開きかけたその時……
    「しかしちっこい子だね~あと大分ゴツい。確かに綺麗な黒髪だけど……セミロングかぁ……似てね~なぁ~~」
     ずっと我慢していたのか、ロキは吐き出すようにそう言い宙を仰いだ。
    「? 何か、すみません……」
     誰と並べられているのか分からないが、この純朴な女は謝罪をしてしまう。黒衣の女ヘルが笑顔のままロキの脛を蹴るのが見えた。
    「いやさ~~僕好きな子がいるんだけどその子には恋人がチッ(舌打ち)いてさ、だから代わりに似てる子を、って。背が高くて色白で黒髪ロングで笑顔が可愛くて……だからそんな条件を出したんだけど……黒髪ロングって言ったけど……セミロング……まあ綺麗な黒髪だけど……いや似てねーなぁーー!」
    「お父様そろそろやかましいかもしれません!」
     再び目元を覆い宙を仰ぐロキに怒りの色を滲ませながらヘルがとうとう声を上げた。ハープのような透き通った可愛らしい声であった。
    「何か、すみません……」
     事情を理解したシムナが改めて謝罪の言葉を述べると「いやこっちの方がすいません……」とヨルムンガンドが申し訳なさそうな顔をしてくれた。
    「我々の見てくれに騒がない人間は大事にしろ親父」
     フェンリルが声を上げる。見やると彼はシムナの犬をペロペロと構っており、いつからいたのだろう? 犬の反対側には彼ほどではないがこれまた大きな黒い犬がやはりペロペロと構っていた。シムナの様子を見留めたヘルが、私の飼い犬のガルムだと紹介してくれた。
     先の言葉だが、フェンリルは魔狼、ヨルムンガンドは大蛇、ヘルは半死半生の女である。
     そしてロキは――紫色の山羊の瞳、獣の鼻、首元に鱗、緑色の長髪、そこから覗くは生成りの袋角。尻には獅子の尾、耳は尖り、皮膚には繊毛、ところどころに模様のように色有りで点在している。
     その姿をシムナは美しいと思った。キメラのようにちぐはぐで、一目で人間でないと分かる特徴の数々がいい塩梅で同居している身体が上品な服を纏っているその姿に、美術的な美しさを思っていた。
    「ま~ね~……ところできみ名前は? あっルーンの神性って知ってる? 呼ばれたい名前を教えてね。あとそのマスクは何さ?」
     立て続けに問われたシムナは緊張する。
     名前とは祈りであり、呪いであり、対象を掌握する魔法である。地方によっては妖精や怪物相手に名前を名乗るなという。何がとは言い難いがロキは”強い”。きっと名前を渡す行為は魂を受け渡す行為に近いに違いない。
    「……シムナと申します。マスクは……酷いアレルギー持ちでして…………」
     しかし本よりシムナは身代わりの花嫁を全うする気であり、この期に及んで偽名を名乗るなど、という気概でいる。今更助かろうとする真似をする気は、魔狼フェンリルと対峙した時から、否、男二人に頭を下げられた瞬間からなかった。
    「何で猟師やってんの!?」
     マスクへの苦しい言い訳をロキたちは面白い冗談とばかりに笑い飛ばす。その笑顔にほっとしながら、いつ自分が猟師だと名乗ったろう? とシムナは内心首を傾げた。

    ーー

     こうしてシムナの新しい生活が始まった。
     ロキは「あの子に似てない以上きみを愛せる気がしないから、僕のことは意識しなくていい。好きに過ごせばいいよ」と言った。村長との義理が通せればいいシムナはこれを了承した。
     広い部屋と大きなベッド、上等な調度品はシムナを落ち着かせず、彼女は日の大半を外で過ごした。彼女はお喋りではなく、受け答えも一問一答に近い。普段使いのフェイスマスクも顔下半分を隠したままである。最初は怪訝に思った子供たちもしかし、部屋に籠らず自分たちと積極的に関わろうとするシムナの姿勢に心を開いた。
     フェンリルと外からの依頼で(近隣との交流はそれなりにあるようである。シムナの故郷とも希望があれば手紙のやり取りが可能だと教えられた)害獣駆除に出たり、ヨルムンガンドと庭の草木に水やりをしたり、ヘルとエディブルフラワーを摘んだりした。据え置きのクローゼット内にドレスの他にパンツを見つけた時は正直感動した。女といえばスカートだろうから。
     同性の登場に喜んだヘルはよくシムナを構い、お互い「シムナ」「ヘルちゃん」と呼び合うようになるまで然程時間はかからなかった。シムナの犬はヘルの黒妖犬ガルムと打ち解けたようだった。二匹が寄り添って寝ているとよくフェンリルがのっそりと現れ傍で寛ぎ始め、ヨルムンガンドも日向ぼっこに顔を出す。女二人はそれを微笑ましく眺めていた。
     そうやって仮にも自分の花嫁が子供たちと仲が良いと、最初無関心だったロキも気になってくる。気になると観察を始めてしまう。だから時折シムナが視線を感じそちらへ顔を向けると、物陰や窓からロキがこちらを眺めているなんてことがままあった。

     やがてそれは起きた。
     ある日シムナが廊下を歩いていると、ヘルが丁度自室から出てきて鉢合わせた。
    「あら丁度いい、一つ頼まれてちょうだいよシムナ♪」とヘルから銀トレイを渡され、ロキの部屋に持っていくように頼まれる。トレイ上には櫛や髪飾りが並べてある。女性モノに首を傾げつつも了承したシムナはそれを携えロキの部屋へ向かった。
     扉をノックするとすぐさま入室の返事が返ってくる。シムナは扉を開けた。
     モノトーンを基調としたスタイリッシュな部屋には、絵画や剥製が所狭しと飾られていた。部屋の奥に緑髪を見留め、シムナはそちらへ歩んだ……
     それを見た。
     人間の女の背丈の人形が椅子に座っていたのである。長い黒髪は背を隠し、白い木肌はこれまた白いドレスを纏っていた。顔のディテールも横顔だけでもそうと分かるほどに緻密で、まるで女性がただ眠っているようであった。
    「あれ、シムナ……?」
     ヘルが入ってきたと信じて疑わなかったのだろう、部屋の主はきょとりと目を瞬かせる。
    「何をしてるの?」
    「……ヘルちゃんからの頼まれ物です」
     シムナはそう言い銀トレイを差し出す。ああ、とロキはアロマオイルを置き、少々ひったくるようにトレイを受け取った。
     髪飾りを手に取る様を見守っていると「……何だよ、きみはもう用済みだよ」と手で払われる。待機の必要なしと得心したシムナは一礼し、踵を返した。
    「……待てよ。何か言いたいことでもあるんじゃないの?」
     ドアノブに手をかけたところで呼び止められた。シムナがあんまり素直に引き下がったのでロキの方が焦れたのである。シムナはロキの方に向き直った。それでもロキは自分から口を開く気はないのか、むっつりとした顔をしている。仕方なく、シムナが口火を切った。
    「その方が、例の方ですか?」
    「……例の、って何さ?」
    「好きな方」
    「……そうだよ。美人だろ?」
    「はい」
     すっかり人形の前にやってきたシムナは正面から彼の想い人を眺め、答えた。これがロキの手によって作られたものならば、彼は相当腕がいいとも思った。
     目が大きく、睫毛は長い。眉はキリリと気丈そうな印象を与え、鼻筋はすっと通り美麗、形のいい唇は固く引き結ばれている。女のシムナから見ても、凛とした美しい人であった。しかし……
    「瞳を入れていないのですか?」
    「ああ? あーそれね……たまに入れてるさ。けど彼女が僕を見てくれることはきっともうないと思うと、どうしようもなく空しくなって、結局取っちゃうんだ。それだけ」
    「……お好きなんですね」
    「っ、……彼女、僕の冗談を笑ってくれてさ、それが嬉しくて、その笑顔が可愛くて、いろいろ喋った。いろいろふざけた。仲良くなれたかもって思った時もあったさ。でも彼女には恋人がいた……僕は彼女の一番じゃなかった。でも僕はもう彼女に近づけない。触れられない。これは彼女の代わりさ。木の塊を甲斐甲斐しく……きみも馬鹿げていると笑うかい」
     返事しなくていいよ、とすぐさま付け足したロキは櫛を手に取り人形の髪を梳り始めた。それを見守りながらシムナは再び口を開く。
    「私はこの歳まで処女でありました」
     意外な話の切り出しにロキは思わず手を止める。
    「私は恋愛に引け目を感じておりまして。一人でも平気でしたが、たまにどうしようもなく寂しく思う夜などもありまして……でもある時こう考えました。私にとって一番長い付き合いは得物である猟銃、ならばこれが私の旦那なのだろう、と……誰を、何を目にかけようとその方の心の持ちようであり、人形の彼女を愛でる行為自体は抑圧されるものでもありません。だから私は、貴方を笑いません」
     考えながらの言葉であったが、シムナは凛と言い切った。それは彼女の本音であり、彼女なりの励ましであった。
    「…………きみ、オブジェクトフィリア? ヤバいね……」
    「……それは、違います……」
     しかしロキはシムナの言葉に少々引き気味でこう答えただけであった。それは照れ隠しか、自分のことを棚に上げた純然たる感想か……釈然としない気持ちでシムナはロキの部屋を後にした。

    ーー

     その日から、ロキもシムナに声をかけるようになった。
     一気に距離をつめると子供たちに訝しがられるので少しずつの歩み寄りであったが、そんな小手先の細工などあまり意味をなさなかった。すれ違い様に話をして、一緒に薔薇垣の手入れをして、ボードゲームの相手に誘ったりした。シムナは口下手であり、表情も薄い。それが面白くなかったが、しかしロキはシムナの穏やかさを気に入りつつあった。何が好きなの、何が嫌いなの、村ではどんな生活をしていたの、仲の良い人間はいた? ……
     シムナのことを知れば知るほど、もっと知りたくなる。もっとその声を聴きたくなる。もっといろんな表情を見たいと思う……やがてロキの関心は、彼女のマスクの下に向いていた。

     とうとうそれは起きた。
     シムナはマスクの関係上彼らと食事を共にせず、いつも自室で食事をとっていた。手早く済ませると頃合いを見て皿を下げに行き、片付けに合流するいうのがいつもの流れであった。
     今夜もそんな夜のはずだった。
     犬の分と共に食器を下げにシンクルームへ赴くと、ちょうど彼らも食器を下げ始めているところであった。自分も参加するため声をかけ、手持ちをシンクへ置いた――
    「今日のご飯も美味しかった?」
     いつからいたのだろう、背後から覆いかぶさるようにして誰か……該当者は一名くらいだが、立っていた。振り返ると果たしてそれはロキだった。
    「はい。とりわけ――」
    「そろそろ一緒に食べない?」
     ロキの言葉にシムナは内心ぎくりとする。さて何と返そうか……
    「一人の時間のある方が安心するタイプってところ?」
     口を開きかけた瞬間、まさに言わんとした言葉をそのまま紡がれ、緊張が走る。
    「アレルギーだってのが嘘だって知ってるよ。きみがくしゃみしてるの見たことないし……ここ数年流行り病だってない。じゃあ食べ方が下品なのが恥ずかしいって線? って思ったけど、普段のきみからじゃ全然想像つかないから多分ない……」
     それならそれで面白いから見たいけど、とロキは付け足し、にひ、と笑う。今日は何だかおかしい、そう思った時にはもう彼女の背は石壁についてしまっていた。頭上にすっかり彼の顔がある……
    「安心毛布みたいなもんかとも考えたんだけど、あの白いマスクはドレスによく合ってたからねぇ……」
     まずい。
    「顔、見せろよ」
     瞬間まずシムナが動いた。身を縮め、腕で顔を防御するようにしロキの脇を抜けた。しかし彼はそれを許さない。身をひるがえし、シムナの腕を掴んだ。捕らえてしまえば後は力勝負である。彼女は再び壁へ押さえつけられてしまった。手が伸びてくる。振り払おうともがくが、手首を掴まれた。食器を下げてきたらしいヨルムンガンドの驚愕の声が聞こえた。
    「あ…………」
     か細い、怯えた声が漏れる。ロキによって、シムナの顔が露わになっていた。
     大きな古傷が、堂々と彼女の白い肌の上に居座っていたのである。顎先から少し左側、そこを起点に唇の端を削ぎ、鼻の下まで、真っ直ぐに穿ったような傷であった。それはあまりにも女性のものとしては惨い代物であった。
     騒ぎを聞きつけてきたらしい子供たちの声が横手から上がったが、今のシムナにはよく聞こえなかった。
     見られた、とか、どうしよう、とか、自身の思考に入り込むより先に、対峙するロキの姿に意識を持っていかれたから。
    「ああ、そう……あああそう……! そうかよ!」
     形のない何かがロキの身体から溢れ出てきたように感じられた。
     ロキの姿が変わっていた。目は黒々と眦が裂けんばかりに見開かれ、緑の長髪は赤黒く染まり鬣のように立ち上がり、体毛も同様に伸び上がり身体を隠した。その身体も2、3倍に膨れ上がっていて、そこかしこに鱗が生え出てきた。合わせるように鼻づらが伸び、猪のそれになった。太い牙が光った。シムナを押さえる手の爪が伸び、ナイフよりも鋭く尖った。手首には黒い硬質な毛が生え出てきた。袋角、その皮膚をメリメリと裂き立ち上がってきたのは鹿のような角。根元の、引き裂かれた皮膚から血が流れ、目元を這い、血の涙を流しているようだった。
    「おらよく見ろよ! これが僕の姿さ。僕の心を反映したっていう本性さ! 僕の好きな子に恋人がいたってことが悔しくて悔しくて、あいつが消えればいいのにって、ちょっと細工をした。上手くいったと思った。けど結局バレちゃったからって、その罰がこれさ! 姿を変えられて……ああでもこれ以上は言えない、ああ悔しい! 僕は何もできない、僕だけじゃ……ああなんて虚しくて悔しくて哀しいんだろう!」
     慟哭に似た吠え声だった。オーラと言うべきか、魔力というべきか……ロキが生み出す圧が、轟々と暴風のようだった。皿が何枚か割れた。今やシムナは冷たい石壁からは解放されており、しかし胸ぐらを掴まれ否応なくロキの顔を見据えさせられている状態にあった。
    「こんな僕だからってあいつらも傷モノを寄越しやがったんだ! 実の娘のように可愛がってきた養子、だって? 所詮他人ってことだ! 嘗めやがって、嘗めやがって……! 醜いモノは醜いモノ同士で愛し合えってか! ははっ、アハハハハ!!!」
     そう言ってロキは笑っていた。笑いながら泣いていた。
    「シムナごめん、シムナごめん! お父様やめてぇ!」
     ヘルが悲痛な叫び声を上げる。ヨルムンガンドが妹を庇うように前に出、フェンリルが父に飛びかからんと地を踏んだ。
     その時だった。信じられないことが起こった。
     ロキに捉えられ、揺すられ、罵詈雑言を浴びせられていたシムナが、そろりと腕を上げ、なんと彼の頬に触れた。
    「…………はァ? てめっ、ふざけんなよ! 慰めのつもりか!? そんなもんが嬉しいと思うか! 形ばっかの同情なんて……」
     ロキの憤怒にめげず、シムナは手を動かした。優しく頬を撫で、鼻づらを、頭を撫でた。
     自分に真っ向から浴びせられた悪口雑言は正直頭に入っていなかった。正直、聞き飽きていたのでどうでもいいとさえ思っていた。
     心を剥き出しにして泣き狂うこの怪物が哀れでならなかった。因果応報、当然の報い。思うことはいろいろあるが、今彼に必要なのは正論ではなく、安寧だ。
     それにロキは憎まれ口を叩きながらも、シムナに手を上げることはしなかったから。

    「ごめんね……ごめんね……きみのこと、醜いなんて思ってないよ……いろんな事思い出して頭がぐちゃぐちゃになっちゃったんだ、本当だよ……」
    「はい」
    「ごめん、ごめんね……嫌だ、嫌いにならないで……」
    「はい」
     どのくらい経っただろうか、いつしかロキはいつもの伯爵然とした姿に戻り、シムナを抱きしめ泣いていた。まるで手を離したらシムナがいなくなってしまうというように、彼女の肩口に顔を埋め泣いていた。彼の身体に埋もれる風のシムナは、彼の背にそっと腕を回し支えていた。
     子供たちは嵐が過ぎ去ったような顔で床に座り込んでいた。

    「……んで、きみのエグい傷はどうなって付いたの?」
    「……弾丸が熊に跳ね返されまして……」
    「待って詳しく」
     片付け終わり、乞われるままに始まったシムナの自分語りは入れられた紅茶が冷めてしまうまで続いた。

    ーー

     次の日の夜から、シムナも同じ場所で夕食を共にし始めた。
     生活リズムを合わせているわけではないこの家族は、しかし夕食だけは揃って食卓を囲む。
     さて食事事情だが、食堂を囲んでシンクルーム、キッチン、一番外から近い冷暗所を食糧庫としている。ここには狩ってきた獣の肉や畑の野菜、外から買ってきた食材を置いている。どんな原理か分からないが、そこに食材さえ切らさないでおけば指定(時間と人数、たまにリクエスト)通りに食事が出来上がっているのである。よって家族は出来上がった料理を食堂に運ぶだけだ。料理の必要がないと知ったシムナが仕組みを聞くとヘルは「ま・ほ・う♡」と唇に人差し指を立てるだけであった。

     食事はその日あったことをダラダラと話しながら進む。大体はロキの「今日はみんな何してた?」から始まり、取り留めなく喋り、誰ともなく話を振るのでおしなべて全員が喋る。食事なのに生命維持活動というより嗜好品のようだった。さらに身体の巨きいフェンリルとヨルムンガンドはともかくロキも大食いなのだ。よって食事に割く時間が嘘みたいに長いのだった。今まで食事は2階の自室で手早く済ませて、階下で物音が聞こえるまで読書等をして過ごしてきた彼女は努めてゆっくり食べるように気を付けた。
     それでも食事が一番先に済んでしまうのはいつもシムナで、だから彼女はその時が来るまでゆっくりとお茶を楽しむことができる。気にすることと言えば、愛犬がみんなにつられて食べ過ぎるのを防ぐことくらいだ。
     ロキはたまに外からの依頼で仕事に行く。何でも、自分に魔法をかけ野獣姿にした上級魔法使いが仕事を回してくるのだと言う。因縁があり、ロキ自身いい思い出のない相手と付き合いがあるとはどんな冗談なのか……気になったがわざわざ聞き出すことでもないように思えたのでシムナは口を噤んだ。
     そうやって外に出かけるロキが買い物係であり、その日の夕食時にお土産話を披露する。外にあまり出ないヨルムンガンドやヘルは面白そうに話に聞き入り、ヘルが何か口を挟むとロキがそれに答え、フェンリルが何かツッコみ、ガルムが欠伸をする。ガルムのおこぼれをじっと見つめるシムナの犬を見留めると、ヨルムンガンドが舌を伸ばしてこれを食べてしまう。そんな時相棒のする寂しげな顔がおかしかった。
     ――素顔を晒し経緯を語ったあの夜、ヘルには「私のこと怖がらなかったあんたのことを私が苛めるわけないじゃない!」と泣かれ、魔狼と大蛇には「クールじゃないか」と不敵な笑みをもらい、ロキには「もう見慣れた」とあっけらかんと言われた。
     そんなヒトたちに囲まれて、自分は今団欒の中にいる。
     夢みたいな温かな光景は、階段を挟んでずっと近くに在った。
    「……え、シムナ今笑った……?」
     ふと上げられた突飛な声にドキリとし、見やるとロキがじっとシムナを見つめていた。
    「笑ったよね? ちょっと微笑んだもん今!」
     自分は今どんな顔をしていたのだろう? ああ、顔が熱い! すっかり慌てたシムナはどぎまぎしてしまう。
    「え!? 嘘待って見てない! シムナもう一回! おねがーい!」
     ヘルが身を乗り出してきた。しかし意識して笑うなんて器用なことはこの実直な女にはできない。やいのやいのと騒がれてしまったシムナは顔を真っ赤にし、下を向いてしまうばかりであった。

    ーー

    「着て」
     昼下がり、ロキはそう言って服を手渡してきた。夜みたいな紺地のドレスはきらびやかで、一目で上等なものだと分かる。これはきっと、あの衣装部屋の物の類だ。
    「着て」
     ロキは躊躇するシムナにぐいぐいと押しつけ、彼女が受け取ったのを確認すると「そしたら西のホールに来て」とさっさと行ってしまった。
     主のリクエストに仕方なく自室に向かう。向かいながらつい、ドレスを広げて見てしまった。
     ヒエッと思わず声が漏れた。
    (これを私が……? 無理無理、似合うわけがない!)
     可愛いもの、素敵なものを見るのは好きだ。しかし自分が身に纏うとなると話が変わってくる! 顔が熱くなる。普段着がシャツ、ベスト、ループタイ、パンツスタイルの女にはいささか難題が過ぎるのではないだろうか。しかしこれはロキが手づから選んだものに違いなく、着ていかなければ絶対拗ねる。唸りながら自室の前でうろうろとする。すると様子のおかしい主人を見留めて犬が廊下をかけて来る。
    「うう……どうしよう、これを着るように言われたんだ……こんな素敵なの似合わないよね……」
     犬の視線に合わせるように、シムナはずるずるとその場に座り込む。犬はそんな彼女に小首を傾げつつワン! と鳴く。今ここにフェンリルがいれば通訳してくれたろうか、シムナには『そんなこと、着なきゃ分かんないよ』と言われたように感じられた。
    「……見たい? お前」
     主人の言葉を理解してるのか否か、犬は部屋を気にするようにし扉をノック(?)し始める。
    「……ふふ、そうだよね、ここにずっと居てもね……」
     そう言って立ち上がり捻ったドアノブ、扉の向こうに見知った人影を見た気がして一旦閉め、踵を返した瞬間部屋側から開けられた扉、そこから伸びてきた黒服の腕に捕らえられたシムナはか細い悲鳴と共に自室に吸われていった。

     西のホール、しとやかなステンドグラスの窓枠にロキは腰掛けていた。背に受ける日の暖かさは午睡の微睡みを誘発させる。そのくらいの時間、彼は一人で来訪者を待っていた。
     ……彼女は来るだろうか。
     ヘルに一枚噛んでもらったのであのドレスを着たことだろうとは思う。準備に手間取っているか、盛り上がりすぎているのか、はたまた恥ずかしくなってこちらへ来ないか……苦笑いが口端に滲み、彼のネガティブが頭を擡げ始める。
     その時、待ちに待った扉が開いた。瞬時に反応したロキはつい窓枠から飛び降りる。
     扉の隙間からシムナが顔を出した。ロキと目が合った彼女は肩をはねらせるがしかし、既に覚悟は決めてきているのか、おずおずと彼の前に歩み寄ってきた。
     見惚れた。
     夜色のマレットドレスは彼女の自然の白と黒をより一層引き立てていた。フリンジは軽やかなウェーブを描き、要所要所を黒のリボンが引き締めている。コルセット有、パニエ無。しかしながら薄手の紺地の重なりが軽やかなボリュームを生み出していた。そこから覗く彼女の白い脚はやはりというか逞しいが、ビジューを散らしたレースハイソックスとショートブーツが繊細な華やかさを演出していた。腰には大きな黒リボンが揺れている。
     ドレスに合わせるのはボレロだ。見た目より柔らかい布地はパフスリーブの肩口から、袖口の、幅広のトリムレースまでふわりとしたラインを描き出しており、ショールカラーの襟は胸元を凛と引き締めていた。随所に光る小物の銀色は星のようだ。
     髪にも手を入れられていた。普段ローテイルでしかお目にかからない薄いセミロングを少し掬い、編まれた三つ編みが花のコサージュと共に後頭部を飾っている。
     マスクはあえて用意しなかった。目論見通り、化粧を施された彼女はキラキラと輝いている。淡いリップもアイシャドウもとても似合っていたがしかし、照れて染まった自然の紅色が一番綺麗だと思った。
    「……ね~~、背筋を伸ばしな? 服に負けちゃってるよ」
     やっとロキの目の前にやって来たシムナがその言葉に少しむっとした様子でしゃんと背筋を伸ばすと、尚更様になる。
    「うん、それでいい……可愛いよ」
     ロキの素直な言葉にシムナは困ったような顔でカランツのように真っ赤になるばかりだ。
    「それで、本日はどのようなご趣向で……」
     惜しげもなく浴びせられる賛辞の言葉にいたたまれなくなったシムナは一つ咳ばらいをしてロキに問う。ああ、うん、と頷いた彼は腰を折り、
    「僕と踊って」
     そう言って手を差し出した。彼の言葉を受けて彼女は……
    「……私、経験が、なくて……」
     か細い声で返事をした。あんまりしおらしい、初めて見るシムナの様子にロキはとうとう吹き出す。
    「じゃあ、教えてあげる」
     諦めず手を下げずにいるとシムナはおずおずと、「……ぜひ」ととうとう彼の手をとった。

    「1、2、3、1、2、3......そら右足横、、、何だ、初めての割に飲み込みが早いね」
     静かなホールに二人の靴音だけが響いている。ロキの励ましにシムナはそっけなく「どうも……」と答えるのに精一杯だ。背筋をしゃんと伸ばし、足裏全体を床につけるように……厚い身体に腕をまわしている。よろめけば大きな手が支えてくれる。異性とこんなに密着したことのないシムナはどぎまぎと、彼の指示に集中するばかりである。ロキはそんな彼女を優し気な眼で見ていた。

    「……ね、シムナ」
    「はい」
    「きみのこと……勝手に好きになってもいい……?」
    「……はい?」
     突飛な言葉にシムナは虚をつかれたように彼を見やる。今二人は並んで窓枠に腰掛け、彼女はといえば改めてホールを見渡し息をついていたところだった。
    「勝手に、でいいのですか?」
    「うん……今はきっと、まだ……」
     そう言うロキは目を合わせず視線を自身の膝先にやっている。
    「……そうですか……」
     ロキの手が横に置かれている。それに倣いシムナも膝に置いていた手を傍らにそっと置く。指先が、つきそうでつかない。
    「……勝手にって言う割に、言ってしまいましたね」
    「……うん」
     シムナが彼を見やるとロキも彼女を見ており、ニコリと笑う。互いの指先がちょっとだけ触れ合ったような気がした。

    ーー

     珍しく城に手紙が届いた。
     主であるロキは封を開け、読み、シムナを呼んだ。
     それはシムナの銃の師であり猟師仲間の老人が倒れたという旨であった。もう永くないだろうから顔を見に来ないかと、葬儀も頭に入れておいてほしいと。
     シムナはすぐにロキに向き直り、「私に暇をください」と言った。
    「師を見送りたいのです」
    「……葬儀ってどのくらいかかるの?」
    「……葬儀自体は7日程度ですが、師の胆力次第ではもう少し永らえることでしょう」
     シムナはあえて漠然と答える。ロキはそんな彼女をじっと見つめている。感情の読み取れない平坦な瞳だ。
    「……そのまま帰ってこないなんてことないよね?」
     ぼそりと言った。意外な言葉にシムナは目を見張る。
    「ここを捨てていくには良い口実だもんね?」
     ため息と共に吐き出し、ロキはその場に座り込んで続ける。
    「ああきみは、この哀れな怪物を見捨てるっていうのか。僕らはきみを迎え入れ、尽くしてきたってのに、きみはあの田舎の寂しい山小屋の方がいいって言うのか。男どもの、憐れむような目に囲まれてる方がいいって言うのか。がっかりだな。きみがきっぱりと暇を、と言えたのは死にゆく人を案じてじゃない。結局のところ、僕が嫌いなんだ」
    「どうして私が貴方がたを捨てることになるんですか」とシムナは主の妙な思考転換におろおろとしながら言う。
    「私がいつ、貴方が嫌いだと言いましたか。嫌ってなんかいませんよ。私だって貴方がたと再会できないなんて嫌です。この度の帰郷をお許しくだされば、残りの人生すべてを貴方がたと共に過ごしましょう、そして……」
    「命はある時突然潰える」
     シムナが言い切る前にロキが言う。先ほどから目が合わないのが酷く心細い。
    「きみが故郷に帰っている間に例えば僕が死んじゃったとしても、いなくなったきみには関係ないものね」
     言い切った。
     その言い様にカチンときた。
    「随分な物言いですね。私が信用ないのか、貴方が疑り深いのかどちらでしょうか」
     強めの語気にロキはやっと頭を上げた。シムナは毅然とした態度で彼を見据えていた。
    「戻ってきます。どうしてもご心配でしたら私の代わりを残していきましょう。本よりこの子をお願いする気でいたのです」
     その言葉に真っ直ぐに犬が彼女の元へ歩み、控えた。その場に居合わせた者たちは目を見張る。シムナと彼女の犬の仲睦まじさは誰もが知るところであり、二方の間にはパートナーともいうべき強い絆があるからだ。
     犬は任せろと言わんばかりにワン! と一鳴きする。
     ロキはそんな一人と一匹を、考えを煮詰めるような、もしくは何かを我慢して苦しいような顔で眺めている。
    「……冗談だよ。一人旅は寂しいでしょ」
     そう言ってロキは2ヶ月の帰郷を許し、愛犬と愛銃、どちらも持たせてシムナを発たせたのであった。

    ーー

     シムナの師である老人は、猟師仲間に囲まれ語らいながら息を引き取った。家族は覚悟していたのか、葬儀も滞りなかった。
     ロキが求めた担保はフェイスマスクだった。そのためシムナは傷の顔そのままに村の人間と対峙していた。
     一息ついた頃、シムナには事件が起こった。
     一等親しい猟師仲間の男から求婚されたのだ。
    「だってお前、突然いなくなっちまうんだもの」
     湖畔の岸で男は言った。
    「村長は遠くの地区にお見合いに行ったとしか答えてくれない。家財は整理されて、お前の山小屋は避難小屋として村長が管理し始めるし……気のいいお前のことだ、何か事件があって巻き込まれたんじゃないかってずっと案じていたんだ。なあ教えてくれ、お前今どこにいるんだ。言えないならば、オレのところに来てくれないか……?」
     男の真摯な態度にシムナは少なからず心を打たれた。特異な案件だ、誰にも詳細を言えるわけがない。当事者である商人、相談役である村長、そして人柱であるシムナしか知りえないだろう。
    「返事は、ごめんなさい。話せるよ、これまでのこと」
     だからシムナは語った。ここから数里先の森の中の屋敷に身を寄せていること、そこの家族と仲良くやっていること、、、魔法や彼らの異形には触れずに男に言って聞かせた。
    「シムナお前、その人の嫁コになったのか……?」
     その言葉にドキリとする。
     自分はロキの何なんだろう。最初こそシムナは、自分は怪物の餌食になるのだろうと思っていた。だからウェディングドレスも死装束のつもりで身にまとったのだ。しかしその思い込みは迎えのフェンリルの言葉により輪郭をぼやかせ、顔合わせの際、その疑念はロキの嘆きで確信に変わった。自分は怪物の花嫁だったのだと。
     ロキの好みから外れていたらしい自分だったが、約束通りこちら(商人)側が選んだ娘を無下にすることもできず、受け入れ、様子見というところだろうと勝手に納得し、暮らしを共にしてきた。
     そして、何が決め手か分からないが、ロキの心は自分に動いてきた。あのダンスホールでのやり取りを今でも鮮明に思い出す。しかし自分はその返事をぼやかしているのだ……城で生活を始めてから今に至るまで、シムナは人知れず葛藤していたのだ。
    「……まだ分からないけれど、良くしてもらっているよ」
     だからシムナはかろうじてこう答えるしかなかった。

     シムナの受難はこれで終わりではなかった。山人を筆頭になんと村の男たちまでも彼女の元を訪れるようになってしまったのだ。
     実際のところ彼女は、城での生活を経て一層綺麗になっていた。薄化粧も傷も変わらないが、本当に彼女は、スキンケアに余念のないヘルの熱心さによって密かに磨かれていたのである。
     目の色を変えて口説いてくる男たちにシムナは毅然と、丁重に断っていった。掌を返したように自分に囁かれる甘言に気を良くするような能天気な女ではなかった。一番最初の男はそんな彼女を気にかけ、日毎訪れては上手に彼女を森に連れ出したり、話し相手を買って出た。(下心もあったかもしれないが日に日に表情が暗くなっていくシムナへの心配が勝ったのだ)
    「みんな、いなくなってから気づくモンがあったとかじゃないか?」
     苦笑とともに男は言う。シムナもその言葉に苦笑するしかなかった。
     誰もが『傷なんて気にならない』と言った。そんなわけがない、とシムナは思っていた。これならば、醜いと叫んだ後で見慣れたと笑い、『きみにその気があるなら治す努力してみる?』と事も無げに提案してくれた怪物の方がよっぽど誠実だ、とまで思っていた。
     その日はとうとう村長がシムナの元を訪ねてきた。葬儀の準備に始まりずっと仕事にかかりきりだったのである。
     村長は男に人払いを頼むと、あのテーブルで彼女と向かい合った。
    「シムナさん、また会えて嬉しいよ」
     長い挨拶を交わしたい気持ちを抑えるかのように、あの商人からだと差し出されたのは手紙と小さな包だ。手紙の表には『我が愛しの英雄様へ』とあった。
     英雄だなんてとんでもない、とシムナは怒りにも似た後ろめたさを抱く。自分がロキとその家族に知り合えたのは商人のお陰であり、なおかつお鉢を回してきた村長のおかげではないか。商人が自分に多謝の念を抱いていることは伝わっている。しかしその実、自分はロキたちに家族のように迎え入れてもらい、温かな生活を送っているというのに……
     包の方には両手に収まるくらいの、陶器の人形のオルゴールが入っていた。台座にネジが付いている。白いドレスに羽根飾り、編み上げた髪、光る小物、細い指先、顔のディテール……細やかな技量に一目であの城の物だと確信する。律儀な商人はこっそりシムナに充てた土産も確保していたのだ。
    「あの人がお前さんを忘れることはなかった。でもな」
     村長が言う。
    「あの商人家族だが、商人さんが野獣に持たされてきた財宝で――お前さんが取り分を断ったあれだ。以前ほどではないにしろ余裕のある生活を取り戻し、街の方に引っ越していったんだ。元凶はもういない。シムナさんもここに戻って来ていいんだよ!」
    「……え?」
     突然の解任令にシムナは固まる。村長はシムナただ一人に重責を負わせていたことを詫び、今後の身の振り方の提案を列挙し始める。この山小屋を元通りにしてもいい、求婚者の一人と身を固めてもいい、自分のところに身を寄せても構わないとも言った。だがシムナは村長の言葉があまり頭に入ってきていなかった。思い出すのはただ一つ、『そのまま帰ってこないなんてことないよね?』という、彼の暗い声音。
    「延長を」
     シムナは村長を真っ直ぐに見つめる。
    「私、あそこに戻ります」
     シムナは語った。商人と別れてからのこと、彼らのこと、野獣伯爵の本当のすがた……帰省がもたらした不運とそれに伴う閉塞感も吐き出した。気に入りの娘を引き留める術がなさそうだと悟った村長は残念がったが、最後は彼女を励まし背を押した。
    「ワシはお前さんを信頼している。実際に彼らと生活を共にした者にしか知りえないこともあるだろう。お前さんの好きにしていいけれど、約束の期限までまだ間がある。せめてゆっくりしていきなさい」

     商人からの手紙は、シムナを気遣う内容から始まり、彼女へのそれと同程度の熱量をもって怪物伯爵への感謝の言葉までもが綴られていた。『英雄』という単語は本文には一つも出てこず、シムナを一人の娘として見て、綴られていたので彼女は心中息を吐く。やはり私に英雄なんて相応しくない。
     あの日、シムナが提案した知恵によって作られた鞄の中身は、比較的安価そうな服や宝石が少しの他は、全てコインが占めた。高価な品物のように出どころを探られぬように、後々融通が利くようにと。おかげ様でうまくやったとありシムナは胸を撫でおろす。怪物伯爵への評価――ロキが実は律儀で然程悪者ではないのではという一文には心が躍った。今こそ商人と話したかった。あの城に足を踏み入れ、彼らと対面した者同士、、、もしかしたら商人は子供たちとは会ってないかもしれないから、みんな気のいい方々だと教えたかった。それが叶わないことがもどかしかった。
     ベッドの中でシムナは、あの陶器人形のオルゴールのネジを回し、メロディーを聴いていた。あの屋敷の物が奏でる音色だと思うと心が安らいだ。そう感じている自分に驚いたが、今更だと納得した。
     外で相棒が遠吠えをしている。迎えにいき、家に入れると音色に気づいたのかおとなしくなる。
    「……お前も寂しそうだね?」
     そのままベッドに誘い、毛並みを撫でる。犬は同意するようにクゥン……と鳴いた。
    「少し早いけど戻っちゃおうか」
     語りかけた言葉は、自分に言い聞かせるようだった。
     村長に猟師仲間の男――自分を案じてくれていた人はいた。しかしロキとその家族を切り捨てるには、シムナは彼らを知り過ぎた。

     その晩珍しく夢を見た。
     見覚えのある光景はあの城のものだと夢ながら確信する。中庭の薔薇垣、噴水、オレンジの木立、そこを抜けて外へ、近隣の森、木の洞、洞窟……場面は次々変わり、やがて城へ戻って来る。シムナの自室、ティールーム、西のホール、書斎――映像がストップする。この書斎は日頃通っている場所だ。カウチソファは気に入りの場所で……
     そこで映像に変化があった。赤黒い毛皮の腕が空を掴む。夢はこの腕の主の視点だったか。そして自分はこの腕の主を知っている――
    『シムナ……どこ……?』

     飛び起きた。
     夜の山中は深々と、今夜は雲がなく月の光が届いているのか、蒼く沈んでいる。そんな薄闇の中でシムナの荒い呼吸が空気を揺らす。心臓が熱かった。
    「帰らなきゃ……」
     言葉は口に出せば輪郭を持つ。
    「帰ろう」
     再び同じ言葉を口にする。もう心は決まっていた。

    ーー

     書斎のカウチソファに沈む父にヘルは気付薬を手に呼びかけていた。今ロキは、あの黒々とした毛皮の怪物の巨体で細い呼吸を繰り返しているばかりであった。
     シムナが里帰りしてから様子がおかしくなったのだ。1ヶ月を過ぎた頃から元気がなくなっていき、食も細くなっていった。食べろと皆が言うのをうるさがり姿を消され、3日前やっとここで衰弱しているのを発見したのだ。
     実のところこの症状は2回目である。仲良くなったとは思っていたがしかし、ロキにとってシムナの存在が一回目の恋煩いと同等のそれを呼び起こすことになろうとは……この城はロキの魔力によって存在級位が保たれており、その術者が衰弱すると綻びが生じる……料理を始めとする生活のサイクルがストップするのだ。それだけならまだしも、あんまり酷いとポルターガイストが起き出すといった始末。幸いまだそこへは至っていないものの、フレッシュハーブを採りに出かけたはずのフェンリルはまだ帰らないし、ロキの口に水を含ませても牙の間から流れていくだけで復活の見込みがなくて、不安だった。こんな時にシムナがいれば……とも思うのだが、彼女が戻ってくる期日までまだ間がある。それまでに決着をつける、という気概もある。
     ふと、ヨルムンガンドがヘルに声をかけ、バルコニーのガラス扉を開ける。フェンリルが戻ってきたのだ。野原をひた走って来、そのまま2階である書斎のバルコニーへ飛び込んできた。
     だが兄は一人ではなかった。彼の背に蹲っていたマントの塊がフードを取り去る。
    「……状況!」
    「シムナ~~!!!」
     思いがけない、しかし今一番会いたかった人物の登場にヘルは少し泣いた。

    「絶食状態?」
    「あんたがいなくて私たち寂しかった! でもその実お父様が一番食らってたんだわ!」
     親友の登場にヘルは安堵からか全部を話そうとする。そんな妹を解説するように「この状況は初めてではない」とヨルムンガンドも横で口を開く。
    「一度目は何となく察することができるだろうか……我らは親父殿がこうなってからいろいろ手を尽くすことができる。お前の2ヶ月の帰郷が長すぎたのだ。それでも早く帰ってきてくれたのだからありがたい……本当に、シムナ、お前はもう俺たちにとってかけがえのない人だ。どうか今一度、このどうしようもない父を助けてくれ」
     大蛇の真摯な訴えにシムナは目頭を熱くする。
     長い付き合いの中でシムナも彼らのことをいろいろと聞いていた。この城の存在級位はロキの魔力によって保たれていることや、ロキの普段の”野獣伯爵”の姿は、魔法によって変えられた”怪物”の姿を嫌って自身の魔法で抑え込んだ限界の姿だと。つまり今の怪物の姿は、性根尽きて弱っており、何かしても抵抗する力もないということの表れだ……
    「一回目はどうやって持ち直したのですか?」
    「ある時突然起き上がって、ライスプディングを鍋に3つ平らげたんだ」
     成程、この異形の巨人は自身の命の限界を把握しているらしい。だがシムナはロキの復活への努力を怠らなかった。ヘルに食塩水を持ってくるよう頼み、ヨルムンガンドに書斎の風通しを良くするよう指示し、フェンリルと共に赤黒い巨体を起こしてできる限りの軽装をとらせた。首回りにクッションを詰め、ブランケットを重ねた。ヘルが薄味の食塩水と、モヒートじみた、さっぱりした香りのハーブ水を手に戻ってくるとそれらを嗅がせたり、自身の指を浸し、滴るそれで彼の唇を潤したりした。
     するとやがて変化があった。
     怪物の口が不意にはくり、と動き、唇を舐めたのである。次いで鼻で大きく息を吸い、ゆっくりと吐く――うっすらと瞼が開くが焦点は定まらない。
    「ロキくん!」
     ついシムナは叫んでいた。
     こんなもの、城主に対する呼び方ではない。しかし、表向きは『貴方』や『ロキさん』と呼んでいたシムナはこの怪物の言動や性格、時折垣間見る精神的な未熟さに、内心ずっとこう呼んでいたのだ。
     父の気が戻ってきたのを掬い損ねないように、皆は懸命に励まし、呼びかける。怪物の目は依然胡乱で、しかし唇が何か紡ぐように開閉し、隙間風のように喉が鳴っている。すかさず唇を濡らしてやるのだが如何せん少量だ。焦れたシムナは水差しを自身の口にあて、含み、牙をこじ開け流し込んでやった。
     何度かそれを繰り返していると、やがて小さくせき込み、ロキがとうとうしっかりと目を開けた。その目が皆を捉えた。
    「みんな……シムナまで、何で……」
     待ちに待った彼の声を聴き、皆は安堵の声を漏らす。
    「貴方が気になって、帰ってきちゃいました」
     その言葉を聞くやいなや、ロキの目に泪が浮かび、瞬く間に流れた。伸ばした手はシムナの頬に触れる。ロキの嗚咽はしばらく止まなかった。

    「マスクがなくても結構平気だったでしょう?」
     ロキがブランケットの中から言う。
     すっかり調子を取り戻したロキの頭の中は、シムナの帰郷が有意義なものになったか聞くことしかないようだった。シムナはそれらに丁寧に答えていきながらしかし、「皆に良くしてもらえたか」の質問に口を噤んでしまう。
    「きみの内の綺麗さはもう、傷もチャームポイントにしちゃうんだから」
    「今そんな話はよしましょう」
     シムナは面白くない話を遮るようにぴしゃりと言い、ロキの、今は硬い蹄の足を拭き終える。
    「貴方の回復の方が大事」
     水の入ったボウルを端に避けると彼の顔を覗き込む。怪物の姿はそのままだが、黒い目は今、大きいままではあるが自然の紫色を取り戻していた。
     子供たちを寝かせて、書斎に今は二人きりだ。『シムナこそ疲れてるでしょうに』という言葉には『頑張ってくれたのはフェンリルだから』と返し、ロキの世話を買って出たのだ。犬も連れて行ってもらった。ガルムに会いたいだろうから。それに、二人きりで話したいことも少なからずあった。
    「きみはいい人だね、シムナ」
     ロキはまだ元気のない目をうっとりと細めながら言う。
    「この僕に触れてくれることはもちろん、期日前に戻ってきてくれるなんて……本当に僕は、もう戻ることはないだろうとばかり……本当に僕は、あと一日でもきみが遅かったら心臓を焦がされ死んでいただろう……」
    「心配性な貴方!」
     シムナは焦れたように叫ぶ。
    「貴方の不安をすっかり拭い去る方法があることを貴方は知っているはず……貴方が言ってくれないなら私が言いましょう、ロキくん」
     身を乗り出し、シムナは真っ直ぐにロキを見つめた。
    「私を名実共に妻にしてください。私はそれに応えることができる」
     ずっと悩んでいた気持ちをとうとうシムナは打ち明けた。
     元より終わるはずだった命が拾われて、共に過ごして、話を聞いて、鋭い爪の生える手に触れた。確かに彼は癖の強いヒトだが、気のいい男だということももう知っている。
     そして例の夢だ。フェンリルを呼びながらも待ちきれず相棒と山道をひた走り、いざ合流して聞いたロキの不調……偶然でないそれに、シムナはロキが自分を呼んだのだと解釈した。そして魔狼の背に揺られながら一つの考えにたどり着いた。
     その考えを飲み込めないまま城にたどり着き、倒れ伏す彼を目の当たりにし抱いた不安感と淋しさに、その考えは輪郭を持った。
     そして、ぐったりと眠る彼が目を開け、その瞳が自分の姿を映したのを見て、シムナの心は決まった。
     本来の趣旨であったこの奇妙な結婚に合意することにしたのである。
    「ねえロキくん、貴方は私に勝手に好きでいていいかと聞いてくれました。その実、私だってきっとそうだった……貴方を失うかもしれない不安を払拭するために、そして私なりの好意の表明方法として、私はこれを提案できる。たとえ貴方の心が未だ、あの方に向いて……」
     言い切る前にロキは半身を起こしシムナを抱きしめていた。その先のおぞましい言葉を今は耳に入れたくなかったのだ。
    「そんなこと、言わないでよ」
     泪に潤み始めた嗄れ声で彼は言った。
    「そんなこと言わないで。元より失恋だ。僕だってずっとずっと前からきみのことが……」
     言い切る前に怪物は咳き込んでしまう。そんな彼の背を優しく擦りながらシムナが水差しを手にすると、見留めたロキは「飲ませてほしいな」と嘯く。
    「あら狡い方。あの時もう気がついてましたね?」
     彼女のその言葉に怪物は目を瞬かせたが、ともかく差し出されたハーブ水を嚥下する。それを見届け再び彼を横たえた。
    「ゆっくりでいいですよ。明日がもう約束されているのですから」
    「ふふ、嬉しいなぁ……このまま一緒に寝ちゃいたいくらいだ」
    「それにはここは狭いでしょう」
    「それじゃあ……手を繋いでくれる?」
     ロキが視線を動かすと、もう一つ、書斎のカウチソファがやって来てシムナの横に控えた。
     今日はここが寝台だなと、シムナはそこに横たわる。
     ブランケットを一枚寄越し、差し出された獣の手に、シムナの白い手はすっぽりと収まってしまい、小さく見える。
    「大きな手ですね」
    「きみの手は小さいね。でも、とても温かい……」
     言葉を交わすうちにも、ロキの怪物の手から長い爪が、その鋭さが丸みを帯び始め、小さく短くなっていく……ほら、彼は優しさもちゃんと持ち合わせている。
    「ねえシムナ」
    「はい」
    「……名前を教えてくれる? きみの本当の名を」
     ”本当の名前”、その言葉に彼女は首をかしげるも、すぐに何のことか思い当たる。
    「最初の夜に、呼ばれたい名前を、って言ったの覚えてる? 僕らの界隈ではルーンは何よりも特別な魔力を持つ。今僕は、本当に、きみの全てが欲しい……」
     向かい合うロキの目は真剣だ。しかしその眼差しを受けながらシムナは内心吹き出していた。この愚鈍な巨人は、自分でかけた自分の魔法にずっと囚われていたままだったのだ。
    「……私の名前は、”シムナ”。これだけです」
     彼女の返事に怪物伯爵はきょとりとし、次の瞬間にその表情は、はっ、としたそれに変わる。
    「私は最初から、貴方に全てを差し出していましたよ」
     そう言ってはにかむシムナを映すロキの目に新たな泪が滲む。
     つい、と距離を詰めるも、大きく突き出た鼻が邪魔なのか、苦笑したロキはシムナの額に鼻先を当て、大好き、と囁いた。
    「明日になったらまたちゃんと言うよ。シムナ、僕の愛しい、希望……」
     そう言って怪物は目を閉じたかと思うと、すぐに寝息が聞こえてきた。
     その様に少なからず呆気にとられながらも、シムナは微笑み、腕を伸ばし、頭を撫でる。角が小さくなっている気がする。
     安定しているのだろう。明日には元の姿に戻っているかもしれない。加えて魔法が使えるまで回復しているのだから順調だ。今日は結局水しか口にしなかったけど、明日はものを食べることもできるだろうから、パン粥でも用意しよう……穏やかな寝顔を見つめながら、シムナも目を閉じた。
     傍らで二人を見下ろすあの陶器人形のオルゴールが唯一の証人のように、微笑んでいた。

    ーー

     そして次の日の朝、まだ薄闇の中で、シムナは向かいに眠る人物に目を見開き凝視していた。
     自分の向かいに、赤黒い獣でなく、キメラ伯爵でなく、美青年が眠っていたのである。
     閉じていてもそうと分かる大きな目。緑色の髪は短く、覗く耳も丸い。鱗も毛皮もない人間の肌。すっと通った鼻梁。血色の良い唇から覗くのは牙でなく人間のものだ。シムナはそっと手を伸ばし、彼の頭に触れる。撫でたそこに角の形跡も無い。
     何が起きたのか分からないが、それでもシムナはこの人物がロキだと確信する。一晩中つないでいた手がそのままだし、刺激に気づき、開けられた瞼から覗く瞳は、あの美しいアメジストの山羊の瞳だったから。
     山羊の瞳が眠そうに細められ、シムナ、と唇が愛おしそうに名を呼び、手をゆるく握られる。
    「おはようございます……安定、してますね」
     彼女の言葉に男は瞬きを一つし、その眼が自身の手を捉えた。
    「……ない」
     そう呟いたかと思えば上体を起こし、ない、ない、と首から腰、足先まで自身の身体にひとしきり触れていく。その様をシムナもゆったりと上体を起こしながら観察した。
    「戻ったんだ! やったー! シムナ、ありがとー!!!」
    「え、わっ!」
     感に耐えないといった顔で男――ロキはシムナに抱きついた。後ろがカウチソファでなければそのままひっくり返っていたであろう勢いにシムナはたじろぎ、「きみは僕の恩人だ……」と泪ながらに呟くロキの身に何が起こったのか尋ねる。
    「ああ、いやね、僕元々神なんだよね!」
    「……はい?」
     神――あまりに突飛な発言にシムナは言葉に窮し、考えるよりもと早々に思考を放棄、そのまま彼が話すに任せることにした。
    「神の一柱としてそういう場所で生活してたんだけど僕好きな子ができてさ、でもその子には恋人がいて、どうにかなんないかってちょっと悪戯をして二人? 二柱? を離れ離れにすることに成功したんだけど結局裏を取られてバレちゃって、おじ様……えーっと僕の界隈の最高神ね、姿を変えられて神としての名前を剥奪されて家族もろとも追放だ。と言ってもこっち(人間界)に別荘として既にこの城を持ってたから引越しだね」
    「……もしや時折お仕事を寄越してくださるっていう上級魔法使いというのは……」
    「そう、そのおじ様だ。義兄弟の契りを交わしているから殺しはしなかったし、神としての名前を取られたって言ったけど正直それだけだから身体能力は据え置きだし、魔力も残ったから魔法使いとして仕事も回してくる。それでね、ここからが本番なんだけど、この悪辣な魔法を解くただ一つの方法が『僕の素性を知らないままにその誰かに愛される』っていうことなんだよ! だからこれまであんまり僕の、僕らのこと話せなかった。煩わしかったね。ごめんね……それともこの話を聞いて幻滅しちゃったかな……? でも昔のことだし今嫌いにならないでほしいっていうか……」
     リラックスした様子でにこやかに話していたロキは途端に泣きそうな声音を出し、あたふたとし始める。表情がころころとせわしない彼はやはりどこか幼さを感じさせた。
     幻滅なんて今更だな、と彼の恋の話をこれまでも聞いたことがあったシムナはぼんやりと思う。
     飾らない方だ、と思う。良くも悪くも素直で、直情的で、一途で、たまに驚くほど粗雑というか、全てを手放すような言動をする――それは無暗に傷つかないための防衛本能だろうが、傍で見ている分にはハラハラしてしまう。
     幻滅は今更ですかね、と言ってやると彼は安心していいのか否か分からないといった表情をする。そんな様に可愛げを感じたりしたシムナの思考力は今だ本調子でないが、しかし一つだけはっきりとしていることがある。
     ――私の役目は終わったらしい。
     魔法が解けて本来の姿を取り戻した彼は輝きに満ちている。神というのはまだ飲み込みがたいが、彼らは所謂神の世界に戻ることができるのだろう。その手助けができたというのなら光栄だった。この心のざわめきと疎外感を見ないふりできるくらいには、同じ嬉しさを感じていたから。
    「おめでとう、貴方は自由です」
     意識して、シムナは笑った。それはいつもの、あるかないかの微笑みではない、眉を下げ、目を細め、困った風にも見える嬉しげなはにかみ顔になった。
     そんな、初めてヒトに見せる可愛らしい笑みの下に隠れた彼女の寂しさを、ロキはしっかり見通すことができていたのであった。
     頭よりも身体が動いていて、目は距離を縮める自分を『ん?』というきょとん顔に変えるシムナに釘付けだった。

     唇同士を触れ合わせるだけのたおやかで幼稚なキスでも、この純朴な女の血潮を沸騰させるには十分だった。びくりと一つ緊張した彼女はしかし、跳ねのけず受け入れた。くっついた膝同士は恥ずかし気に擦れ、重ねた手の下できつく握りしめられる白い手に優しく指を這わせる……

    「……シムナって本当にウブだよね!」
     唇を離し、見つめた彼女の顔はカランツのように真っ赤で、つられて赤くなりながらロキも笑う。
    「だって、何をされたと思っているのですか!」と勢い余って彼の額に頭突きをしてしまいながらシムナは必死に訴えた。そんな彼女をロキは笑いながらごめんと言うばかりだ。顔を背ける彼女にロキは続ける。
    「自分がもう用済みだと思ってるなら考え違いだよ。僕はもう、こんな風に触れたいと思えるのはきみだけだ……それに僕らもう、ちょっと寿命が長いだけの生身の身体だ。同じ時を生きれるんだよ」
     シムナの背けていた顔が少し上がる。顔を隠す手にロキは自身のそれを重ね、優しい力で退けると、抵抗もなくそれが外れる。
     その顔を美しいと思った。自分のせいで愛らしいほど真っ赤に染まる真珠の肌と潤んだオニキスの瞳が、自分の持つ宝石の何よりも、と思うほど魅力的に感じていた。可愛い、と囁くとまた下を向いてしまいそうになる彼女の額に自身のそれをつい、と合わせると目の前の困り顔が少しだけ弛緩する。
    「ねえシムナ、誓います。キミ以外の妻を持たないと。あの人形もガラスケースに仕舞ってもいい……ずっと僕のそばにいてください」
     それはロキが初めて口にしたプロポーズの言葉だった。飾ることを忘れた素直な言葉は、真っ直ぐに相手の元へ届いた。
     そんな目も眩むような愛の言葉を受けてシムナは……
     赤い困り顔は変わらないが、そこにきまり悪そうな表情を重ねていた。まるで恥ずかしい秘密を打ち明けようか迷っているといった風のその表情と、返事がすぐに返ってこないことに彼は首をかしげる。
     どうか怒らずに聞いてほしいと前置きして彼女は……
    「……どうか…………貴方の今の顔を見慣れるまで、お返事を待っていただきたい……!」
     か細い声でそう告げたのであった。
    「……ぼ、僕のこの顔嫌!? でもこれが元々の顔だからこの顔も、、、この顔で好きになってほしいんだけど!?」
     焦るロキにシムナは違うとかぶりを振った。
     シムナの今の心境は複雑だった。怪物伯爵との結婚を承諾したのは口にした通り、不安の払拭と恩赦の気持ち、そして特別な好意のしるしとしてであり、それは孤独な怪物に寄り添うという一種の施しでもあった。それがまさかこんな、、、人間の美青年になるだなんて! 永らく異形のモノたちと生活を共にしてきた身としてはどうしても気持ちが追いつかなかった。
    「……っでもきみがそう望むなら怪物伯爵の姿にでも変身できる……! もうあの姿とも永い付き合いだから……」
     苦虫を嚙み潰すようにロキが言う。それもいいなとうっかり思いながらもシムナは「私が慣れますので……」と宥める。
    「でもそれには……?」
    「……お時間をいただきたく…………」
     同じ言葉を受けロキは頭を抱えて呻いた。その様に申し訳なく思いながらもシムナとしても譲る気はないので黙って次手を待つ。
    「……分かったよ、きっと待てるさ。僕はきみに嫌われるわけにはいかないからね」
     ほどなくしてロキはそう言った。
    「だからそんな申し訳なさそうな顔はしないで? 下じゃなくてこっちを見てよ」
     その言葉に安堵して目を上げた、シムナの頬をロキの手が包んでいた。悪戯っぽく口角が上がっている。
    「でも、少しくらい良いでしょ……!」
     その言葉と共に再び唇を重ねられたシムナのか細い悲鳴が、朝日の差し込んできた書斎に響いたようだった。
     重ねた唇は、甘い泪の薫りがした。

     こうして、シムナの初恋が始まった。



    [That’s the end of the story.]

    by@all_gramarye(@i_jelly_302)

    参考文献:原作略
    『オリジナル版 美女と野獣』ガブリエル=シュザンヌ・ド・ヴィルヌーヴ:著 藤原真実:訳 白水社
    Wikipedia『美女と野獣』
    社交ダンスワルツの基本から上達まで完全ガイド―Danceファクトリー三反田 
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    Replies from the creator

    ikire

    DONE天使→堕天→妖魔転換博士のブブテス(未満だけど双方クソデカ感情)
    ※魔的、王的ブブちのため本編のブブちを吸いたい方はブラウザバック!
    ⚠天使自己解釈
    ⚠悪魔たちと博士の仲が友好
    ⚠悪魔主従あり
    ⚠博士可哀想
    ⚠ブブちズタボロ
    ⚠記憶障害アリ ←new!
    会いたかったと言いに来た。 私の名前はニコラ・テスラ。種族人類、欧州出身の科学者である。死後後継者からは『人類史上唯一の魔法使い』と称されがちだが私はこの肩書があまり気に入っていない。私の手がけるものは非科学的極まりない魔法ではなく、理論と物理法則のもとに成り立つ科学だからに他ならない。まあこれ以上は今回話すには長くなる自覚があるので興味のある者は拙作を覗いてみてほしい。
     そんな一科学者である私はひょんなことからラグナロクという神と人類のタイマン試合の闘士に選出され、半神半人という稀有な乙女と力を合わせてとある神と戦った。(一科学者が! 神と!)素晴らしい研究となった試合の結果私は相手の神に敗れ、しばらく眠っていたような気もするが(眠っている間に何があったかわからないが)全試合決着がついており、、、いや話してあげたいのは山々なんだがこれ以上を舌にのせようとするとフリーズしたように顎が動かなくなってしまうんだ。これも非科学的である。いけ好かない。ともかくなんやかんやあって復活した私はまた仲間たちと研究を続けることができている。
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