フルーツサンドは美味しかった「…本日も博士とベルゼブブ様は研究室に篭りきりですか」
清廉な純白に包まれた可憐な戦乙女から、ふぅ、と物憂げなため息が溢れた。
戦乙女十三姉妹の一人、ゲンドゥル。彼女にはある悩みがあった。
彼女の唯一無二の相棒であり己の命を捧げたエインヘリャルであるニコラ・テスラは、ラグナロク後、対戦相手であった蝿の王ベルゼブブと紆余曲折の末…気の合う研究仲間兼かけがえの無い友人としてよく共に研究に勤しんでいる。それはいいのである。人と神が仲良くするなど夢物語であったから、ラグナロクの闘士達が各々良い関係を築いているのは半神半人のワルキューレとしては喜ばしいことだ。
ただ…ベルゼブブとテスラの場合、よほど気が合うのか二人して研究室に篭りきりになって寝食を疎かにすることが頻繁にあるのだ。
神なので正直なんとかなるベルゼブブはともかく、テスラは人間である。生前にも研究に集中しすぎて、ハキハキと動いていたのに突然糸が切れたように倒れることもままあったとエジソンから聞いていたゲンドゥルはそれはもう心配し、二人が研究に没頭する度に研究室に突撃しては半ば強引に適度な食事、睡眠を取らせていた。
「間に合うといいのですが」
現在、ゲンドゥルは早足でテスラの研究室に向かっていた。ここ数日ワルキューレの仕事で忙しかった彼女は、ベルゼブブとテスラがまた研究室に篭って既に数日経っているということをついさっき知ったのである。こんなに空けたのは初めてなので、ゲンドゥルの頭の中は二人が寝食を忘れていないか、テスラが倒れていないかという心配でいっぱいになっていた。再三適度に休めと言ってはいるもののこういう苦言は研究者というものには決まってあまり効果がないので彼女も期待はしていなかった。
後半はほとんど駆け足になってようやく辿り着いた研究室。重厚な扉が虹彩認証システムで重い音を立てて開かれる。はやる気持ちを抑え、ゲンドゥルは急いで研究室の廊下を進んだ。
「テスラ博士、ベルゼブブさ、ま……」
広い研究室に一歩足を踏み入れたゲンドゥルは、見渡した部屋の片隅に二人の姿を見つけた瞬間、目を見開いて呼びかける声を中途半端に飲み込んだ。
数秒目の前の光景を凝視して、やがてゆっくりと目を細めて微笑む。
「………私のお願い、聞いてくださったのですね」
しみじみと溢れた言葉は意図的に蚊の鳴くような囁きに抑えられた。
彼女の目の前には、室内唯一のソファに座って肩を寄せ合いすやすやと眠るテスラとベルゼブブ。テスラにはタオルケットがかけられていて、二人の手元にも目の前のテーブルにも資料などは何もない。つまり、ちゃんと休む為にソファに座って寝入ってしまったのだろう。二人はゲンドゥルがいなくともゲンドゥルの願いをきちんと聞いていた。
ゲンドゥルはにっこりと喜色の笑みを浮かべて、ベルゼブブにもそっとタオルケットをかけた。そして目の前のテーブルに持ってきたサンドウィッチを静かに置いて、退室すべく抜き足で扉へ向かう。実はまだ彼女も仕事が残っているので。
重厚な扉に進む一本道にたどり着く、ほんの数歩前。ふと、彼女の脳裏に小さな疑問が宿る。
『…そういえば、ソファは二人とも横になって休める程広いのにどうしてくっついて眠っているのでしょう。それに博士だけタオルケットがかけられていたのは…』
そう思ってなんとなしに振り向いた彼女は、先程まで閉じられていたはずのダークレッドの瞳が横目で自身を見抜いているのに小さく心臓が跳ねた。
テスラの凭れる肩と逆の腕を動かして、しぃ、と人差し指を口に当て、ほんの微かに微笑む。
相反する性質を持つ闇のような美しい神の、可愛らしい願いに見せかけた無言の命令に、ゲンドゥルは困ったように微笑んで会釈すると静かに研究室を後にした。
もしかしたらテスラが今回素直に休んだのは、ゲンドゥルの願いを叶える、以外にも理由があったのかもしれない。けれどゲンドゥルは理由など何でもよかった。
『博士が幸せなら、私は応援するだけです』
我が神殺しとその大切な神に幸あれ、と願うゲンドゥルの頭上を、白い鳩が天高く飛んだ。