『先生絆イベ(4)後の親戚のひとと主人公♀ちゃんの話』――――――――
「あの……! す、すみません!」
――幼げな高い声がわたしを背中から引き留めた。
この都市の名物だという長い長い階段の手前でわたしは立ち止まる。
振り返った先に息を切らした少女がいた。
「あらあなた、さっきハッサクさまと一緒にいた……わたしに何か御用?」
少女は小走りに駆け寄ってきた。
肩口で大地色の三つ編みが元気に跳ねる。
ずいぶん急いで追いかけてきたのか、少女の顔は上気していた。
そして、どことなく人目を気にしながら近付いてきたと思ったら、こそこそとわたしに耳打ちをした。
その内容に、目を丸くした。
「わ、わたしが本当はハッサクさまの恋人なんじゃないか……ですって!? 違うわよ、そんな恐れ多い!」
「……!!」
動転して思わず大きな声で反論してしまった。
周囲の生徒が不思議そうな顔で、あるいは好奇心たっぷりな眼差しでこちらを見ている。
少女は色違いギャラドスのように真っ赤になって、生徒達の視線から逃げるようにわたしの手を取って階段を降り始めた。
力ずくで振り払うのも気が引けて、なんとなく少女に手を引かれるままついていく。
「……どうしてそんなことを聞くの?」
一歩一歩市街への路を下りながらそう聞いたが、先を行く少女は答えなかった。
代わりにぎゅっ、と手首を掴む力が強くなった。こどもの高い体温が肌に染み込んで、少し熱い。
彼女は少しだけこちらを振り返ったようだが、幅広の帽子のせいでその表情は伺えない。
あたたかな向かい風が吹く。その風に乗って、少女の潜めた声がこちらに届いた。
「……里にハッサクさまの奥方か、婚約者がいるんじゃないか、って? うーん、そういうの決める前に飛び出しちゃったから……多分いないんじゃないかしら」
もしそんな女性がいたとしたら、ハッサクさまの親類縁者にあたるわたしの耳に入らない筈がない。
そしてとっくに彼を里に呼び戻すために利用していただろう。
少女はわたしの返答を聞くと、足を止めた。わたしはそれに気が付かず数歩先に進んだ所で、掴まれたままの手に留められる形で立ち止まる。
どうしたのかと問う前に、少女がか細い声で呟いた。
「よ……よかったぁ……!」
「……!」
――身長差と帽子のせいで見えなかった表情が、彼女より数段降りた今ははっきりと目に入る。
真っ赤な頬。あからさまに安堵したような目元……。
(あら、…………あらあらあらあら~~~~!?!? ちょっと待ってその反応、この子まさかハッサクさまのことを!? こんな年端もいかぬ小娘までも虜にするとはさすがハッサクさま! 我が一族を率いるべきお方!)
この子もこの幼さで我らが当主(予定)の魅力を理解出来るとは、なかなか見所のある娘のようだ。
急にへんなこと聞いてごめんなさい、と少女は丁寧にお辞儀をした。
「教えてくれて、ありがとうございました。でも、あの、……ハッサク先生のこと、連れてかないでくださいね。みんな、先生のこと大好きだから……先生がいなくなったら、寂しいから……!」
みんな、の部分を心なしか強調しながら、少女がこちらを見つめる。
彼方の未来で光る星にも、遥か太古の琥珀にも似た色の瞳が、どこか不安げに揺れながら、それでも何かの決意を秘めて、わたしをまっすぐ見据えてくる。
ハッサクさまを想い、ハッサクさまのために、この小さな少女は自分よりいくつも年上のわたしに、臆すことなく相対している。
……その強き信念を秘めた瞳を見て、脳天にでんきショックが奔る。
閃いてしまった。素晴らしきみらいをよちしてしまった。
「あの……そ、それだけです! 失礼します!」
「お待ちなさい! ……あなた、お名前は?」
「あ、アオイです! チャンピオンです!」
「そう、アオイさんとおっしゃるの……えっチャンピオンなの? な、なんと好都合……いえ光栄だわ! あなた、ドラゴンポケモンはお好き? お好きよね? 当然よね、なにせ、ドラゴンポケモンは最強ですもの!」
「えっ!? え、えっと」
「そこの喫茶店で少しお話しましょ! ドラゴンポケモン及び由緒正しき我が里の話をたっぷり聞かせてさしあげる!」
「いえあの、私これから宿題が……――っあの、ちょっと聞いてます!?」
一度離されそうになった小さな手を今度はこちらから掴んで、返事も聞かずに歩み出す。
えっ、とかあの、とか困惑めいた声が背中にぶつかってきたけれど、ハッサクさまの昔話を聞きたくはないかと付け加えたらぴたりと黙った。
とてもわかりやすくて素直な子だ。好ましい。
この年齢でチャンピオンランクに昇り詰めるからにはきっと、ポケモンたちにも深く信頼されているに違いない。
素直さ、高潔さ、清らかな心を持つ才気豊かな乙女。
――ドラゴン使いの花嫁としては申し分の無い人材である。
(この子が大人になって無事ハッサクさまと結ばれた暁には……この子を口実に彼を里に呼び戻すことが出来るかもしれない。
あわよくば二人のお世継ぎも期待出来るかもしれない! ハッサクさまとチャンピオンの子供なんて、絶対最強のトレーナーになるに決まってるじゃない!
まあその時までこの子がハッサクさまを想い続けてくれれば、そしてハッサクさまがこの子を愛してくれればの話なんだけど……
……さ、さすがに年齢差があり過ぎるかしら……いえ、それでも使えるものはなんでも使うわ!
どんな手を使ってでもハッサクさまを我が里に呼び戻すのよ!)
実に名案である。ククク、と不穏な笑みが口から零れる。
たとえ卑劣と言われようが構わない。幼げな恋心を利用してでも我が目的を果たすのだ。
「あの、」と歩きながら少し手を引かれた。視線を後ろに向ければ、疑うことを知らないまっすぐな眼差しと目が合った。
「ハッサク先生の昔のこと、私、ほとんど知らないから……教えてもらえるの、うれしいです」
哀れなまでに純粋な子供が、わたしを見上げて微笑んだ。
この無邪気な心をわたしは、今この瞬間から利用するのだ。
……ハッサクさまは聡明なお方。もしもこの子の恋にわたしが加担していたと知れば、彼女の背後にあるわたしの――里の思惑をすぐに察してしまうだろう。
そうなれば、この子の想いは……わたしのせいで……。
(……。いえ、違う。この子の感情なんてどうだっていいのよ。そう、全てはハッサクさまに竜の血を継いでもらうため……!)
胸に立ち込めかけたくろいきりのような罪悪感を意志の力で振り払う。
わたしは野望への一歩を踏み出すべく、陽の光の満ちる喫茶店へと足を踏み入れた。
――これは自分のことを冷徹なドラゴン使いだと思っているモブトレーナーが、強火ハサ主♀担となり里を裏切るまでのお話。