『姉なんていなかった』――――――――――――――――
蝉が鳴いている。
蝉が鳴いている。
僕の頭の中に、ずっとこびりついている。
◆
バスの降り口が開いた途端、ぬるく湿った風が僕を包んだ。昨日は雨だったのかもしれない。降り立った地面は少しやわらかくて、路傍からは雨露を纏った野草の青い香りと、水を孕んだ土のにおいがした。
嗅ぎ慣れたふるさとの匂いだった。ほんの数年しか離れていなかったのに、ずいぶん懐かしい感じがする。
たった一人の乗客だった僕を降ろし、バスはのろのろと来た道を戻っていく。砂利道に揺れる『回送』の文字がだんだんと遠ざかるのを眺めながら、僕は急に不安になった。村に立ち寄るバスは一日一本。こんな辺鄙な場所まで来てくれるだけマシなのかもしれないが、これで僕は完全に、今日中に市街地へ戻ることはできなくなった。
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