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    luna_xxxAA

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    luna_xxxAA

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    前回の続き。

     ニーベルに着いてからもヘクターは相変わらず少し距離を置いたまま、周囲の様子に目を光らせていた。
     住民と会話するジェラールを、離れた場所からじっと見ている。格闘家に近況を尋ねている時は、どこか苛立つような視線をその男に向けていた。必要以上に踏み込んでくることはなかったが、その態度には始終とげとげしさが残っていた。
     とはいえ町の様子は把握できたし、住民の笑顔が見られたことにせめてもの救いを感じた。
     そうして帰城する頃には、ひどく疲労がたまっていた。
     理由ははっきりしている——どう考えてもヘクターのことばかり気にしていた自分のせいだ。
     体も心も重い。こういう気分の時は、決まって夢見がよくなかった。

     夜も幾分か更けた頃、ジェラールは自室で灯りも落とさないままベッドの縁に腰掛けていた。
    (疲れたな…)
     ぼんやりと宙を見上げる。疲れているはずなのに、眠気はなかなか訪れなかった。
     なにも考えたくない。でも脳裏に思い浮かぶのは同じ顔ばかりだ。
     考えるな、と言い聞かせることは、結局考えてしまうのと同じことだった。無言の背中、険しい表情、握りしめた手の音。瞼を閉じると、今日の彼の様子が次々と目の奥に浮かんでくる。
     もういい加減、やめたい。これ以上振り回されたくない。

     とん、とん。

     一瞬、幻聴かと思った。けれどそれは確かに扉を叩く音だった。
     ジェラールはちらりと時計を見た——こんな時間に部屋を訪ねてくるのは、一人しかいない。
     ゆっくりと立ち上がり、足音を立てないように歩く。取手に手をかけ、一呼吸だけ間を置いた。それから扉を開けると、彼の姿がすぐそこにあった。

    (——なんで、)

     ヘクターはひどく青ざめていた。すべての表情を失ったような、生気のない顔。目が合うと、その双眸が大きく揺らいだのが見えた。
     なんで君の方が、そんな顔をしているんだ?
     急に心臓が握りつぶされるような感覚がして、ジェラールは思わず胸を強く押さえた。
     蒼白になったヘクターの唇が小さく震えている。なにかを言おうとしていたが、言葉にならなかった。
    「……入ってくれ」
     口をついて出た声に、一瞬だけ彼は狼狽えたように見えた。やがて思い出したようにふらりと動き出し、おぼつかない足取りで部屋の中へと入った。
     部屋の扉を閉め、静かに鍵をかける。
     ジェラールは先ほどと同じようにベッドへ腰掛け、そばに座るよう促した。彼は素直に従ったが、その動きはずいぶんとぎこちなかった。
     隣でうなだれている頭をそっと撫でる。まだ少し水気が残っている青髪を梳くと、絡むことなくさらさらと指の間を抜けた。触り心地が良くて、きれいな彼の髪。
     しばらくの間、そうしていた。少し経ってからヘクターは一つ息を吐き、「すみません」と小さな声で呟いた。
    「……今日…オレ、ひでえ態度でした…よね」
    「うん…?ああ…」
     まるで懺悔のような謝罪だった。自分から口にできるようになったんだな、と思いながら髪をいじる。撫でるたびに、柔らかな手触りが指先に馴染んでいく。
    「そうかもしれないね」
    「……ですよね…」
    「…自覚、あるんだ」
    「ありますよ…!あるに決まってるじゃないですか!」
     勢いよくその顔が上がる。思いのほか真剣な返事が返ってきて、ジェラールは一瞬驚いた。
    「……ごめん、悪かったよ」
    「あ…違うんです、ジェラール様…。すみません」
     なんだかお互いに謝ってばかりだなと思う。端から見れば滑稽な光景だろう。
    「いや、私が…なにか君の気に障ることをしたのかもしれない」
    「……貴方のせいじゃない。絶対に、それは違いますから」
    「え?」
     ヘクターは目を伏せた。それから弱々しく首を横に振る。
    「これは、オレの問題なんです」
     どういうことだ?
     ぱちぱちとまばたきを繰り返した。脳裏に今日の出来事が蘇ってくる。彼は自分の問題だと言った、でもそれだけじゃなんのことかわからない。
     ふと頬になにかが触れて思考が止まった。それがヘクターの手だと気づいたときには、顔が上を向けさせられていた。

    (……あ)

     唇に温かいものが触れる。
    「…ん……」
     しっとりと柔らかい。啄むだけの口づけだったが、それでも浮き上がるような心地良さを感じた。体の芯まで、じんわりと熱くなる。
     ちゅ、と湿った音を立てて体温が離れた。彼の瞳が、すぐ近くからじっとこちらを覗き込んでいる。
    (…今日も、…する、のか…?)
     触れられたところが熱い。その熱に浮かされるように、ぼうっと彼を見上げた。きっと今、見るに堪えないひどい顔をしている。
    「……拒まないんですね」
     青い目が静かに見ている。急に恥ずかしさが込み上げてきて、ジェラールは俯いた。
     拒めるわけがない。でも昨日、あんなことがあった後なのに。君はどんな気持ちでいるんだ?
     頭が混乱していた。咄嗟に自分の腕をぎゅっと掴む。
     ふ、とヘクターが笑った気配がした。目線を上げると、穏やかな表情になった彼と目が合った。
    「……今日は、なにもしませんよ」
    「…え、」
    「貴方の負担が大きいですし。たまには、一緒に寝るだけの日があってもいいと思いませんか?」
    「…それは、そうかも…しれないけど」
    「じゃあ、もう寝ましょう。疲れてるでしょう」
     まばたきも忘れて彼の顔を見つめる。にこりと微笑んだヘクターは、羽織っていた上衣をおもむろに脱いだ。それは情事の前と同じ仕草だったのに、そのまま彼はベッドの中にするりと潜り込んだ。
    「ジェラール様、こっち」
    「……」
    「早く、来てください。冷えますよ」
    「……うん…」
     なぜだかひどく気落ちして、肩が沈んだ。のろのろと緩慢な動きでヘクターの懐に入り込む。体勢が落ち着くとすぐさま腕が背中に伸びて、ジェラールの体をぐっと抱き寄せた。
    「おやすみなさい、ジェラール様」
    「……、」
     ああおやすみ、と答えたようとしたが、声にならない。急に居た堪れなくなって、目の前にあった彼の胸に頬を寄せた。
    (……私は、期待していたのか?)
     すぐ近くで触れているのに、その心が遠い。
     君はなにを考えている?同じ気持ちでいたんじゃないのか?
     さっきまで胸にあった熱が、一気に冷えていく。首筋がふるりと震えて、ジェラールは小さく身を縮めた。
     トクトクと血の流れる音が、規則正しく鼓膜を揺らす。じっとそれを受け止めていると、だんだん瞼が重たくなってきた。そのまま抗いきれずに目を閉じる。
    (君が話してくれるまで、待つしかないな……)
     最後にそれだけぼんやりと考えて、ジェラールの意識は急速に眠りの中へと沈んだ。

     *  *  *

     次はこんなことはないだろう。
     そう思って、いくつもの夜が過ぎた。次も、またその次も同じだった。ただ腕に抱かれて、眠りに落ちるだけ。
     ヘクターはなにも言わない。
    (……どうして、黙ったままなんだ)
     静かに寝息を立てている彼を見上げる。その顔はいつもと変わらず穏やかに見えた。引き寄せる力の強さも、体の温かさも同じ——ただ自分を抱かないことを除いて、なにも変わった様子は見られない。それが殊更にジェラールの胸を騒がせた。
     必要以上に踏み込まないことが、かえって気を遣われているようで嫌だった。彼なりに考えがあってそうしているのだ、と自分に言い聞かせながら、口を閉ざしたままのヘクターを見つめる日々が続いた。
    (このまま、話してくれなかったら?)
     そうしたら、ずっとこの気持ちが続くんだろうか。淀んだ感情の正体がわからないまま、それが頭から離れない。いつまで耐えられるだろうか、いつか変わるんだろうか?もしかしたらずっとこのままなんて——

    「——ジェラール様、聞いてます?」

     え、と間抜けな声が上がった。首を回すと、横からヘクターがじっと見つめているのが目に入った。
    「あ……ごめん、聞いてなかった」
    「ったく、そんなことだろうと思いましたよ。オレが話してるとき、貴方最近よく考え事してますもんね」
    「……悪かったよ」
    「これも、飲んでないじゃないですか」
     こぼしたら大変ですよ、と言いながら彼はジェラールが手にしていたグラスとひょいと取り上げた。それから目の前のテーブルの上にコトンと置いて、大袈裟にため息をつきながらソファーの背にもたれた。
    「もう一度言いますが——明日から一ヶ月、遠征でアバロンを留守にしますんで」
    「……そうか」
    「…簡素ですね。出かける前のオレにくれる言葉はそれだけですか?」
     返事以外になんて返せばいいんだ?行かないでくれ、とみっともなく縋れば、君は思いとどまってくれるのか?
     ジェラールは力なく首を横に振った——なぜこんなことを思うんだろう。これまで何度もヘクターは出かけていたじゃないか。それが彼の生業だし責務だ。引き留めるのは間違っている。
    「……そういえば、ティファールから大型モンスターの討伐依頼が来ていたな。君の隊が引き受けたのか」
    「…ええ、まあ。うちの隊が一番稼げますし」
    「宝石鉱山か。遠いな……」
    「あそこ北上されると、帝国の南側のラインが緩みますからね。そうなると後が厄介です…落とすわけにはいかないんですよ」
    「…それは、わかっている」
     そういうことが言いたいんじゃない。
     膝に置いた自分の手に視線を落とした。握られた拳にぎゅっと力が込められるのを、ただじっと見つめていた。
    「…ジェラール様は、オレに行ってほしいか、ほしくないか、どっちなんです?」
     その問いかけに、弾かれたように前を向いた。ゆらゆらと視点が定まらないまま、隣のヘクターを見つめる。彼の瞳もまた、大きく揺れ動いていた。
     一瞬唇が震えたが、うまく動かすことができない。
     言えたら、楽になれるかもしれないのに。
    「……そんな顔しないでくださいよ。行きたくなくなるじゃないですか」
     ヘクターはふっと眉を下げた。そこには笑顔になりきれない曖昧な笑みが浮かんでいた。
    「……」
    「…ちゃんと帰ってきますって。貴方を守るのが、オレの役目ですから」
     頬にかかったジェラールの髪を指先で軽く払う。それから固く握りしめられた手を掬い上げ、そっと唇を寄せた。
    「……気をつけて」
     ジェラールはか細い声でそれだけ絞り出し、口を閉ざして俯いた。
     ヘクターの息がかすかに乱れる。それを隠すように喉が小さく上下したが、それに気づく者はいないままだった。
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