雑土 お出かけの準備(どうしてこんな事に…?)
日曜日の早朝、土井半助は目を白黒させながら周りに振り回されていた。
起き抜けの体をそのまま、三人に良いようにされている。
「どうだ?タカ丸」
「うーん、どうでしょう。もっと早くに言ってくれれば、もっと素敵に仕上げられたんですけど〜」
「そこは致し方あるまい」
頭上では立花仙蔵と斉藤タカ丸が、何やらを話している。髪の毛を梳かれ何かを塗られ引っ張られ、いい加減首が痛い。
「半助、アンタ他に服は持っていないのかい。全部草臥れちゃってるじゃない」
向こう側では、山田伝蔵が衣服を入れている籠を物色しながらブツブツ呟く。忙しないその後ろ姿にはぁ、と力無く天を仰いだ。
「本当になんでこんな事に」
「アンタがデートに行くからでしょ!」
「だからデートじゃないですってば!」
「頭を動かさないでぇ」
事の始まりは昨夜、同室の伝蔵に今日の予定を伝えた事だった。雑渡昆奈門と出かけると伝えたら、伝蔵は暫く黙って席を外した。戻ってきたと思ったら、明日、即ち今日は早起きするようにと告げて眠りについた。
かくして、わけも分からず伝蔵に叩き起こされ、眠気眼な半助の前に、仙蔵、タカ丸、伝蔵と、山本シナが仁王立ちしており、そうして今に至るのだ。
曰く、雑渡昆奈門とのデートに半端な格好は許さないという事だ。
「どういうことですか……?」
眠気も吹き飛んで呆気にとられる半助に答えたのは仙蔵だった。
「ですから、せっかくのデートに土井先生に変な格好をさせられないということです」
「デートじゃないんだが」
「で、あれば尚の事!あの曲者には土井先生は大層勿体ないと、しっっっかり分からせる必要があります!」
要らぬ気を遣うなという意味で伝えたのだが、何故か焚き付けてしまった。隣のタカ丸は「先生の髪がまともになれば何でもいいです〜」とテキパキと手を動かしている。
伝蔵は服を引っ張りだしながら、これも駄目、アレも駄目!とまともそうな服を探し続けている。それ以上の服は持っていないから徒労なんだよなぁと、助けを求めてシナを見ればにっこり笑いかけられ、まずは眉を整えましょうねとすっかり仕事モードだ。半助に出来ることは溜息を吐くことだけだった。
しかしおかしなものだ。何故、雑渡と自身が恋仲だと思われているのだろうか。互いにそんな素振りを見せたことがあっただろうか、いや無い。
雑渡とは茶飲み友達として親交が深い。いつからか、話が弾んで自然とまた話しましょうと、次の約束を取り付けるようになった。
町へ出て、茶と団子をお供に、世間話や最近読んだ本の話に花を咲かせたり、この部屋や雑渡に案内される長屋で将棋や碁を打ってみたり、兵法の話をしてみたり。友人というような仲と言っても差し支えない。自分で言ってなんだが、少し擽ったい。
平時の雑渡の雰囲気はすごく肌馴染みのいいもので、ついつい色々と話してしまう。更に会話の間の相性が良いのか、それとも想定通りの水準での返事をしてくれるからか、自然と話が弾んで気がついたら日が暮れて、月が高くなる事もしばしばだった。
しかしこうして思い返せば、なるほど確かに。他の領地で城勤めの忍と友人なんて、確かにおかしい事なのかもしれない。本当はもっと遊んでみたかったが考え直したほうがいいのだろうか。
「やっぱりおかしいでしょうか?」
ポツリと呟いた声が思いのほか翳っていて、いけないとごまかそうと思うが、間もなく、シナが何が?と聞き返した。
「私と、雑渡さんが、その、友人だなんて」
「あら。半助はあの方と友人なだけでいいの?」
「どういう意味ですか?」
わけが分からず目だけでシナを追うと、眉を整えている最中のシナも目だけをこちらに向けて笑う。
「これがデートだと思うとちょっとは気持ちも変わってくるんじゃない?」
「ですから、デートじゃないですよ。大体、雑渡さん程の方と私がデートだなんて、余りにもあまりにですよ」
「ふぅん?」
「ってちょっと何するんですか!」
動揺する半助の視界には筆と何やらの紅が握られている。
「何って、ちゃーんとおめかししなきゃ」
「私は男ですよ!女装もしません!」
「関係ないわよ!しっかり素敵になって雑渡さんに半助は勿体ないって分からせてやらないとね」
ルンルンと鼻歌でも歌いそうな上機嫌のシナにそっと息を吐いた。少しだけ心に霞がかかる。
(勿体ないのはきっと私の方だなんだけどなぁ)
髪がツヤツヤになり、血色がいい肌艶が出来上がり、残りは着物だとなったが、ここでもまた躓いた。伝蔵は苦い物を食べるように顔を歪め、言わずにはいられないと苦言を呈した。
「半助、お前想い人との外出があるなら、それ用を一着位持つもんだぞ」
「そうですね」
「雑渡殿へ少しは格好つけたいとは思わないのか」
「雑渡さんとは、お互いいつも平服ですし、私が格好つけたって仕方ないでしょう」
「本当にそう思うの?」
横からシナに真っすぐに問われて、半助は本当にそうだろうかと自問する。雑渡は半助の容姿や服装について何も口に出したことはない。無論、半助だって同じだ。わざわざ容姿を話題に出さなきゃ行けないほど退屈な間柄であれば、今頃こんな茶飲み友だちになんてなっていない。
しかし、論点はそこではない。少しでもいい格好をした時の雑渡の顔を想像してみる。やっぱり無反応だ。彼はいつも通り、本を貸してくれ、自分は交換するように借りていた本を返し感想を言い合う。やはり服装なんて関係なかった。しかし、しかしだ。いつもと少し違う自分に気づいた時、彼が何かを言ってくれるならば……。例えば、似合っている、とかそういう事だろうか。あの右目が少しだけキュッと細まって、見えない口が少しだけ微笑む。ちゃんと見ないと笑っているのか怒っているのか分からない右目に、微笑みが宿っている事が分かる瞬間は好きだ。あの目をしてくれるかもしれないんだ。思う瞬間、胸が跳ねる。鼓動が少し速くなったのを、気づかれぬ程度の身動ぎで誤魔化してみる。何だろうこれは。知らない感情が鳩尾から湧いてくるのが少しだけ怖いと思った。
パン!と乾いた音に気が逸れる。シナが笑顔でこういった。
「私の男装用のを使えばいいじゃない!そうしましょう」
それにはもう、とても抵抗した。子どもの駄々こねくらいには抵抗した。練り物ほどではなかった。というか、そこまでの抵抗を許されなかった。シナの言葉に折れたのだ。
「半助、少しはいい格好しようと思ったでしょ。私にはお見通しよ!何?山田先生の服は貴方にはまだ似合わないわよ。年不相応だわ。それともまさか、生徒たちの服を着たいっていうんじゃないでしょうね?そうでしょうそうでしょう。なら、大人しくこれを着ることね」
そう言って着せられたのは流行りの柄の小袖、らしかった。
「これ、大丈夫でしょうか」
変装であれば着こなす努力をいくらでもしてみせるが、自分自身として着た途端、全てが心許なく、手放しで立って歩くのに不安が先立つ。自分には派手すぎないか、元々シナが着ていたものが自分に馴染んでいるとも思えなかった。その上今日はタカ丸と仙蔵のお陰で髪の指通りと艶の良さが桁違いだ。自身の格好に肩身が狭くなる思いだ。
「あら、とても似合っているわ。堂々としてなきゃ」
あっけらかんというシナから仙蔵、タカ丸へ視線を移すと、誇らしげに首を大きく縦に振られ、最後に伝蔵を見れば何とも眩しそうな顔で口角を上げられた。
「半助、いいじゃないか。それで行けばデートも様になるだろう」
「何度もいいますがデートじゃないんです」
「それであれば雑渡には勿体ないとアピールが出来て丁度いい」
「だから、さっきから何なんですか?それ」
「よく似合っているということだ」
「人様の借り物でそんなこと言われても…」
「ならば次回までにデート服を用意することだな」
「ですから!……はぁ、もういいです。そろそろ時間ですし」
「忘れ物はないか?」
「大丈夫ですよ、子どもじゃないんですから。では、行ってきますね」
恥ずかしそうに挨拶をして門を潜る半助を見送って、ひと仕事終えたと四人は一息ついた。
「さて、どうなる事やら」
「私がここまでしたんです。何もなかったら許せませんわ」
「これで何もなければやはり雑渡も腰抜けた男ということです」
勝ち気なシナと仙蔵に伝蔵は笑う。
「そんな男に半助は任せられんなぁ」
「俺はこれで土井先生の髪質が良くなるなら良いなぁって思います〜」
「それもそうだな。さて、三人とも早朝に悪かったな。何かご馳走しよう」
そう言って皆で長屋へ戻る。休日は始まったばかりだ。