これからも俺の世話をヨロシク「まじで着替えた方がいいって」
余計に酷くなるから、と汗で湿ったシャツを脱がせようと一番上のボタンに手をかけた。
「……いや、大丈夫だ自分で、」
全く力の入っていない大河の右手が俺の手首を掴んだけど、俺は無視してボタンを外していく。大河はそれでも拒もうと手首を掴んだまま離そうとしなかった。もうこれ何回目だよってくらい攻防戦が続いている。ふらふらと今にも倒れそうなんだから一人で着替えられるわけないのに、プライドが邪魔をしているのか。いつもは看病する側だから、か。
湯気が出そうなくらいに熱い顔、うっすらと涙が滲んで見える瞳。いつもビシッと姿勢良く立ち振る舞う人が高熱を出すと、こんなにもギャップがあるんだ。そんなこと言ってる場合じゃないんだけど。
「ほら、腕」
ボタンを全て外すと大河の上半身が服の間から覗いた。適度に筋肉がついていて、薄っぺらい俺の身体とは全然違う。汗ばんだ肌は妖艶に見えて、触れてしまいそうになるのをぐっと堪えた。
大河はやっと観念したのか、言われた通り腕を少しあげて脱ぎやすいようにしてくれた。でも俺と大河じゃ腕の長さが違う。悔しいことに。さらっと脱がせてやりたかったのに、引っかかってしまって仕方なく自分が身体を傾けて背中側から脱がすことにした。
するり、と落ちたシャツを回収するとあらわになった大河の素肌。背中を見たのは、そういえば初めてだ。今まで一度だって、見たことがなかった。
「……」
「っ……! 悪い、気分いいもんじゃないよな」
何も言わない俺に焦った様子の大河は、慌てて俺の手に握られているシャツを奪おうとしたけど俺は華麗に避ける。せっかく脱がしたのにまた着るなんて何考えてんだ。それに気分がいいか悪いかを決めるのだって大河じゃない。俺だ。
「…………別に、」
視線を背中に戻すと、広いキャンバスには鮮やかな色彩が広がっていて目を奪われてしまった。釘付けになった、のほうが合っているかもしれない。
普段からあまり肌を見せないようにしていたのは気付いていた。俺だけではなく、関わりのある人全員が対象。直接言われたわけではないけどその理由も察してた。同じ屋根の下で暮らしていれば、流石に分かってしまう。きっと誓も気付いているけど、あえて口に出していないんだと思う。
大河の生きてきた世界は生半可な気持ちで足を踏み入れていい領域じゃない。縁を切ったとはいえ、そっちの道は表の人間が簡単に近づいていいところではないのだ。
あまりにも普通の、むしろ普通よりも丁寧なヒトとして暮らしているもんだから家系のこと忘れがちだったけど、こんなものを目の前にしたら現実に引き戻されるというか、改めて大河とは住む世界が違うんだと思わされた。
だからといって大河から離れるとか距離を取るとか、そんなことはないんだけど。
むしろ本当の大河をみて、俺は大きく胸が高鳴ってしまった。
「キレイだと思うけど」
「……はるひ」
魅せられた。心に深く刻まれた。これまでの大河の生き様が、脳に流れ込んでくるような不思議な感覚に溺れてしまった。この美しい作品を肌に刻むとき、大河はどんな気持ちだったんだろう。背中一面に広がる壮大な物語は、痛みと引き換えに手に入れたもの。
さっきは耐えることかできた大河への邪な欲は、二度目は駄目だった。目の前にご馳走を出されて我慢できる奴なんて居ないだろう。それと同じで、気付けば大河の許可を得ることもせずゆっくりと指先で輪郭をなぞっていた。
肌に触れたとき、大河は一瞬ぴく、と肩を揺らしたけど、特に何を言うわけでもなく俺の手を受け入れてくれた。止めろ、という元気がないだけの可能性もあるけれど。
「これ、大河が選んだんでしょ」
「……ああ」
大河の存在証明。一人でどでかいもんを背負った証。
背中に飾られていたのは、満開の桜だった。散りゆく花弁は、そのままこぼれ落ちてきそうなくらいにリアルで儚く、俺の指は無意識に連なる花弁たちを追いかけた。こんなにも綺麗な薄桃色の花弁がはらりと落ちてしまうのが勿体なくて、掴めるはずのないそれを受け止めようとしていた。虚しく空に触れるだけで終わったけど、それでいい。
俺の手のひらには花弁の代わりに大河の体温が伝わってきたから。そのままぎゅ、っと握りしめたら自分の熱と混ざり合って、共に溶けた。
幻想的だけどどこか寂しさも垣間見える桜を選んだのは、どんな理由があってなのか。聞きたくても聞けない、これ以上はまだ近付いてはいけないからいつか、そのときが来るまで待つとするか。
もっと触れていたいけど、大河は今、半裸状態だ。早く服を着せないと。悪化したら困るし。ようやく俺は清潔なタオルで大河の汗を拭ってあげて、寝巻のスウェットを上からばさっとかぶせた。
「痛かった?」
「痛くは、ないがもう少し優しくしてくれたら嬉しかった」
「違う、背中の話」
「……そっちか」
「そ。やっぱ痛いんかな、って」
「そりゃまあ、痛いけど」
それはそう。肌に描くなんて、部位やサイズで多少違いはあるだろうけど痛みを伴うに決まっている。気軽にあけれるピアスは一瞬。でもこれは、丁寧に時間をかける分痛みの時間が長い。と、思う。勝手な想像。
「……後悔してんの?」
適当にかぶせたスウェットの裾を整えながら、つい口から出てしまった。こんなこと聞くつもりなんてなかったのに。
「……そう、だな、」
「まった今のナシ。ごめん」
大河が何か言おうとしたけど、俺は食い気味上からかぶせた。だめ。こんな軽い気持ちで聞いていいもんじゃない。ましてや病人なのに。
大河の隠された部分を共有してしまったことで、もっと深く知りたくなってしまった。俺と大河だけしか知らない、二人だけの秘密、なんて甘いもんじゃないけど重たい過去を背負う手助けができたら、いいな、なんて。
大河はもうされるがまま状態になっていて身体の力を抜き全てを俺に託しているようだった。
ちゃんと人に頼れるところもあるんだ。
俺だから、とか?
少しずつ、近付いていけたら。
一歩ずつ、お互い歩み寄れたら。
一緒に住んでいても知らないことが多すぎる俺たちは、端からどう見えているか分からない。家族と呼ぶにはまだ距離がある。友人と言うには近すぎる。それなら。
自分の心は大河に向いていて、大河も俺を意識している。初めはそっぽ向いていた矢印が、いつしか向きを変えた。二人でいると空気が変わるのをお互い感じている。今日秘密を知ってしまったから、もっと親密な関係になったと俺は思うよ。だから大河もそろそろ諦めて自分の気持ちを認めちゃえばいいのに。
素直になるのも大事なことだと思うんだよね。
「大河は働きすぎなんだよ。こんなときくらいゆっくり休んで死ぬほど寝て早く回復して」
「……悪いな、そうさせてもらう」
珍しく素直。無事に着替えを終えて布団に隠れた大河は子供みたいな顔でそう言った。
「……早く治して、俺の面倒みてもらわないと」
悪戯っぽく言ってみたら、大河は一瞬目を見開いてから困ったように眉尻を下げて、「そうだな」と小さく笑いながら呟いて瞳を閉じた。
暫くすると規則正しい寝息が聞こえてきたから眠りについたことに安堵して、俺はなるべく音を立てないように脱いだシャツとタオルを持って立ち上がる。
起きているときは怖い顔してんのに、寝てるときはこんなにも無垢な顔なんて。これもまた秘密を知ってしまったのかもしれない。
これは俺だけしか知らない、特別な秘密。
これからも俺の世話をヨロシク。