「恋する彼女は目を離せずに」 ただ見つめる。
その行為を自身がされたならば「そんなにじっと見ないで」と頬を染め瞳を逸らすに違いない。
そう思うのに、久しぶりに一緒に過ごせる──その事に浮かれてそんな簡単な事に思い至れなかったイングリットは食後の菓子と紅茶を待つ間、目の前の恋人に碧色が生むまなざしをただ注いでいた。
見つめる先はどちらかと言えば薄い唇のあたり。
かつては軽薄な甘い言葉で多くの女性を口説き、そうかと思えば落ち込んだ時には励ましてくれ、今ではあれだけ一人に定めずに放っていた言葉たちを愛を込めて自分にだけ告げてくれる。さらに言えばくちづけまで。
こうしてほんの束の間過去を振り返るだけで彼の変化には驚かされ、それは今日とて例外ではなく、だがその一方で考えもしなかった相手と恋に落ちた自分も随分と変わったものだとイングリットは自覚させられるのだ。
「何だよ。じっとこっちを見て。って、あー……そうか。俺に見惚れちまったとか?」
今日は少しいい店だからって気合を入れたからな、と続いた言葉は些か早口で、自ら口にしておきながらその顔は明らかに赤い。
以前ならすました顔で口説き文句としていたような言葉を今は照れ隠しに使っているなどと、きっと過去のシルヴァン自身は想像もしなかっただろう。
落ち着いた明かりの中だから隠せると思ったら大間違いよ、とイングリットは指摘しようとしてそれをこくりと飲み込む。
告げてもよかったが、そうしたなら更に赤面は酷くなって彼は言葉を失ってしまうに違いない。もごもごと動いた唇がこの先何を紡ぐのか──今はもう少しだけ彼女はそれが気になった。
「違うわよ。ここにソースがついてる」
自分の唇の隣を示しながらイングリットがくすりと笑うと、盛大な勘違いをしたとばかりにシルヴァンの手の甲が口元を拭った。
先程とは違う照れた表情でとれたかと訊かれ、頷きながらまたイングリットは笑う。
自分より綺麗な所作で食事をする彼の口元が汚れる事など滅多にない。それを知る彼女がつい食べる事に夢中になり時折言われるその台詞は、見つめていた事を隠す為の小さな嘘だ。
嘘よ、とはおそらく今日もこの先も告げる事はない。
こうして向かい合っていると、時々目が離せなくなる。昔から今の変化を思って、その唇がくれた言葉を並べたりして、気づけばこの後でくれるかもしれない囁きやくちづけへの期待が胸の奥に咲いていた。
イングリットはその本心をもどうにか微笑みの裏に隠し「初めて食べる菓子だから楽しみね」と恋人に告げる。
その言葉に小さくシルヴァンの唇は「お、おう」とだけ短く刻んで、イングリットは目が離せない彼の口元をなお見つめたまま、自分にもそう余裕があるわけではないのだと熱くなった胸中と頬とで自覚するのだった。
End.