しあわせな男:モブ+司(司レオ) 人を傷つけ貶めて、そのまま晒しあげて逃げ去るような、そんな残酷なことをしでかした人間が、幸せになんてなれるものか。
もしもそんな物語があったとして、俺だったら「加害者に甘すぎて胸糞が悪い」と酷評することだろう。けれども、そんな風に、ともすれば後ろ指を指され糾弾されるような所業を為した自分はと言えば、驚くべきことに幸せになってしまった。
あの輝かしくも苦々しい青春以上の幸福なんて、この先の人生には存在し得ないものだとばかり思っていた。
堕落と後悔から逃げ延びた先で、思いがけずに出会えた人が居た。
そうしてもうじき、俺には繋ぐべき手がひとつ増える。
もしも突然、過去の報いに追いつかれて、例えば死に至ったとして、「まあ仕方ない」と納得してしまうだろうくらいには幸せだ。遺していく家族には申し訳が立たないが。
――そうしてその日。
「こんにちは、お久しぶりです」
私のこと、分かりますか、と。
蘇芳色の髪を風に撫ぜられ、声を掛けてきた青年の姿を見て、俺は思わぬ形で過去に追いつかれたことを知った。
♪
「あんた、飲み過ぎだよ」
迷い込んできた未成年に絡むもんだからヒヤヒヤした、と鈍痛に頭を抱えた自分に掛けられた声は、そのバーのマスターのものだった。
夢を見ていた。
いや、もしかしたら夢ではなかったのかもしれない。
あいつが居たのだ。
歳下の天才児。既に単独で仕事を取れるような作曲家で、それでいて、踊らせれば動きのキレが凄まじかった。笑顔はキラキラと輝くようで、観客も釣られて笑顔にしてしまえるような、とても「優秀な」アイドル。
いつの間にやら祭り上げられるようにその座に居た、我らがリーダー。我らが、王さま。
自分はだらだらと留年していたから、学年の違いは一つだけだった。気さくに、誰に対しても友達のように接してくる彼は、何より純真だった。
後悔をしている。
彼を利用したことを。傷つけて、その笑顔を曇らせたことを。
そうだ、確かにそこにいたのはあいつだった。
意志の強い瞳で、それでいて、さ迷っている。傷ついていて、それでもどうにか立とうとしている。
そんな、自分が背を向けた当時の彼そのものが、そこにいた、ような気がしたから。
あいつは、俺たちとは明らかに違っていた。
この先もずっとステージで歌っていられる人間だった。
そして、自分が「そう」では無いと気づいた瞬間に、楽しそうな笑顔が憎らしくてたまらなくなった。
王よ!王よ!
大嫌いで大好き!
あなたが憎らしくて大好き!
疎ましくて、愛おしい……!
――後悔を、している。
♪
「……あの時、月永と会ったような気がしてたんだ。そんなはずないって、分かってたはずなのにな」
付近の公園のベンチに並んで腰掛けて、手渡された缶コーヒーを共に啜る。遊具で遊ぶ子どもたちの無邪気な喧騒に、ノスタルジックな気持ちを呼び起こされるようだ。
「相当、酔っておられましたよね。話の脈絡も滅茶苦茶でしたし」
「ああ……あの頃は自暴自棄だった。今はもう、あんな無茶な飲み方はしないさ」
青年――朱桜司の存在は、さほど熱心にアイドルの情報を追っている訳ではない自分でも、知らないはずがなかった。
彼こそが、今のKnightsの「王さま」だ。
そして、どうやら俺がかつて出会って、そんな戴冠の成立に一役買ったのだと言う。
「貴方のおかげで、私は、思いがけない運命に出会えた」
いくつだったか、年の開きがあるはずのその男は、まだ成人していなかったように記憶しているが、年齢よりも大人びていると感じる。
「貴方からいただいたものは、結果的に、私に欠けているものを自覚させ、鎮め、求める方へ導いてくれるものでした」
そっと伺い見た横顔は、遠くを見るように目を細めている。
何を欠くものがあったのか、と思ってしまうくらいには、彼は華々しく、自信に満ち溢れて見えた。それでも、俺は知っているはずだった。あの月永レオだって、傷つき、疲弊したことがあったのだ。
「あのCDが無ければ、私はKnightsの『王さま』でも、新興芸能事務所New Dimensionの代表でもなく、ただ、朱桜家の当主だったかもしれない。……好敵手を嗤って、感じた違和感に蓋をしたままで。それだってきっと充実した日々を過ごしただろう自負はありますが、それでも」
ぱちりと瞳が閉じ、それがまたゆっくりと開かれた。言葉の続きを静かに待っていると、彼はこちらにゆっくりと向き直る。
「今がとても、幸せだから。こう在れて良かったと思っているから。いつか貴方にお礼が言いたかったのです」
穏やかな微笑みを讃えて、そのままそっと頭を下げたものだから、綺麗なつむじが見てとれた。
「貴方がかつて何をして……それを、レオさんや瀬名先輩がどう思っているかは分かりませんし、そこは私が語るべきことではありません」
こうして礼を言うために、俺の所在を「調べさせた」のだと、そいつは事もなげに言う。
しかし、きっと俺は、そうして訪ねてくる人をこそ待っていたような気がした。少なくとも、月永も瀬名も、そんなことはしないって分かってただろうに。
「……俺は、いま、とても幸せで」
震えるように喉からこぼれ落ちたのは、自分でも思いがけない言葉だった。
「……本当に、不思議なくらい、幸せで。だから、それでいいのか? と思う時が、ある」
絞り出すような声は、坂を転がるように止まらなかった。
「受けるべき罰を、贖罪を、棚上げしているようで……もしくは、俺の後悔なんて、と世界から軽んじられているようで。ああ、何を言ってんだろうな……こんなこと、月永には聞かせられない」
たぽんとコーヒーが缶の中で翻って、手の甲に黒い雫が落ちる。
「罰を欲してしまう……そして、この気持ちを軽んじられなくない。なし崩しに許して欲しくはないんだ。あいつには、それが、できてしまいそうで……」
ああ、本当に何を話してるんだろう。俺は結局、独りよがりで最低だ。
目の前のこいつは、かつての夢ノ咲の惨状を、Knightsと呼ばれるユニットが結成されるまでの経緯を、どこまで知っているのだろう。それでも、その玉座にいるのなら当然、知っていることも多いのだろう。
あの頃の学院は、青春は、決して眩く輝かしいものではなくて、他ならぬ俺たちが、そうした有り様を形作っていた。
さわさわと葉擦れの音が聞こえる。
横たわる沈黙はどこまでも長閑で、血を吐くような懺悔は、この午後に似つかわしくないと思った。
彼は、俺が落ち着くのを待っていたのだろうか。顔を覆うようにして項垂れていた肩に、そっと手の重みが掛かったのが分かる。
「――では、聴いて」
私達の歌を、と。
凛とした声が、射止めるように響いた。
「一介の騎士に王座を譲り渡して、かつての貴方の『王さま』では無くなったあの人が、舞台の上で歌って、踊って、笑っているのを見て。決して目を逸らさないで、私達をどうか応援してください」
思わず顔を上げれば、目に入った輝くような瞳が、不意に記憶を引き戻す。
過去の月永とその様相が重なって、思わず目を瞬かせた。
「それが、贖罪の方法、というのは如何ですか?」
今のKnightsをよく知っている訳ではなかった。かつての苦い青春の残滓として、リーダーの交代を知っていた程度だった。
それでも、この王の姿を見て、なんとなく、今の彼らの在り方が分かったような気になってしまう。
「……ああ、それはなかなかにキツいな」
俺が仕えることのなかった王。
かつての俺たちの王の――月永レオの王冠を継いだ男。
その命を受けて、俺は無意識に、左胸に手を当てて頭を下げた。
かつての騎士ごっこの名残のように。
♪
その後、妻と子どもが揃って彼らに熱を上げるようになり、彼らの版図の広大さを思い知ることになる。
♪♪♪
「すみません、野暮用で……今終わったので向かいますね」
レオさん、と付け加えられた呼びかけから、月永と話しているのだと言うことが分かった。
突然の邂逅から別れた直後、遠目で微かに拾った通話内容だった。
「……ええ、はい。楽しみにしています」
ふわり、と花が綻ぶように笑うその表情は年相応に見えて、ああ、その玉座はきっと孤独ではないのだ、と思った。
【終】
追憶セレクションチェクメこわいよ〜〜〜〜