よく似た後ろ姿を見過ごせなくてそれを見つけたのは偶然だった。
保育室に灯りが灯っているのに気がついて、覗き込んだ。
いつもはそんなことしないんだけど、ふと気になったから。
ここは七種先輩の建てた保育室で、他のアイドルの子どもたちや職員やプロデューサーたちの子どもが18歳まで通うことができる。
保育室に所属しておけばESにかなり自由に出入りができるので、利用はしていないけど所属している子どもはかなり多いと聞く。
そんな中で、その子はひとりぼっちだった。
パズルをしているその背中が小さく、寂しそうで。
僕に気がついたその子が振り返って、思わず目をぱちくりと瞬きしてしまった。
だって、七種先輩とあまりにもうりふたつだったから。
「弓弦!」
スタプロに駆け込んで、弓弦のデスクにバン!と手をつく。
弓弦はアイドルだけど、事務仕事もする。僕たちfineのリーダーである英智さまはスタプロの運営だけで手一杯だから、fineのスケジュール管理などは弓弦がやっているのだ。
コズプロとかだとマネージャーさんがやってくれたりするらしいけど、うちやニューディは基本アイドル主導だしね。
「今日、七種先輩は?」
「いつも通り仕事だと思いますけど……突然どうされましたか?」
「ユリカちゃんがひとりぼっちなんだけど」
は?と弓弦はぽかんとしている。
僕はユリカちゃんとはほとんど会ったことがない。弓弦も七種先輩も、いつもはなんにもないかのように振る舞うから。
だけど、偶然ユリカちゃんを見かけたことがあるという天城とか、コズプロ所属の双子から七種先輩にそっくりだということはよく聞いていた。
弓弦がボクの前から突然消えてしまった前。つまり、あの弓弦がまだ子どもらしくて、年相応に泣いたり笑ってたりした頃。
その時に一度だけ見た、ひとりぼっちで遊ぶ弓弦の後ろ姿にそっくりだった。
兄のように大きく見えた背中がその時だけは小さく見えた記憶がある。
弓弦もボクも置いていかれることには慣れていて、きっとあのときの弓弦も寂しいなんて心のどこかでは思っていても、感じてはいなかったと思う。
七種先輩も昔の弓弦を知ってるのかもしれないけどさ。ボクはもっと昔から弓弦を知ってるから、あの子がユリカちゃんだってすぐにわかった。
「いえ、しかし、」
弓弦は戸惑っているみたいだった。
ボクを、fineを、スタプロを、この件に関わらせたくない弓弦の気持ちはわかる。でもさ、ユリカちゃんに罪はないじゃん。
小さな頃の弓弦にそっくりな後ろ姿を見ちゃったんだ。ボクは弓弦が大好きだから、弓弦にそっくりなあの子を無視なんてできない。お金持ちのお気楽な考えって言われても、それでいい。事実だもん。
七種先輩に聞いてくる。弓弦が止める声は聞こえないふりをして、ボクはタイミングよくきたエレベーターに乗り込んだ。
シックでモダンなコズプロの事務所は、あんまり頻繁にくるところじゃない。
今日は他に見知ったアイドルもいなくて、きょろきょろと辺りを見渡していると奥から見覚えのある青髪が歩いてくるのが見えた。漣先輩。Edenの先輩ならこれ以上ない適任だった。
「七種先輩、いますか」
「茨っすか?確か19時からオンライン会議っつってましたけど。まだ副所長室にいるんじゃないっすかね」
レッスン着の漣先輩が不思議そうに言う。
「珍しいっすね」
「弓弦が七種先輩には関わるなっていうから……普段っていうか、昔から」
「ああ〜〜……」
過保護な伏見さんらしいっすね、と漣先輩は苦笑した。
そういえばそうだ、弓弦はいつもボクに対してこれ以上ないほどに過保護なのに、ユリカちゃんに対してはそうでもなさそう。
なんでだろう?家族なら、仲良いものでしょ?
副所長室の扉をノックする。
ここにくるのははじめてだ。
はい、どうぞという七種先輩の声が聞こえて扉を開ける。現れたボクの姿に驚いた様子の七種先輩が目を丸くしていた。
ゴクリ、と息を呑む。
あんまり話したことがないから、ボクはあんまり七種先輩が得意じゃない。
「あの、七種先輩、一つ提案があって」
「はあ……?はい、なんでしょう」
「七種先輩、毎日お仕事で忙しいでしょ。だから、ユリカちゃんと、ボクの家で一緒にご飯食べたいなって……」
「突然一体……」
「一人でいるユリカちゃんをみて、居ても立っても居られなくなって。ひとりぼっちでご飯を食べる寂しさは、ボクも知ってるから」
弓弦の家族なら、ボクの家族だもん。
七種先輩と弓弦さえよければ、ボクはユリカちゃんのそばにいたい。
「……」
「夜、遅くなる前に。七種先輩が家に帰るまでには、弓弦と一緒に返すから」
しばらく続く沈黙。
七種先輩は考え込んでいるようだった。
「……お気持ちは嬉しいですが、返せるものが何もございませんので」
「お返し?」
「ええ、無償でお願いするわけにもいきませんから」
お金など、もらってもいらないでしょう?と七種先輩が言った。
「そんなこと言ったらボクだって、弓弦のことを一日中連れ回してる」
「それはあれが望んでいることでしょう」
「七種先輩はそれでいいのかもしれないけど、ユリカちゃんは関係ない」
ボクは弓弦と七種先輩の関係についてよく知らないけど、ボクだったらパパとママと一緒にいられたら嬉しいもん。
「どうしてそこまで」
困惑した七種先輩がそう聞いてくる。
「家族は一緒にいた方が幸せでしょ」
子どもは誰だって、パパとママと一緒にいたいって思うものだから。
七種先輩がお仕事で忙しいなら、ボクが代わりになってあげたい。
ユリカちゃんを抱いた弓弦がスタプロのフロアに入ったことに気づいたボクは、すぐに事務所から飛び出した。
七種先輩にそっくりの青い瞳がボクを見つめて、『さっきの人』と小さな唇が動く。
「ボクは姫宮桃李だよ。よろしくね、ユリカちゃん!」
弓弦に帰る支度をするよう指示を出す。
普段、ボクの領域に弓弦は手を出すけど、ボクが弓弦の領域に手を出すことはないから弓弦の帰り支度は弓弦がするしかない。
ボクだって妹がいるし、子供の相手は慣れている方だ。女の子なら尚更慣れている方だと思う。
ユリカちゃんの手を引いて、事務所の目の前のベンチに腰掛ける。
事務所の出入り口から、トリスタやら流星隊やら、心配性なやつらがこちらをちらちらと伺っている。
そんな中を氷鷹先輩だけがこちらまでやってきた。
「これをやろう」
いつもよりも優しい顔で差し出してきたのは、お決まりの金平糖。
受け取ったユリカちゃんが、食べてもいいかとボクを見上げる。
どうしよう、アレルギーとかあるかなぁ。まあ、金平糖なんて砂糖しか入ってないけどさ。
「食べたこと、ある?」
こくん、と頷くユリカちゃん。
まあ、しばらく弓弦は帰ってこないだろう。
「ボクとユリカちゃんの秘密だよ」
そういうことにして、ボクはユリカちゃんの口の中に金平糖をころんといれた。
足をばたばたとふって、嬉しそうなユリカちゃんに笑みがこぼれる。
それからはちょこちょことアイドルたちが外に出てきて、ユリカちゃんに構っていった。
元々孤児院育ちだと聞いているから、大人と遊ぶのは慣れているのか、誰にも人懐こくていい子だ。