ぼくにはわかる「アヤちゃんの、こ、子供!?」
「そんな訳ないでしょ!弟よ!」
その日の部活は急遽前日に、午前と午後で体育館の使用スケジュールが変更となった。とはいえ、やることはいつも通りとドアを開けたリョータの目に飛び込んだのは小さな子どもを抱えた彩子の姿だった。
「ほら、かいちゃん、ご挨拶は?」
「あい」
彩子に抱えられた男の子は小さく返事はしたものの、声を出さずに口をパクパクと動かすだけだった。
「ごめん、人見知りみたい」
男の子はリョータの顔をチラリと見たあとに彩子の肩に顔を埋めた。
「あぁ、うん」
リョータは羨ましさで、奥歯を噛み締めた。
「かいちゃん、あのお兄ちゃんはねぇねのお友達よ」
「オトモダチ……」
彩子の表現には引っかかったが、リョータは初めて見る彩子の弟に興味津々だった。年の離れた弟がいるとはきいていたが、ここまで離れているとは驚きだった。
「アヤちゃん、この子、いくつ?名前は?」
「海の人でかいと、3歳よ」
「おぉ、うみんちゅ」
「いや、かいとだからね?」
すると他の部員たちも「こどもがいる」とざわつき始めた。
「みんな、今日はごめんね、元々両親が出かけるから私が見る予定だったの。部活休むか、連れてくるかで先生に相談したら連れてきていいって言うから」
彩子が申し訳無さそうにすると、リョータは人の気配を感じて振り返った。
「前よりでっかくなってる」
「かいちゃん、ほら、楓お兄ちゃんよ」
流川は海人と会ったことがあるようで、彩子の肩から顔を上げた。
「かで?」
「うす」
家が近いことが許せないとリョータは拳を握る。羨ましすぎる、流川のヤロー、と。とはいえ、流川も子供の扱いには慣れてないようで挨拶以上の交流は無かった。お互いにじっと目を合わせ合うだけだった。
練習が始まると、海人は1人で静かに図鑑を読んでいた。彩子の話だと、年が離れているので家でも1人で遊ぶことが多いそうだ。彼のブームはサメで、海の生き物図鑑を広げていた。
休憩時間にリョータは彩子の隣に腰を下ろした。
「お父さん、お母さんはどうしたの?」
「デートよ。結婚記念日なの今日」
「へぇ」
リョータは寂しそうな母の背中を思い出して、それ以上の言葉は出なかった。
「うち、母が1回失敗してて、海人の父とは2回目なのよ。それで、年離れてるの私達」
彩子はノートに練習の様子を書きながら、さらっと呟いた。リョータは持っていたボールをコロコロと転がしながら話を聞いた。
「そうなんだ。つか、何でそんな話、俺にしてくれたの?」
デリケートな話題でもあり、誰でも知っているような内容では無かった。実際、リョータもこれまで知らなかった。年の離れた弟がいること、両親は姉さん女房だということは今までの会話の中で知っていたが、リョータも変に話題を振って自分の家族の話をするのは苦手だったので、家族の話題を突っ込んだことはない。それは彩子以外の相手であっても。
「何でだろ?なんか、リョータが聞きたそうな顔してたから?」
リョータはどんな顔してたかな、と、自分の頬に触れた。
「10歳以上の離れてるとさ、何でもやらされたわよ。オムツ替えとかさ、ミルクあげたりとか」
学業は成績優秀、部活のマネージャー業もこなす彩子は小さな弟の面倒まで見ていたとはリョータはただただ尊敬した。
「すごいね、アヤちゃんは」
「そう?ありがと」
彩子は褒められたことが嬉しいのか、頬を緩めてリョータに視線を送った。
可愛い、そして、美しい。天使だと思っていたが、これは女神だったかもしれない、いやむしろ両方だ。リョータの頭の中に、彩子を褒める言葉が広がるが、その言葉は熱を持っているかのようで喉で溶けて口から出せなかった。
「まぁ、いつか結婚して子供出来ても、海人で練習してる分、少し楽できそうだし」
彩子は正面を向き直すと、遠くを見ながら呟いた。
「はぁ!?け、結婚!!?」
「何?何でリョータが驚いてるのよ?」
リョータは真っ赤な顔をして、立ち上がった。
「いやぁ、だって俺たちまだ高校生だよ!?」
「俺たちって何よ?」
相手の特定はしていなかった彩子は目を細めて、リョータを睨みつけた。
「あっ、いや、ごめん……ちょっと動揺しちゃって、アヤちゃんが結婚とか言うから……」
「いつか、って言ってるじゃない。相手どんな人になるかもわからないのに」
「そうだよね、ゴメン……」
リョータは背中を丸めながら再び腰を下ろした。同時に彩子はドリンクの補充の為に体育館から離れた。
自分だって同世代の男にしては家事ができる自信がある。母は仕事で帰りの遅いこともあるので、簡単な料理ならできるし、男手がリョータしかない宮城家では、高いところの掃除や家電の配線や設定はリョータが行ってきたのだから。
もし、自分が彩子と結婚したなら、きっと他の相手より楽させてあげられるんじゃないか?と夢を見た。
好きなんだから、付き合うことや結婚することを夢見たことはこれまでもあったが今日ほど具体的に夢見たことはなかった。
丸くなったリョータがため息をつくと、とんとんと背中を叩かれた。普段感じない力加減にリョータはすぐに相手がわかった。
「げんきない?」
「元気だよ」
背中を叩いたのは海人だった。
「ねぇねはずっとげんき」
「そうだね」
リョータは目線が合うよう、背中を丸めたまま尋ねた。
「海人くんはねぇね、好き?」
「メガロドンよりねぇね」
海人の言った意味はわからなかったが、それよりも彩子の方が好きと言う意味だろうと察した。
「メガロドンとねぇね、どっち好き?」
リョータがこの質問をされて迷うとしたら、それは唯一、バスケだろう。
「ねぇねだね」
にこりと笑って、海人の頭を撫でた。
「おなじ〜」
笑うリョータを見て、海人も安心したのか笑った。
すると、ドリンクを抱えた彩子が戻ってきたので、リョータは立ち上がった。
「アヤちゃん、ありがとう。半分持つよ」
「ありがとう。助かるわ」
他の人とリョータでは姉に向けられている感情が少し違うことを感じ、海人は隣同士に並ぶ2人を見ながら、飛び跳ねて喜んだ。