特効薬 いくらなんでもバカだろ。一発ぶん殴ってやろう。喧嘩をしない俺だってそう思うくらいなのに、お見舞いに行ってその気は失せた。
俺が思っていた以上にリョータが弱って見えたからだ。
リョータが2年の不良と喧嘩して、謹慎をくらったのが3日前。そのまま大人しくしていれば、1週間で謹慎が明けるはずがバイクで事故だなんて。「ごめんね、リョーちゃんの友達で連絡先わかるのヤスだけだから」と声を震わせながら電話してきたアンナちゃんの気持ちも考えてあげてほしい。
「ヤダ、思ってた以上に重症じゃん。 大丈夫なの?」
「ね。 今は寝てるみたいだけどね」
「バスケ、できるんのかしら?」
「まぁ、やるだろうけどね。 リョータが辞めるわけ無いよ、バスケを」
「それもそうね」
面会時間に間に合うよう部活を早めに切り上げ、お見舞いに来た俺と彩子は病室にある小さな椅子に腰掛けた。4人部屋だが、部屋の入れ替えがあり今日だけは個室状態なので周りを気にせず話せるのは助かった。
「どうする? このまま起きなかったら?」
「おばさんと妹さんがおばさんの仕事終わっらた来るって言ってたし、伝えてもらうとか」
「ヤっちゃんはリョータのお母さんと妹さんとも会ったことあるのね」
「うん。 中学の時は、家にも遊びに行ってたし。 おばさんが仕事で忙しい時、夏休みとかさ妹さんも家来てもらったこともあったし。 彩子も聞いたことあると思うけど、リョータの家、お母さん、1人だからさ。 沖縄から引っ越してきたから、こっちに知り合いも少ないし」
病院独特の空気感が嫌で、俺はつい、言い過ぎたと、反省した。それでも、彩子もリョータの家族のことは知っていたようで「そうね」と静かに立ち上がり、窓を少しだけ開けた。冬の夜の空気は冷たい。
「寒いけど、ちょっとだけ換気しよう。 どうせ、リョータは寝っぱなしで、そんな事気にしてないだろうけど」
彩子の視線は高く上を向き、遠くを見ているようだった。
リョータの事故と入院が発覚した後、学校は家族が連絡したが、俺は部長である赤木さんに連絡をした。「あのバカ」と悲しそうな声で怒っていた。しばらくリョータは部活には来れないこと、明日、お見舞いに行くので部活を早く上がりたいと伝えると「彩子も連れていけ、それが一番効くだろう」と呟いた。翌日、彩子にも同じ内容を伝えると深いため息をついて「一緒にぶん殴ろう」と言った。
それでも、彩子も俺と同じで、静かに眠るリョータを見てその気は無くなったようだ。
「あー! ヤス!!」
「あら」
病室のドアが開くと、そこから元気な声がした。おばさんとアンナちゃんもやってきたのだ。俺は立ち上がり、頭を下げた。
「あら、あちらは? 湘北の制服よね? えーっと……」
「彩子です。 バスケ部のマネージャーをしています」
窓の前で彩子が振り返ると、おばさんは少し驚いた表情をしたが、俺が紹介するよりも早く彩子は2人に頭を下げた。
「あ!ほら、おかーさん、あの、写真の! リョーちゃんの部屋の! ほら!」
何かを思い出したアンナちゃんが、目を飛び出そうなほど大きく広げておばさんに耳打ちした。リョータ、部屋に彩子の写真、飾ってたのか……
「え?」
「あ、いえ。 なんでもないです。 いつもリョータがお世話になってます」
「はい、マネージャーなので、お世話してます!」
暗い病室に光が射したかのように、彩子はカラっと笑った。
「それで、リョータの入院はどのくらいなんですか?」
「入院は2週間くらいだけど、退院してもしばらく安静だから。 部活にはしばらく参加できないと思うの」
「私さー、思うんだけど、部活できないならリョーちゃん、学校行かないんじゃない? だってリョーちゃん、部活の為に学校行ってるようなもんじゃん」
アンナちゃんの発言に、彩子も奥で頷いていた。
「それに、その……喧嘩した先輩って、3年生じゃなく2年生なのよね? まだいるって事でしょ?」
そうだ、俺も心配なのはそこだった。今は2月の末。3年生であれば、間もなく卒業で問題は無いが、リョータの喧嘩相手は2年だ。1年間、トラブル無く過ごせる保証など無いのだ。
病室に重い空気が流れると、カサカサとシーツの掠れる音がしてリョータが目を覚ました。
「ん? ヤス…アヤ、ちゃん?」
「リョーちゃん、良かったね。 優しいお友達がお見舞いに来てくれて〜」
目を覚ましたリョータにアンナちゃんが駆け寄った。リョータはアンナちゃんに支えられて、体を起こした。俯いて、俺とも彩子とも目を合わせない。その様子をそばで見ていたアンナちゃんが、みんなに聞こえるように大きなため息をついた。すると今度は、何かを思いついたように目を輝かせて俺の側にやってきた。
「あー、私、喉乾いたな〜。 ヤス、ジュース買ってよ〜」
「えぇ? 俺、奢るほどお金無いよ」
なぜかわざとらしく言うと、俺の手を掴んで引っ張った。どうやら俺を病室から出したいらしい。でも、何で? せっかくお見舞いに来たのに。
「いいわ、2人の分は私が出すから」
困っていると、おばさんがカバンを掴んだのでアンナちゃんは俺を掴んでいない手でおばさんの服を掴んだ。
「じゃ、お母さんも一緒に自販機行こう!」
俺はようやく、アンナちゃんのしたことがわかった。初対面でアンナちゃんやおばさんとの距離感に困っている彩子に向かって俺は早口で伝えた。急がないと、彩子も一緒に行く、となってはアンナちゃんの気遣いが台無しだ。
「あ、彩子は、甘くないヤツでいい?」
「え? うん」
「じゃ、彩子は病室にいてね! リョータ1人じゃ寂しいだろうし」
「は? オイ、ヤス!」
リョータの怒った声がするが、怖くない。リョータはまだ動けないんだし。
気まずい。好きな子と二人っきりなんて、憧れのシチュエーションなのに。俺はまだベッドから自由に動けない。
「痛い?」
「うん。 まだ」
アヤちゃんは静かに窓を閉めた。いや、いつの間に開けてたんだよって話だけど。
「バカね。 知ってたけど」
返す言葉も無い。
「心配かけてゴメンね」
黙っているわけにもいかず、どうにか言葉を絞り出した。
「そう思うなら、もう喧嘩もしないこと。 バイクも乗らないことね」
アヤちゃんは振り返って、怒るわけでも、悲しむわけでもない。いつも通り、部活のメニューの話をする時とか、宿題やったかとかそんな話をする時みたいに言った。
「はい……」
「わかればよろしい!」
アヤちゃんはベッドの横の椅子に腰掛けた。
「私の前でカッコつけても無駄だからね。 そもそも部活でミスってる姿とかカッコ悪いリョータも何回も見てるんだし」
「いや、え? 何の話?」
「男ってさ、女の子の前でカッコつけるじゃない?」
「まぁ、そりゃカッコいいって思われたいじゃん」
好きな子相手なら、特に。
「だから、私の前でカッコつけても無駄だから。 ダサいリョータ見ても、友達、やめたりしないし。 わかってると思うけど、ヤっちゃんもそうよ。だから、1人なウジウジ悩むくらいなら話しなさいよ」
「……ありがと」
友達、か。
数秒、沈黙したあと、またアヤちゃんが口を開いた。
「リョータ、沖縄産まれなの?」
「あ、うん。 何? 急に」
「さっき、ヤっちゃんから聞いて。 たまに帰ってんの?」
「いや」
2人でどんな話したんだ、気になる。
「1回さ、帰ってみたら? ふるさとの海でもみたら、もうバカな気も起きないんじゃない?」
沖縄の海か。アヤちゃんはなんてことのない、世間話のように話すし、きっとテレビや写真で見るような沖縄のきれいな海を想像してるんだと思う。でも、沖縄の海はきれいなだけじゃないんだよ。
「私さ、あの穴の空いてないドーナツみたいの食べたい。 行ったら買ってきてよ?」
「サーターアンダギー?」
「あ、それ!今、ちょっと本場のイントネーションだったし」
「そう?」
「ね、もう1回言ってよ」
「や、もういいよ」
誂われてるみたいで恥ずかしい。今はまだ手もうまく動かせないので、下を向いてごまかすしかない。
でも、そうか。沖縄、1回帰ってみるのもいいかもな。
ジュースを買って戻ると、病室はさっきまでとは違い少し明るい雰囲気になっていた。アンナちゃんはその様子に満足したようで、ニヤリと笑ってリョータに視線を送っていた。リョータもその意味がわかったようで、照れ隠しにめんどくさそうな顔をした。
「彩子、コーヒーでいい?」
「うん、ありがとう。 じゃ、そろそろ私たちは帰ろっか」
そう言って立ち上がった彩子は、おばさんに「ごちそうさまです」と頭を下げた。
「じゃ、リョータ、また来るから」
「いいよ、もう来なくて」
俺が手を降ると、リョータは唇を尖らせた。本当は来てほしいくせに。
でも、俺は病室を出る前と、戻った後でリョータの表情が変わったのがわかった。やっぱり、赤木さんの言う通りだ。彩子が一番効くみたい。