となりにひとがいるだけで「格好つけというのだ」
「……比治山くんに言われたくないよ」
人の性質はある程度遺伝によって左右されるという。
沖野司は勤勉だが、オリジナルの沖野司は不真面目だったらしい。
果たしてどちらが沖野司の本質なのか。
ベッドから起き上がる様子もなく寝転んでいる……クッションに埋もれて溶けていると言った方が正確な相方の姿を前に比治山は短く息を吐いた。
「貴様が本当はだらしがなくて寝汚い人間なのはとうに知っている」
「……別に寝汚くはない。朝に弱いのと、根本的に睡眠時間が足りていないだけで」
そうは言いつつ、まだ起きる気はなさそうだ。二度寝をする気もなさそうだが、右に左に寝返りして収まりの良い場所を探す様子は断固としてここから離れないと宣言していた。しかし時間はもう昼過ぎになる。
沖野がこうなったのはつい最近のことだ。
セクター4が復旧し、紆余曲折あった比治山との関係に恋人の名前がついてしばらく。互いの性格の難というものを概ね知って、緊張やときめきよりも気安さが勝ってきた頃から沖野の怠惰は現れ始めた。
大きな案件を終えた後の休日になるとこの通り、気が済むまで動かないということが多々ある。
食事や散歩に誘えば起きて来るのだが、どうも本調子ではないようなので最近はそっとするようにしている。いつまでも起きてこない沖野に何か食べろとベッドまで食事を持って行ったのも一度や二度ではない。
廃工場をアジトとしていた日々とはあべこべだ。
柔らかな頬に指を伸ばして突いてみると「うぅ……」とやる気のない抗議が上がった。
「頭では分かっているつもりだ……。起きなきゃいけないのも、そうでなければ君に世話をかけることも」
「貴様は働き過ぎだ、少しくらい休んでも罰は当たらん」
「……君が退屈だろう」
「そんなことは……、いや、まぁ」
誘われるまま寝床に引っ張り込まれたこともあったが、ただ横になっているよりも怠惰で放蕩な結果になり、休暇明けに差し障ったので比治山は頑として拒んでいる。
出会った頃の沖野は勤勉で、寝食の頻度はともかく生活習慣に関しては几帳面な印象のある人間だった。女装して人をたぶらかすようなところがなければ真面目な奴とでも評していただろう。
だが考えてもみれば彼も必死だったのだ。なりふりを構わず、自身を投げうってただ一人で勝利のために奔走していた。
随分と気を張っていたのであろう。
新天地での生活でも当初は生存に必要なデータの解析とシステム構築にかかりきりになっていた。必要なものはいくらでもあった。
相当のアーカイブはあったため、そこからの取捨選択と、地球での設計がそのまま使えないようなものは沖野が改修を請け負った。
皆がスケジュールを共有するためのツール、地図を用いた位置情報システム、無線通信のための中継器。
情報工学は専門ではないと言いつつも、機兵設計やインナーロシター絡みの知識から応用が利くと言って独学で習得していった。
沖野が変わったのはその方面で頭角を現した網口に作業の一部を引き継いで、機械工学に集中できるようになってから、だろうか。
仲間の皆が重要な頭脳の一人として沖野を頼っている。
加えて凝り性で、依頼事に必要要件以上のものを出すから重宝がられている。
それ自体は恋人として鼻が高い。
だがどうにも、皆と居る時の沖野は以前と変わらず一線を引き、無理をしているように見えた。
甘えているかのようなこの態度も気疲れの現れだとしたら、比治山は何をしてやれるだろうか。
頬にかかって口に入りそうになっている髪をそっと耳にかけてやると、眠るでもなく目を瞑った。
「だめだな、僕は」
隣に人がいるだけできちんとしなければならないと感じる。
セクター1の沖野司は何不自由ない家庭で育てられた。理性的な両親、十分以上の教育、正しい生活習慣に行き届いた礼儀作法の躾。それらは別に苦ではなかった。
けれどどこか「きちんとしなければならない」という感覚が付きまとっていた。
沖野にとってそれらは習慣ではなく、食事と同様に必要だから行うものだ。怠惰に見られたくはないし、信用や対人関係に重要な振る舞いであるのは理解する。
つまり比治山が言うような、朝早く起きると気分が良いだとか、掃除をすると気が引き締まるとか、そういったことは実のところよく分からない。効率的だという話なら同意するが、ある程度以上に面倒なことであり、意中の相手である比治山に許容されてしまってはもう、駄目だった。
嫌われないことが分かって糸が切れた。
おそらくそれまでが何につけても過剰だったのだ。
生まれ持った容姿の影響もあるかもしれない。
沖野の中性的な外見は体格や顔つきによって実際の年齢より幼く見られがちな一方、知能は同世代の平均をはるかに上回っていたため、しばしば不自由な評価を生んだ。
昔から人は見た目が八割と言われたものだ。
そこで身だしなみや立ち居振る舞いを知識や能力相応の大人びたものにすることで「大人と同等の評価に値する子供」として装った。
沖野とて当時は人並みに子供だったのだから、そこまで考えてはおらず、これは無意識に選択した行動を後付けで分析したに過ぎない。
けれどどこかで、そうしていなければ認めてもらえないという思いがあったのは否めない。
同世代の子供だけが暮らす新天地でもそれは同じだった。
不必要な背伸びをせずとも心身ともに共同体の一員で、能力も過不足無く認められている。
それでも身に付いた習慣――装うことはやめられない。
「君に釣り合う僕でいたいんだけど」
ここへ来てから比治山の生活は外仕事の兼ね合いもあってとても規則正しいものだった。日が昇ると起き、三食きちんと食べて身の回りのこともきちんとこなして夜遅くならないうちに身体を休める。
沖野の生活とは対照的だ。
合わせようと思っていたのがいつの間にかこの有様になっていた。
体質、性質、そういった生来のものなら仕方がないとはいえ、思うようにいかないのは由々しき問題である。
「気にするな。貴様は頭を使って働いている分、頭を休めて然るべきだ」
「……そういうものかな」
「向き不向き、適所適材だ。それに、そんな姿は……俺にしか見せん、だろう……」
横になったまま、沖野は比治山を見上げた。
「悪い気は、しない」
目を逸らして小さな声で続けられた言葉に立ち止まっていた心が動き出す。
「そうだね。君は頼りになるから」
ようやく身体を起こして比治山にベッドに座るように促す。
意図が掴めないまま従った背にぎゅっと抱き着いて少しだけ活力を分けてもらう。
「ありがとう、起きるよ」
隣に人がいるだけだ。
ただそれが比治山であるだけで明日も沖野司でいられる気がする。
2023.06.10