バレンタイン蔵王「language of flowers」自ら確認して、心に響いたものを贈ろう。
そう思って訪れた催事場は、南半球にベイルアウトしたような熱気に包まれていた。早々にロイヤルブルーのピーコートを脱いで、右の前腕に掛ける。ホワイトのシャツにダークオレンジのニット、ブラックのスリムストレートパンツを纏っている王子は、他のフロアとの温度差に少々驚いた。余裕を持ってすれ違える程度に幅は取られているが各自の戦果がそれを上回る為、通路は狭く感じた。
ニュースによると平均予算は3万円台と言われ、且つ複数回訪れるのもザラであり売上22億円を叩き出す、一大祭典の会場である。製菓業界の活性化に踊らされているのはやや不服ではあるが、美味しいものを満喫できるのは悪くない。
王子は会場案内図を手に取ると、脳内で攻略ルートを構築した。
そこかしこから秋波を送られていることは何となく感じているが、やにわに接触されないので意に介さなかった。ただ、自分のリクエストに応えた蔵内が同様の視線を浴びることは推察できたので、その旨確認してみようと心に書きとめる。
会場内を歩いていると、フラッシュが視界の端を焼く。ショコラティエのサイン入りチョコを購入したり、本人とのツーショットを嬉しそうに撮る女性たちを冷ややかに一瞥する。
何が、楽しいんだろう。
チョコが美味しいのはともかく、彼らそのものに興味が湧かない王子には違和感しかない。プロが矜持を持って仕事を全うしているだけではないか。彼らのチョコに感動するあまり、偶像化してしまうのだろうか。
それとも、製菓の先達にあやかろうとでも思っているのだろうか。
弓場隊に入る前ならその優美な唇から零れただろう鋭利な言葉の数々は、何とか堰き止められた。
王子だってTPOを弁えるようになっているのである。脳内の元隊長に向かって、ふふん、と鼻を鳴らした。即座に「当たり前だコラァ!」と雷が落ちたので、胸中でこっそり舌を出す。
ふぅ、と一つ呼気を落としてガラスケースの内側を見やった。そこはさしずめ、チョコの百花繚乱展覧会であった。
酒米使用の和風チョコ。
クラウチは酒にどれくらい弱いのかな。確かめたい。酔ったクラウチはどんなふうになるのかな。
様々な動物の顔や全身を模したチョコ。可愛いのもリアルなのもある。
ふふっ、このハシビロコウ、ちょっとクラウチに似てる。ゾウガメの甲羅、堅そうだなぁ。
チョコとラングドシャでバラとチューリップを象ったチョコ。
愛らしいチョコを手にして「可哀想で食べられない…」と涙ぐむのも可愛いな。それとも一口で食べてしまうのかな。
目にも鮮やかな瑠璃色のチョコ。艶やかな蜂蜜色・若竹色・柘榴色のチョコ。
小さなアートが詰まっているのを見て、感動しちゃうかな。あぁこれ、クラウチの瞳の色だ。綺麗だなぁ…。
醤油入り玄米のトリュフに、蒸し羊羹に重ねたガナッシュ。
予想外のマリアージュを解析したがって、目を輝かせるのも興味深い。
どれを選んでも喜んでくれるのは解ってる。でもやっぱりサプライズは欲しい。
ぼくは、きみの吃驚箱でいたいから。
そしてぼくをずっと見ていて。
一番、近くで。
もういっそ、全部買ってカウントダウンしようかな。
当日は一輪の黄色いガーベラを持ったぼくを、届けよう。
以前参加した撮影では、ピンクのガーベラだったけど。クラウチに渡したいのは、これだから。
そう、きみにだけ。
2月14日、任務明けで連れ立った警戒区域内の帰路にて「はい、どうぞ」と差し出された一輪の花。純白のクレープ紙と透明なセロファンを重ねてある。落ち着いたゴールドのリボンで結ばれていた。
「花…?ありがとう」
リクエストに応じた自分はチョコを渡したが、王子から渡されたのは前日までのチョコ祭りとは異なり生花だった。二度ほど瞬いたのち、王子の厚意に謝辞を述べる。そんな蔵内の様子を見守る王子は、麗しい目尻を僅かに下げた。
「いつもありがとう、クラウチ」
「あぁ、こちらこそ」
鞄から出されたばかりのその花は、まだ瑞々しさを保っている。レモンイエローの花弁が半年後の陽光を彷彿させた。
微笑と共に受け取った蔵内は左手に花を携えたまま、右手でスマホを取り出す。検索結果を読み上げた。
花一輪の花言葉「あなたは私の運命の人」
黄色のガーベラの花言葉「親しみやすい・優しさ」
「……ありがとう、王子」
スマホをポケットにしまった蔵内は、視界をじんわりと滲ませて、王子を抱きしめた。
優しく、そして、強く。
この唯一無二の宝物を、守るように。
とんとん、と背中を叩かれて両腕を解く。柘榴石はまだ、潤んで煌めいていた。鼻の頭も少しだけ、赤い。王子が軽やかに笑った。白い吐息が幾つか咲く。
「ふふっ。これからも、宜しくね」
「ああ、宜しく頼む」
掌中の花を優しく見つめたまま満足気にゆったりと歩を進める蔵内の横顔を、そっと眺めやる。王子の長い睫毛が刹那、震えた。
……まだ、花言葉はあるんだよ、クラウチ。
限りなく細く長い、微かな吐息を落とした唇と土耳古石の翳りに、蔵内が気付くことはなかった。
黄色のガーベラの花言葉「究極美・究極愛」