「Thank You」1 Strawberry Moon Road (シュレディンガーVer.)※注意※
蔵王が心中するならスガシカオの「Thank you」をテーマにしてほしい。
あの緩くて儚い雰囲気大好き。シカオの曲で一番好きだ。
ここからスタートしましたが、よくある路線変更で「蔵水両片思い中の王子横恋慕」になりました。蔵王サイトなのにすみません。
曲中の登場人物を勝手にキャスティング(出番無いかもしれませんが設定済)↓
ぼく:王子 君(きみ):蔵内 クソ野郎:水上 誰か:神田
原作の時刻ではなく、2023年6月4日の某所のデータを基に書いていますので、微妙に年齢操作しています。
「2023年6月現在、王子大学三年生設定」になっています。ご了承くださいませ。
王子両親の職業も捏造しています。寧ろそうであれという願望です。拙宅の王子がやたらと花言葉をぶち込んでくる後付けの為に。
ほぼ、王子独白で進みます。解釈違いもあるかと思います。
上記の事項を緩く流せる方、お付き合いくださいませ。
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ふと、その声が耳に残った。
何かのミックスリストから偶然聞こえた、その一言。
『ねぇ 明日 しんでしまおうかしら…』
少しハスキーで、甘い歌声。それが緩く投げ捨てるように、語り掛ける。
ぼくも……もどかしいことばかりだから、かな。
例えば、昨日の風景。
クラウチとみずかみんぐが雑談をしている。ボーダーのラウンジでぼくとクラウチ、対面にみずかみんぐが座っている。
ぼくは、生温くなった紅茶のカップに指を掛ける。
他愛もない、大学の話。この中ではクラウチだけが理系だから、文系のみずかみんぐと情報交換をしているだけだ。
三年生になって専門度が増したから、二人とも話が尽きない。ぼくを置いてきぼりで。
柘榴色と琥珀色の瞳が、子供みたいにきらきらしている。
それはランキング戦やポジション別の訓練の時にも見かけたものだ。
だけど、ぼくは知っている。
クラウチの視線が僅かに、熱を帯びていることを。恐らく本人も無自覚に溢れ出るそれを。
名前同様、敏いみずかみんぐは、何故か気付いていない。
理由?そんなの決まってる。
みずかみんぐも、同じだから。自分の方が熱いから、クラウチのそれに気付かないだけだ。
ぼくは、安っぽい香りさえも抜けきった紅茶を飲み干した。
直後に「もう一杯、要るか?」そう言いながら腰を上げるクラウチ。
ああ、まだみずかみんぐと話をしていたいんだね。
だから「うん。同じもの、お願い」。ぼくは意識して少しだけ甘やかにおねだりする。
どこまでも優しいクラウチ。「了解」と柔らかく微笑んでくれる。
正面から仄かに、でも確かに刺さる視線。カゲくんのSEがなくたって、解る。
冷淡なのに焦げ付くような羨望の眼差し。
それを受け止め、豪奢に笑ってみせる。
ぴく、とみずかみんぐの蟀谷が引き攣る。
「なぁに?」
「……なぁんも、あらへん」
「そう。おかしなみずかみんぐ」
「おかしいのはお前やろ。いつまでそのけったいな渾名で呼ぶねん」
「ふふっ、いつまでだろうね。……ねぇ、クラウチ?」
紅茶を一杯と緑茶を二杯、零さずに持ってきたクラウチを見上げた。
「何の話だ?」
「大した事やあらへんよ。ありがとさん」
クラウチが小銭を受け取らない為に、こういう時だけ電子決済なのを知っているから。みずかみんぐは最初から礼を言う。そして、後からスマホに送金してクラウチからの謝礼の言葉を待っている。二人だけの、ささやかな楽しみ。以前、作戦室での遣り取りに遭遇したことがある。……クラウチのくすぐったそうな目遣いと共に。
安堵の吐息を小さく落としたクラウチは、再びぼくの隣に座ってみずかみんぐだけを見つめた。
『そばにいて そばにいて ぼくの味方になって』
何も言わなくてもそばにいてくれる。弓場さんの下を離れるとき、当然のように隣に並び立ってくれたこと。ぼくは決して忘れないし、忘れたくない。ぼくが、ぼくでいられたから。
『許さない 許せないけど 君にいてほしいの』
本当に。ただ、それだけ。
もういっそ、三門市全体に花を植えてしまおうか。あの歌のように。
スノードロップ、デージー、アイビー。果樹になるけど、マルベリーも。
「あなたの死を望みます」「(純真・有能な者の)死」「死んでも離れない」、「共に死のう」。
敏いみずかみんぐなら、きっと花言葉に気付くだろう。
先週、カシオが「今期ランキング戦終了後、独立したいです」と言ってきた。眩しい程の決意に満ちた黒曜石の双眸で。ぼくと同じ高さになったその視線に、重ねた年月を思う。
とうとう、この時が来た。
勿論、愛情も寂寥もある。
でも、ぼくも弓場さんの下から巣立った身だから。一度カシオを抱きしめて、笑顔で了承した。
ぼくは決めていたんだ。
カシオが独立する前に二人が現状から踏み出せたら、クラウチの手を……離すと。
しかし、そうはならなかった。
だから、いいよね……?
「クラウチ、海を見にいかないか」
「ん?構わないが、いつだ?」
「次の満月の日がいいな。水面に映る月光はきっと綺麗だ。素敵な写真が撮れると思うよ」
「夜か。分かった、準備しておくよ」
「ふふ、ありがと」
さぁ、もう後戻りはできない。
春でもなく夏でもなく、梅雨入りしたばかりの、平凡な日。
沖合に見える大きな島。そこに至れば水深は千メートルに達する。離岸流を捕まえれば、一気に沖へと流されるだろう。分が悪いとは思うが、もうそれに賭けるしかない。
歓楽街の少ない、漁村の素朴さを体感できる小さな温泉地。
朱鷺色の空が周囲を優しく包むころ、ぼくらは電車を降りて急勾配の坂を進む。海岸沿いに幾つか宿泊施設が並び、ぼくらはチェックインも早々に最低限の装備で海とそれらの間に横たわる遊歩道を散策する。そこには海に向かってベンチやテーブルが等間隔にセッティングされていた。
その途中には「ムーンテラス」と呼ばれる、海岸に面した半円形のウッドデッキがある。上空と同様に頬を淡く紅潮させて、クラウチは愛用の一眼レフのシャッターを数回切った。そのうち一枚は、ぼくも写っている。ぼくの背後から海に向かって撮ったそれを見て、少し笑った。
「まだ、明るいよ」
「いいんだ。すぐ暗くなるからその対比を撮りたい」
「なるほどね。なら、下に行ってみようか」
「了解だ」
波に削られて丸くなった数々の石に囲まれた海岸岩風呂がある。今日は日曜日だけど時間も中途半端だから、入浴中の人はいないようだ。
野趣に富んだそれを体験するのも楽しいかも、と思ったが今回はやめておこう。浴場に向かう階段を下りて、反対側に歩を進めた。
手の平から両手で抱える程の大きさの石の上を踏みしめるように歩く。やや歩きにくいが、容易く波打ち際に到達できる。それに今は満潮の時刻だ。これから潮が引いていく。しかも大潮。午後十時を過ぎればそこそこ沖に行けるはずだ。
それまでは、旅行を満喫しよう。
宿に戻ったぼくらは館内にあるレトロな空間で、射的や卓球に勤しんだ。射的はクラウチが、卓球はぼくが勝利したので平和的に夕食のお膳にありつけた。庭園露天風呂付きの部屋にしたから、部屋食にできたし久しぶりにサシ飲みした。
食前酒の金箔梅酒は華やかな香り。
カットステーキや鮑の握り、金目鯛の煮つけに桜鯛と桜海老の釜めしにと、酒が進む。
ぼくは冷酒、クラウチはぬる燗を頼んだ。
辛口の地酒はラベルに記載されているとおり「魚によく合う」ものだった。清酒ではあるが変な癖もなく、飲みやすい。キャップの魚のイラストも数種あってクラウチが解説を始める。こんな時のクラウチは饒舌で稚く、眺めているだけで楽しい。ぼくはクラウチを肴にガラスの猪口を傾けた。
良かった。ムーンロードが綺麗に見える。
夕食後、和モダンな檜風呂を共に堪能し浴衣に身を包んで外に出る。部屋の露天風呂からは確認できなかったそれが眼前に広がり、遊歩道に立ったぼくは密やかに一息ついた。
水平線から昇る月に合わせ、濃紺の水面に描かれる一筋の光の道。雲も風も殆どない。ただ、穏やかに絶え間なく打ち寄せる波。その音が鼓膜を優しく擽った。
時刻は九時を過ぎたあたり。大分高度が上がっているからムーンロードの幅も広い。
瑠璃色の空に冴え冴えと輝く白青。
クラウチが再び一眼レフを構えて声を弾ませる。
「凄いな、本当に道ができてる」
「魁夷の世界だね」
昭和を代表する日本画家の作風を彷彿とさせる、青の風景。
「確かに『月明』や『灕江月明(りこうげつめい)』のような雰囲気あるな」
そう答えて、数時間前と向かい合ったアングルで一枚。
「うん、これを並べて飾りたいな」
満足気に頬を緩ませるクラウチ。
「潮が引いているよ。また下りてみよう」
段々速くなる鼓動を悟られないように、ゆったりと語り掛けた。
波打ち際に下りた。夕方より十数メートルは遠ざかっている。濡れた石に足を取られないよう、慎重に歩く。ぼくと肩を並べているクラウチは時折足を止め、月だけを撮ったり、沖合の島をメインに撮ったりと楽しんでいるようだ。
この、穏やかな世界。
これが、これだけが、ずっとここにあればいい。
岸辺の建物の温かい光にレンズを向けた後、振り向いたクラウチが息を呑むのが分かった。
「……?どうしたの?」
手櫛で髪をかき上げて問う。
「……いや、凄いな、と思って」
「何が?」
「お前が」
真顔で即答された。
ぼくのどこが、と訊く前に僅かに震える言葉が紡がれる。
「ただ、綺麗…というのとは違う。何だろう…俺にも言葉にできない。お前という存在が、ただ凄いとしか言えないんだ」
うっすらと瞳を潤ませて、それでもぼくをまっすぐに見つめている。
「この瞬間を残しておきたい。しかし、ファインダー越しに捉えたら、それはもう今の王子ではなくなるような気がして……できない」
クラウチ、……クラウチ。
綺麗なのはきみだよ、クラウチ。
その身体も、精神も。綺麗なのはきみだけなんだ。
満月の光を前面に浴び、その清らかさを余すことなく体現している。
そんなきみに、そう言ってしまえればどれほど楽になれただろう。
月を背後に影を落とすぼくの暗澹とした想いと、あまりにも対照的だ。
ぼくはひとつ、息を吐く。
それから、できるだけ優しく微笑んだ。
「クラウチ、提案があるんだけど」
そして、耳打ちをする。
クラウチが嬉しそうに頷いた。
さて、準備は整った。
足首まで海水に浸したぼくは、浴衣の裾を少しだけ上げる。
白く輝く光の道に収まる位置に立ち、遊歩道に戻ったクラウチに向かって手を振った。
向こうからは、ぼくのシルエットがムーンロードに収まるように見えるはずだ。影絵のように。
遠目になるが、どうにかクラウチがカメラを構えるのが確認できた。
正面、横顔、後ろ向き。合図と共にポーズをとる。
「あの高さから撮ると、ストロベリームーンとその道が絵画みたいにはまるんじゃない?」
先程のぼくの言葉が、クラウチによって実現される。それがとても愉快だ。
クラウチがカメラの背面から顔を出し、大きく手招きした。
ぼくはそれに気付かない。
くるり、と背を向け沖へと踏み出す。
一歩、一歩、確実に。
スピードを上げる。
踝から脹脛、膝を超えて太腿も海水の中だ。
浴衣が張り付いて歩きにくいが、そんなことに構っていられない。
クラウチが追い付く前に光の道に飲み込まれなければならなかった。
あくまでも、酔った上での事故として。
クラウチ、カシオ、羽矢さん。
スリランカで販路拡大の為、商談中の父さん。
南アフリカに花の買い付けに行っている母さん。
誰にも気取られてはならない。
弓場さん、カンダタ、みずかみんぐにだって。
ぼくは、クラウチの四倍飲んでいる。それが伝票で明らかにされれば、優しい人達の負担は減るはずだ。
『海にうつった月の道 たどれば神に近づける』?
神なんて、信じない。
信じるのは自分の目で見て、手で触れ、心で感じたもの。
そして、ぼくの大切な人たち。
「…………ありがとう、クラウチ」
ぼくはひとつ、息を吸う。
それから、光る道のその下へと潜り込んだ。