紫陽花蔵王「Hommage」「今月の写真は、紫陽花なんだね」
作戦室に飾られる蔵内の写真。月替わりのそれらは隊員たちの楽しみであり、癒しであった。
風景や動物、水族館が主であるが、偶に人物をモチーフにすることもある。今回のメインは紫陽花のようだ。晴天をバックにしたもの、甘露と蝸牛を載せた大ぶりの葉に焦点を当てたもの、寺院の名物となった圧倒的な存在感を示すもの。カラーやモノクロで撮られたそれらは、品種もさまざまであった。
誰もいない筈の室内で背後から声を掛けられた蔵内が、徐に振り返る。僅かに口元を緩ませる。
「早咲きのものがメインだが、それでも結構咲いていたぞ。また撮ったら入れ替えてもいいかもな」
「へぇ、それは楽しみだ」
穏やかなテノールの中に潜む、弾むトーンを感じ取った王子も喜色を露わにした。キャビネサイズのシンプルなフレームを手にする。
「若冲の『紫陽花双鶏図』のオマージュかい?」
超絶技巧からくる綿密さと、色彩豊かながらも幻想世界を両立させる、江戸時代の日本画家の名を挙げる。宮内庁三の丸尚蔵館版と異なり白い紫陽花がないので、プライズ・コレクション版のほうだろう。鶏冠の赤さと首元から続く茶色のグラデーション、そして紫陽花の濃紺が目にも鮮やかだ。
「正解。流石に二羽揃えるのは難しかったから、雄鶏だけになったがな」
それでも紫陽花の根元に顔を寄せるアングルはきっちり踏襲できている。
王子が緩めに握った拳を顎に添える。思考の抽斗を一つ開けた。
「日本画なら、他にも北斎の『紫陽花に燕』あたりが有名だね」
今度は若冲より五十年ほど後に生を受けた、浮世絵師としてあまりに著名な人物。蔵内も同じ絵に思い至る。小さな吐息を落とした。
「あれも季節感あるから良いが、撮影は難しいだろう」
水色から桜色へと連なる、淡い色彩の紫陽花に向かって右上から飛来する燕をフレームに捉えるのは、難易度が高いと言わざるを得ない。王子の声が軽やかに踊る。
「ふふっ、確かに」
楽しげに輝く土耳古石。蔵内がそこに焦点を当てた。
「俺は広重の『紫陽花に翡翠』の方が好きだな……」
北斎から更に百年近く後に活躍する、屈指の浮世絵師。『広重花鳥大短冊撰』に収められた、薄紫の紫陽花に半身を埋めたり中天から舞い降りる翡翠たち。「紫陽花や水に咲ねど水くさし」の一句も添えられている。
「羽の色が、似てるから」
それを鮮明に脳裏に描きながら、そのまま、強く見つめる。
「……言うね」
双眸を射抜かれながらも、逸らさず返す。王子のそんなところも、蔵内は好きだった。負けず嫌いの灯火が柘榴色の虹彩に小さく揺らぐ。
「言うさ。本当のことだからな」
二度瞬いた王子が、長い睫毛に縁取られた目尻を僅かに下げた。
「じゃあ、広重に準えてぼくの方から」
両腕を蔵内の首に絡ませ、唇を寄せる。甘やかな吐息と共に。
「……紫陽花」
「了解だ。歓迎するよ」
王子の腰を軽く抱く。
ふ、と柔らかく綻ばせた後に触れ合わせたそれを、一層、深めた。