かくしごと ある夜のことだ。
ソファに仰向けになって足を組み、ロナ戦の新刊を読んでいたドラ公が「ん?」と声を上げた。おそらく独り言ではないであろう声の大きさに、意識が通販サイトからそちらに移る。
「ねぇロナルド君、この超大型スラミドロで下水道がいっぱいになっちゃった時って、半田君もいたよね?」
パソコンの画面からドラ公の方に視線を移せば、ドラ公が起き上がる。
「だからなんだってんだよ」
ドラ公の言う通り、ロナ戦の新刊のエピソードのそのシーンでは、現実には確かに半田がその場にいた。ギルド組とは別に、吸対として動いていたところを途中合流したのだ。
大量のスラミドロが一体どこから湧いて出てきているのか。ロナ戦のストーリー上では、俺が排水溝からはみ出ていたスラミドロからヒントを得て、下水道に潜った流れになっているが、実際には、俺がそれに気付くのとほぼ同時に「下水道内から巨大な下等吸血鬼の気配がする」と半田が気付いた。それが確信になり、下水道に潜ったのだ。
つまり、半田の描写は綺麗に省いてある。
「なんだ、いるの忘れてたわけじゃないんだ」
「出してねぇだけだよ」
「ショットさんやサテツ君は出てきてるのに?」
「バカかショットとサテツは退治人だからいーんだよ。半田は吸対だろうが。吸対の活動の妨害にならねーように、ロナ戦に書くにも色々制約とかあんだよ一応」
「こないだ『カッコいい隊長さん』の描写に熱が入りすぎて話が脱線してフクマさんから注意を受けたくせ」
言い終える前に引き出しから素早く消しゴミを取り出して投げると、命中してドラ公はあっけなく砂になった。
「殺した。兄貴のカッコ良さは吸対でなくてもオンリーワンでナンバーワン」
かろうじて砂にならなかった方の手にロナ戦を持ったまま、衣服から順に形成しながらドラ公はさっきの発言を弁明するわけでもなく言った。
「でもヒナイチ君は度々出てるじゃないか」
「お前みたいに知ってる奴が読めばヒナイチってわかるだろうけど、他の人が読んでもわかんねーようにしてんだよ!作家のコンプライアンス意識ナメんな!」
流れで共闘することの多いヒナイチのことは、ロナ戦では「赤毛の吸対」と描写している。それ以外の特徴と言えば「両刀遣い」というくらいで、性別も年齢も伏せてある。もちろん、ヒナイチに限ったことではない。世界一カッコいい兄貴の特徴だって泣く泣く伏せてあるのだ。これはもちろん、兄貴を狙う奴らに気付かれないためでもある。…ちょっと話が逸れたな。
「まぁ、半田も全く出てないことはねぇよ。前に『警察官のひとりがこう言った』くらいは書いたことあったし」
伸びをすればぎしりと椅子が鳴った。
「あったかねそんな場面?」
ドラ公の言葉が少しだけ作家心にグサッと来るが、名前もないキャラクターのセリフなんて、余程熱心に読み込んでくれている人以外の反応としては、そんなものなのかもしれない。
そんなことを考えていると、眉間に皺でも寄っていたのかもしれない。ドラ公がこちらの顔色を見て、何やら納得したように言った。
「ふむ。君の杞憂することもわからんわけではない。半田君を出すならば、嫌でもセロリの描写が入るということになるだろうし」
「どんな苦行だよ。考えただけでおぞましいわ!」
ぼやけば、ドラ公は返事もせず、今度は座ったまま視線を本に落とし、パラパラとページをめくった。
そのまま読み始めたのを確認して、タスクバーからロナ戦の原稿が入っているフォルダを開いた。改めて見ると、その中に更に入れ子として入っているフォルダも、随分数が増えたものだと思う。
ドラ公のやつ、変なトコ気付きやがって。そう胸の中でつぶやいた。
その半田の台詞が入っている巻のフォルダの周りをカーソルでうろうろさせ、すぐに親フォルダを閉じた。
実際、半田のことは、意図的に隠している。
特徴的過ぎるのだ。ダンピールの吸対職員だなんてシンヨコには一人しかいないから、直接的に描写すれば素性が割れてしまうのは簡単だろう。加えて、現場で半田のダンピールの能力に頼ることも少なく無い分、ダンピールということを省略すると不自然になる。これは、ロナ戦を書き始めて割と初期に気付いたことだ。
だから早い段階から、題材自体もなるべくは半田が関わらなかったことを選ぶようにしていた。(知らないうちに見られていた話もあるようだが。)
そして、半田が偶然いたときは、存在自体を省いた。これに関しては先ほどドラ公に言ったようなことを「わかっているとは思うが吸対に関する余計な情報は出すな」と半田本人からも言われているのでその範疇だと認識している。
でも、あの時のセリフはストーリーの流れでどうしても入れたかったのだ。
だから、あの巻を執筆した際は、妙に緊張した。脱稿してもまだソワソワしていた。
「読者が読む描写として不自然じゃないか」「機密情報とか余計なこと書いてないか」とかの普段留意することに加えて「半田は気付くかな」とか。「怒らせないかな」とか。
それに「もしかしたら喜んでくれたりして」とか。
事前に掲載許可を得るチャンスなんていくらでもあったけど、それは怖くてできなかった。それに「だめだ」と言われるのが嫌だった。
そして恐らく、半田はそれが自分の言った言葉だということに気付いた。
そのロナ戦が発売された翌日、半田が部屋に奇襲を掛けてきた時、そこまではいつも通りだったのに、目が遭った途端にあいつはこちらに向けて何か言い掛け、やめた。
ぐっと閉じた口元の端を歪ませ、眉間の皺を深くし、何故か悔しそうな、でも、思い違いではなければ、少し嬉しそうな、それでも、やはり怒っていそうな。
結局、ドラ公が半田に話し掛けて、その後それに言及されることはなかった。俺もしなかった。
やっぱりちょっと安心したし、酷く喜んだ顔を期待した分だけ、ちょっとだけがっかりした。
それからは、ロナ戦に半田は出していない。
あいつの反応がどうこうというわけではない。
そもそもいつだって、半田は自分からロナ戦の感想をわざわざ直接俺に言ったりはしない。でも、カメ谷が「読んだよ!」と言えば一緒に感想を言ってくれるし、他の言動や行動の端々から、全部しっかり読んでくれていることを俺は知っている。
それはそれだけで良い話で。
ただ、自分の心情として、これ以上ロナ戦の原稿に、半田のことを持ち込みたくないと思った。
あいつのことで俺がソワソワしたり、期待したり、そういうのは現実だけで良い。それにそんな私情は、読者の皆様に対しても失礼だろうと思ったのだ。
それに、気付いてしまったのだ。
半田のあのセリフを入れようとしたとき、あまりに頭の中でぐるぐるしてしまって、「いっそあいつが吸対じゃなくて、例えば俺と同じ退治人だったらこんなに面倒くさいこと考えなくてよかったのかもしんねー」と。
そう一瞬だけ想像して、ないな、と思ってしまったのだ。
もしあいつが吸対じゃなくても、一般人だとしても。いや、吸対目指してた半田だから、俺は話しかけたし、俺が退治人志望だったから仲良く?なれたんだけど。それでも。
不敵な笑みでこちらを煽り、ガキのように俺に張り合う。大人げ無くて、バカで、無茶苦茶で、迷惑で。
———でも、それがそれなりに、まぁ悪くねぇかもって、俺が思ってるのって、なかなかわかってもらえない事だろうし。
きっと、俺たちが わかってりゃいいことだし。
例えば、カメ谷は一緒になって面白がってくれているが、高校時代だって本気で心配されたことは何度もある。「友達」と言い合えるような関係じゃない。知ってる。だって度が過ぎんだろ、一般的に見れば。訴えられてもおかしくねーんだぞ。
(お前は馬鹿にするけど、全部ありのまま素直に書きゃいいってわけじゃねーだろ?バカ半田。)
背中のブラインドはまだ今日は開いてない。明日はカメ谷と三人で飲み会だから来ないかもしれないし、それでも、来るかもしれないし。
騒がしくなる前に通販を済ませとくのが無難だということに気づき、開いたままのブラウザに、やっと意識を戻した。