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    Δ世界半ロナの出会いから日常までの話。
    ※以前プライベッター等に上げた物を修正、最後の部分を大幅に加筆した作品になります。

    #半ロナ
    half-lona

    朝焼けの邂逅半田桃は悩んでいた。吸血鬼の退治依頼の帰り、大きな吸血鬼の気配を嗅ぎとり駆けつけてみた公園のベンチには一人の男が寝そべっていた。黒いマントに時代錯誤な服装、唇から覗く鋭い牙、ダンピールである半田の探知能力が伝える強大な気配。その全てがこの男を吸血鬼だと示しているのに、子供の様な寝顔に思わず気が抜けてしまう。

    (確か、ロナルドといっただろうか)

    同じ退治人であるヒナイチが何度かギルドに連れてきたのを半田は見た事があった。何百年もの時を生きる高等吸血鬼らしいが、甘いホットココアを美味しそうに飲む姿はとてもそうは見えず困惑していたのを覚えている。今だってこんなに近くに退治人である半田がいるというのに、口の端から涎を垂らし、起きる気配は無い。

    「……おい、起きろ」

    少し悩んだ結果、半田はその男を起こす事にした。何故こんな場所で寝ているのかは分からないが、もうすぐ日が昇る時間だ。既に東の空は鮮やかなオレンジ色に染まりつつある。吸血鬼であるこの男にとってこのままここに居るのはあまりよくないことだろうという親切心からだった。しかし半田の声掛けにロナルドは全く反応しない。

    「おい、いつまで寝ている気だ!」
    「ん、んう……もう食えねえよ……」

    声を大きくし、少し強引に肩を揺さぶってみても、ロナルドは目を覚まさない。間抜けな寝言を呟きながら寝返りを打って再び寝息を立て始めてしまった。若干苛立ち、このまま放置するべきかどうか迷っていると、薄暗い空から眩しい光が差し込み始めた。光の筋は周りのビル群、住宅、公園の樹木を照らし、そして半田とロナルドの事も光の下に晒す。眩しさに一瞬目を細めた後、半田ははっとしてロナルドに目を向けた。日光が全く問題無い強い吸血鬼もいるのは知っているが、ロナルドがどうかは分からない。

    半田の心配は全くの杞憂だった。銀色の髪を輝かせ人間の様に血色のいい肌を晒しながらも、男は何の問題も無くひたすらに眠り続けている。その姿に安堵すると同時に半田は恐ろしさを感じた。ヒナイチからロナルドの強さは何度も聞いている。それに加え一般的な吸血鬼にとっての弱点である日の光さえこの男には何の問題もないのだ。

    (こいつは、危険だ)

    普段話している内容からしてヒナイチはこの男にすっかり心を許している。他のギルドの面々や吸対の人間との交友関係が広がりつつある事も知っている。半田だってろくに話した事も無いこの男を見て警戒を解いてしまった位だ。そんな男がもしあっさりと人間を敵と判断したらどうなる?いつかは危険な存在として警戒されるだろうが、それまでに半田にとって大切な人達がどれだけ傷ついてしまうのだろうか。そもそも本気を出したこの男に勝てる人間がどれだけいるのかも分からない。

    ならばいっそ、この男を今のうちに退治した方がいいのではないだろうか

    その瞬間、男の目が開き鮮やかな美しい青が半田を捉えた。ぞくりと、半田の背筋に冷たいものが走る。咄嗟に刀に手をかけようとするが、男の目がそれを許してくれない。喜びも怒りも感じさせない、ただ深い青色の瞳が半田をじっと見つめ続ける。先程までの子供の様な顔とはまるで違う、冷えきった表情を見せる男に半田は間違いなく恐怖を感じていた。

    「……あれ、あんた確かギルドの」

    時間にしたらほんの数秒の事だったのかもしれない。しかし、半田にとっての長い時間は男の言葉で唐突に終わった。パチパチと目を瞬かせて首を傾げる男からはもう恐怖を感じない。半田は激しく鼓動する心臓を落ち着かせる為に大きく息を吐いた。そんな半田の様子を気にする事もせず、ロナルドは起き上がり大きく伸びをする。

    「んあ……よく、寝た……って、もう朝かよ!寝すぎた!」

    朝日を見て慌ててベンチから立ち上がったロナルドは服についた砂や汚れを手で払い落す。そしてその場に立ったままの半田に目を向けると、笑顔で声をかけてきた。

    「えっと、半田?だっけ。ヒナイチと同じ退治人の」
    「……ああ」
    「よかった合ってた!……あのさ、俺がここで寝てたの内緒にしといてくれないか?ただでさえ吸血鬼っぽくないって言われてんのに、朝日浴びながら寝てたなんて恥ずかしくて」

    頬を赤く染め照れくさそうに言う姿は半田と同じ年頃のただの青年にしか見えない。半田は唾を飲み込み、平静を装いながら言葉を返した。

    「……別に、かまわない」
    「あ、ありがとう!それじゃまたなー!」

    そう言って朝日に照らされた道を駆けていく後ろ姿を半田は見つめる。そして、その姿が完全に見えなくなってからその場にしゃがみこんだ。
    今の実力ではあいつに絶対に敵わない。それを痛感した半田は、悔しくて唇を強く嚙み締めた。



    ロナルドは軽い足取りで歩きながら鼻歌を歌う。今のロナルドはとても気分がいい。それは先程会ったあの退治人のおかげだった。
    気持ちよく寝ていた所に殺気を向けられて思わず怖がらせるような真似をしてしまったが、恐怖に怯えながらもあの男の瞳には最後までロナルドへの殺意が折れずに残っていた。それが嬉しくて堪らなくて、つい頬が緩んでしまう。
    今周りにいる人間達の事は大好きだし、襲おうなんて考えてもいない。けれど、自分だって古の吸血鬼なのだ。ご先祖様の昔話に出てくる様な退治人との熱い闘いに憧れた事も何度もある。

    「いつか、俺を退治してくれるのかなあ」

    そう呟きながら、ロナルドは無邪気に笑った。


       ※



    「はい、どうぞ」

    ドラルクはカチャリと小さく音を立てながら、カップの乗ったソーサーを机の上へと置く。出された相手は手を伸ばす事もしないまま、その中身をじっと見つめている。

    「紅茶よりコーヒーの方が良かったかい?」
    「いや……」

    否定の言葉を返しながらも、彼は今のところそれに口を付ける気は無い様だった。警戒されているなあと思いながら、ドラルクは自分用の紅茶を机へと置き、ソファに腰を下ろしながら向かい合う彼を観察する。
    黒髪の若き退治人、半田桃。普段身に纏っているカソックでは無く、ジャケットとデニムパンツという私服でいきなりドラルクの元を訪れた時は内心とても驚いたものだ。

    「それで、今日はどんな用かな。半田君」

    そう話しかけると半田はドラルクをじっと睨んだ。本人としてはそのつもりはないのだろうが、元からの目つきの鋭さと警戒心が合わさってそう見えてしまう。何もしていないのに責められている気がしてドラルクの胃はキリリと痛んだ。
    そもそも、ドラルクが半田と二人きりになるのはこれが初めての事だ。ヒナイチやギルドマスターであるカズサから優秀な退治人だとは聞いているが、それ位の情報しかドラルクは持っていない。未知な事への不安に胃を押さえながらも、ドラルクは穏やかに話を続けた。

    「わざわざ私が一人の時に訪ねてくるなんて、誰にも聞かれたくない話をしに来たんじゃ無いのかい?」

    普段ならドラルクの傍にはアルマジロのジョンがついているが、今彼は退治人ギルドで開催されている隠し芸大会に参加している為、此処には居ない。(吸血鬼対策課の隊長という立場上、流石にドラルクは見に行けないので、ジョンの勇姿はヒナイチに映像におさめて貰うよう頼んでいる)
    つまり退治人である半田はドラルクが確実に一人だという事を見越して此処へやって来たのだ。
    ドラルクの言葉に半田の眼光は揺らぎ、その目線が少し下へと外された。何か言おうとして口を開き、声を出さないまま再び閉じる事を繰り返す。
    これまで半田とはあまり関わった事は無かったが、彼の仲間であるヒナイチやカズサからは彼がいい意味でも悪い意味でもハッキリと物を言うタイプだと聞いていたので、その煮え切らない態度は意外な物だった。

    (いや、そもそも君から来たんだから君が話してくれないと何も始まらないんだが)

    意外ではあるが、それ以上熱心に聞こうとする程の彼への興味がドラルクには無かった。根気よく彼から話を聞き出すよりも、出来れば適当に話を切り上げてジョンと約束したおやつのバナナカップケーキを準備する事に時間を使いたい。材料は十分あった筈なので追加でクッキーも作ってあげようか、等と考えていた所でようやく半田が話を始めた。

    「貴方は、あの吸血鬼ロナルドの監視任務を請け負っていると聞いた」
    「……うん?まぁ、そうなるね」

    お菓子の事を考えていたので一瞬反応が遅れてしまったが、ドラルクは半田の言葉を頷きながら肯定する。

    吸血鬼ロナルド。最近この新横浜に姿を現すようになった恐るべき吸血鬼の一人。その力の強大さと日光ですら何の障害にもならない強靭さから危険度S級の吸血鬼として認定されかけていたが、本人の人間に対しての友好的な態度と下等吸血鬼退治の実績により、今はドラルクの監視付きである程度自由な生活を送っている。

    「私の監視、という時点で殆んど形式的なものだけどね」

    ドラルクの戦闘力は皆無に等しく、何かあってもロナルドの行動を止める事は出来ない。上もそれを分かった上で任せている筈の任務だ。
    ならばいっそのことのびのびと人間社会を楽しんでもらおうかと、ドラルクは基本的にロナルドの行動を制限しないようにしている。今日もヒナイチがロナルドをギルドに誘った時、ジョンと一緒に楽しんでおいでと後押しした位だ。
    はしゃいでいた二人と一匹の姿を思い出し、頬が少し弛むが、目の前の彼はそんなドラルクの様子を気にもとめずにそのまま話を続ける。

    「その対応が、甘過ぎるとは思わないのか」
    「……ん?」
    「ロナルドは、アイツは恐るべき力を持った吸血鬼だ。今は良くてもいつその力が向けられる先が一般人になるのか分からない。そうなる前に監視を強め、出来るならアイツをVRCに収容する等の手を打っておくべきじゃ無いのか」
    「……はぁ」

    半田の主張にドラルクは間の抜けた声を返してしまう。それを聞いて半田の目つきが更に鋭さを増した。

    「俺は何か間違った事を言っているか」
    「間違っては、無いけどねえ……」

    百、二百年前ならば、彼の様な事を言う人間も多く存在していただろう。しかし多くの吸血鬼と人間が共存しているこの現代の新横浜では、あまりにも人間側に偏った意見でしかない。

    「君、吸血鬼を全て敵だと思っている訳では無いだろう?」
    「当たり前だ。俺はダンピールで母は誇り高き吸血鬼だ」
    「なら、どうしてロナルド君のみをそこまで警戒するんだい?彼は確かに強大な吸血鬼だ。でも一般人に危害を加えた事は無いし、むしろ君達と協力して下等吸血鬼を退治したりもしている。危険度の高い吸血鬼なんて他にいくらでもいるだろうに」
    「……それ、は」

    ドラルクの言葉にそれまで流暢に話をしていた半田はまた言い淀む。半田としては一般的な意見としてドラルクに物申したつもりだろうが、彼個人がロナルドと何か確執があったのはその様子で丸分かりだった。

    「君の事情は知らないけれどね、私は今までのやり方を変えるつもりはないよ」

    そう言いながらドラルクはカップを手に取り紅茶を一口飲む。少し温くはなってしまったが、客人に出す用の良い茶葉を使ったので美味しく入れられたと思う。穏やかさを保ったままのドラルクとは逆に半田は唇を噛み締め苛立ちを顕にした。

    「貴方は甘い、ヒナイチやマスターだって……それで、もし何か事が起こったらどうするんだ!」

    半田が叫びながらテーブルを拳で叩く。ガチャンと音を立てて揺れたカップは倒れこそしなかったが、一口も飲まれていない中身は波打ち溢れて、テーブルの水滴へと変わった。
    それを見たドラルクは長く大きな息を吐く。最初に彼に感じた未知への不安はもう無い。今あるのは直情的な行動に対する呆れと、もてなしを無下にされた事への怒りだ。

    「……例えば、君の言う通りにロナルド君の監視を強めたとしよう。そうすればおそらく本人、よりも先に彼の周りの吸血鬼達が気付くだろうね。そしてそれは彼らへの不信感にも繋がる」

    カップを置いてソファに座りなおし、半田を真っ正面に見据えながらドラルクは言葉を続ける。

    「今、彼らとの関係は非常に良好な状態にある。それをわざわざ崩す様な馬鹿な真似をする必要はどこにも無いんだよ」
    「だが……それでは現状維持にしかならない。だからこそ対策を」
    「無理だよ」

    半田の主張を途中で打ち切る様にドラルクは言った。

    「今の私達じゃあどんな手段を使ったって本気になったロナルド君を倒すどころか押し留めておくことさえ出来ない。というかそんな事をすればお互いにどれだけの被害が出るか分からない……君の大切な家族にもね」

    わざと最後の言葉を強調して言うと、半田は大きく動揺した。きっと彼だってダンピールの探知能力で力の差は分かっている筈なのだ。なのにその理想を他人に押し付ける様な事ばかり言う。
    肩を竦め、少しだけ口調を軽くしながらドラルクは話を続けた。

    「全く、君に比べればヒナイチ君の方がよっぽど優秀な退治人だねえ。確かに彼女は絆されやすい部分もあるけれど、その優しさのお陰で吸血鬼達との繋がりはとても強固な物になりつつある」

    下等吸血鬼を共に退治する時、ロナルドに簡単に背中を預ける。退治人ギルドに吸血鬼であるロナルドと一応吸対の一員であるジョンを一緒に誘って行く。半田にとって甘いと言えるヒナイチの行動の一つ一つが相手への信頼に繋がっているとドラルクは思っている。

    「……アイツはそんな事まで深く考えていないだろうがな」
    「それでも彼女が『人間にとって恐るべき』吸血鬼を退治している事に変わりはない」

    そしてもし、本当にロナルド達吸血鬼と死闘を繰り広げるなんていう最悪の状況になってしまった時、彼女の存在は彼らが振りかぶる拳に躊躇いを生ませる一因になるかもしれない。

    (我ながら酷い考えだ)

    そんな風に彼女を利用しようとしている自分の考えを口にしたら、目の前の彼の怒りを更に買うどころかギルドマスターである彼女の兄に殺されてしまう。あくまで頭の隅で考えるだけに留めておきながらドラルクは話を続けた。

    「闘って勝てないのなら闘わなければいい。私はその方法を模索し、今も実践している。それを君の様に短絡的な方法を喚くだけの若者にとやかく言われる筋合いは無いよ」

    そこまで言い切った所で、ドラルクは再びカップを手に取り温くなった紅茶で喉を潤した。目の前の半田は何も言わず俯いている。ちょっと言い過ぎてしまった気もするが、彼には良い薬になった筈だ。
    暫く沈黙がその場に流れていたが、それをかき消したのはドラルクのスマートフォンの着信音だった。

    「おや、噂をすればだな」

    相手を確認したドラルクは半田に断りも入れずに電話に出る。

    「……やぁヒナイチ君、大会は終わったかい?ジョンの映像はバッチリと……うん?マフィンが食べたい?……そうか、ジョンが自慢したのか」

    やれやれと肩をすくめるドラルクだが、その顔には楽しそうな笑みが浮かんでいる。
    「ああ。君と、それから後ろで騒いでいるロナルド君の分も沢山準備しておくから一緒においで……うんうん、はい、じゃあ気をつけてね」

    半田にも漏れた音が聴こえる程賑やかな通話を切って、ドラルクは半田の方へと顔を向けた。

    「さて、どうする半田君。君も一緒に食べるかい?彼と仲良くなるチャンスだよ」
    「……結構だ」

    小さく呟いた半田は、目の前のカップを持ち温くなったその中身を一気に飲み干す。そして、意地の悪い笑みを浮かべるドラルクを思いきり睨み付けた。



    「えっ、さっきまで半田が来ていたのか?」

    口の端に少しだけ食べ滓を付けながら、ヒナイチは驚いたように言う。話ながらも次のマフィンに伸ばす手は止まらない。ドラルクは三人分の紅茶を丈夫なマグカップに用意しながら言葉を返した。

    「ああ、同じダンピールとして色々興味深い話をしたよ」
    「ふうん、そういう話なら別にギルドに来てからでも良かっただろうに……」

    ドラルクの嘘に少し疑問を持ってはいるようだったが、それ以上詳しく追及する事もなく、ヒナイチは再びマフィンにかぶりつく。
    美味しそうに食べる二人と一匹の姿はとても微笑ましいが、その中心に置かれたバナナマフィンとクッキーが消えていく早さはちっとも微笑ましい物では無い。
    追加で作ろうにも材料が足りるだろうか、そうドラルクが考えていると口の周りに食べ滓を沢山付けたロナルドが話し掛けてきた。

    「なぁ、ドラ公」
    「みっともないから口の周りを拭きなさい。袖じゃ無くてティッシュで」
    「半田、元気そうだったか?」
    「人の話を聞く気が無いなこの精神年齢五歳児」

    袖を汚すロナルドに呆れながらも、ドラルクはその言葉に首を傾げる。今までロナルドの口から半田の話題が出た事は無かったので、てっきり半田が一方的に警戒しているだけかと思ったが、ロナルドの方も半田の事を気にする位には知っているらしい。
    ヒナイチも食べる手を少し休めながら話に参加する。

    「ロナルド、半田と親しかったのか?ギルドではそんな様子見た事無かったが」
    「えっと、前に街で偶然会って……その時にちょっと怖がらせちゃったから」
    「怖がらせた?半田をか?」
    「うん、だから気になっちゃって」

    気まずそうに言うロナルドをドラルクとヒナイチは目を丸くして見つめる。あの半田が分かりやすく怖がる様子がどうしても想像できなかったが、不安げなロナルドが嘘を言っているようにも思えない。

    「それは君が悪いのかい?」
    「……ちょっと悪かったと思う」
    「なら次に会う時に謝ればいいさ。今日話した時はそんなに怖がってはいなかったよ」

    あの警戒心を恐怖と捉えなければの話だが。ドラルクの言葉にロナルドはぱぁと顔を明るくし、嬉しそうに微笑んだ。

    「そっか、良かった!……次に会うの楽しみだなぁ」


    ロナルドの言う楽しみの真意に、その場に居た他の誰も気付く事は無かった。



       ※



    あの夜明けから常に半田の胸に残り続けている吸血鬼ロナルドの存在は、ドラルクと話してからより一層大きくなってしまった。解決する手段の分からない心の問題を抱えながらも、半田はいつも通りの日常を送っていた。
    吸血鬼対策課での出来事から数日後、下等吸血鬼の退治を終えた半田が退治人ギルドに足を踏み入れると、マスターであるカズサがグラスを拭く手を止めて爽やかな笑顔でカウンター越しに声をかけてきた。

    「やぁ、半田。退治は順調に終わったか?」
    「はい。問題ありません」
    「そうか、何か飲むか?」
    「なら烏龍茶をお願いします」
    「はいよ」

    カズサは磨いたグラスと氷をカウンターに用意し、冷蔵庫からペットボトルの烏龍茶を取り出すと、その中身を半田の目の前でグラスへと注いだ。

    「……そういうのはもっと見えない所でやる事では無いんですか」
    「いいんだよ、お前の前でしかやらないからな。お前だって俺が一番楽なの知ってていつもこれ頼んでるだろ」

    たまにはもっと手の込んだメニュー頼んでも良いんだぞ、と続けられたカズサの言葉には何も返さず半田はカウンター席に座る。そして出された烏龍茶のグラスを手に取り中身を一口飲んだ。

    「美味いか?俺特製の烏龍茶は」
    「はい、いつも通りよく冷えていて美味しいです」
    「……からかいがいが無いなぁ、お前は」

    そう言ってカズサは苦笑した。
    普段の半田を知る人からすれば、その穏やかな様子に驚くだろうが、相手がカズサの時の半田はいつもこんな感じだった。
    カズサは幼い頃の半田に退治人としての道を指し示してくれた恩人であり、剣の師匠でもある。礼儀と落ち着きを持って接する半田の態度は、他者と違い過ぎて親しみよりもむしろ距離を感じさせる程だった。だがカズサはそんな半田の態度を気にする事もなくペットボトルをしまい、再びグラスを拭きながら話を続ける。

    「少しはウチの可愛い妹を見習ったらどうだ?この前なんてちっさいペンギンのぬいぐるみをカウンターに置いただけで、此処に入れなくなって半泣きになってたぞ」
    「そういう目に合いたく無いので今のままで十分です」

    そう言って半田はため息をつく。少し前にカズサの頬に湿布が貼られ、ヒナイチの機嫌がやけに悪かった日があったのは恐らくそのせいだろう。妹を大事に思っているカズサだが、その愛情の向け方はもう少し改めてほしいと半田は常々思っている。

    「そんな事続けているといつか嫌われますよ」
    「ム、それは困る。……だが、最近のヒナを見てると、安心してつい構いたくなってしまうんだ。少し前までは下手にからかう事すら出来ない程気を張り詰めさせていただろう、アイツ」
    「……そうですね」

    確かに以前のヒナイチはマスターになって現役引退した兄の代わりになろうと必要以上に自分で背負い込む部分があった。そんな彼女に変化が訪れたのはつい最近の事だ。
    真面目な部分は相変わらずだが、自分の弱みを無理に隠そうとしなくなり、他人へと頼る事が増えた。自分より大柄な歳上ばかりのこの世界でやっていく為に張り詰めてさせていた雰囲気が柔らかくなり、年相応の少女の笑顔を見せる事が多くなった。
    その変化を兄であるカズサは勿論、何年もヒナイチを見ていた半田もとても喜ばしい事だと思っている。しかし、その変化の原因が何かを分かっているからこそ、半田は素直に喜びを表せないでいた。

    「ロナルド君には感謝しなければな。その分あの吸対の隊長さんとまで仲良くなってしまったのは少しいただけないが」

    カズサの口から出てきた肩書きに半田は体を強ばらせて、グラスを持つ手に力を込める。その些細な様子に気付いたカズサは、拭いていたグラスを再び置いて、半田へと話しかけた。

    「聞いたぞ。吸血鬼対策課の本陣に乗り込んだらしいな」
    「……」

    やはりバレていたかと思い、半田はカズサに向かって頭を下げる。

    「すみません」
    「謝る程の事じゃ無い。むしろ自分の事を棚にあげて人を昼行灯呼ばわりする男の手を煩わせたんだ。俺としてはよくやったと言いたい位だな……それに、強大な吸血鬼に警戒心を持つのは退治人とって悪い事じゃないぞ」

    慰める様なカズサの言葉に半田は眉間の皺を深め首を横に振った。

    「アイツの他にも強大な力を持つ吸血鬼は山程います。警戒するべき存在は他にも沢山いる……それでも俺は、アイツと初めて話した時の事が、どうしても忘れられないんです」
    「初めてっていうと、此処に来た時か?」
    「いいえ、初めて顔を見たのは此処ですが、その少し後に街中で偶然会って、少しだけ言葉を交わしました……その時の、アイツの目が」

    そこまで言った所で半田は言葉を切り、顔を俯かせた。

    あの時見たロナルドの目が、脳裏に焼き付いたまま離れない。
    普段の幼子の様な無邪気な笑顔を見ても、そのすぐ裏にあの顔が潜んでいるのだと考えただけで半田の胸はひどくかき乱されてしまう。生まれて初めて抱く感情を、半田はもてあまし続けていた。

    「どうした?半田」
    「……カズサさん」

    不自然に言葉を途切れさせた半田を心配してカズサは声をかける。半田は顔を上げて、不安げに揺れる金色の瞳を晒した。

    「俺は、どうするべきなんでしょうか」
    「……そうだなぁ」

    普段から自分の意志をしっかりと持ち、それを実行する半田にしては珍しい質問に、カズサは顎に手を当て少し考えた後で応えた。

    「これは、ロナルド君が此処に初めて来た時の事なんだが」
    「……ヒナイチが連れてきた時ですか」
    「そうそう、あの隊長さんもセットでな。あの時は出来るだけ普段通りを演じていたがな、そりゃ俺も彼を警戒してたさ。一歩間違えればこの店も周りの人間もどうなるか分かりゃしない。もし戦闘になってもすぐに応戦出来る様に武器も用意してた」
    「そう、なんですか?」

    カズサの言葉を聞いて半田は過去の自分を少し恥じる。カズサが割と最初からロナルドを受け入れている様子に少し苛立ちを感じていたからだ。

    「それで、俺が入れたココアを美味しそうに飲む姿を見て、こいつ可愛い奴だなと考えを改めた」
    「……」
    「いやぁ、追加で頼んだココアにマシュマロ乗せてやった時の顔といったら。小さい弟が出来た気分でなぁ」

    前言撤回だ。絆されるのが早いにも程がある。呆れた半田の視線を受けたカズサは一度咳払いをし、改めて半田を真っ直ぐ見ながら言った。

    「まぁ結局何が言いたいかっていうとだ、他者への印象なんてたかがそんな事で簡単に変わるって事だよ。俺の場合はさっき言った事がきっかけだった」
    「……」
    「お前はロナルド君を避け続ける事でそのきっかけすら潰してるように思うぞ……さっきの話からするに、彼と何度も喋った訳ではないんだろう?」

    半田は無言で頷く。半田が徹底的に避けていたせいで半田とロナルドの会話らしい会話といえば、あの朝焼けの時が最後である事は間違いないからだ。

    「折角同じ言語が使える相手なんだ。黙って距離をとったまま気にする位なら、言いたい事を直接全部ぶつけてやればいい」

    そう話すカズサが一瞬何かを懐かしむ表情を見せたが、すぐにいつもの明るい笑顔に戻る。

    「まあその結果、気まずくなってどうしようも無くなる事もあるかもしれないけどな。その時はその時だ!」

    それまでの全てを台無しにする様な台詞で締めくくられたカズサの言葉を聞き、半田は考え込む。
    カズサの言葉は理想論だ。同じ言語が喋れても、いや、喋れるからこそ分かり合えない相手などこの世には山程いて、深く関わらなければ良かった出会いだって沢山転がっている。しかし、そんな事はギルドマスターを勤めるカズサの方が良く分かっている筈だ。

    (……この人にも昔、そういう相手がいたのだろうか)

    一瞬だけ見せた表情が、途中の台詞が、半田の知らないカズサの過去を想像させた。


    ふとその時、半田はある気配を感じ取り入り口へと顔を向ける。まだ遠いが確実にこちらへと近付いて来るその気配は最近半田が避け続けていた男の物だ。腰を浮かしかけた所で、後ろからカズサにじっと見られている気付く。

    「……」

    少し考えた後、半田はそのまま席に座り続ける事を決めた。カズサの言葉が全て正しいとは思えないが、今まで考えもしなかった対話という方法へのきっかけになる位には半田はカズサを信頼していた。ぎこちなく座る半田を見て、カズサはからかう様に声をかける。

    「別に、今すぐにどうにかしなくてもいいんだぞ」
    「甘やかさないでください……ズルズル先延ばしにする位なら今日決着をつけようと思っただけです」
    「そうか、偉いなぁ半田少年は」
    「子供扱いもやめて下さい」

    そんな風にカズサと他愛の無い話を続け半田のグラスが空になった頃、ギルドの扉が開き、人影が二つ入ってきた。

    「二人ともお疲れ」
    「ただいま!マスター……と、半田じゃないか!何だかここで見るのは久し振りだな」

    人影の一つ、小柄な赤毛の少女が半田の姿を見るなり驚きの声をかけてくる。その隣に立つ男は何も言わず、しかし半田の様子をしきりに気にして何か言いたげな目を向けてきた。
    ニヤニヤと笑うカズサと何も分かっておらず首を傾げる赤毛の少女、ヒナイチの視線を受けながら、半田は立ち上がり、入り口の方へと歩を進める。そして、狼狽える男が何か言い出す前にゆっくりと自分から話しかける。

    「……少し、話がしたい。いいだろうか」

    男、吸血鬼ロナルドは目を瞬かせた後、無言で頷いた。



    退治人達の拠点となっているギルドはたとえ太陽が完全に姿を消した夜でも、むしろ夜だからこそ眩しい人工的な明かりが絶える事は無く、店の前の人通りも少なくはない。しかし一本裏路地に入ってしまえば喧騒は薄れ足元を照らすのも危ういぼやけた光のみの空間になる。
    そんな場所に半田とロナルドは二人立っていた。

    (さて、どうするべきか)

    カズサの言葉をきっかけに二人きりになったまではいいが、ここからどうするべきを半田は何も考えていなかった。
    今まで避けていた存在を前にして無意識に帯刀している刀の柄に手をかけそうになるのを堪えながら半田が考えていると、突然ロナルドが頭を勢いよく下げて謝った。

    「えっと、まずはごめん!」

    驚く半田が何か言う前にロナルドは言葉を続ける。

    「半田、俺の事ずっと避けてただろ?それって前に会った時に怖がらせちゃったからかなぁと思って」

    「こ、怖がってなど……!」

    瞬間的に怒りが湧き上がり、怒鳴りそうになるのを半田はすんでの所で抑える。ロナルドの言っている事は確かに事実だからだ。しかしそれを本人にあっさり見破られていた上に謝罪されてしまうとは。半田は惨めな思いを抱えながらゆっくりと言葉を返した。

    「頭を上げろ。もう、怖がってなどいない」
    「本当に?」
    「ああ」
    「そっか……よかった」

    胸に手を当てて安堵の笑みを浮かべるロナルドは、見る限り唯の穏やかな好青年だ。そこに半田を嘲る様子は無い。

    「それで、半田の話したい事ってなんなんだ?」
    「……ああ」

    子供の様な瞳を向けられて、半田は大きく深呼吸をする。頭の中で出来るだけ自分の本心に近い言葉を考え口にした。

    「俺は…………貴様が嫌いだ」

    結局、長い時間考えた末に出てきたのはそんな言葉だった。目を丸くして半田をじっと見つめているロナルドを前に、半田は唸る様な低い声で続ける。

    「貴様を見ていると、苛立ちと不安でどうにかなりそうになる」

    胸を押さえ、本心を吐露する度に、半田は自己嫌悪に苛まれていく。

    確かにきっかけはあの朝焼けの邂逅だった。
    強大過ぎる力を持つこの男がもし敵になったのなら、半田の大切な者や場所を脅かす存在なのではないかと危惧した。その後に見せた目に恐怖し、ひたすらこの男を避け続けていた。退治人として、この男の恐ろしさが分かるダンピールとして、出来る限りの事をするべきだと思った。

    だが今、ロナルドと対峙して改めて気付かされる。
    吸血鬼、ダンピール、周りの人間、そんなの関係無しにこの男の存在自体が半田の心を掻き乱しているのだ。

    「貴様が、何かした訳では無い……これは、俺の問題だ」

    この男が人間に敵意をあらわにしようと、半田の周りと友好的になろうと、多分、どちらでも構わないのだ。今も半田の話を黙ってただ聞いているだけの一見無害そうな男に、恐怖とは違う胸のざわつきが収まらない。これは半田の心の問題で、ロナルドに非がないのは十分分かっている。
    だからこそ、どうしようもない。

    「だから…………すまない」

    ヒナイチやカズサ、ドラルクの様に出来ない所か、まともに表面を取り繕う様な接し方すら出来ない自分を不甲斐なく思いながら、半田は深く頭を下げた。理由も無く悪意を向けられる事はきっとこの男にとって悲しむ事だろうと、そう思った故の行動だった。

    「…………よかったぁ!」

    だからこそ、目の前から歓喜の声が聞こえた半田は驚き、すぐに頭を上げる。そして目を疑った。

    「そっかそっかー!安心した!」

    目の前の吸血鬼は悲しげな表情など微塵もしていなかった。むしろ逆に、目を細め嬉しそうに笑っているその顔は先程の安堵の笑みよりも大きな喜びを表していた。

    「……何故だ」
    「へ?」
    「今俺は、貴様に割と最低な事を言ったつもりだぞ」

    少なくとも半田はもし誰かに同じ事を言われたら少なからず傷付くだろう。だからこそ、謝罪と共に本心を告げたのだ。それなのに目の前の吸血鬼はあっさりとそれを受け入れてしまった。

    「貴様の事が、何の理由も無くただ嫌いだと言ったんだ」
    「うん、ちゃんと聞いてた」
    「理解、出来ない」
    「そうか?だってさあ……嫌いじゃなきゃ、俺の事殺しづらくなっちゃうだろ?」
    「……は?」

    首をかしげ、笑顔を保ったまま話す目の前の男が理解できずに半田の思考が止まる。

    「半田が俺の事そんなに嫌いなら安心して話せるんだけどさ……俺、実はこの街には死ぬ事が目的で来たんだ」

    何も言葉を返す事が出来ない半田の目の前で、吸血鬼ロナルドは自身の過去を語り始めた。

    「俺、生まれた時から銀製品とか日光とかニンニクとかそういう吸血鬼の弱点みたいな物全部平気でさ、それがちょっとしたコンプレックスだったんだ。皆、体が丈夫なのは良い事だって励ましてくれるんだけど、どうしても仲間外れみたいに感じちゃって……俺だって皆と同じ吸血鬼なんだぞ!っていう証明みたいな物が欲しかったんだ。そんな時に退治人の存在を知って、ビックリした!本の中の退治人は殆んど人間で、寿命も短いし能力も使えない。それなのに知恵を巡らして強大な吸血鬼達を追い詰めていったんだ!俺もこんな奴らと闘ってみたい。もしかしたら俺も知らない俺の弱点を突き止めて……いつか、俺を殺してくれるかもしれないって思ったんだ」

    まるで子供の頃の夢を語るように楽しげな男の独白は続いていく。

    「俺の故郷、退治人を職業にしてる様な人間はもう殆ど生きてなくてさ、たまに外国から勝負を挑みに来る奴らも居たんだけどちょっと反撃しただけで皆怖がって逃げちゃって……反撃しなければいいって?無抵抗なまま殺されるってのは、もうそれは自殺だろ?それは吸血鬼として畏怖くないからやだ。俺そんな事したくない」

    半田が何も言っていないにも関わらず、まるで思考を読んだかの様にロナルドは話を続けていく。

    「そんでどうしようかなーって時にこの街の噂を聞いたんだ。強い吸血鬼も退治人も沢山いるここなら、もしかしたら俺を殺してくれる奴に出会えるかもしれない。だから、ここに来たんだ」
    「……そんな、簡単に死ぬなどと……」
    「簡単に死ねないから来たんだよ。大丈夫!死んでも多分すぐに復活するよ、俺。死んだ事無いけど多分出来る」

    確証も何もない男の言葉に半田はまた何も言葉を返す事が出来なくなる。

    「それに、俺が殺してくれって言ってるんだから良くないか?人間ってそういう事気にするよな。やっぱり寿命の違いかなぁ……このお願いもさ、最初はヒナイチやマスターに頼もうと思ってたんだけど、ヒナイチに正直に話したら、多分泣いちゃいそうだから、言えなかった。マスターも強そうだけど、きっと頼んだらヒナイチにも伝わっちゃうだろうし……それはやだなって」

    そう言いながらロナルドが眉を下げて笑う。
    周りが悲しむ事は分かるのに、自身が殺される事を諦めようとはしない。それほど強い願いなのか、それとも周りが何故悲しむのかまで理解出来ていないのだろうか。

    「だから、お前が俺の事嫌いなままでいてくれて、嬉しいんだ。そのままいつか俺を殺してくれるかもしれないと思うと、すっごくワクワクする」
    「……」
    「本当に、ありがとな半田」

    礼で締めくくられてしまったロナルドの話は、半田には到底理解出来ない物だった。吸血鬼は皆こうなのかという思考を抱き、それをすぐに打ち消す。母のあけ美も、今まで出会った吸血鬼達にもこんな奴は居なかった。自分とは違い過ぎる価値観の持ち主を前に、半田はおぞましさを感じた。

    「……一つ、聞きたい」

    しかし、おぞましさとは別に、半田は話の中でどうしても引っ掛かる部分があった。
    先程この男はカズサやヒナイチに話せないと言った。悲しむ顔を見たくないからだと。それは自分が少なからず彼らに好かれているという自覚の表れであり、だからこそ自身を嫌う半田には、素直に望みを口にしたのだ。

    (俺が、こいつと初めて話した時に敵意を向けたから、今日、どうしようもなく嫌いだと言ったから……ただ、それだけの理由)

    つまり今日この時まで、ロナルドの中で半田は、話の中で出てきた名も知らない退治人とさして変わらない存在だったのだ。

    半田の心臓がドクリと大きくはねる。騒ぐ胸を押さえつけながら、半田は震える声で言った。

    「もし……俺よりもっと強くて、お前の事が憎くて殺したいと思っている奴がいると言ったら、どうする?」

    そんな奴は半田が知っている中にはいない。それでも、ロナルドは半田の小さな嘘に顔を輝かせた。

    「本当に、そんな奴がいるのか?」

    その期待に満ちた眼差しを見て半田は愕然とする。


    こいつには誰でもいいのだ。自分の望みを叶えてくれるなら、誰でも。


    半田はこの男の事を考えるだけで腹の底が沸き立つ様な感覚に苛まれるというのに、あの日、あの場所で自分を捕らえた瞳が忘れられないというのに。

    カズサの言っていた事は正しかった。半田とロナルドの間には言葉が足りなさすぎたのだ。

    ロナルドにとっての半田は、まだ二回ほどまともに話しただけのダンピールの退治人。長い生の中で出会った自分を殺そうとした内の一人に過ぎない。
    二人の間に言葉が足りなかったからこそ、ようやく今日気付く事が出来た事実だった。

    「っ……は、ははっ」

    額に手を当てた半田は自分のあまりの愚かさを笑い飛ばそうとしたが、実際に口から出たのは掠れてひきつった声だけだった。

    「は、半田!?だ、大丈夫か?」

    肩を震わせ歪な声を出し始めた半田に、ロナルドが慌てて声をかける。

    「どこか痛いのか?今誰か呼んで……あ、それより俺が担いでギルドまで運んだ方が早いか?」

    屈んで半田の顔を下から覗き込むように見つめてくる瞳。暗い路地裏でも輝いて見える程澄んだその青色が、ゾッとする程冷たくなる瞬間を半田は知っている。

    (あぁ……苛々する)

    今日までずっと避け続けていた筈のその温度が今向けられない事に、半田はどうしようもない程怒りを感じてしまった。

    「っ……!うわっ!」

    肩の震えを収め、一度大きく息を吐いた半田は、そのまま何の前触れも無く刀を抜き、すぐ近くのロナルドを横凪ぎにするように振る。半田の突然の行動に目を軽く見開いて驚きながらも、ロナルドはその切っ先を軽々と避けてしまった。それを見て舌打ちしながら半田は二回、三回と本気で刀を振り抜き、その全てをロナルドは危なげも無くかわしていく。

    「ちょっ!まっ……」

    表情だけは余裕の無いロナルドの制止を無視し、握りなおした刀を振り下ろそうと構える姿を見て、流石にロナルドも半田が本気なのを悟ったらしい。一瞬で懐に入る程距離を詰められ、鋭く光る青を認識した時にはもう半田の視界は反転していた。胃が浮くような感覚の直後、全身を襲った痛みと衝撃に半田の意識は一瞬途切れ、気が付いた時には無様に地面に倒れた状態で咳き込んでいた。手に持っていた筈の刀は無く、擦り傷まみれの拳をきつく握りしめる。
    どうやら投げ飛ばされたらしいと分かったのは、数歩離れた場所にいた男の慌てた声が理解出来るようになってからだった。

    「ごめん!思わずぶん投げちゃった!……だ、大丈夫か?」

    そう話すロナルドの手には半田の刀が大事そうに握られていた。
    本気で殺そうとした相手の武器を手にしても、それを壊したり反撃する為に使ったりしない。更には相手の体を気遣う言葉をかけてくる吸血鬼。
    敵わないのは分かっていた。だが、今まで考えようともしていなかった力の差があまりにも大き過ぎて、半田は自分の無力さをまざまざと思い知らされた。
    しかし退治人としてのプライドを傷つけられた事よりも、今の半田にはどうしても優先しておくべき感情があった。

    痛む体を抱え咳き込みながら、半田は足に力を込めてゆっくりと立ち上がる。そして、オロオロと情けない顔で此方を見ている男を強く睨み付けた。

    「……吸血鬼、ロナルド。俺が、貴様の望みを……叶えてやる」
    「っ」

    刀も無い、全身も傷だらけの半田の言葉にロナルドは息を飲む。

    「だから、それまで……誰にも殺されるな。っ貴様を殺すのは、この、俺だ……!」

    低く、唸るような声で吐かれたその宣言は達成されるのに一体何年かかるのだろう、そもそも本当にそんな事が可能なのだろうか。半田もロナルドも今のお互いの力量差はよく分かっている。
    それでも半田の目に宿る熱は初めて会った時よりも熱く、より激しさを増しており、そしてそれを受けるロナルドは今までに無い高揚感に胸を高鳴らせた。畏怖でも友情でも嫌悪でも無い、敵意と殺意。興奮で声を震わせながらロナルドは言葉を返した。

    「……半田が、俺を……殺してくれるの?」
    「ああ」
    「そっか……じゃあ、約束する。それまで、誰にも殺させない」

    だから、半田も約束守ってくれよ

    頬を染め、嬉しそうに目を細めて笑うロナルドの目は、しっかりと半田自身を捉えており、初めて会った時の様に半田の背筋にゾクリとした悪寒が走る。
    しかし、もうもうその目から逃れたいとは思わない。



    果たしてそれが半田の人生にとって善い事なのかは誰にも分からなかった。



       ※



    「半田はさ、神様を信じてるのか?」

    そう呟くロナルドの手には銀の十字架が握られている。それは普段半田の胸元で鈍い輝きを放っている物だが、今は首にかける為の鎖が千切れだらしなく床へと垂れ下がっている。
    半田はロナルドの問いに首を横に振って応えた。
    半田の衣装は退治人としての分かりやすさを求めた結果であり、特にこだわりがある訳では無い。指を組んで祈る時があるとすれば、それは姿も知らない神にでは無く、大切な家族の幸せを願う時だろう。
    自分から聞いた割にロナルドはその答えにさほど興味がある様子は無く、ふーんとつまらなさそうに呟いた。
    会話が途切れ、あたりに静寂が満ちる。それを破る様に今度は半田から声をかけた。

    「貴様は、信じているのか」

    言外に込めた吸血鬼の癖に、という皮肉はどうやらロナルドには伝わらなかったらしい。
    「信じてるというか……そう言われた事があるんだ。貴方は我々の神だーって」

    十字架を指先で摘まむ様に持ちながら、ロナルドは自分の過去を語った。

    「昔、俺が日光すらも平気な吸血鬼だって知った人間が集団でやって来てさ。変なローブ着てニコニコしながら俺の事沢山誉めてくれたんだけど、ちっとも嬉しくなくて……俺の望みを何でも叶えてくれるっていうからじゃあ俺の事殺してって言ったら、逆に自分達が目の前で死のうとしてくるし」

    だから嫌になって逃げちゃった、とロナルドはぼやいた。わざわざ半田に嘘を付く必要が無いので、恐らく本当の事なのだろう。

    「今はどうしてるのかなぁ、あいつら。もう大分昔の事だから皆死んじゃったのかなぁ」
    「……」
    「まあ、今更どうでもいいけど」

    締めくくった言葉の通り、ロナルドにとってそれは本当にどうでもいい過去の一部分なのだろう。男の吸血鬼としての力の強さと生の長さ、そして享楽主義な部分を不意打ちで見せられ、半田の心はざわついた。
    だがしかし、半田はそんな感情をひた隠しながら、堪えきれない様にくつくつと笑い声を洩らす。そんな半田の様子にロナルドは眉をひそめ、首を傾げた。

    「なんだよ、俺、そんな変な事言った?」
    「ああ……可笑しくて仕方ないな」

    そう言いながら半田は腕に力をこめる。

    「これから俺に殺される貴様が、神などという存在である訳が無いだろう」

    ロナルドが座っているすぐ横、固くて冷たいコンクリートの床に横たわっていた半田はゆっくりと体を起こし、自分の刀を杖にしながらその場に立ち上がった。その拍子に左肩が鈍く痛み、思わず顔をしかめる。
    黒い衣装はあちこち汚れ、露出した肌は擦り傷だらけ、おまけに先程ロナルドに投げ飛ばされた時にできたであろう肩の打撲。満身創痍ともいえる状態で、それでも半田は再び刀を構える。全ての原因に、自分はまだ戦えるのだと主張する為に。刀の柄を握りしめ、目の前に座る男をじっと見据えた。

    「さあ、早く立て。今日はまだやれる」
    「……うん!うん!!」

    半田の言葉にロナルドは目を輝かせ何度も頷く。勢いをつけて立ち上がり、嬉しそうに顔を綻ばせた。


    あの夜の路地裏での宣言から、半田はロナルドを避ける事を止めた。ギルドに定期的に顔を出し、退治人としての仕事を務め、必要とあればロナルドに退治の協力を依頼する事もあった。ロナルドもそれに快く応じ、自ら率先して半田のパトロールに着いて行く事も出てきた。そうして仕事を終わらせた後、各々の時間が出来た二人は共に人気の無い場所へ向かい、そして一騎討ちをする。
    制限時間は無し、どちらかが気絶もしくは戦う事が出来なくなるまで続くその勝負に、半田が勝った事は一度も無い。
    他の人々には秘密に行われるそれを知っているのは恐らくドラルクとカズサ位だろう。自分とロナルドの仲を心配し、気遣ってくれたカズサには申し訳ないが、半田はこの関係を止めようとは思わなかった。少なくとも半田がロナルドの息の根を止めるその時までは。

    「やっぱり半田はいいなあ!俺、半田の事大好きだ!」

    大きく声を上げ、満面の笑顔で好意を示すロナルド。そんなロナルドを熱の籠った目で睨みつけながら、半田は唸る。

    「……俺は貴様が大嫌いだ。殺したい位にな」


    そして退治人半田桃は、今日も自分の欲望の為の刃を振りかぶったのだった。
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