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    daibread139411

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    daibread139411

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    滅却師パロ kiiski

    滅却師パロ kiiski只 喰らおうぞ
     此の牙が 手前の薔薇を食い千切るまで

    EAT FEED PREY×YOU

    ——————————————————


    潔世一はそれはもう、疲弊していた。


    相手——破面が特別強かったわけでも、取得練習中の完聖体を使用できたわけでもない。そう、尊敬すべきノア——陛下からの依頼であったとはいえ、少々時間は掛かったものの戦闘自体は難しいものではなかった。もう一戦はいける、そう考えるほどには気分も好い。にも関わらず、何故、疲弊しているのかといえば。


    「クソ哀れだなあ世一。こんな雑魚相手にお前が選ばれるなんて」


    ———外野が騒々しい。眉を顰め無視を決め込む潔を身長差によって見下しながら、その態度を気にも留めずニヤニヤと笑う男は肩に手を回し続ける。


    「この程度の破面、そこいらのクソ雑魚滅却師共にでも任せておけばいいものを。そろそろ呆けてきたのかもしれないな、あの老害も———」
    「黙れ。それ以上ペラペラと喋るならその五月蠅い口ごと喰い殺す」


    見事、潔の地雷を踏み抜き更に愉快そうに瞳を歪める男。ミヒャエル・カイザーが此度の疲労の原因であった。

    ——————————————————


    時は少し遡り、滅却師のみが住まう『見えざる帝国』にて。
    見えざる帝国の皇帝、全ての滅却師の始祖であり王であるノエル・ノア。そのノアから直々の呼び出しに、潔は小さくスキップをしながら廊下を進んでいた。
    ———前回の特訓の際に話していた初任務のことだろうか。或いは更に強い特訓でもつけてもらえるのかも。敬愛してやまない王からの呼び出しに、潔は正に天にも昇る気持ちであった。


    玉座の間、その直前で小さく深呼吸をする。気を抜き、裏で密かに呼んでいるノア様という愛称が出てきてしまわぬよう、小さく息を吸って思考を切り替える。そうして踏み出した、その瞬間であった。


    「ノア!何か御用です——」
    「遅かったな世一ぃ。まあその短い脚じゃあ仕方ないが」
    「何でテメェがここにいるんだよカス」
    「まあ!カスだなんて!陛下の前で下品だと思わないのか?全く躾がなってないな」
    「誰のせいだ誰の!」


    飼い主に懐く子犬のような表情から一変、猛獣のような険しい顔へと様変わりした潔は、その元凶である金髪の男を睨み付ける。それを酷く楽し気に見つめ返すミヒャエル・カイザー。正に一触即発といわんばかりの玉座に、小さなため息が一つ。


    「——————静粛に」


    弾かれたように姿勢を正し前を向く潔に対し、ため息交じり気だるげにゆっくりと前を向くカイザー。どこまでも正反対のようで、実は性根の似ているふたりに更にため息を深め、滅却師の王————ノエル・ノアは玉座に座したまま話を続ける。


    「カイザー、必要以上に潔世一を揶揄うな」
    「あいあ~い」
    「潔世一」
    「っはい!」
    「お前も見え透いた挑発に乗るな。お前ら二人、後継者候補としての品格と自覚を持て」
    「はい………」


    分かり易く落ち込む潔に先ほどまでの笑顔は何処、つまらそうな顔をしたカイザー。本当に此奴らは、幸福なんてものが数値化されているならとっくにマイナスに振りきれそうなほどのため息をつきながら、潔へと視線を向ける。


    「呼び出した要件だが」
    「はい!」
    「以前、訓練中に伝えた通りお前に初の実地任務を与える」
    「!」
    「場所は虚園、破面共の相手をしてもらう」
    「…破面?」
    「—————虚の上位種。虚の持つ仮面を外し、死神の力を手に入れたものたちのことだ」


    突如、自身の頭に手を置き折角のノアとの会話に乱入してきたカイザーに睨みを効かせる。まあ、破面のことは知らないし一からノアに説明させるのも、そう考え先を促すように横目で見ながら顎を引く。ネスが見ていれば即レットカードを切られるであろう無礼な態度。それに気分を悪くするのではなく、可笑しくてたまらないと言いたげに笑みを深め、カイザーは話を続けた。


    「といっても死神の能力を使うわけではないがな。生意気なことに組織内の階級なんて大層なモンもあるらしい」
    「……へえ」
    「———先の視察で階級が上の虚共はこちらで対処した」
    「…陛下がっておい!」
    「だ、そうだ。だからまあ、世一クンがやるのは残党狩りと役立てそうな駒探しってワケ」


    すぐさまノアへと意識を逸らそうとする潔の頭へぐいぐいと体重を掛ける。そうすれば直ぐに心地の良い殺気が飛んでくるから。口角をにんまりと上げ、潔の顔を覗き込む。


    「でもまあ、世一クンが破面と、ねえ…」
    「……何だよ」
    「いやァ?なあ、陛下」
    「何だ」
    「その任務、俺にも同行させろ」
    「は?」


    下から見上げるよう、先程とは比べものにはならない殺気が刺さる。すぐさま反応してやりたいところではある。が、今はこちらを説得させるのが先だ。潔の頭を押さえたまま、無駄を嫌う合理性の塊のような男へ向き直る。


    「此奴が負けるとは思わんが世の中に絶対は貴方以外いない、そうだろう?」
    「………」
    「本番は次の侵攻、此奴(戦力)が欠けるのは避けたいはずだ。俺であれば対処も回収も可能。生憎スケジュールだって空いている、ピッタリだろ?」


    顎に手を置き、考え出すノアに勝利を確信する。無駄なことに悩む性格ではない、検討の域に置かれたのであれば。不穏な気配を察知したのであろう、より暴れ出し腕から抜けた潔がぼさぼさになった頭を振り、睨み付ける。


    「何着いて来ようとしてんだお前!これは俺が!頼まれた任務!」
    「そんなの弱々世一クンだけじゃあ心配で仕方ないからに決まってんだろ」
    「わあったよ、今すぐ表出ろ。そのいけ好かないツラ嚙み殺してやる」
    「————潔世一」


    確実に悪化しているであろう気の短さを発揮し、今にでも飛び出さんとばかりの潔を静かな声が引き留める。それにすぐさま反応し、どこか嫌そうな、焦った顔をする男へ、思考を整理していたであろう敬愛する王————ノアは残酷にも告げる。


    「任務だが、ミヒャエル・カイザーと共に向かうように」
    「は………」
    「着いていくには任務の詳細はお前が伝えろ、カイザー」
    「へえへえ」


    告げられた言葉を理解したくないのか、目を回す潔を連れ、此方に向かっていたときの潔のようにスキップをして玉座の間を退室するカイザー。嵐のように去っていく後継者候補たちに、またもやため息をつく。此奴らぐらいだ、己にため息を付かせるのは。まあ、獣に喰われるか、薔薇のモノにされるか。現在の実力だけで言えばにやりと笑う青薔薇を、一方自身も一目ぼれした灰簾石を、ふたりを思い浮かべ更に深くため息。


    「…まあ、見物だな」


    滅多に表情を変えることのない男がふわりと口角を上げたのを、三日月だけが見つめていた。

    ——————————————————

    潔世一という男は、奇怪である。

    潔は優しい両親に愛情いっぱいに育てられた、近所でも評判の人当たりの良い好青年である。当家からは勘当されてしまった滅却師である母から滅却師の力を引き継ぎ、人を助けるために日々その力を奮っている。また力があるからと奢らず、母や父の教えの通り弱きを救い、虚を滅すること以外にその力を奮ったことはない。

    そう、その評判と実績だけ見れば、正に真人間であると言えよう。間違っても奇怪などという不名誉な評価がされるようなものはない。にも関わらず、彼の所属するサッカー部の友人たちは、口を揃えて奇怪、そう言うのである。何故、そう聞いても何となく、というこれまた不明瞭な返答が返ってくる。更に詳しくと踏み込めば、特に仲のいい男がひとつ、小さく漏らした。

    —————普段は普通で、本当に良い奴なんだ。でも、時々、それこそサッカーでゴール決める時とか、勝負事とか、夕日が沈んで暗くなった時、とか。そういう時に彼奴の大きい目がさ、凄く、怖くなる。獲物を狩ることを、楽しんでるみたいな。そう、凄く暗い青になる気がして。どっちが本当の潔か、分からなくなることが、あるんだ。


    ——————————————————

    「お弁当持った~?」
    「持った!傘も持ったよ!」
    「準備万端!いってらっしゃ~い!」
    「いってきます!」


    毎朝の恒例である母とのやり取りを終えた潔は、手首にぶら下げた滅却師十字を揺らし元気に家を飛び出した。今日は部活を終えてそのまま虚退治に向かう予定なので、母から弁当を二つ持たされている。

    ——潔世一は、滅却師である。現代ではほぼ存在しない、虚を滅する力を持つ種族だ。人間の父と純血統滅却師の母から生まれた混血統滅却師。それが潔世一である。

    母の生家について、或いは滅却師について、詳しく聞いたことはない。でも、優しい母がその話をするとき酷く苦しそうな顔をするからきっと、碌なものではないのだろう。元々戦闘に消極的であったという母から教わった滅却師の能力は少ない。虚を倒すには十分。だが、何だかそれでは満足できず、勝手に応用して技を作ったり、血液に霊子を流し身体能力を底上げする、名がついていそうな技を取得したりなんてことをコソコソとしているが。


    「~!切り替え!」


    体を動かせばすぐ切り替えられる筈の脳が昨日からとっ散らかっている。その証拠に登校中にも関わらず、何故だかそう、ふと自分のルーツについて気になってしまった。いや何故か、なんて。先日配布された、今も手元にある進路調査のせいに決まっている。——17歳、高校二年生。そろそろ進路を、なんて流れになるのは当たり前だ。滅却師の自分も人としての自分も両立できる将来を、それなりに考えてはいた。両親も自分のしたいように、と最大限己の意思を尊重してくれる。それでも言葉には出さずとも、滅却師としての人生をなるべく避けてほしそうなその様子に、潔は調査票を握り締めた。

    今もそう、くしゃくしゃになった調査票を持て余している。大学生になる自分も、サッカーを続ける自分も思い浮かぶものの、滅却師の自分をいちばんに思い浮かべてしまう。だからといって、両親を困らせたいわけでもない。でも————


    「潔!おはよ~!」
    「っおはよう!」


    友人の挨拶に沈み込んでいた思考が我に返った。咄嗟にポケットの中に突っ込んだ調査票が、更にくしゃりと音を立てた気がする。まあ、今考えても仕方ない。無理に頭を切り替え、友人に続くようにして学校への道を急ぐ。潔の感情を表すように、滅却師十字が小さく揺れ続けていた。

    ——————————————————

    「この辺、だよな」

    日が沈み、暗くなった廃公園を進む。虚の出現を確認し駆け付けたものの、一向に姿を現さない虚探しに潔は苦戦していた。生憎虚に恐怖心は感じないが、暗く人気のない廃公園の雰囲気は怖い。無駄に広い公園に虚の気配だけが漂っている。


    「何だってこんなところに……」


    ぶつくさと文句を言いながらも、足を止めずにキョロキョロと周りを見渡す。今にも壊れそうな、無駄に大きな遊具や建物の影を注意しながら覗くその手には青い弓が握られている。人の気配はないし、隠れるような狡猾な虚に急襲を受けた際の対策になる。そう自分に言い訳をし、青く美しい明りを頼りに物影を探索している、その瞬間であった。


    「っ誰だ!」


    背後から小さく物音が鳴った。風ではない。潔の優秀な五感はそこに何者かがいることを感じ取っていた。慎重に、霊子で作り出した矢をつがえながら音のした方へ進む。あと少し、距離を詰め弓矢を向けたその瞬間、辺りに風が吹き鬱蒼と生えていた木々が揺れる。その合間を縫うよう、月光が照らしたその先には、


    ————温度の感じられない酷く威圧感のある、異国の者がいた。切れ長の目はこれまた温度の感じられない、空に浮かぶ月のような金色をしている。白く美しい軍服とは対照的に、肩に掛けたマントはボロボロで何だかチグハグだ。しかし、其れさえも似合っている男の様子に、潔は思わず魅入ってしまう。弓矢を中途半端につがえた男と、コスプレのような恰好をした異国の男。ふたりが無言で見つめ合う、そんな奇妙な空気を壊すかのようにけたたましい地響きのような唸り声が辺りに響く。それにハッと我に返った潔は、目の前で未だ微動だにしない男に身振り手振りを駆使し話しかける。


    「えーっと!あ!ここ!デンジャラス!ラン!逃げて!」
    「………」
    「あー!どうしよう!英語圏の人じゃないのかな!」
    「日本語で構わない」
    「そう日本語、って………日本語喋れたんすか!?」


    何でもないような顔をしながら頷く男に、小さく肩を落とす。何だったんだ今の苦労は。まあでも、言葉が通じるなら願ったり叶ったりである。持ち前の切り替えの速さと適応力を発揮し、異様な空気の中、鈍感なのか顔色ひとつ変えぬ男に向き合い手を引く。


    「まあいいや!今ここは凄く危険で!何かの撮影…かもしれないんですけど一旦逃げましょう!」
    「何故だ?」
    「な、何故って…説明、はしにくくて…終わったらちゃんと話すんでとにかく!」


    納得はいってなさそうなものの、素直に手を引かれる男にほっと息をつき出口を目指す。しかし、次の一歩を踏み出したとき、大人しくついてきたと思っていた男によって後ろに手を引かれる。たたらを踏み元凶の男へと背を預ける形になってしまった潔が、何事かと後ろを振り向こうとした、その時。


    「って!何ですか、って————


    前方で大きな物音が鳴る。先程、自身が踏み出そうとしていたその場所に、大きな木が倒れた。倒れた樹木の上には、にたりと笑ったような仮面を付けた虚。———止められていなければ、あと少しで潰されるところだった。それに遅れて気づき背筋を凍らせる。しかし、すぐさま頭を振り思考を切り替える。こんなことをしている場合ではない、気づかれたなら追われて逃げるよりも倒してしまった方が楽だ。ああ、でも何より先に、

    ——前を向いたまま黙った潔に、異国の男は不審そうに首を傾げる。見たところ怪我はなさそうだが。顔を覗き込もうとした、その瞬間であった。


    「……?どうかし———
    「———助けてくれて、ありがとうございます。本当に助かりました」


    虚と見つめ合ったまま、礼を伝えられた。そんな場面ではないだろうに、何よりも優先すべきことかのように感謝を伝えてくる男に、異国の男は目を見開く。

    先程まで焦りを滲ませていた瞳は、今は酷く落ち着き、穏やかな春の海のように凪いでいる。にも関わらず、その凪いだ青の先には、目の前の虚への敵意と隠し切れない戦闘への興奮が滲みだしている。そんな、一見チグハグながらもそれがさも当たり前かのように共存するその灰簾石に、男は目を奪われた。


    「とりあえず、俺より後ろに。これ片づけたらしっかり、お礼伝えるんで」
    「………」


    返事はないものの一歩下がった様子の男に息を吐き、青い弓を握り直す。こちらを見てもニタニタとした表情を変えない虚の様子に、倒し甲斐がありそうだな、なんて場違いなことを考えながら矢をつがえた。弓矢を向けられても尚、余裕綽々とこちらの様子を伺う虚が戯れのようにその手を振りかざす。


    「———遅いんだよ、間抜け」


    こちらに迫る手に焦ることなく、虚の頭の中心を青く美しい矢が貫いた。一拍後、醜く笑っていた仮面ごと、その虚が美しい青い焔によって燃え尽きる。何度見ても感心するほど美しいその光景に、ほうと息をついた。———思っていたより簡単に終わってしまった、なんて物足りなさを感じながらも異国人の無事を確認するため後ろを振り向く。


    「あーっと!お待たせしました、って、え、


    ————異国の男、その後ろに先ほど倒したものとは別の虚が、いる。先程倒したものより、ずっとずっと楽しそうにニヤニヤとこちらを見て笑っている。—しまった。矢をつがえる時間などない、今にもその爪を異国の男に振り下ろそうとしているのだから。咄嗟に男と虚の間に滑り込み、血液に霊子を流し込み腕を掲げた、その瞬間。

    美しい青い矢が、先ほどと同じように虚のド頭を撃ち抜く。寸分の狂いもなく眉間を撃ち抜かれた虚は、そのままその青い焔によって焼き尽くされた。言葉もなく後ろを振り向けば、異国の者が持つのは潔とは少し違う、だが同じ輝きを持つ青い弓。その光景に潔は思わず言葉を失う。だって、それは。


    「————滅却師、だ」


    母以外の滅却師など初めて見た。それでも分かる。この男は、強い。一矢、霊子兵装如きで何が、そう言われるかもしれない。が、この男の放つそれを見た瞬間、潔はその優れた五感が、滅却師としての血が震え上がったのを感じたのだ。
    との遭遇に言葉を失い、唯々こちらを見つめる潔に、異国の者は気にすることなく暗闇で光る金色の目を合わせる。


    「両親は?」
    「………へ?」
    「お前の両親は?」
    「えっと、母が滅却師で父が人間です」
    「混血か」


    咄嗟ながらも質問の意図を汲み取った潔の回答に、異国の男は考え込み、質問を続ける。


    「先程発動していた技は母からの教えか?」
    「さっきのは、自分でやってたらなんとなくできて」
    「…混血でありながら静血装を自力で、か」
    「……やっぱりさっきのって技名あったんですか!?」


    思わぬ出逢いと思わぬ収穫にテンションが上がる。そのテンションのままグイッと距離を詰めれば、異国の男は慣れていないのか少し体をずらした。
    ———やべ、初対面のひとにグイグイ行き過ぎた。その反応に冷静になり、恥ずかしそうに頬を掻きながら元へと戻り、改めて異国の男と向き合う。


    「さっきは2回も助けていただいてありがとうございました。俺、潔世一っていいます。見ての通り滅却師です。母親以外の滅却師に会ったの初めてで、興奮しちゃって。よければ、色々教えて欲しいなって、思ってるんですけど」


    感謝と挨拶と共に伸ばされた掌を、異国の男はじっと見つめる。永遠と、一瞬ともとれるような時間が過ぎ、男が掌を重ねようとした、その瞬間。


    「—————陛下、お時間です」


    暗闇から唐突に聞こえてきたその声に潔は肩を跳ねさせる。いつの間にか、差し出そうとしていた掌に懐中時計を乗せた異国の男は小さくため息をついた。そうして何事もなかったかのように、声のした暗闇の方へと歩いていく。

    ———駄目だったかあ。ひとり寂しく伸ばされたままの掌を下げようとした潔に、暗闇へと吸い込まれる一歩手前で異国の男が足を止める。


    「————三日後、同じ時刻に此処で」
    「………へ」
    「ああ、それと、


    突如放たれた言葉に驚いたように顔を上げれば、異国の男のもつ金色と目が合う。暗闇の中光り輝くそれに、狐に抓まれたように言葉を失う潔に表情も変えることなく、淡々と異国の男は言い放つ。


    「俺の名前はノエル・ノアだ。潔世一」
    「は…」


    異国の男———ノエル・ノアは言うだけ言うなりさっさと暗闇に残り一歩を踏み出す。一拍遅れて潔もそこへ踏み入れれば、そこには人の気配などない暗い鬱蒼とした木々が広がっている。

    ————消えちゃった。すげえ。名も知らぬ技を使い、俺の知らないことを知っている、圧倒的な強さを誇るであろう滅却師。ノエル・ノア。その名を口の中で転がし、遠足前のような胸の高鳴りを感じていれば胸ポケットの携帯が小さく揺れ出す。焦ったように開けばそこに表示される名は潔伊世。母の名である。


    「っもしもし!」
    「よっちゃん!よかった!大丈夫?」
    「え、うん!全然元気だけど、何で?」
    「何でって、時間、凄く遅いから」


    思わず画面を見ればそこに表示される時間は22時。いつもであればとうに帰宅し風呂に入っている時間だ。


    「やば!ごめんなさい!」
    「無事で元気なら大丈夫よ。それよりよっちゃん、何かいいことでもあった?」
    「な、なんで?」
    「朝、何だか元気がなさそうだったから心配してたの。でも今はとっても楽しそうだから」


    見抜かれていたらしい。母の対息子に関する観察力の鋭さに思わず舌を巻く。心配なんてかけるつもりじゃなかったのに。隠し事を責めるのではなく、無事なら楽しそうならよかったと言わんばかりの母に笑みを零した。でも、


    「……なんでもないよ。ただ、」
    「うん?」
    「月が、綺麗だったから。金色で、すごく」


    ———何となく、誤魔化してしまった。カーテンを開いた音がして、そうねえと朗らかに笑う母に、どことなく罪悪感で胸が痛む。でも、この出会いはなんだか黙っていた方がいい気がして。罪悪感で割れそうになる口を、あの男のような金色の月を見て塞ぐ。三日後、どうやって誤魔化そうかな。アリバイ工作を考えながら、母の電話とともに潔は帰路を急いだ。


    ——————————————————


    「これ、神聖弓(ハイリッヒ・ボーゲン)と神聖滅矢(ハイリッヒ・プファイル)って、言うんだ………」
    「お前が咄嗟に使用していた血液に霊子を流す技術は静血装(ブルート・ヴェーネ)と言う」
    「へえ………」


    三日後、サッカー部でご飯!と元気よく嘘をついて飛び出した潔は放課後、またあの時と同じ廃公園にいた。まだ日も落ち切っていない夕暮れ時、楽しみ過ぎて前回より数時間早く着いてしまったため、廃公園で緩く時間を潰す。街外れの森の中、壊れそうなブランコに腰掛けゆらゆらと揺れていれば、ふと暗闇が滲み出す。日が山脈に沈んでいくにつれて、人気のない荒廃した橙色の公園が濡羽色に吞み込まれていく。不思議な、光景であった。気づけば
    随分と時間が過ぎていたらしい。未だ、廃公園には潔以外の生きたものの気配は感じられない。————夢、だったのかな。広がる暗闇に冷静になった心から、そっと疑心が首を出す。滅却師のこととか、将来のこととか、そういうのうだうだと考えてた自分が見た都合のいい幻覚だったのかも。今まで滅却師と会うことも、会いたいと言うことすらできなかった。そのせいで随分と臆病になった心が、傷つく前に帰ろうと促す。それに、滅却師とはいえ見知らぬ大人だ。こんな人気のない所で親に嘘をついてまで会おうとしたことに、小さく疼いていた罪悪感が滲み出す。でも、一応。帰る前にとノートから一頁切り離し、スマホの明かりを頼りにメッセージを書いていく。


    ————拝啓、ノエル・ノア様。うーん、置いていく手紙に名前を書くのはよくないか。新たに頁を切り離し書き直す。拝啓、滅却師様。昨日は助けていただきありがとうございました。一歩間違えれば死んでいたかもしれません。本当に、って何回もくどい、かも。でも、感謝はいくらしてもいいって母さんも言ってたし。言い方変えればいいかな。


    「本当にありがとうございます、か?感謝の言葉しか今のところないようだが」
    「あはは、母からも感謝の言葉は大事って、教え、られて、て」
    「そうか。にしても随分と早い待ち合わせだな」


    いつの間にか目の前にいた男は先日と変わらぬ装いのまま、こちらの手元を覗き込んでいる。いくらひとつのことに集中してしまう自分とて、この距離にいながら人の気配に気づかぬことなどない。驚きに目を見開いた潔を気にすることなく、ノアは話を続ける。


    「スマートフォンか」
    「あ、え、ノア、さん」
    「ノアで構わない」
    「ノア………」


    夢でも、嘘でもなかったらしい。先日より欠けた月を背景に、同じ金色を光らせこちらを見つめる男にこれが現実であることを理解する。理解しながらも驚きで固まる潔に、男は説明を続ける。


    「生憎約束の類いは守る質でな。先日助けられた借りもある。聞きたいことがあるなら聞けばいい、その代わり」
    「…その代わり?」
    「潔世一、お前の話も聞かせろ。気になることがある。それならば丁度いいだろう」


    不愛想そうな男から吐き出されるこちらを気遣ったかのような言葉に、潔は瞳を瞬かせる。意外と面倒見、いいのかな。先程まで名と滅却師であることしか知らなかった男に、もう親近感を覚えていることに潔は気づかない。段々とその輝かせる灰簾石に、琥珀を光らせた男は小さく息を吐く。どんなことを知りたがるのか、存在も知らず行動も予測できない奇妙な滅却師の子供にノアは目を合わせる。


    「じゃあ!あの!ノア!」
    「ああ」
    「さっき使ってた影を使った移動法について教えてください!」


    ———瞳を輝かせ、何を言うかと思えば新たな技の取得方法について教えを乞うてくるではないか。目の前にいる見知らぬ大人(ノア)のことでも、詳しくないと言っていた滅却師のことでもなくより強くなるための方法を尋ねる。先程まで明らかに帰ろうとしていたにも関わらず、強さには貪欲な子供に、ノアはめったに使わぬ口角が上がっていくのを感じる。


    「ああ、構わん」
    「マジっすか!やった!」
    「生憎無駄な時間は嫌いでな。教えるからには一度で覚えろ」
    「っす!」


    普段、我の強く一筋縄ではいかぬ連中を従えるなか、この素直さに惹かれていないと言えば嘘にはなる。多少甘い自覚もある。だがまあ、その素直ながらも灰簾石の奥にあるのはこちらを喰わんと言わんばかりの強い闘志に惹かれるのは、致し方ない。どのみちここまで生き残っている滅却師であれば、出会うことは必然であった。戦力になるようであれば、尚更。

    技を教えるため広い空き地に向かうよう、着いてこい、そう顎を引けば素直にトコトコと後をついてくる子供に小さく笑みを零す。面白い、まずは自分の見立てが間違っていないか実力でも見てやろう。全知全能、全てを予測出来る筈の男が知らぬ特異点たる子供、彼を作戦に組み込むよう頭を回すノアとふたりの影が小さく伸びていた。


    ——————————————————


    「~!クソ!バランスバランス…」
    「攻撃に特化させ過ぎれば不意を衝かれて一発だぞ。感覚で行っていたそれを言語化出来るようにしろ。もっと霊子の配分を意識するんだ」
    「はい!」


    素性も分からぬ滅却師の男と、混血の滅却師の子供の交流は奇妙なことに一度きりではなく何度も続いていた。先日、レクチャー一日目にして影の使い方をマスターした潔はまたしても別れ際、次に会える日を一方的に伝えられた。通常であれば呆れか怒りの感情が湧くであろう、こちらの予定を一切鑑みずに告げてくるその態度。しかしまるでその態度こそが当たり前であるかのように似合う彼に、潔が覚えたのは憧憬であった。
    ——かっけえ。白いどこかの制服にボロボロの黒い外套、それをさらりと着こなし尊大な振る舞いをモノにする、年上のかっこいい滅却師の男。技を教授してもらうときに見せてもらえる彼の実力はため息が出るほど美しく、強い。17歳の少年が憧れてしまうのも無理はない話であった。

    そんな、憧れる男からの誘いを断るわけもなく。潔は律儀に廃公園へと通っていた。


    「お前は弓矢のままより剣などの形を変える方が向いているかもしれないな」
    「剣?」


    戦闘時、血装のバランスが動血装(ブルート・アルテリエ)にかなり傾いてしまう潔は、調整という名の訓練を行っていた。それを似つかわしくないブランコに座りながら見ていたノアがぽつりと呟く。


    「滅却師の武器って、弓矢しかないんじゃ」
    「厳格に言えばそうだ。ただし形状が弓矢である必要はない」
    「と、いうと……」
    「俺の知っている限りではメリケンサックから矢を放つ者もいる」
    「メリケンサック!?」


    衝撃の事実に目を見開く。メリケンサックって、どうやって矢を。考えてもみなかった滅却師の大前提を覆すその提案に言葉を失う潔を見て、ノアは淡々と自身の見解を語る。


    「お前はどうも攻撃型に傾きやすい傾向がある。敵を遠距離から狙うより獲物に突っ込む方が向いている、自分でもその自覚はあるだろ」
    「あ、はは……」
    「それに何より戦闘を、相手を葬るその瞬間を楽しんでいる節がある、違うか?」
    「は……」


    投げかけられたその問いに、元々見開いていた目を更に大きく零れそうになるまで開き固まる。そんな、筈は。母の教えに従い、誰かを害するためその力を使ったことはない。虚とて元は人間だ、だから。

    顔を青ざめ固まった潔に、ノアは小さく息を吐いて椅子代わりにしていたブランコを立つ。そのまま自らが座っていたそれに、潔の体を押し込んだ。咄嗟のことに瞬きを繰り返す潔の顔色が少し改善したのを見て、話を続ける。


    「潔世一」
    「……はい」
    「前回話したように、虚は滅却師の毒であり倒すべき敵だ。元が人間だとしても、今虚となった彼奴らはその人間を喰い殺す化け物でしかない」
    「……はい」
    「お前の母の教えが間違っているとは言わん。ただ、どうにもお前の心とそれは離反しているように思える。その離反はいつか身を亡ぼすぞ」
    「………」


    ————唇を噛み締め、俯く潔にノアはため息をつく。強さへの貪欲さ、素質、覚えの早さ、そのどれもが己のお眼鏡に適っているにも関わらず、この母の教えが非常に厄介なものであった。通常あれば戦闘狂、聖人、どちらかに傾きそうなものの潔は上手くそれが共存してしまっている。根っこの部分はノアによくため息をつかせる青薔薇のように、意味がなくとも戦闘行為自体を楽しむことが出来る戦闘狂の類いであろう。先の戦闘や訓練で輝かせるその瞳からも察せられる。しかし滅却師としての、強者としての務めを為そうと己が意識している部分も随分とその体に言い聞かせられているようだ。今にも暴れ出しそうな狂犬を、強い倫理観の鎖が抑えている。それがノエル・ノアからみた潔世一という人間であった。

    ——だが現在、それが自身の望む戦闘狂へ傾いているのも事実。戦力として加えるならそちらの方が好都合。あと一歩、予測通りならそろそろ。天秤を傾かせるため、潔世一との逢瀬で恒例となっている時間制限までの雑談を始める。


    「その状態では話も訓練も身に入らん」
    「…はい」
    「責めてなどいない。折角だ。滅却師について、お前の昨日の疑問に答えよう」
    「…どうして、現世に滅却師がいないかって話ですか」


    頷き、こちらを見上げる灰簾石を見つめ返す。前回は時間が足りず、話しそびれてしまった話題。滅却師を継がずに済むよう、彼の優しさを信じた故に伝えられなかったであろうその忌々しい過去を語ろうとした、そのときであった。


    「現世において、滅却師が存在しないその理由は———
    「——————何だってこンなところに滅却師共がいやがる?」


    突如現れた声の主に、潔は咄嗟に顔を向ける。そこには大きな刀を肩に担いだ、黒い着物をきた男が気だるげにこちらを見ていた。誰だ。先日のノアと同じように、声を掛けられるまで気配など感じ取れなかった。驚き固まる潔とは打って変わり、ノアはまるでその出現を知っていたかのように落ち着いている。


    「死神か」
    「おうおうよくお分かりなこって!そうさ、何やら不穏な霊子を感じ取ったらしく休日出動させられた死神さんよ!」


    此奴が、死神。初めて見たその存在に大きく目を見開く。滅却師と死神、同じく虚を狩るものとして母から名を聞いたことはあった。でも姿を見るのは初めてだ。口まで開けてぽかんと死神を見上げる潔に、何故か、その死神の男は厭に口角を上げて話し出す。


    「でもまあ、へこへこと逃げて生き残った滅却師がこんな寂れたところで密会とはねぇ……」
    「は?」
    「やあ怖い!そんな顔で睨まないでくれよ坊主」


    目の前の男によって放たれた言葉に首を傾げる。逃げた、生き残り。どれも聞いたことのない話。どうやら目の前の男は自分の知らぬ滅却師のことを知っているらしい。こちらを蔑む様な男に、不本意ながら潔は問いかける。


    「逃げたって、生き残りって何のことだよ」
    「んん~?何だ坊主!そんなことも知らねぇで滅却師やってんのか」
    「うるせえな、さっさと教えろよ」
    「餓鬼が一丁前に。まあ許してやるよ。いいか?滅却師は1000年前、俺たち死神によって滅ぼされてんだよ」
    「は………」


    告げられた言の葉は理解した筈なのに、脳が理解を拒んでいる。滅ぼされた、此奴らによって。言葉を完全に失った潔に気を良くしたのか、死神は更に楽しそうに語りだす。


    「まあ俺はそのとき生きてたわけじゃねえから知らねえけどさ。当時の死神、隊長たちはそれはまあ恐ろしいもんだったらしいぜ。隊長共だけで滅却師の屍が山のようになってたって話さ」
    「……んで」
    「あ?」
    「何で、滅却師は殺されたんだよ」


    様子の可笑しい潔に気づくことなく、問いを理解した死神は更に口角を上げてにまりと笑う。目の前にいる何も知らない幼い滅却師を嘲笑う、酷く厭な笑みであった。


    「そんなの滅却師が邪魔だったからに決まってンだろ」
    「は……」
    「回らん殺し方しやがって、魂魄ごと滅されちまうと困るんだよ。どうせこっち(死神)がやるからって言ったって力を使うのを止めなかったんだ。そりゃ殺されて当然さ!」


    何が、当然だ。巡回だとか何を言っているのか分からないこともあるが、要は自分たちの仕事に邪魔だったという話であろう。滅却師は虚への耐性がない、ノエル・ノアによって教わった滅却師の弱点だ。だからこそ、滅却師は虚を倒す手段を手に入れた。立派な自己防衛である。それをまるで子供の癇癪のように捉え、あまつさえ殺されるべきだったなどとほざく死神に、なんとか言い返してやろうとしたそのとき。————青く美しい矢が、目の前の男を貫いた。余裕綽々、愉しそうな笑みを浮かべていた男は、一瞬にしてその顔を苦痛で歪める。


    「っは、おま、こんなことして」
    「こんなことをして、何だ?聞くに堪えない戯言を吐く屑物を黙らしただけだろうに」
    「ふざけん、な!というか、お前、初めて見る滅却師だな、って!」


    ノエル・ノアの持つ、長い足が傷口を押さえていた死神を蹴り飛ばす。そのまま今度は脳天に弓矢を当て、淡々と天気でも話すかのようにノアは話を続ける。


    「滅却師の顔とそれらについて知っているならまあ、それなりに上の階級かと思ったんだが。どうやら死神連中はここ1000年で随分と弱くなったらしい」
    「っは………」
    「冥土の土産に教えてやる。近々滅却師がそちらに邪魔をする予定だ。要件としては滅却師が世界を取り戻す。そうとでも言っておこうか」
    「な、にをいって」


    困惑と痛みに顔を歪めた死神の眉間を、青い矢が打ち抜いた。そうして支えを失ったかのように、男であったものは倒れる。人が死ぬところなど初めて見たのだろう、可哀想なほど顔を青ざめた潔と目を合わす。


    「今、あの男が話したそれは事実だ」
    「………」
    「それ故、滅却師は現世から姿を消しほぼ絶滅されたとされている」
    「………」
    「だが、実際には生き延びている。お前たちのように現世にいるものだけではなく、もっと多くの滅却師が」
    「へ……」


    衝撃の言葉の数々に、思考を止めていた潔は見逃せぬ言葉に思わず口を開く。だって、現世にはいないはずの滅却師が沢山生き延びている、なんて。


    「でも、俺、母からも生家以外の滅却師なんてほぼ見たことないって、聞いてて」
    「現世にいる滅却師はほんのわずかにすぎん。その他の滅却師は影にて生き残っている、見えざる帝国(ヴァンデンライヒ)でな」
    「は…」


    目を回す、正にその言葉通りの潔に気遣うことなく、ノアは立ち上がり暗闇へと足を延ばす。よく見れば、奥には何時も時間を告げに来る男がそこには立っていた。随分と時間が経っていたらしい。あと一歩、初めて出会ったときのように暗闇に呑み込まれるその直前で止まったノアは、こちらを見ずに告げた。


    「先程も告げたように、近々死神連中と一戦交える予定がある。その際に潔世一、お前を戦力として迎え入れたい。俺はそう考えている」
    「おれ、を…」
    「明日の同じ時刻、ここで待っている」


    またもや初めて逢ったときのように、返事を待たず影へと消えていったノアに地面へと腰を下ろす。胸元で揺れる電話は、今は取れそうにない。どうすればいい。何が正解で、為すべきことは、選択すべきことは何なのか。告げられた衝撃の事実と、刻一刻と迫る選択の時に潔は唯々息を吐くことしか出来なかった。


    ——————————————————


    随分と細くなってしまった月を背に、頭の双葉が特徴的な少年が廃公園のブランコに腰掛けていた。こんな場所にこんな時間に、そう言われても可笑しくない状況ではあるが生憎ここは森の中。人の気配など少年のものだけである。ブランコを漕ぎながら、やけに神妙な顔をした少年は、何かに気づいたのか飛び降り暗闇を見つめる。

    何もかもを飲み込む様な暗闇の中、一人の異国の男が現れた。真っ直ぐに少年の元へ向かい、後少し、その位置で止まった男は辺りに響く虫の音のように静かな声で問いかけた。


    「覚悟は決まったか」


    それに対し高校生ほどであろうか、顔を俯かせた少年も静かに語りだす。


    「覚悟とか、目的とか、そういうのは分からないんですけど。でも、


    少年が顔を上げる。闘争心とか憎悪とか、期待とか不安とか、全部がごちゃまぜになりながらも其の全てを吞み込んだ、幼い顔つきに似合わぬやけに鋭い灰簾石が爛々と輝く。


    —————行きます。強くなって、自分で見て知って、母の教えてくれた滅却師を否定させないために」


    それに応えるよう異国の男は黒い外套を広げ、掌を差し出す。握り返そうとした、その瞬間、少年はあっと気づいたかのように言葉を重ねた。


    「その、何より強くなりたいんです。向こうでもまた特訓してもらえますか?」
    「……ああ、構わない。お前に渡したいものもある」


    一気に輝きだした瞳に、異国の者は堪らないと言わんばかりに思わず目を細める。それに恥ずかしそうに頬を掻いた少年は、今度こそ、その手を掴んだ。その瞬間、暗闇に溶けるよう一瞬にしてふたりの姿が消える。あとに残るのは、小さく揺れたブランコだけであった。


    ——————————————————

    色の亡き 此の世界に欲しきものなど
     ただひとつ お前の持つ灰簾石だけ
    興無き 此の世界に欲しきものなど 
     ただひとつ お前だけだと

    ・THE BLUE ROSE is fascinated ZOISITE
    ・JUST FASCINATED
    ・THE BLUE ROSE smirk
    ——————————————————


    きっと、一目惚れであったのだろう 他のモノなど目に入らぬほどに


    ——————————————————


    見えざる帝国、王の間にて。

    王からの直々の招集命令に応じ集まった、揃いの制服に身を包んだ星十字騎士団に所属する全滅却師たち。一言たりとも話すことは許されぬ。そう言わんばかりの沈黙に包まれた空間にひとつの大きな足音と、それに続く静かな足音が響いた。その途端、かの有名な聖書の海割りかのように中心に道が現れる。

    その道をさも当然と言わんばかりに悠々と歩く美しい男と、それに仕えるように一歩後ろを歩く赤髪の男。招集時刻は当に過ぎている。それでも誰一人、責めるどころか話しかけることもなく、尊敬と畏怖のまなざしを持って彼らを見つめている。


    「だぁー、随分と遅い到着じゃん。なあ、ミヒャ?」
    「ロレ公如きが気安く話しかけんじゃねえです」
    「ばはっ、ネス坊は相変わらずの忠犬っぷりだねぇ」


    奇妙な空間を壊すよう、酷く不健康そうな見た目をした男がふたりに話しかける。その口から覗くのはいっそ禍々しいほどひかり輝く金歯。その様相には一切触れず、赤髪の男——アレクシス・ネスは主への不敬を強く責め立て、それに口角を上げた金歯の男———ロレンツォは更に煽るような言葉を放つ。正に一触即発、今にも獲物を取り出しそうなネスを美しい男の大きな手が抑えた。


    「クソうるせえ。お前も雑な煽りに乗んな、ネス」
    「っすみません」
    「テメェもその名で呼ぶなって言ってんだろ、全金歯野郎(フルキン)」
    「つれないこと言うなよォ。仲間、OK?」
    「雑魚と仲間だなんだと慣れ合う気はねぇっつてんだろ。それよりこの招集は何だ」
    「さあ?後継者候補のミヒャが知らないんじゃ誰だって知らねぇよ。理解、OK」


    癖のある口癖と煽るような態度に美しい男————ミヒャエル・カイザーは眉を顰める。はなから期待などしていなかったが、実力も序列も一応申し分ない此奴が知らぬというのであれば本当に誰もこの召集の目的は知らないのだろう。目的を、その意図を予測しようと思考を始めるカイザーを咎めるよう、大きな声が響く。

    「全員十字奉上!ノア陛下に敬礼!」
    「——————全員揃ったか」


    普段は仲間意識なんぞクソ喰らえと言わんばかりの個人主義集団が、恐ろしく揃った敬礼を行う。気に食わない、それに対しカイザーは小さく舌打ちをした。呼ばれた目的も分からなければ、忌々しい陛下(ノア)を敬うことに疑問など持ちもしない滅却師共(まぬけ)を見て機嫌が最低値を叩き出した。帰ってしまおうか。只一人姿勢を変えることないカイザーを、壇上に現れたノアは一瞥しすぐに目を逸らした。


    「突然招集をかけたのには理由がある。———来い」


    ノアが現れた上手から、ひょこりと幼い子供が歩いてくる。頭の上の双葉を揺らし、緊張しているのかその歩みは酷く不格好だ。何だ、此奴は。突然の訪問者に、敬礼をしていた筈の滅却師たちも困惑の言葉を漏らす。親離れも未だ出来ていないような、己たちと揃いの新品の白い制服を着た子供はそのままノアの元へとたどり着くと、後ろではなく隣に並んだ。それには思わず、カイザーもその端正な顔を歪める。


    「紹介しよう。潔世一、現世にて生き残っていた滅却師のひとりだ」


    現在、こちらに紹介されている筈の子供は何故かこちらではなくノアにその瞳を向けている。現世の生き残り、要は帝国から逃げ出した滅却師の子孫。そんな男が何故か星十字騎士団の制服を着て壇上にいる。滅却師たちの困惑など手に取るように分かっているであろうノアは、それを気にせず言葉を放った。


    「俺は此奴を、潔世一を後継者候補として指名する」


    —————あの男は今、何と言った。後継者候補。己にのみ与えられていた役職(ポジション)を、この乳臭いガキに与える?冗談じゃあない。声を荒げようとした、その時であった。ミヒャエル・カイザーはその美しい口を開き、動きを止める。

    子供がその頭をふるりと振る。重い前髪が割れ、青く美しい灰簾石の瞳が現れた。ノエル・ノアを見つめるその瞳は、宝石も叶わんといわんばかりに憧憬が散りばめられひかり輝いている。そう、それだけなら美しいとは思っても動きを止めるほどではない。また新たにクソ陛下(ノア)の狂信者が増えたと落胆さえ覚えていただろう。しかし、そうはならなかった。だって、その瞳の憧憬の輝きの奥に今にもノアをも超えてやろうとする爛々と燃えた闘争心を、確かに見たのだから。————嗚呼、成程。その一瞬でノアの意図を理解したカイザーは口角を歪める。


    「は?何で、そんな奴を後継者に!陛下!」
    「クソ黙れ」


    酷く狼狽え、声を荒げた己の従者を押さえつける。突然響いた大声に驚いたのか、ノアを見つめていた筈の少年がこちらにその瞳を向ける。青い、大きな灰簾石と目が合う。———欲しいなァ。初めて抱いた欲求に、その感情を隠すことなく頬を緩める。突如笑い出した男に灰簾石はその瞳を怪訝そうに歪めた。


    「異論も、懸念もこの場では必要ない。自分の目で見て、言語化して尚、俺を説得できるだけの論拠があるなら改めて聞く。ちなみに潔世一との接触に関して、一度目の侵攻までは俺の許可がない者には禁ずる。要件は以上だ」


    何一つ状況を読み込めていない滅却師たちを置きさっさと立ち去るノアの後ろを、灰簾石の少年——潔世一が続く。オドオドと狼狽えていた登場とは違い、その足取りは確かなものだ。下手へあと一歩、その場で立ち止まったノアは後ろを振り返ることなく言い捨てる。


    「ミヒャエル・カイザー、お前も来い」
    「あいあい」


    壇上へふわりと降り立つ。重力を感じさせぬ軽やかな動きに合わせ、肩に掛けた外套と男の持つ二又が楽し気に浮いた。それを猫のようにじっと見つめる潔に、にまりと口角を上げる。その灰簾石に浮かぶのは容姿への賞賛と強い警戒心、加えて隠し切れない強者への期待。面白い。何時もなら命令無視も上等、呼ばれてノコノコと後ろを歩くなんて真似はしてやらんが今回は別。ノアの後ろを歩く潔の隣に立ち、怪訝そうにこちらを伺う様子を横目で楽しみながら素直についていく。渦中の三人がいなくなった王の間を、困惑と赤髪の恨めしい声が満たしていた。


    ——————————————————


    「ま、待て!俺は強い!お前らの言うその駒とやらにっ!」
    「だからその有用性を口じゃなくて見せろって言ってんだよ三下」


    潔の持つシンプルながらも美しい剣が破面の胸を貫く。しかし腐っても破面、胸を刺された如きで死ぬわけがない。交渉決裂を悟ったのだろう。潔を蹴り飛ばすことで剣を胸から抜き、没収していた筈の武器を背中から取り出す。そのままこちらに向かってくる破面に、潔は口角をふわりと上げた。


    「そんなに言うんじゃ仕方ねえなァ!?その身をもって知れってんだ!」
    「—————気合はいいけど周りが見えてなさすぎ。不合格」
    「は?っ!」


    こちらへ突っ込んできた破面に、剣から弓を形成し矢を放つ。想定などしていなかったのだろう、無数の矢に穿たれた破面は其の身体に無数の穴をあけどさりと落ちた。胸を貫いた際に付いたのか、刀身を伝う血を振り払い剣を仕舞う。ひと段落した仕事に、ほうと小さく息を吐いた。
    ————初めての任務にしては、上出来じゃないか。傷ひとつ負わずに済んだことに上機嫌になるその脳に抗うことなく、頬を緩める。それに何より、今まで教わった技も技術も実戦で活かすことが出来たその嬉しさに、否応なしに口角が上がる。弓矢ではなく剣での実戦は初だったが、敵と顔を突き合わせ純粋に力を比べるそれは、本当に酷く楽しいものであった。その気質について、ノアに指摘され気づいたときには此の世の終わりとでも言わんばかりに絶望していたにも関わらず。そんなことも忘れて随分と戦闘狂に傾いている潔は、それでも母の教えを忘れずに破面の死体に手を合わす。でも、顔を上げ己が倒した破面を見つめ、少々物足りなさを感じる自分がいるのも事実。発しきれない熱を逃がすよう、小さく息を吐いたそのとき。


    「随分とまあ凄い顔しちゃって。欲求不満ってやつか?」


    砂が吹き荒れる荒野の中、静寂を切り裂くように響いたその声に潔は顔を歪める。そのまま無視するよう、胸元のポケットからノアに貰った懐中時計を取り出せば、そこに示された時間は想定より少々遅い。————最悪だ。さっさと帰って報告しなくては。さっさと帰ろうと、他の滅却師たちに声を掛けようとした潔の目の前に、青く美しい矢が突き刺さる。咄嗟に避け、ずっとその存在を無視していた男を睨み付ける。


    「本当に何しに来たんだよお前」
    「言ったじゃないか。世一くんだけじゃあ心配で仕方ないからと」
    「ほざけ。心配も手伝うどころか邪魔しかしてねぇだろうが」
    「さあ?クソつまらん依頼に華を添えてやっただけだ。感謝されど非難される筋合いはない」


    そう、先程の破面との戦闘からも分かるよう、任務自体は難しいものではなかった。にも関わらず、想定より時間が掛かってしまったのはこのいけ好かない男、ミヒャエル・カイザーのせいであった。


    見えざる帝国皇帝補佐・後継者候補の星十字騎士団最高位であるミヒャエル・カイザー。ノアから与えられた聖文字は「K」(The Kaiser)。その能力は皇帝の名に相応しく、自身の矢で貫いたものを操るというものである。

    着々と任務をこなす潔を見つめていたカイザーは、順調に進む任務を眺めながら何を思ったのか。何故か後ろに引き連れた滅却師にその美しい矢を穿ち、潔へとけしかけた。
    使えるものは滅多にいないとノアから教えられた、乱装天傀を他者に使用するかのような此奴の能力。意識を奪い完全に駒として使うことも、意識を残し言う事を聞かぬ自身の体に顔を歪める様子を眺めるのも良し。今回は後者の気分だったのか、まさか上官によって上官への攻撃を命令されるとは思っていなかったのだろう、顔を歪めこちらに向かってくる平隊員に潔は大きく舌打ちをした。別に潔とてカイザーの腰巾着以下の強くもないヤツに興味など更々ない。しかし、上官に攻撃などしたくないと顔を歪める同胞(滅却師)に何も思わないわけでもない。やりづらそうに応戦する潔を見て、青く美しい薔薇は酷く楽しげに笑っていた。


    ————ミヒャエル・カイザーという男は何時だってそうだ。潔がノアとの一対一で特訓を付けてもらえる日、指定された場所に行けば8割此奴がいる。残りの2割は後からの乱入なのでそう、毎回いるのだ。毎度律儀に顔を歪める潔に、同じく毎度律儀にニヤリと笑って煽るカイザー。それを見てため息をつくノアの三人は最早、見えざる帝国にてお馴染みの光景となりつつある。大変遺憾である。
    また、能力や戦闘スタイルの類似、強者であることからノアから接触許可を得ている数少ない滅却師のうちの一人、ロレンツォと話しているときだってそう。話に割り込むだけでは飽き足らず、間に入り潔の肩に腕を回してくる。抜け出そうとすれば酷く睨みを効かされ、それを見たロレンツォがカイザーを煽り更に肩に回された腕に力が入る。それに対し更に潔がキレるなんてやり取りも、見えざる帝国にてお馴染みの光景となっている。大変、遺憾である。


    —————本来の此奴は、人との接触も必要以上の慣れ合いも嫌いなタイプなのだろう。ロレンツォとのやり取りや、ネスと潔以外には近づかない、近づけないその姿勢から、少ない付き合いの自分でさえ察せられるほど顕著である。にも関わらず、自分にだけ異様な執着を見せるミヒャエル・カイザーという男。

    一度、殺したいほど嫌いならば近寄るな、そう伝えたことがある。だって、此方を見てくる自分より少し明るい青い瞳は、明らかに好意なんて生易しいものなど含まない、獲物を狙う色をしていたから。でも、そう伝えてもあの男は、
    「世一クンはなァんにも分かってないなァ」
    と笑い頭を撫でてくるばかり。分からないなら考えなければいい、そう思考の外へ流そうとしても特訓、移動全ての行動の度についてこられてはそういう訳にもいかない。ストレスの限界であった世一は肩にもたれ掛かる王冠を振り払う。


    「生憎、俺はお前に構っていられるほど暇じゃない。玩具が欲しいなら他を当たれ」
    「釣れないなァ。そこいらの玩具如きじゃ満足できないことぐらい、お前なら分かるだろう?」
    「五月蠅い。分かってもお前と一緒にされたくないから分からない」
    「取り付く島もない、とはこのことか。折角外に出たんだ、手合わせぐらいしてやろうかと思っていたんだが」
    「そっ…」


    一瞬輝いた瞳を見逃さなかったらしい、青く切れ長な目が可笑しそうに弧を描く。バレている、最悪だ。
    潔世一は星十字騎士団に入団して早々、さっそくその適応力を活かし気性の粗い上官たちの手綱を握る常識人として。また本人としては感謝を忘れず話しかけられれば応える、という人間としての常識を発揮しているだけに過ぎないが、正に個人主義、仲間意識などない星十字騎士団においては五度されるほど珍しいそれによって様々な者に親しまれている。
    しかしその実、戦闘訓練に付き合った滅却師からは非常に恐れられ、最も恐ろしい存在として名を挙げられるほどの戦闘狂であった。

    潔世一に与えられた聖文字は「P」(The predator)。捕食者の名の通り、相手からの攻撃や身体を喰らうことで自身の能力とし自在に操ることが出来る、というものだ。格上の能力でも完全に操ることができ、また時間制限はあるものの身体で覚えれば能力が切れた後も技を使用できる。この能力と資質、潔世一自身の適応力の高さがこれ以上ないほどの化学反応を起こし、潔は着々と戦闘狂への道を突き進んでいた。


    だからと言って誰彼構わず手合わせを頼んでいるわけではない。特に、此奴——ミヒャエル・カイザーには一つの手の内だって、隙だって見せたくなかった。
    だから敬愛するノア様に頼んでまで、自分の気質や聖文字諸共、黙ってもらってまで隠していたのだ。にも関わらず、ニヤニヤと笑う男は罠を掛けかかった子兎を楽しそうに見つめている。大方今までの異様なまでのストーキング行為や、潔を徹底的に敵視し、此奴を敬愛するネスの情報収集辺りではあろう。まあ、カイザー自身への興味は本当にクソほどないとはいえ、その強さには目を置いていた。それにいつかはバレる、はなから隠し通せるなど思ってはいなかった。が、気分は最悪だ。
    考えていることが全てわかるような、表情をくるくると変える潔に機嫌をよくしたカイザーは更に距離を縮め耳元で囁いた。


    「今日の仕事はもう終わり。特別にこのオレが稽古でもつけてやる。惨めったらしく泣いて感謝しろ」
    「…っふざけんな!誰がお前なんかに!」
    「全く素直じゃないなァ世一は。お前だってとっくに気づいてんだろ、お前と俺は同類だ」
    「はあ!?ふざけんな!似てるわけねえだろ」
    「キャンキャン吠えちゃって。まあ、いい。能力や目指す地点で考えろ。お前が現段階で目標とすべきはノアではなく俺だ。ノアは確かに強い、でもあれは根本が違う。お前なら分かるはずだ」
    「…」


    分かっている。分かっているのだ。潔世一とミヒャエル・カイザーがどうしようもなく似ていることぐらい。でもその事実が更に、潔の対ミヒャエル・カイザーアレルギーを悪化させていた。

    K(皇帝)とP(捕食者)、人を操り自身は悠々と戦闘中も寛ぐ男と戦場を駆け回り積極的に交戦する男。聖文字で言えば欠片も似通っていないふたり。しかしその実ある一点にて、潔の敬愛する全てを見通すような男、ノアさえ似ていると評する部分がある。—————徹底した個人主義の結果、個での戦いを好む滅却師にしては珍しく、戦場を支配し意のままに駆け回る戦術的な戦闘スタイルを行うという点である。視野の広さ、圧倒的な自己分析の正確さ、他者の実力分析、全てを持って行うことのできる、まさに支配者たる戦いはふたりが得意とするものであった。

    初めてカイザーの戦いを見たとき、脳天に雷が落ちるような衝撃を受けたのを今でも覚えている。まさしく、一目惚れのようなもの。

    初めて逢ったのは、ノアによってつれられ後継者候補として紹介された王の間。見るからに強い滅却師たちに陛下と慕われ、それが当然であると振舞うノアに視線を奪われていた時であった。突如響いた大きな声に驚き下へと視線を向けたそこに、彼奴はいた。集団の先頭で、金と青の美しい髪を靡かせながら潔だけをその美しい瞳に映す男。———綺麗な人だな、そう思った。その後、ノアに呼ばれたその瞬間には潔の隣を歩き出したその男に、更に期待を大きくする。だって、一瞬で隣に、気配もなく現れた。隣を歩く意図は分からないし、此方をニヤニヤと見つめてくるのは頂けないが明らかに強者で美しい男の登場にワクワクしたのは、事実。まあその後ノアからの紹介と共に披露されたマウント癖に、早々にその胸のときめきは憎悪へと変わった訳だが。

    ———————でも一度、ノアと何故かいたカイザーを踏まえた特訓の際に手本として行われた模擬戦で見たカイザーの戦い方は本当に美しくて、正に自分の理想で。

    気に食わない男が理想なのも、そんな男と似ているのも、それを周りから指摘されるのも癪に障る潔は、その当本人からの指摘に急激に機嫌を悪くした。照れ隠しともいえよう。


    「五月蠅い。お前の暇潰しに付き合う余裕はない」
    「はっ、クソつまらん返答をどうも。お前はもう少し人生というものを楽しんだ方が良い」
    「任務が終われば即報告、小学生でも分かるだろうが。そもそもお前の余興なんかよりノアへの報告の方が———」
    「クソ黙れ」


    一瞬のことであった。勝手に、親しげに、肩に回されていた腕によって襟元を持ち上げられる。大変遺憾だが、カイザーの引き締まったその体格は潔よりも遥かに優れている。そのため、任務終わりで気を抜いていた潔の足は簡単に浮き、気管が閉まる。


    「っは…」
    「情緒の欠片も理解できないお子ちゃま世一クンに教えてやる。男の腕の中で、他の男の名を出すもんじゃない」
    「は、なせっ!」
    「あまり煽ってくれるなよ、世一。今だって直ぐにでも手に入れたいのを我慢してやってるんだ。これ以上は流石の俺も我慢は出来ん」
    「…ふっざけんな!」


    大きく体を捩じり拘束から抜け出す。一体何が、此奴の琴線に触れたのか全く分からない。それでも、ニヤニヤと睦言のような言葉を吐きながら酷く冷たい目を向ける青薔薇を睨み付ける。そうして明らかに油断しているであろう男の胸元を掴み、勢いよくこちらに引き寄せる。額からごちんっと鈍い音が響き、眼前の美しいブルーサファイアが歪む。————こんなところ、ネスの野郎に見られたらまァた五月蠅いだろうな、まあ、彼奴も、そんなことも関係ない、何としてでも、言わなければならないことがある。


    「っい」
    「勘違いするなよ、ミヒャエル・カイザー。お前が俺を手に入れるんじゃない。俺がお前を喰うんだ」


    今日、ひとつ此奴との類似点を見つけた気がする。自分の憶測で、確証はないけれど。多分、此奴も俺もそう。それは、何時だって互いを手に入れる/喰らい尽くすことを考えていること。今日初めて、人の形をしたものを自分の手で殺した。もっと罪悪感とか気持ち悪さとかを覚えるもんだと思っていたのに。潔が何より感じたのは、此れがミヒャエル・カイザーであったらどんな気分なんだろう、そのひとつであった。俺に負けたカイザーは、俺に喰われたカイザーはいったいどんな顔をして、どんな言葉を吐いて、どんな気持ちにさせてくれるのか。そのひとつを、潔はずっと考えていた。だから。
    喋る度に吐息が降れるほどの距離でカイザーを睨み付ける潔に、温度のない目から一変、酷く愉快そうに目元の朱が歪んだ。

    「キャンキャン吠えてまあ、威勢だけはよろしいこって」
    「うるせぇ。そのお綺麗な顔、直ぐにでも絶望で染めてやるよクソ王子」
    「はいはい、楽しみにしてるよクソ道化」
    「はっ、道化はお前だろうが」


    またもや勝手に肩に腕を回し、酷く楽しそうにペラペラと話し出すカイザーに大きくため息をつく。まあ機嫌の悪い此奴はとにかく面倒だし何より、ノアへの報告が遅れては叶わない。隣の男の喰い殺し方を虎視眈々と考えながら、早くもお得意の適応力を発揮させ圧し掛かるカイザーを気にせず歩き出す世一に、青薔薇は目を細めた。


    ——————————————————


    ———他の滅却師(クソ雑魚共)のように唯々意識を奪って操り人形にするのも、意識を奪わず苦痛に歪むその顔を眺めるのもつまらない。この生意気で、気高き美しい青い獣は、己の手で完璧に調教し陥落させたい。


    ミヒャエル・カイザー。かの星十字騎士団最高位滅却師の与えられた聖文字は「K」。
    多くの滅却師は、彼の能力を人の肉体を思う通りに操ることのできるモノと考えている。事実、唯々自身の弓矢を撃ち込んだ場合は精神の有無は匙加減だが、命令によって身体を操作することが出来るものであるのは違いない。

    しかし、ミヒャエル・カイザーの能力にはもうひとつ、大きな力がある。
    それは、滅却師であれば死者に対してのみ使用できる禁術のようなもの。王冠の置かれた掌から死者に対し血を植え込み、自身の首にあるものと同じ青薔薇を咲かせることで完璧に従者として調教し、蘇らせることが出来る。

    使い方によっては自分に忠誠を誓った部隊を作り上げることのできる、ノアさえ脅かすやもしれぬ非常に強力な能力。
    にも関わらず、ミヒャエル・カイザーはこの力を使用したことがなかった。使い勝手が悪いわけでも、能力として欠陥があるわけでもない。唯々、死者など蘇生せずともどうにかなるほどの己の戦闘能力と、自身が血を与え調教してまでも従えたい存在が現れなかった故である。

    加えて彼は、自己分析と他者分析が完璧であった。確かに星十字騎士団最高位であり皇帝の名を持つが、全知全能であるノエル・ノアには敵う見込みは現状ない。この己が、他人の下につくこの状況を良しと思ったことなど一度たりともない。が、負け戦をしたいわけでもない。
    この自己矛盾すら抱えずに盲目にノアを慕う滅却師共も、それをつまらないとしている自分でさえ従うしかない現状も、皇位など譲る気もなさそうな癖して後継者候補なんてくだらない役職を与えてきたノエル・ノアも、死神に負けたことで逃げるようにして作られた帝国も、何もかもが気に喰わない。影だからか、ノアの気質によるものなのかは知らぬが色のない酷くつまらない帝国で、酷くつまらない日々を過ごしていたカイザー。

    そんな彼はある時、一匹の美しい獣に出会ったのだ。

    友になりたいわけでも、ライバルとして競い合いたいわけでもない。
    あの美しい灰簾石の瞳が自分だけを映し輝くところが見たい。あの美しい灰簾石が欲しい。

    自身の能力はこの為に、そう感じるほどの出逢いであった。
    ミヒャエル・カイザーは、虎視眈々と潔世一の寝首を掻く機会を狙っている。ただ殺すだけではつまらない、圧倒的なまでの敗北を与え、自身の力不足と己との実力差に絶望する顔が見たい。そうして、そう、そっと撫でた首筋に咲く青い薔薇を此奴にも、同じ場所に刻み付けてやりたい。

    ——————いつだったか。いつものようにノアとの特訓に御邪魔したとき。相変わらず打てば響くを体現したような潔を揶揄い、満足して帰ろうとしたときのことだ。

    自室へ帰ろうとしていた潔の隣を勝手に歩く。何時もならウザイと顔にでかでかと表し早足で自室に向かう潔が、酷くゆっくりと隣を歩いていた。不思議な事もあるものだ。静寂に包まれた、色のない殺風景な廊下を歩いている。…やけに、隣の男からの視線を感じる。横目で見てみれば、隠す気など更々ないのかじっと首元を見つめている灰簾石が目に入った。本当に珍しい、不思議な状況に内心驚きながら口を開く。


    「視線がうるせェ」
    「えっあ、ごめん。無意識で…」


    本当に、何なんだ。何時もの威勢はどこへやら、普通の少年のような顔をして己に謝る潔世一に思わず目を見開く。無意識とはいえ見つめていた自覚があるのか、恥ずかしそうに頬まで掻き出した。獲物が不思議な行動をとったことに驚く猫のように、小さく距離を取って話を続ける。


    「そんなに見つめられたら穴が開いちまうもしれんな」
    「だからごめんって…」
    「で、何の用だ。用件があるなら口で言え。見つめられても分からん」
    「あーっと、その首の薔薇が気になって。何で青い薔薇なのかなって」


    その一言に、手の甲の王冠に思わず目を向ける。誰に聞かれたことも、言ったこともない薔薇のこと。そもそも彼奴ら(滅却師共)は現世の文化に興味というものがない。花に意味があることを知っている者も、聞くような気付きをする者もいなかった。だからこそ、反逆ともとれるこの薔薇を刻んだのだ。

    でも、まあ。反旗を翻すつもりではないにしろ、ノアに打ち勝つ気でいる此奴になら。潔の前では珍しく、静かな顔をしたカイザーはその美しい口を開く。


    「暇潰しに現世を見ていたとき、青薔薇について知る機会があってな。この花は、自然界には存在していなかったことから「不可能」が花言葉だったらしい。だが近年、青い薔薇の開発が成功し、それに合わせ花言葉も変化した。「夢かなう」や「奇跡」と」
    「聞いたこと、あるかも」
    「俺は誰もが諦めて、出来ないとされていることを為す。その為に、啓示としてこの花を己に刻んだ。要は宣言だ」
    「へえ」


    物知り顔で感嘆する潔に、らしくなく喋ってしまったことに気づく。でも、目の前の此奴も何だか様子が可笑しいからまあ、仕方ない。そうして話は終わりと自室に向かおうとしたカイザーに、今度は潔が話しかける。


    「じゃあさ、カイザーはその薔薇の本数にも意味があるのは知ってんの?」
    「は?本数に意味?」


    己の知らなそうな様子に、悪戯が成功したかのようにニコニコと笑う潔に眉を顰める。花言葉は知っているが、本数に意味。顔を顰めたカイザーに、潔は得意げに語りだす。


    「俺も詳しくは知らないんだけど。特に薔薇は渡す本数によって意味が変わるんだよ」
    「へえ、例えば?」
    「うーん、例えば…」


    悩み出し顔を俯いた潔が、何かを思い出したのか飛び上がるようにその面を上げる。潔の持つ灰簾石が、愛おしそうにキラキラと輝いている。初めて見たその表情に思わず固まるカイザーを気にすることなく、少し照れたように潔は言葉を紡ぐ。


    「例えば、愛しています、とかかな。これは薔薇が三本の意味。父さんが母さんに結婚記念日に毎年渡してるのはこの本数だったから、覚えてる」


    成程、プロポーズやら告白の意味を持つということか。道理でいきなり照れだしたわけだ。モジモジと恥ずかしそうにする潔に、何だか可笑しくなってしまったカイザーは笑い出す。ギョッとしながらも笑われたことが気に喰わないのか、どんどんと元の潔へと戻っていく様子に、最後にとひとつ問いを持ちかける。


    「ふふ、なあ世一」
    「……何だよ」
    「二本の薔薇はどういう意味なんだ?それを知っているからお前は先ほど穴が開くほど俺を見ていたんだろう?」
    「だー!イチイチうぜえ!」


    キレながらも、優しい両親に育てられたのだろう。無視することなく、不貞腐れながらも潔は口を開く。

    「確か、薔薇を二本贈る意味は—————


    肩に回したまま、掌で潔世一の首を撫でる。報告の仕方でも考えているのか、それともお得意の適応力で不敬にもこの俺を空気だとでも考えているのか、全く反応を返さない潔。どちらにしろ腹立たしい事この上ないが、生憎今日は機嫌がいい。許してやろう。首を撫で、揃いの場所に同じように二本咲く青い薔薇を想像する。二本の薔薇の意味は、この世界はあなたと私だけ。何と丁度いい。この首に、その薔薇が咲く未来。


    潔世一という男は、カイザーの予想をはるかに超えて美しく狂った獣であった。
    お人好しで協調性の塊のように見えて、誰よりも戦いのこと以外考えていないエゴイスト。つい最近まで、平和ボケした現世の虚始末をやっていたくせに、初めて人型の虚を殺したくせに顔色ひとつ変えない異端児。
    平隊員に対し真人間を発揮するのも、強さ以外に興味を抱かぬ故である。

    カイザーはこの強者であれば、誰も彼もを喰い殺さんとする獣を見続けたい心と、陥落させ自身と揃いの薔薇を咲かせたい心。その相反する心を抱え、その矛盾すら楽しんでいる。
    だからこそ任務も訓練も邪魔さえすれど、自身が世一に直接危害を加えることはない。
    そうして今日も自身のモノにならなかった世一に落胆と歓喜を覚え、楽しそうに青い二又を揺らした。


    ————————————


    寄り添うように歩く二匹の美しい青い獣。暗く深い青を持つ獣は喰い殺さんと、月のように輝く美しい髪を持つ青の獣は彼者を手に入れんと互いの首に刃を向ける。宵闇の影に溶け込むよう消え去ったふたりを、見守るように美しい月が輝いていた。
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