アルバムいさかい ワンライ「アルバム」
「————何してるんだ?潔」
「うわ!」
————練習終わり。誰もいないロッカーでスマホに噛り付いていた潔は突如覗き込むようにして掛けられた声に驚き飛び上がった。
「く、ろなか!ビビった~」
「具合が悪いのかと思って、スマンスマン」
「いや!俺こそ紛らわしいコトしてごめん、ってあれ、スマホ」
「これか?」
随分と集中していたらしい。スマホを放り投げたことにも気づかず、先ず誰かを確かめる様子に黒名は違和感を覚える。———五感の鋭い潔にしては珍しい。まあでも今日の練習は中々ハードなものだったし、そういう日もあるか。ひとり納得し、一先ず差し出された掌にスマホを置こうとしたそのとき。潔が噛り付いていた画面に映るものが目に入った。
「助かった、さんきゅ」
「は?」
「え?」
ニコニコとこちらを見上げていた潔が、中途半端に止まった俺に困惑したように首を傾げる。他人のスマホを覗く趣味はないし、他人の趣味に口を出すつもりもない。でもこれは、あまりの衝撃に脳が理解を拒否している。だって。
「黒名…?」
「潔」
「な、なに…?」
「これは、何だ?」
渡そうとしていたスマホの画面を潔に向ける。そこに映るのはドイツが誇るクラブチーム——バスタードミュンヘンの2トップのひとり、そして同じく2トップの片翼を担う潔世一の宿敵、ミヒャエル・カイザーであった。
——————————
「仕返し?」
「そうです…」
スマホの画面を認識した途端、意味のなさない言葉を唱え素早くスマホを取り返した潔。じっと見つめていれば慌てたように弁明し出した。
—————曰く、気の抜けたミヒャエル・カイザーのオフショをSNSに投稿してやろうとしていただけで、断じて盗撮ではないし趣味でもない、と。
「そういえばこの前もカイザーのアカウントに載せられてたな、爆睡爆睡」
「あれは正真正銘の盗撮!〜思い出したら腹立ってきた」
ピッチかカイザーの前でしか見せない目つきの潔に小さく笑い、自身のスマホでカイザーのアカウントを開く。そこにあるのは美しい風景の写真、スポンサー関連の広告写真、そして系統のどこか違う、気の抜けたひとりの男の写真が複数。
練習帰りのバスで熟睡している潔、顔ほどの大きなジョッキでビールを飲み口に泡の髭を作っている潔。店主に子供扱いでもされているのだろうか、KINDER SCHOKOLADE——子供向けの甘めのミルクチョコでコーティングされたホワイトチョコを渡され困惑している潔。それらの投稿に付けられたタグは#DummeClown ━━間抜けなピエロ。
様々な気の抜けた、いや人のよさそうな潔が投稿されている。シリーズは遂に先日の投稿で記念すべき10件目を更新したらしい。ニュースになっていたから知っている。送られているコメントや監督からの黙認を見るに世間の反応は上々だ。サッカー選手とてサッカーだけしているわけにはいかない。プロであれば人気商売も必要、それは潔とて分かっている筈だがそこは犬猿の仲、理性と心は反発し合うものなのだろう、多分。
「気に食わないのは分からんくもない」
「だろ?しかもあれのせいでさ、悪化したんだよ」
「何が?」
「街の人が俺を子ども扱いするの…」
「ああ…」
童顔のアジア人且つ身長もまあ、日本では平均以上であっても平均身長180cmのドイツじゃ小さいのは事実。フィジカルを鍛えたとて元からの骨格差は簡単に埋めることはできない。
身長の小さい黒名と染めていない黒髪で大きな目を持つ潔は特に、ドイツに渡ってから子供に間違われることが多かった。名が売れるまでは酒場で門前払いを喰らったことは数知れず。それでもフットボール大国のドイツ、最近では天下のBMで活躍する選手として認知され、黒名でさえ子供扱いは減った。腐ってもイかれた計画で生まれたエゴイスト、ピッチで戦う様子を見て子供だと揶揄うような人間は早々いない。
「だから仕返しでカイザーのオフショを投稿しようって?」
「俺だけだらしないところ晒されてんのはどう考えても不公平だろ。カイザーが許されるなら俺だって許されそうだし」
「で、成果は?どうだどうだ」
「それがさあ」
言い淀む潔がスマホを此方に傾ける。ミヒャエル・カイザー、そう記されたアルバムに入った写真はソコソコの量だ。でもそのどれもがそう、とても様になっている。盗撮じゃないと言っていたしピッチ外では礼儀正しく律儀な性格の潔だ。多分クソ真面目に撮ってやるだとか宣戦布告でもしたのだろう。
「これはまた、中々」
「有り余るほどのウザさで忘れてたけどさ、顔とサッカーだけは一級品だったなって」
流石サッカー狂いのエゴイスト。普段吐息が交わるほどの距離でガンを飛ばし合っておきながら気づくのが今とは。溢れ出るため息の大きさに小さく笑い、中身を確かめようとアルバムをスクロールする。
練習で少し乱れた髪を撫でつけ、汗ひとつ掻かずに水分補給をしている姿。親善試合のときだろうか、空港でファンに紛れるように撮影したであろう写真は見事に潔に向かってポーズが決められている。中指を立てるという最悪のファンサが。
それとこっちは、後ろの雰囲気的にエリザベス・マーケット。小さなビアガーデンでブルストを食べようとするカイザーが斜めから撮影されている。次はテーブルを見るに和食だが、知らない店だしベルリン辺りの店だろうか。箸で小鉢の豆を掴むのに格闘している写真をスライドすれば、次は上手に魚を食べているカイザーが写っている。確かにどの写真もいきなり撮られたとは思えないほどの美しい顔だ。だが、ううん。これは、
「何と言うか」
「アーみなまで言わなくていいよ。マジで隙がねえの、常にメタビ使ってんじゃねえかってくらい」
「————随分、人間らしいな。これ」
「は?」
思わず飛び出た言葉に、潔が何を言っているんだと言わんばかりに表情を顰める。確かに少し言い方が可笑しかったか。ミヒャエル・カイザーはどちらかと言えば表情豊かで、喜怒哀楽の激しい———とりわけ潔の前では怒が9割な気はするが、正真正銘の人間だ。でもそう、何というか。
「隙は確かにない、が」
「が?」
「俺は見たことがない表情だなと思って」
「ええ?」
理解出来ないと言いたげに潔がスマホを覗き込む。画面いっぱいに表示されたカイザーはそのどれもが温度のある人間の顔をしている。まるでいつもはミヒャエル・カイザーを演じているかのような、そんな違い。イマイチ言語化のしにくい違和感に頭を悩ませていれば、未だに首を捻らしていた潔が顔を上げてぽつりと呟いた。
「まあちょっと、分かるかも」
「本当か?」
「いや、うーん。分かるは違うか、カイザーが人間っぽくないって思ったことはないから」
随分と珍しく言い淀む姿に瞳を瞬かせていれば、画面に指を滑らせ一枚の写真を表示させた。———大きな口を開けブルストを頬張ろうとしている写真だ。これだってそう。会食だとか立食パーティで食べ物を口に入れているカイザーはもっとこう、絵画のように美しい所作で儀式のようで。この写真のように口を開けることはないし、正しく食事をしているようなそれは初めて見るものだ。
「俺、奪敵決戦(ライバルリーバトル)で馬狼と一緒のチームになったときもやったんだけどさ」
「ああ、凪と馬狼とチームだったやつ」
「そう!あの時の俺じゃひとりで勝ち抜く力が足りなかったから、俺とストライカーの化学反応で戦場を支配してやろう!って意気込んでたんだよな」
「うん」
「そんで馬狼の練習とか、やりたいサッカーとかとにかく適応しようと思って聞いて回ってたんだ。これ凛にもやったけど」
「それは中々、命知らずな」
「あはは、本当に。でも」
昔を思い出し少し恥ずかしそうに、大事そうに語り出した潔に相槌を打つ。———狂った企画だと馬鹿にされていたブルーロック計画は、今や伝説のように扱われ当時の映像は多くの人々に楽しまれている。その中でも特に青い監獄の申し子———潔世一の映像は自分でガラスの靴を勝ち取ったシンデレラストーリーとして人気だ。俺も見たことがあるし、馬狼といえばかの有名なヘタクソと突き放されたシーンでは思わず笑ってしまった。今現在、潔の相棒を務めている自分としては少々怖いが。
「そういう考えとか生活とか、普段のソイツによって俺には出来ないサッカーが生まれてるって知るのは好きなんだ」
「うん」
「でも新英雄大戦(ネオ・エゴイストリーグ)は空気感とか外国人相手にそれって出来なかったじゃん?特にドイツは練習一緒にしなかったし」
「そうだな」
「で、此処(ドイツ)に来てアイツの思考とかアイツの生まれ育った環境を知って、ミヒャエル・カイザーのサッカーがこうやって生まれたんだっていうのを知るのが楽しくて」
「———だから写真に写っているカイザーも、潔がそういうカイザーを撮りたくて撮っているから人間らしいんじゃないか、と」
「御名答!」
ニカリと笑って親指を立てる潔に笑みを零す。潔の言い分は分かる。目がいい男だ、シュートコースもシャッターチャンスも見逃さないのかもしれない。小さな違和感を抱えつつ、浮かび上がる疑問を解消するため話を続ける。
「でも、意外意外」
「ん?何が?」
「潔もカイザーも、一緒に飯を食うような仲だったんだな」
「あー」
マーケットも和食もジャージ姿ではないのを見るにオフのもの。普段のピッチでの煽り合い、一歩コートを出れば視界にも入れずのふたりの姿からは想像も出来ない穏やかな日々の切り取りは、とても気になるものだった。———まあ、そうだよなあ、なんて頭を掻きながら潔が話し出す。曰く、
「—————監督からの指示?」
「指示っつーか、スポンサーへの営業というか」
「仲いい姿をミュンヘン市民に見せびらかせって?」
「まあ、そう。渡独してソコソコ経ったとは言え、まだ圧倒的に人気があるのはカイザーだろ?悪戯にサポーターの分断煽って傷害事件になっても困るし適当にやれって」
「成程…」
サッカーセンスだけじゃない、顔も体格も美しいミヒャエル・カイザーはミュンヘンに留まらずドイツ全体で人気を誇っている。スポーツから化粧品のブランドアンバサダー、様々な広告などで老若男女問わず魅了させているカイザーの宿敵。いくらドイツがフットボール大国で理解があるとはいえ下手に煽るべきではないというのはまあ、分かる。今更という気持ちもあるが。
「とはいえよく二人とも大人しく言う事を聞いたな。嫌なモンは嫌って断りそうなのに」
「あーまあ、カイザーは俺のこと嫌いだろうけどプロ意識あるし、俺は別にカイザーのこと嫌いじゃない。ってか、寧ろ好きだし」
「は?」
「サッカーへのストイックさとか、考えとかな。ああでも、あのプロ意識もすげえと思う」
「ああ、そういう」
焦ったように言い訳するから何かと思えば。少なくとも負の感情だけを持った男の為に海を越えるほど酔狂な男ではない。サッカー狂いだが、合理的な思考とやらもピカイチの人間が潔世一という男なのだから。
「まあ、そうだろうな」
「え、嘘。バレてんの?」
「他の連中は知らんが、俺は潔の相棒だからな」
「恥ず…」
「———恥ずかしいのも気持ち悪ぃのもこっちのセリフだが?」
聞こえてきた声に隣の潔と同時に振り返る。そこにあるのはロッカーの入り口に寄り掛かるようにして此方を睨み付けるミヒャエル・カイザーの姿。———まずい、やらかした。
「盗み聞きとはいい度胸じゃねーか」
「ロッカーなんて公共の場でんな話してる方が100悪いだろ」
「だったらさっさと聞き耳立てずにやめろって言えばいい話だろーが!」
「世一クンは大人しく自分の非も認められんのか。みっともねえなあ?」
「殺す」
恒例行事。目の前で始まった言い合いに小さく息を吐く。これに巻き込まれると長いし如何せん語彙力———レスバ力の強いふたりの争いは試合中ならまだしもピッチ外じゃ聞いているだけで気が滅入る。
「てか何だよ。お前シャワー浴びてさっさと帰ったんじゃないの」
「シンセツシンで残ってやった俺にそんな酷い言葉を向けるなんて」
「ウソ泣きすんな。煽るだけならさっさと帰れよ」
「クソせっかちだなお前は、夜の方もそれで女泣かせてんのか」
「誰が早漏だクソが。死ね」
相変わらずまあ、ポンポンと交わされる罵詈雑言の応酬に笑ってしまう。放っておけばいつまでも続きそうなそれを止めるため、非常に気が重いものの口を開く。
「で、何の用だ?」
「…はあ、ロッカーとシャワー室の施錠がもうそろそろだと。さっさと帰ったらどうだ?」
「そういうことはさっさと言えよ!」
立ち上がった潔が、ロッカーから荷物をひっつかみ一目散にシャワー室へと向かっていった。そういえば練習着も着替えずシャワーも浴びていなかったな。相変わらず一度思考を始めると周りが見えなくなる相棒に笑みを零していれば、消えていった背中をじっと見つめていたカイザーが此方に視線を向ける。
「飼い主の世話はしっかりしろよ、蘭世」
「俺は惑星だ。生憎惑星に恒星の軌道をどうにかする力はない」
「主人に似て口がクソ達者なこって」
「———カイザー」
大袈裟に肩を竦め、言いたいことは言ったと帰ろうとしたカイザーを引き留める。返事はないものの止まった動きと此方に向けた視線に息を吐き、先程から感じていた違和感を確かめるよう口を開いた。
「カイザーは、潔が嫌いか?」
「——は、お前の目には俺がアイツのことを好いているように見えるのか?とんだクソ節穴だな」
「ならどうして潔の写真を撮って、撮られることを許してる?」
質問の意図を理解したのか、その美しい顔が険しそうに歪む。———潔相手でしか引き出せないカイザーの人間らしい、感情が表に出た顔。
「——アイツを神だの悪魔だの囃し立て祭り立てるクソ世間様に嫌気が刺した。世一のサッカーがバケモンでもアイツは唯のクソ非力な人間だってことを分からせる、そのためだ」
「んなことのために」
「青い監獄時代は評価が高ければ高いほど俺の踏み台として機能していたからまあ、いい。でも今は違う。今のアイツは全くもって気に食わねえがBMのツートップで宿敵らしいからな」
「ああ、理解理解」
まあ言っていることは分かる。ライバルが必要以上に持ち上げられていたら気に食わないってのはそらそうだ。でも言ってしまえばそんなこと。ピッチ外のあれこれが気に食わないからと態々自分というツールを使うカイザーは何だか少し不思議で。これもそう、酷く人間臭いのだ。
「なら潔が撮るのを許してるのは?」
「ただでさえSNSに疎い世一くんが狙ってクソみたいな写真なんぞ撮れるわけがねえ」
「余裕だな」
「“才能とは己の能力を証明する力”だったか?プロとして、ミヒャエル・カイザーとして俺が醜態を晒すわけがない」
自信満々、いや当然のことのように話すカイザーに口元が引き攣る。確かにミヒャエル・カイザーという男の隙の無さは先程から感じているように凄まじいものだと思う。サッカーに関しては負けるつもりは更々ないが自分を商品として割り切り、その価値を高めていく行動の数々には舌を巻くものがある。
———だからこそ、そんなミヒャエル・カイザーがミヒャエル・カイザーとして感情を露わにすることの、カイザーという商品を使ってまで潔の評価を正そうとすることの異常性が際立ってしまっていることに、果たしてカイザーという男は気づいているのだろうか。
「クソお喋りが過ぎた、さっさと帰れよ」
「——————カイザー」
「ハア、今度は何だ」
用は済んだと言わんばかりに帰ろうとしたカイザーに、小さく声を掛ける。そういえば、潔を介さずふたりでこんなに会話するのは初ではなかろうか。こんなにも理性的で静かな男を狂わせたのが、潔世一という男。
「———お前が思ってるより、ずっと潔は普通で、だからこそ狂ってる。油断するなよ」
「ハックソお節介をドーモ。そんなこたあ、俺が一番知ってる」
ひらひらと手を振りロッカールームを出て行くカイザーの背中を見つめ、小さく息を吐く。敵とはいえ同じチーム。俺だってミヒャエル・カイザーというサッカー選手に対する尊敬はそれなりに持ち合わせてはいる。それに潔とカイザーがバチバチすればするほど、俺の活躍の場だって増える。ふたりにはなるべく喰い喰われの関係でいてほしいものだ。
「あれ、黒名まだ帰ってなかったの?」
初めてのお喋りで距離感をミスったか、余計な世話だったかと頭を少し悩ませていればシャワーを浴びたのか髪がほんのり濡れた潔が顔を出す。
「もう帰るところだ。帰宅帰宅」
「なら一緒に帰ろうぜ」
「ああ」
ロッカーから荷物を取り出し、潔の隣に立つ。正に烏の行水。それでもさっぱりしたことに上機嫌そうに鼻歌を歌う様子の相棒に、思わず口を開いた。
「———潔は嫌われてるって分かってて、どうして話しかけられるんだ?」
目を見開いてびっくりする潔に、自分の失言を悟る。何を聞いてるんだ、というか先程から自分の口はお節介というか無神経すぎるだろ。言うつもりのなかった疑問をぶつけてしまった事、それを謝ろうとすればその前に潔が前を向き言葉を続けた。
「俺がアイツのこと、もっと知りたいから。それだけだよ」
「それだけ?」
「うん、まあ確かに嫌われてるし俺もうぜえなって思うことのが多い。だけど少なくともオフの穏やかなアイツはそこまで嫌いじゃないし、写真を撮るのだって許してる」
「———だから大丈夫。それにカイザーが俺に、俺の行動に振り回されてんのは気持ちいいし」
開いた口が塞がらないとは正にこの事。もしかして最初から、カイザーの一見摩訶不思議な行動もその理由も分かっていた?空間認識能力も五感も長けた潔が盗撮されているのも、そもそも態々ロッカーで話すべき内容ではないそれを潔から持ち出したのだって。
恐ろしい事実に気づき口を開いて固まる黒名を横目で見て、潔が小さく笑った。笑い事ではない。ホラー映画なんかよりよっぽど怖いぞ。
「———エッゴ」
「ふは、それ久しぶりに聞いたわ」
「…程々にしとけよ」
「おー」
隣で一瞬、獲物を追い詰める狩人のような目をした相棒に肩を震わせ、美しい青薔薇の行く末を案じる。
「———時間の問題だぞ、カイザー」
思わず溢れたその呟きに、クソお節介と何処かから聞こえた気がした。