「…おい。何度でも言うぞ、これは遊びじゃねえんだ。お前にパイロットなんて無理だ、能力が低すぎる。」
足手まといになるだけだ、ベンケイと交換しろ。
一人で、居残っていた特訓が終わって。ため息を吐きながら訓練室を出た俺に、…掛けられた、最早聞き慣れた低い声。その言葉に俯きながら振り向く。見れば、長身の背を壁に靠れさせて、腕組みをして俺を睨んでくるハヤトの姿があった。
「お前には適性がないんだよ。そもそもお前は第3次パイロットだっただろう。補欠もいいとこだ。ベンケイにやる気がないからお前ってことになったが、俺は認めてない」
俯く俺に、上からハヤトの声が降り注ぐ。それに、…言い訳の一つもできない自分が、情けなかった。体力には自信があったし、根性だけは誰にも負けない。そう思ってた。…けど。そんだけじゃ、どうにもならないこともある。それを、目の前に突き付けられてる。そんな気がした。
「第一憶えてるだろ。最初に乗ったときはどうだった?乗っただけで嘔吐に出血、あんなざまが続いてみろ。勝てるものも勝てない」
俺も流も、ゲッターに乗って傷一つ負っちゃいないぜ。なのにお前だけ傷だらけだ。その現実を認めろ。
続く言葉が、耳に痛い。…少なくとも、一番最初にゲッターに乗せられたときは、お前だって吐いたじゃん。そんなことを思ったけど、それが口から出てくることはなかった。だってさ、…その後は、コイツは完璧だった。俺がいつまでも手こずる操縦だって、その日のうちにマスターしてた。流はゲッターに乗ってる歴が俺たちよりも長いから、勿論だし。…俺だけだ。ゲッターに乗って、体力を消耗してんのは。未だに上手く、ゲッターを動かせないのは。
隼人の言ってることは、全部事実だ。だからこそ、こんなにも胸が、痛い。最初は成り行きで乗せられただけ、だったけど。…その後もゲッターに乗りたい、って願ったのは俺だ。絶対にゲッターなんぞに乗りたくない、って言うベンケイと共同戦線を張って、俺が押し入るようにゲッター3にパイロットになって。…だから、本当に適性のあるのは、ゲッターにふさわしいのは、弁慶のほう。分かってる、そんなこと。分かってるんだ。
「お前は失格なんだよ。誰が見たって、そうだろう。こんな訓練なんぞしてる暇があるなら、ベンケイを説得してベア―号に乗せろ。その方が有効だ」
ハヤトの口から次から次に出てくる言葉は、俺への否定。…や、もう慣れてるけどさ。ハヤトが俺を嫌いなんて、皆知ってる。そんで、コイツの言ってることは、全部正しい。少なくとも、今は。
だから、俺には返す言葉がなくて。…でも、なんだろ。何ていうか、流石に。
黙ったまんま、歯の奥を噛んだ。なんだろな、この胸を押し上げてくる痛みは。悔しいのかな、これは。コイツに、どうしようもなくむかついてんのか。…それとも。
哀しいのかな。俺は、今。
今日も、掛かる重力に耐えきれんくて。ブーツに垂らしてしまった血を、ただ見つめる。…その血が薄っすらと滲んで見えて、さっきよりも強く、奥歯を噛み締めた。…ああ、くそ、やばい。まずい。目の前がどんどん滲んで、今にも目から、零れそうになる。くそ、止まれ、止まれ。
そんな俺に、追いうちでも掛けたいのか。ハヤトが、小さく息を吸うのが微かに聞こえて、それから。
ハヤトが口から出す言葉を、その前で遮るように。…ふふ、って、軽やかに笑う声が、後ろから聞こえた。まるで、そこだけ花でも咲いたみたいに華やかな。正しく鈴の音、って言葉が似合う声。
その声に驚いて、弾かれたように顔を上げる。…驚いたことで、浮かんでた涙が引っ込んだのは、ラッキーだ。そのまま振り返って、声の持ち主を見遣れば。…そこにいたのは、楽しそうに笑う、白い、きれいな女の子だった。ほんとに、そこだけ、空気が違う。華やぐ?違うな、きらきらしてる。
彼女のことは、なんとなく知ってた。早乙女博士、の、娘だって言う『ミチルさん』。誰かが、ミチルさんは不思議な子だって言ってたのも聴いた。確かに、彼女が纏う雰囲気は神秘的で。でも、それ以上に彼女はきれいで、可愛かった。今の俺たちの状況とか、そんなのも忘れて、思わず見惚れてしまう。…もともと、男女問わず顔のいい奴に弱いんだ、俺。
「そんなに心配しなくても」
ムサシさんなら大丈夫よ、ハヤトくん。
その、顔で。きらきらした笑顔のまんまで。ミチルさん、が、ハヤトに言った。
…ああ、ミチルさん、俺達の名前知ってるんだあ。なんか照れるなあ。ミチルさんの言葉が耳に届いて、…一番に思ったんは、そんなこと。つうか、一瞬頭が理解を拒否した。だって、あんまりにも、俺とハヤトの関係に似合わん言葉が出てきもんだから。 いや、だってミチルさん?ハヤトが、俺を心配、って。今、そう言ったよな?
「…は?」
案の定、それを聞いたハヤトだって眼ぇ点にしてる。…うわあ、ハヤトのこんな顔、初めて見た。ハヤトと俺も、付き合いだけは長えのに。あと、絶句すんのも初めて見た。
そんなハヤトに、構うことなく。ミチルさんは、相変わらずのきらきら笑顔で。
「だって、さっきから、ずっとそう言ってるんですもの」
心配だって。絶対怪我をする、危険に晒される、って。今だって、吐くくらい、出血するくらいに、からだに負担がかかってるのに、って。
続けられた言葉に、俺も絶句した。…は?え?え、っと、ずっと言ってるって、なにを?ハヤトが?俺を、心配だって?いや!いやいやいや!そんなん、コイツ一っ言も言ってねえよ、ミチルさん!
訳が分からなくて、思わず、目の前にいるハヤトを見上げて、見遣った。 …ああ、相変わらず絶句中だ。眼ぇ見開いて、ミチルさんのこと見てる。それでも、その眼は彼女を睨んでる、って訳でもなかった。どっちかって言うと、『何を言ってるんだコイツは』。ハヤトが浮かべてるんは、そんなことを言いたげな表情。…分かるよ、ハヤト。今だけは俺、お前と一緒のこと考えてる。
「あなたは、ムサシさんが本当に大切なのね。だから、怪我なんて負わせたくない。大変な目にあわせたくない。…貴方は、ムサシさんに、絶対に死んでほしくないのよね。よく分かるわ、その気持ち」
だけど、そんな唖然としている俺たちにはやっぱり構うことなく。ミチルさんが、歌うように言葉を続けた。鈴の音みたいな声で、花が咲くように言葉を紡ぐ彼女の声は、寧ろ柔らかい。そんでも、…俺たちが言い返せない強さを感させるような、不思議な声。でも、だからこそ。
「だから乗せたくないんでしょう?ムサシさんが傷つくのが、目に見えているから」
…そんな彼女の言葉は、真実を言ってる気が、した。そんなわけ、ねえのにな?
なんとなく、横目の上目で、ちらりとハヤトを盗み見る。…ハヤトは、見張る、と睨む、の中間のような眼で、ミチルさんを見遣っていた。そんでもその眼はどこか真剣で、…怒ってるとか呆れてるとか、そういう顔とは違う気が、した。
そんなハヤトの強い眼差しも気にせずに、ミチルさんがふわり、と微笑む。…その顔は、やっぱりきれいだ。
「でも大丈夫、ムサシさんはつよいこだもの。あなたが心配するような、よわいこじゃないわ」
本当は、あなたが一番、よく知っているでしょう?
無言のまんま、何も言わねえハヤトに。言い聞かすみたいな、ミチルさんの声。…彼女に強い子、なんて言われると、なんか照れる。最近は、…そんな自信、粉々になってたから。なんだか凄え嬉しくなって、へへ、って思わず笑ってしま。そしたら、何故だかハヤトに睨まれた。ナンダヨ!
「…貴方が何を言ってるのかは知らないが」
俺は、コイツの心配なんぞ全くしていない。足手まといだと言ってるんだ。
あ、ハヤトが立ち直った。漸く開かれた口からは、いつもの。…俺のこと、見下してるみてえな言葉と、冷たく響く低い声色。その声が、言葉が、…やっぱり耳と心臓に刺さって、ずきりと痛い。…いいんだけどさ。コイツが俺のこと嫌ってんのも、コイツの言葉が当たってるんも、全部本当だ。ミチルさんの言葉のほうが真実、なんて。…そんなこと、あるわけもねえし。
またも俯いた俺の前で。そんなハヤトに、ミチルさんが、また、笑う。
「すきなこに、意地悪したい気持ちも、よく分かるわ」
でも、今はそんなことを言ってはだめよ?
心配なら、あなたが護ってあげたらいいの。、って。続けられた言葉が、一瞬耳を流れて過ぎる。それを、慌てて引っ手繰って、頭の中で繰り返す。
…………………はあ?
数拍置いて。頭ん中で浮かんだのは、そんな一語だけだった。今度こそ、本気で思考回路が停止する。え、いや、はあ?ってミチルさん、今、さっき、なんて言った?
目を真ん丸くして、再度さっきの言葉を、頭の中で反芻した。…『すきなこに意地悪したい』。確かに、彼女はそう言った。え、いや、でもちょっと待て。だって、それって。ハヤトが俺のこと言って、その返しがそれって。
意味が、ひとつしかなくなる気がすんだけど。ハヤトが、それ、俺のこと。
おれの、こと。
「、っざけるなあ!」
爆ぜるような勢いで、ハヤトが爆発するように叫んだ。部屋中に、響くような大声。つか、最早絶叫?ハヤトがこんな風に怒鳴るなんて、今まで聞いたことねえ。驚いて、ハヤトの顔を見上げて見遣れば。…ハヤトの顔が、微かに、だけど確かに赤かった。うん、これは見間違いじゃない。確かに赤い。
…怒りすぎか?顔に血ぃ全部昇ったんか、て感じの赤さ。うん、多分怒りすぎだ。だって、それ以外って言ったら、だって。
「そんなに照れたらいけないわ」
あなたがムサシさんをすきなんて、最初から分かっていてよ?
わああああああ!内心で、つられたように絶叫して。彼女が続けた言葉に、俺まで赤くなって耳を、塞いだ。だって、わー!わー、わあ!いやいやいや、ミチルさん、それは無えよ!だって、ハヤトが俺を好きって!有り得ねえ!天地がひっくり返っても、そんだけは有り得ねえ!だって、ハヤトは俺のこと嫌いだもんよ!?いつも俺のこと馬鹿にして、俺の大事なもの踏み躙って、そんで。だから。…だから?
「違う!貴方は何を言っているんだ!博士の娘だからと好き勝手言うな!」
「大丈夫、あなたが護ってあげれば、ムサシさんが傷つくことも無いもの。だから心配しなくてもいいの。ムサシさんを3号機に乗せてあげて?」
「ひとの話を聞けぇ!」
あああ、耳塞いでても聞こえてくる、ハヤトとミチルさんのかみ合ってねえ会話。いつの間にか、俺たちの間に走ってた、重苦しい空気は生ぬるい雰囲気になってた。俺の声も、言葉になんねえ。もう、真っ赤になったまんま、耳塞いでんのでいっぱいいっぱい。
なんか、ハヤトは言えば言うほど、ミチルさんに対して墓穴掘ってる感じになってて。ミチルさんは、そんなハヤトを見遣りながら、まるで全部分かってると言わんばかりに、目を細めて微笑んでいて。
結局。ハヤトの絶叫も意に介さんで。ミチルさんは、『あなたも、もう少し素直にならなければだめよ?』なんて最後に一際きれいに笑うと、俺たちの前から去って行く。
あとに残された俺たちは、そんな彼女の後姿を、やっぱりぽかんと見送った後で。…どちらからともなく、ため息を吐いた。
「…疲れた…」
「お、お疲れ…」
珍しく、心底からのように響くハヤトの言葉に。俺もそれしか言えずに、眉を下げてハヤトを見遣る。
…俺たちの視線は、合わなかった。ハヤトはそれ以上何も言わねえし、俺もそのまま黙ってしまう。流石に、さっきのミチルさんとの会話を、蒸し返す勇気は俺にはない。…彼女の言った言葉が本当なのかと問いかける勇気だって。
暫く、隣り合っての沈黙が続いて。その静寂を破ったんは、ハヤトのほうだった。ひとつ、何かを諦めたようにため息をついて。奴が、…ゆっくりと俺を見遣る。漸く、俺たちの目が、合った。
「おい」
「な、なんだよ」
一言呼びかけられて、内心、飛び出そうなほどに心臓が跳ねた。それを何とか抑えて、俺も一言返す。噛んだように声が掠れてしまったんは、もうどうしようもない。そんな俺を、ハヤトが真っ直ぐに見据えて。
「死ぬなよ」
言われた言葉は。静まり返った部屋に、波紋のように響いた。一瞬目を見開いて、目の前の奴を見つめてしまう。…凝視のように見つめてしまった俺の視線を、ハヤトは、けれど逸らさなかった。呼吸が止まったみたいに、息が詰まって。それから、…俺の顔が、自然と緩む。
「死なねえよ!」
思わず破顔しながら、大きな声で、そう返した。ああ、…ああ、そうか。何かが、すとんと俺の腑に落ちる。俺の応えに、ハヤトが微かに、…だけど確かに小さく、笑った。
『ハヤトくんはね?貴方を絶対に死なせなくないのよ、ムサシさん』