ブラックドクターと大型種ヘビのはなし1.
目の前で、旅館が爆発した。
「大型ヘビ、何やってるの!」
「早く逃げようよ!こっちにまで火の粉が着ちゃうよ!」
旅館の従業員さんや、ゴーグルの男の子が数歩前を走りながら僕を振り返った。僕は大型種で動きも遅いから、一層心配してくれてるんだろう。でも。
「うん。僕は遅いから、ゆっくり行くよ。みんな先に行ってて」
のろのろと進みながらそう言うと、二人とも困った顔をして。…それでも、旅館のおかみさんや一緒にいる小さなヘビを抱えながら、『気を付けてね!』と駆けて行く。さて、僕も急がないと。そう思いながらも、歩む尾が止まった。
ちょっと考えて、振り返って、旅館へと戻る。ごうごうと燃え盛っている旅館は、柱すら崩れ落ちているのが赤い炎の中見て取れた。それから。
「死んでるの?」
旅館の入り口の前で、たった一人。倒れてる姿に、声を掛けてみる。ちょうど、旅館の爆発が直撃する位置にいたんだろう。無能…じゃなかった、無敗の刑事さんに、お前が一番最後尾だ!って言われてたからなあ。
「ねえ、救世主X」
そう呼んで、口でちょいちょいと倒れてる頭に触れてみる。ブラックドクターと悩んだけど、きっとこのひとはこっちの呼び方のほうが好きなんだろう。みんなから散々、くそダサい厨二のネーミングって言われてたけど。
飛んでくる火の粉がちょっとだけ熱い。でも、僕はレアの大型種だから、他のヘビよりもちょっとだけ丈夫だ。レアヘビってことで、このひとからは色々犯人扱いもされたけど、それもまあいいや。こうして助かったんだし。
「…うぅ」
数度、口で彼の頭をつつくと、彼の口からうめき声が漏れた。その身体が身動ぎして、ゆっくりと顔を上げる。…その眼は、掛けてた眼鏡が割れたのか、血で染まっていた。
「あ、生きてた」
「…うるさい。ヘビ如きが、俺に話しかけるな」
僕の言葉に、その手が僕を追い払うように揺れる。けど、全然見当違いの方向だ。血に染まってることと言い、眼が見えてないんだろうか。うーん、と、頭を横に傾げる。まあ、いいか。
彼のぼろぼろになったコートを口にくわえて、ぐい、と引いた。救世主Xが戸惑ったように辺りを見回す。僕はここだよ。
「…なんのつもりだ」
「だって、ここにいたら死んじゃうでしょ」
問いかけられて、彼のコートから口を離して、そう答えた。ていうか、なんでこのひとが生きてるのかもわかんないんだけど。あれかな、このひとやヘビ探偵が推理パートで言ってた、相殺システム、ってやつかな。一体、それが今何に反応したのかはやっぱりわかんないけど。
「離せ。ヘビなんぞに助けられてまで、生きていたくない」
「もう離してるよ」
「うるさい!揚げ足を取るな!」
「揚げ足を取るのはそっちの専売特許じゃない」
あの旅館で起きた事件では、どれだけ揚げ足を取られたか。ヘビに足はないのに。ていうかこのひとは、都合が悪くなると直ぐに怒るなあ。目の前で、血に染まって見えてないらしい眼を、それでも僕に向けながら。歯噛みしている彼を、何ともなしに見遣る。
「でも、たくさんのひとを助けるんでしょ。だったら生きてたほうがいいじゃない」
ヘビの命は空気より軽い、とこのひとは言った。でも、それは、…今までヘビボールを集める為に殺してきたヘビたちの、命の重さを、誤魔化すためだとも。
ヘビの中でも希少なレアヘビ、その中でも稀にしか持つことのないヘビボール。それを7つ集めたら、エネルギーによって願いが叶う、とかなんとか。そんな、在り得るわけがない希望にしがみついてまで、このひとは不老不死になりたかったんだ。不老不死になって、…救える命を増やしたかったんだ。それは、きっと嘘じゃないんだろう。
僕の言葉に、救世主Xがぐ、と言葉を詰まらせた。まったくもう、とばかりに、彼のコートの襟をもう一度、咥えて引っ張る。大型種と言ってもヘビだから、人間よりはやっぱり小さい。でも力はあるから、このひと一人くらいなら僕でも咥えて引き摺っていける。速度は遅いけど。
ずるずると、ゆっくり彼を引き摺って行く僕に。…彼はもう、嫌がらなかった。
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「おい」
「ふむ?」
「一回止まれ。コートから口を離せ。…これからどうするんだ」
「どうするって、家に帰るよ」
「ふん。そうか」
「救世主Xも一緒に来るでしょ?」
「…はあ!?」
「だって、行くところないでしょ。刑事さんの助手もクビだろうし」
「……誰がヘビ如きと」
「でも来るでしょ?」
「………くそ」
「じゃあ、行こうよ、救世主X」
「…その呼び方は止めろ。それは、俺の真の名だ」
「…しんのな?」
「そうだ。普段は、ブラックドクターと呼べ」
「…厨二…」
「あぁ?」
「ううん、わかったよ。これからよろしくね、ドクター」
「…ふん」
++++++
2.
旅館の爆発から、半年が経った。
部屋の時計を見て、それから部屋の隅を見た。隅と言うか、部屋の4分の一は占めているドクターの大きなデスク。今日も、そこでドクターは、パソコンに向かってなにかしている。最近はヘッドセットマイクまでつけて、誰かと会話してるようだ。
「ドクター、もう寝ようよ」
元々、大型ヘビの僕一匹暮らしだったこの家は、そんなに広くない。所謂1LDK、リビングダイニングキッチンと寝室、その二部屋。だから、このリビングにドクターのデスクもある。狭いと言えば狭いんだけど、僕はキッチンさえ広くて、ごはんをたくさん作って食べられればそれでいいし。ドクターも、仕事の出来る机さえあれば、他はそんなに気にならないみたいだ。
まあ引っ越ししてもいいんだけどね。僕もバイトしてるし、ドクターも僕に生活費だとか言ってお金を渡してくれるし。…あれ、だったらドクターはもう僕の家から出て行けるのでは?そんなことに気づいて、頭を傾げて。でも、まあいいか、とその思考を隅に追いやった。このドクターなら、出て行きたいなら出て行くって言うだろう。それを言わないってことは、まだ、彼もここにいるつもりなんだろう。うん。
僕のような大型ヘビは、ヘビ種のなかでもあんまり深く考えたり、悩んだりしない方だと言われてる。だから冤罪を掛けられやすいんだけど。でも、今もそう言うことにして、ドクターに向き直った。
「ドクター」
「先に寝ていろ。俺はまだやることがある」
デスクに向かったまんま、ドクターが振り返ることもなく僕に言う。まったくもう。ため息をついて、にょろにょろと、尾を使ってゆっくりと彼の元へ進んだ。こういうときヘビは便利だと思う。音もなく、相手に近づけるから。
そのまま、大きく口を開いて、ドクターの襟首を咥えて、引いた。大きく彼の身体が傾いで、ぐるん、と勢いよく首がこっちを振り返る。あー怒ってる怒ってる。
「何をするこのくそヘビ!」
「駄目だよ。ドクター放っといたら、徹夜するでしょ」
怒鳴られるのも、もう慣れたものだ。ていうか、旅館で逢った時から、都合が悪くなると空気が変わって怒鳴ってばっかだったし。ヘビ探偵とそうやって推理バトルするのを見てたから、最初からあんまり怖くない。それよりも、何日も徹夜して眼の下に隈を作りながら不気味に笑うドクターのほうが、何倍も怖い。『ドクター』なんだし、少しは自分の身体も気遣ったほうがいいよ。
「ほら、寝よう?僕が手伝えることがあるならやるから、明日にしようよ」
そう言って、もう一度襟首を口で咥えて、尚も引いた。ドクターが舌打ちをして、それでも眼鏡に手を掛ける。よし、勝った。
「ヘビ如きに手伝えることなどない」
「わかったよー」
デスクに眼鏡を置いて立ち上がりながら、そう言ってくるドクターに、思わず目が笑ってしまう。ヘビ如き、って言い方は今でも変えないけど。それがドクターなりの気の使い方と言うか、優しさだと言うことに、気づいてきていた。
「それにしても、怪我、すっかり治ったねえ」
「俺を誰だと思ってる?あんな怪我くらい、怪我のうちに入らん」
二人で寝室まで向かいながら、隣を歩くドクターを見上げて、そんな会話を交わす。…あんなすごい怪我だったのに、今では後遺症どころか、本当にあんな大怪我をしていたのかすら分からない。すごい医者だ、って自分で言ってたけど、それは本当だったようだ。思考はサイコパスだけど。
そういえば、旅館が爆発した後。本物の天然温泉が出たとか言うのをニュースで見た。もしかして、ドクターも少しはそれに浸かっていたんだろうか。だから、死も相殺されたし、怪我の治りも早かったのかな。でも、それでも彼が、自分で自分を治療して、怪我を直したのは変わらない。
「ドクターは、ほんとにすごいお医者さんだね」
ドクターを見上げたまま、素直にそう言うと。面食らったような顔をして、それから苦々しく顔を歪めた。あ、照れてる。
「…ヘビなんぞに言われても嬉しくない」
「素直じゃないなあ」
そんなことを言いながら、並んで歩いたまま寝室に辿り着いた。今だってそうだ、ドクターが一人で歩くなら、こんな寝室になんて数秒で着くのに。速度の遅い僕に合わせて、ゆっくり歩く。ほら、やっぱり優しい。
でもそれを言ったら、ミスリードした時の推理パート並みの揚げ足論破が返ってくるので、それはこころのなかに仕舞っておく。あの逆転の連続は、寝る前にはつらい。あと僕じゃ、あそこまで逆転できないし。やっぱりあれはヘビ探偵じゃないと。そういえば、彼は元気かなあ。他のみんなも。
それを口に出そうかと思ったけど。ドクターがベッドに平行に横になったのを見て、やっぱり口を閉じた。ていうか、なんで人間はみんな、ベッドに縦じゃなくて横に寝転がるんだろう?縦に寝るように設計されてるんじゃないんだろうか。ヘビはベッドに丸くなるから、別に関係ないんだけど。
そんなことを考えながら、ドクターの隣に丸くなった。そうすると、ドクターが習慣のように、僕に寄り掛かる。…枕にするにはヘビ皮は硬いと思うんだけど。あと変温だから冷たいとも思うんだけど。まあ、ドクターがいいなら、いいか。
「電気消すよー」
「ああ」
僕に寄り掛かったドクターが、眼を閉じるのを見て、リモコンで電気を消す。辺りが真っ暗になったのをなんとなく確認してから、僕も頭をベッドに置いた。
「おやすみ、ドクター」
「…ああ」
こうして。ドクターと僕の、なんでもない一日は今日も終わる。おやすみなさい、また明日。
+++++
3.
あの事件から。ブラックドクターが僕の家に来てから、一年が経った。
「ドクター、ごはんができたよ」
テーブルに、ドクターのごはんとぼくのごはんを並べながら。今日も、パソコンの前に座ってなにやらやってるドクターに声を掛ける。
「ああ」
僕の声に頷いて、椅子から立って振り向いたドクターの眼は、今はもう普通に見える。一年前のあの旅館の爆発で、眼やら顔やら体中を怪我したドクターは。自分で『大勢の命を救う医者』、と言うだけの医療の腕で、全部の怪我を自分で直した。見えてない筈なのに、自分で眼を治療してた時は、このひとはなんなんだろうと部屋の隅で震えたものだけど。それだけを見ると、このひとは本当に凄いお医者さんなんだなあ。思考は相変わらずサイコパスだけど。
「…相変わらず、馬鹿みたいな食事の量だな」
「大型種だからね」
僕の前に置いたお皿の数を見て、ドクターが心底うんざりした顔をした。確かに、僕のご飯は、ドクターの3倍…4倍くらいはある。でも、僕にとってはこれが普通だから、幾らドクターに顔を顰められても減らせない。おなかすくし。
「ところでドクターは、最近毎日何やってるの?」
「ああ」
デスクの前でパソコンでなにかやってるのは前からだけど。僕に渡してくれる生活費が前よりも多くて、誰かとヘッドセットで喋ってる時間も長い。だから、なにか違うお仕事でも始めたのかな、って軽い気持ちで聞いただけなんだけど。
そんな予想に反して、この問いかけにドクターはただ頷くだけで、僕には何も言わない。それに、思わず頭を横に傾げた。もしかして、なにかまたよからぬことを考えてるのかな。もうヘビボールに意味はないってドクターも分かってるはずなんだけど。まだ、不老不死の夢を諦めてないとか?それとも、他になにかあるのかな。
そんなことを考えながら、瞬きの必要の無い目で、彼をじっと見つめると。それを真っ向から受け止めながら、何でもなさそうにドクターが口を開いた。
「そういえば言わなかったか。あの元刑事、今は検事になってるぞ」
うわ、滅茶苦茶露骨に話逸らしてきた。でも、そうと分かっていても、あっちから切り出してきた話題に思わず驚いて、話に乗ってしまう。いつもこうやって、滅茶苦茶分かりやすく話を逸らすんだからなあ。それにいつも引っかかる僕も僕だけど。
「えっ!?あの無能、じゃなかった無敗の刑事が!?」
「ああ、前にあっちから俺に連絡がきた」
そう言って、口の端を上げて悪そうに笑う。…また、刑事さんだか検事さんだかを操り人形にするつもりだろうか。いや、前から連絡が来てるのなら、もう既に裏で操ってるのかもしれない。まったくもう。
「また、検事さんの代わりに推理してるの?」
お皿の上のパスタを一口で飲み込みながら、そう問いかけると。フォークを持ったドクターが、何も言わずにまた口の端を上げた。…してるんだ。
こういう悪い笑顔をしているドクターは、これ以上僕が何か言っても聞く耳持たない。それか、また論破合戦が始まって、僕が数秒で負けるか、どっちかだ。僕がヘビ探偵みたいに頭の回転が早かったらなあ。
そんなことを内心で思いつつ、2枚目のパスタを平らげる僕に。今思いついた、とでも言うように、ドクターが僕を見遣る。
「ああ、言っておくが明日は出かける」
「へえ、珍しいね。どこ行くの?」
「裁判所だ」
…………。さっきの今で、嫌な予感しかしない。元刑事さんが検事さんになって、それを裏で操ってるのがドクターで、明日行くのが裁判所って。
「…なにするの?」
「別におかしなことはしないさ。当然のことをするだけだ」
言葉を選んだつもりでも、やっぱり問いかけは直球になってしまう。そんな僕の言葉に、ドクターはやっぱり何でもなさそうにそう答えて、スプーンとフォークで器用にパスタを巻いていく。その様子はいつも通りで、動揺も何も見えない。うーん。
「…僕も行こうかな」
「やめておけ」
一層のこと、僕もついていけばいいんじゃないか。そう思って、口に出すと。僕の言葉は、一言で一掃される。えー。
「なんで?」
「お前のようなヘビ如きが裁判所に行ったら、冤罪で捕まるだけだ」
「ええ…」
一体何故。裁判所は裁判するところだから、事件が起こって捕まるようなこともないのに。ていうか僕を冤罪で捕まえたのなんて、今までの人生でドクターだけだよ。そんなの何回もあったらいやだよ。ていうか、まさか裁判所で事件を起こすつもりなんじゃ。いろんな思いが、一瞬で頭の中を巡ったけど。
「いいから、明日は家から出るな。家に居ろ。テレビも見るなよ」
フォークで僕を指しながら、そういうドクターの眼は。…この一年で一番、真剣だったから。
「…わかったよー」
不承不承、僕も彼の言葉に頷いて。3枚目のパスタを丸のみした。