「ごほっ、ゲホッゲホッッ」
頭に血が登り、目の前の男に殴り掛かる。荒くなる自分の息遣いと、司くんの咳が狭い倉庫に響いた。
人なんて殴った事が無かったから、握った拳がとても痛み、もしかしたらヒビが入ってるかもと思うも、それよりも慌てて彼の傍によった。
「司、くん」
「……………っ?」
司くんに名前を呼びかけると、ベトベトになっている口元を手の甲で少し拭いながら、キョトンとした不思議そうな顔をしていた。
服は前がはだけていて、かろうじて腕が衣装に通っている程度、下は見事に一糸纏っていない状態で、自分の手が痛いのを無視して、司くんに自分の上着を羽織らせた。
「………怪我、は……」
「していない」
「………っ、………」
しっかりとした受け答え。
涙をうかべるわけでもなく、顔を青ざめるわけでもなく、ただ少し汚れたことだけが不快とでも言うように、汚れた箇所を手で拭っていた。
被害者であると言うのに、全く被害者らしくないその態度と素振りは、僕は見た事があった。
「類の方が怪我をしている。痛くないのか、これ」
司くんが指摘してきたのは、男を殴った僕の右手で、見事に腫れ上がっており、どうやらさっきの予想通り、骨にヒビでも入っているようだった。
「…僕はいいから。とりあえず、ここ出よう。警察も警備の人も来てくれるから」
「ああ」
今思えば、司くんと付き合う前から、何かしら違和感はあった。
賑やかで、純粋、努力家、家族思い、僕たちを率いる座長。
はっきりとした性格で、人を寄せつける彼は、天馬司という人格で、その人格が一瞬なくなる瞬間がある。
それは、衣装に袖を通していない時。
◇
フェニランの周年イベントは、とても盛大なもので、そこのキャストをしている僕達も例外なく、いわゆる繁忙期というものに振り回されていた。
この期間は、毎日ショーをすることが必須であり、同じ演目を1日に4度ほど繰り返し行う。
夏休み終盤であるため、学校はなかったが、それは観客も同じなため、連日、ショーをする度に、人は小さなワンダーステージに押しかけた。
1番体力があるえむくんですら、少し疲れているような笑顔を浮かべているし、寧々も適度に休ませてはいるものの、一日の最後の公演になると、足元がおぼつかなくなるほどだった。
「えむ、寧々。大丈夫か?」
彼女たちに声をかけた我らが座長は、自分も大粒の汗をかいている中、気遣うように声をかけた。
「うん、まだ余裕」
「あたしも!最後まで頑張れるよ!」
彼に声をかけられた2人は不思議なもので、さっきよりも活力が湧いてきたのか、司くんの気持ちに答えるように力強く答えた。
「類はどうだ。まだできるか?」
「もちろん。君こそ、すごい汗だけど、大丈夫?」
「オレを誰だと思っている!必ずや大団円で終わらせるぞ!」
その熱気に僕達も答えるように頷いた。
普段、司くんに素直になれない部分がある寧々ですら、彼に声をかけられれば、疲れている体を奮い立たせて、ステージへ向かう。
僕たちをまとめあげて指揮を高めてくれる彼には、みんな尊敬しているし、助けて貰っている部分が多い。
しかし、彼自身が弱音を吐く時はほとんどない。
もっと言えば、司くんは
「類!最後の公演が始まるぞ!」
「…今行くよ。汗はふけた?」
「ああ、ヘアセットも完璧だ!」
「ふふ、では最後も華々しいショーにしようじゃないか」
司くんの後を追いかけて、少し小走りをする。
今思えば、もっと早くに、この時点で、気がついていれば良かったと後々後悔することを、僕は知る由もなかった。
◇
「終わったっ……」
「さすがにヘトヘトだね〜」
「このオレですらも疲れたぞっ…」
最終日の最後の公演も見事やり終えて、少し静かになったワンダーステージの舞台裏で4人で座り込む。
「この猛暑だったし、ネネロボもお疲れ様。オーバーヒートにならなくて良かったよ」
「類がこまめにメンテしてくれたとは言え、さすがにネネロボも休ませてあげたいね」
「幸い、周年イベントも今日で終わりだし、明日からは通常営業に戻るらしいからな。打ち上げはまた後日にして、オレたちも今日、明日は体を労わろう」
「賛成…そろそろ休まないと死ぬ…」
「でもでも!打ち上げぜ〜ったいしようね!」
「そうだね、反省会も兼ねて夏休みが終わる前にまた集まろう」
そんなこんなで4人で話していると、学生はそろそろ帰る時間になってきたため、各々更衣室まで移動する。
僕たち2人だけしか使っていないにしてはかなり広い更衣室に入り、軽く汗をふき取ってようやく首元をゆるめる。
「それにしても疲れたね…かなり暑かったし、誰も熱中症にならなくて本当に良かったよ」
「ああ、ほんとにな。観客も類の演出によるミストなどで、涼はとれていたようだし、万々歳で終われてよかった」
司くんがそう言いながら、服に手をかけ始めたのにつられて、自分も衣装をぬぐ。
「司くんは、最初の頃に比べて随分と体力がついたんじゃないかい?普段から、学校でよく走ってるのもあると思うけ……ど………」
ふと、司くんの方を見ると、上の衣装を脱いで、丁寧に畳んでいた。
そこは何もおかしいところは無いのだが、表情が完全に無になっていて、どこを見ているのか分からない目をしていた。
「……つ、司くん……?」
思っていたよりも小さな声で、彼の名前を呼ぶが聞こえなかったのか、返答はなく、汗ふきシートで身体を清めていた。
声がかけずらくなり、僕は彼から目を逸らして、無言で中断していた着替えを再開する。
2分ほど経って、パタンッと隣から音が聞こえた。
そろりと横を見ると、司くんは私服に着替え終わっており、その顔は無表情ではなくなっていた。
「おい、まだ着替えてるのか?早くしないと閉園時間になるぞ」
「あ…す、すまないね。もう終わるから」
指摘されて、そそくさと着替えをすませる。
「そういえば、えむ達がお兄さん達に送って貰えるようになったと今、連絡が来たが、類はどうする?」
「あー…司くんは乗らないのかい?」
「オレはゆっくり帰ろうと思っててな」
「…なら、僕も司くんとご一緒してもいいかな?ちょうど僕も歩いて帰りたいと思ってたから」
「もちろん構わんぞ。えむ達にも伝えておこう」
たしたしとスマホの画面を操作する司くんを見ながら、さっきのは見間違いなのでは無いかと思い、少し頭を横に振った。
2人で更衣室を出ると、もう外はすっかり暗くなっていて、あと少しで閉園の時間となる。
職員用の出入口から出ていき、司くんの横を疲れきった重たい足取りで歩く。
司くんはいつものように今回のショーの出来栄えについて話していて、空返事でその話を右から左に聞き流す。
さっきの表情が彼らしくなくて、ずっとそれが違和感だったからだ。
疲れていた?
いや、あれは司くんの疲れている表情ではなかった。
怒っていた?
いや、何に対して怒っているのか分からないし、いまは普通だ。
「…類!」
「わっ……どうしたの?」
「どうしたのでは無いだろう!オレの話何も聞いてなかったな!?」
「あ、えっと…うん」
「いくら疲れているとはいえ、座長の話を無視するとは失礼なやつだな」
これは、少し不貞腐れた顔。
怒ってると言うより拗ねてる顔だ。
ならばやはりさっきのとは違う顔だ。
「……」
「…おい、何をそんなに考え込んでいるんだ。眉間にシワがよってるぞ」
「いたっ、ちょ、そんなにグリグリしないで」
僕の眉間を親指で押されて、少し驚く。
少し心配している顔の司くんにさっきのことを聞くべきか迷ってしまい、押された眉間を撫でた。
僕の勘違いならそれでいいし、寧々やえむくんの前では見せていないのなら、特に気にかける必要も無いけど…。
あまりにも司くんらしくないあの表情が、忘れられず、出来ればもう一度あの顔を見てみたいと思った。
まだ僕が知りえない司くんの表情を知りたいと強く思った。
「ねぇ、司くん」
「ん?どうした?」
「僕と、付き合ってみない…?」
「……は?」
「………あ…………」
困惑させるようなことを言えば、さっきのような顔を浮かべるのではないかと思っていたのが、つい口に出てしまい、すこし顔が熱くなる。しかし、返ってきた反応は
「…おい、お前疲れすぎてないか?あれほど言ったのに、睡眠を十分にとっていないだろ!」
「……司くんらしい……」
「何がだ!?」
「あー…いやこっちの話だよ」
「はぁ…今日は早く寝ろ。頭が正常に働いていないように見えるぞ」
呆れたようなその返しはいつもの予想していた司くんの反応と同じで、さっきの緊張が嘘のようで、少し拍子抜けする。
「全くお前は……。心にもないことを言うな!普段のお前については信頼しているが、こういうめちゃくちゃなことを言う時のお前は、なにか裏があるはずだぞ」
その返しにこれは巫山戯た感じに上手くごまかせるか?と思い、下手な泣き真似をして、さっきの失言を取り返そうとする。
「酷いなぁ。じゃあ僕の恋心には答えてくれないのかい?」
「だ・か・ら!!嘘だろう!?一体全体オレのどこを好きに」
「君の事はまだまだ知らないことがあるだろうから、現段階では、君の性格とか人柄とか」
僕がそう言うとピクっと反応して、司くんは紡いでいた言葉を途中でも止める。
しばらくフリーズした司くんは、目を少し見開いていて、驚いているようだった。
意識的に好きだと感じていたため、咄嗟にその質問をされて言葉を返してしまった。少し適当に言いすぎたかと頭の中で反省する。司くんは少しの沈黙の後に思っていたよりも小さな声を出した。
「………見る目があるじゃないか」
確かにそう聞こえたその言葉の瞬間、司くんは僕に笑顔を向けた。
「いいだろう!お前の恋人とやらになってやろうでは無いか!」
いつもの満面の笑みのその返事に、一体全体、彼の考えてる事は全く分からない。
◇
そんなこんなで、司くんと恋人同士になってはや1週間。
学校は始まり、いつもの生活に戻る。
あれから、打ち上げなどで顔を合わせはしたけれど、それ以外は特に用もなくお互い学校で会うからと思ったのだろう。連絡は取り合わなかった。
そして、今日の昼休み。
司くんはいつものお弁当を持ち寄って、僕の隣で食べながら、疑問を口にした。
「恋人同士って何するんだ?」
随分ストレートなその質問に僕としても返答に困る。
前よりも近い距離感になれば、見る機会が増えるかもしれないだろうし、何より彼と恋人同士になれるという、叶うと思っていなかった願いが叶い舞い上がったが、普段から、学校でも放課後の練習でも割と一緒にいるので、意味なんてないんじゃないかとさえ思い始めて、今日学校に来たのだ。
僕としては、別に司くんのことは嫌いでは無いし、むしろ好いていると自覚している。
恋人らしい振る舞いを求められれば、喜んで引き受けることも出来る。
だが、司くんは僕を恋人としてみているのかは少し悩ましいところで、そういう段階の彼とこういう行為に及んでしまうのは、少し心が痛いのだ。
「えっとね…その件なんだけど、司くんは本当に僕でよかったのかな。半ば僕が強引に関係を迫ったと言っても過言では無いし、無理そうなら遠慮なく言って欲しいんだけど…」
「何を言っている?オレは類のことが好きだぞ」
僕の言葉に帰ってきた返答に柄にもなく少しにやけそうになって、慌てて表情筋を抑える。
「えっと、それはありがとう。凄く嬉しい。…でも、よくある話で、”誰かにすきって言われたから好きになった”なんてものもあるし、今一度、よく考えてみて?司くんは僕とキスとかできる?」
「ああ、もちろん」
「だろう?できな……っ………え…」
「キスだろう?恋人は普通にする。なんなら今するか?」
そっと彼の手が頬を掠めてきて、ドッッッと鼓動が一気に大きくなった。
僕を真っ直ぐ捕えるその大きな瞳は、司くんらしくなく、慌てて彼の口元を指で押えた。
「こら、ほんとにちゃんと考えた?」
絞り出たその言葉に司くんは少しだけ口を尖らせた。
「だから、好きだと言っているだろう?お前が付き合いたいと言ったくせになんだその口ぶり」
「いや、そうだよ。そうだけどさ、君らしくないよ」
僕がそう言うと、司くんはまたピクっと反応して、ゆっくりと頬に触れていた手を離し、食べていたお弁当のおかずをまた口に運んだ。
「そんなにオレらしくなかったか?」
「いや、まぁ…気を悪くさせてしまってすまないね…」
「いや、そんなことは無いぞ。お前が違うというのなら違うのだろうと思っただけだ」
「……キス、また、今度してくれる?」
「ああ、恋人同士だからな。いつでも言え」
司くんらしい笑顔を向けられ、僕はそれ以上彼には突っ込まなかった。
真意が読めなくて、少し不安になる僕とは裏腹に、司くんはただただいつも通りで、少し怖くなる。
「司くん。何かあったら僕に言ってね」
「ん?どうしたんだ急に」
「君は僕たちの座長で大事な仲間君一人で何か悩んでいるなら、頼って欲しい」
「なんだなんだ。今までだってオレをよく助けてくれたでは無いか」
「…恋人同士になった今だからこそ、強く思ったんだよ。今まで以上に僕のことを意識して欲しい」
こぼれた僕の真意はどれほど彼に届いているのかは分からなかったけど、その時の彼の表情は彼らしくなくて、少し照れるように俯いた。
◇
「おい、お前ら、これ読んどけ」
ある日のショーの練習中のこと。
時間を見つけて晶介さんが、僕たちのステージに来ては、何かの書類を見せてきた。
「なにこれ…不審者情報?」
「そうだ。最近、フェニランの外で彷徨いている男が目撃されてる。時間は大体夕方頃、お前らの学校の奴らもよく来る場所だからな。なにかよからぬ事を考えてる可能性もあるから、できるだけ集団で帰れ」
見せられた書類の男は、どこにでも居そうな男で、もしかすると意識せず、彼の横を通っているかもしれないなと、まじまじと顔を眺める。
「だから最近よく送ってくれてたんだ…」
「怖いねぇ…普通の人だったらいいのに…」
「まぁ、暫くはお前たちのことは送るつもりだが、いつ居なくなるかもよく分からねぇし、自衛はしっかりな」
全員で力強く頷いて、できるだけ練習を早めに切り上げれるようにしようと、色々と対策を今のうちに考える。
ふと、司くんの方を見ると、司くんも写真の男を凝視していて、心配になり声をかけた。
「司くん、どうかした?」
「…いや、こいつ。…1度オレたちのショーを見に来てた気がして」
「え、覚えてるの?」
「ああ、目が合ったのを覚えている」
衝撃の言葉に、嫌な汗が流れた。
本当に僕たちの誰かが狙われている可能性があるかもしれないと感じ、寧々とえむくんにはやはり、晶介さん達の送迎が必要だと改めてお願いすべきだ。
「司くん。暫くは僕と必ず一緒に帰ろう」
あまり大所帯で車に乗り込んでも、多忙である晶介さんにも迷惑だろうし、自衛をしっかりしようと肝に命じる。
「ああ、そうだな。何かあっては怖いからな」
そう何かあったあとでは、もう遅いのだから。
◇
「小指の骨にヒビが入ってます。全治4週間。安静にしてください」
医者の治療を受けて、包帯でぐるぐる巻きになった指を見つめた。
さっきまで興奮して痛みはなかったが、段々と腫れが酷くなり、今は動かさなくても痛い。
「あの、あのっ…司、くんは」
「彼は外傷はなかったです。首周りに少しアザがある程度で、受け答えもしっかりしています」
「………そう、ですか……」
医者の言葉に安堵と悔しさと、…あとはよく分からない虚しさのようなものが胸を埋める。
怪我がなくてよかった?
良いわけがないのに。あの生々しい現場を僕は誰よりも近くで見たんだ。
そして、僕が司くんに抱いていた違和感も、明らかになった。
彼は、いつまでも天馬司を演じていたのだと。
ショー練習の終わり、後片付けをして、あと少しで閉園時間となるいつもの時間。
先に着替え終わった司くんは、飲み物を買いたいと言って、先に更衣室を出た。
鍵を閉めた後に、すぐに追いかけると言って、僕は数分遅れて更衣室の鍵を閉めて、その鍵を返した。
1番近場の自販機の元へ向かうと、そこに彼の姿はなく、キョロキョロと当たりを探した。
代わりに見つけたのは、倒れていた僕たちの学校指定の鞄だけで、中には財布もしっかり入っており、さぁっと血の気が引くのを感じた。
そこからはあまり覚えていないけれど、大声で司くんを呼んで、必死に園内の人気のない場所や、警備の人も何かあったのか聞きつけてくれて、警察を呼んでくれたのだろう。
結局それから10分後にフェニラン園内の出入口付近の小さな倉庫の扉がしっかり閉まっていないのを見て、冒頭に戻る。
口よりも何よりも手が出て、冷静になる暇はなく、司くんの手を引いた。
「ごめん………」
謝罪の言葉が出た時には、司くんも僕につられて、ごめんと謝ってきた。
「類にキス、残してやれなかった」
◇
「というわけで完全復活なオレな訳だが、類はいるかぁぁあ!!!?」
ガレージの外から大声で呼びかけられ、徹夜続きでベットに倒れた体をあわてて起こし顔を出す。
「……1人で外出ないでって言ったと思うんだけど」
「おお!類!怪我の具合はどうだ?見舞いに来てやったぞ!!」
「……もう痛くないよ」
「そうかそうか!学校も休んでいたし、心配してB組の奴らからノートを預かっているぞ」
意気揚々といつもの笑顔を見せてくる司くんに、よく分からない感情が胸を埋めて、返す言葉が見つからない。
腕は痛くないのに胸は酷く痛む。
どうして、事件の被害者である君がそんな顔をできるのか。
僕には分からなかったから。
「お前のことだ。部屋、ちらかってるだろう。片付けてやるから上がってもいいか?」
「……司くん、君は学校、休まなかったのかい?」
「?当然だ。この天馬司、これしきのことぐらいで学校は休まん」
「……僕の思ってた司くんと違うな」
司くんは僕の言葉を聞いて、笑顔のまま表情を固まらせた。
彼の中で予想していた言葉ではなかったということか、少しの動揺が伺えた気がした。
「部屋は整ってるから、念の為、タクシーで帰って。僕のことなら平気だよ、月曜日には学校に行くから」
それだけ残し、司くんの前を去ろうとして、慌てて肩を掴まれた。
「ま、まて。何がおかしいというんだ」
欲していた言葉を貰えなかった司くんは、上手く笑うことが出来なくなっていて、僕は心の中で、何となく彼のあの表情の原因がわかった気がした。
「君は事件の被害者。誰よりも怖い目にあったはずなのに、翌日に平気で学校に行くのは普通の人の精神じゃない」
「だ、だが!クラスの奴らは、オレらしいと言った。その元気っぷりは天馬司だと」
「彼らが、笑ってそう言ってくれたのは、君がそういう風に演じたからだ。君が大丈夫そうだから、そんなにひどいことは無かったんだと」
「でもっ……家族も…学校に行くのは、止めなかった……」
「君の家族が学校に行くのをとめなかったのは、警察に丁寧に君が説明したから。だから警察も君の家族も被害は軽いものだと勝手に察したんだ」
彼の質問に淡々と答えていくと、段々と顔を青ざめてしまう司くんに、僕はごめんと一言謝った。
「…君を責めてるんじゃない。僕は、君の本心が知りたい。みんなを率いる頼れる座長の天馬司じゃなくて、ただの天馬司と話がしたい」
「……随分とおかしなことを言う……」
「僕は君の恋人なのに、君を守れなかった。悔しくて仕方がないよ。君はそうじゃないのかい…?…あの日、君は僕に「残してやれなかった」と言った。…あれも、君の演技だったの?」
今だって、あんな男に司くんが汚されたのは、腸が煮え繰り返そうな思いなのに、君は違うのか。
「……っっ………、…?……?」
困惑する司くんの表情に、答えが見つからないのだろうと察する。
僕は司くんの手を引いて、ガレージに招き入れた。
彼の本心を知るには、その鎧を脱がさないといけない。
「司くん、裸になって」
「………え?」
「僕たち恋人同士だし、おかしくないでしょ?」
「ま、まっ、てっ」
僕が司くんの服に触れると、司くんはカタカタと震え始めた。
「何が怖い?僕に乱暴されるのが怖い?……それとも、僕に本心を暴かれるのが怖い?」
この質問が確信を得たのだろう。
ボロボロと涙を流し始めた。
「類は、乱暴なことなんて、しないっ」
「……分からないよ。男を殴ってこんな怪我してるくらいだから」
「違うっ、しないっ、お前は、オレにそんなことできない」
「……………うん。そうだよ。傷つけたくない。下手な告白だったけど、君のことが好きなのは本当なんだ。だから、あの日は血が上って男を殴った」
流れる涙を止めようと、そっと司くんの目元を指でなぞる。
「もう僕に隠さないでよ。本当の君は、怖くて仕方がなかったはずだろう?」
僕の質問に司くんはゆっくりと頷いた。
彼の上から退き、ソファの上に座らせる。
「……っ、オレ、は……舞台衣装がないとダメなんだ」
◇
天馬司という人柄をみんなが褒めた。
誰よりも明るくて、オレがいるだけで、周りが元気になる。
自惚れでもなんでもいい。みんなが、咲希が元気になれるのはこの人柄だ。
それに気づいてから、オレは誰よりもこの人柄を意識するようになった。
初めて妹にみせたショーでは、自作のマントを羽織って、自作の脚本で勇者を演じた。
その時、咲希が言った『お兄ちゃんみたいな勇者の物語』がずっと胸の中に留まって、そして初めて見た妹のその表情が頭から離れなくなる。そこから、衣装を着ることで、誰よりも演じやすくなったのを覚えてしまった。
そうだ、色々な衣装を作って、それを着て、役者になって、スターになって、もっといい天馬司を作ろう!当時幼かった頭はそんなことを思いついた。
しかし、天馬司を演じれば演じるほど、本当の自分が分からなくなる。
唯一、何も身にまとっていない時、その時だけ、何も考えなくて済んだ。
いや、分かりやすく言えば、そんな状態でどの天馬司を演じればいいかわからず、感情が死ぬのだ。
その状態は天馬司じゃない。
その天馬司はいらない。
そう思うのに、無くならない。
そんなことで頭を使っていると、自分が望む天馬司とみんなが望む天馬司がごちゃごちゃになる。
だからこそ、類という人間がいるのはとても助かった。
オレのことを誰よりも近くで知っているのが類だったからだ。
「お前の、告白、最初は意味がわからんかった。望みが見えないし、正解が分からない」
「でも、僕が君の人柄がいいと言ったから」
「ああ、だから、ちゃんとオレはオレを演じれていると思って、嬉しく思った」
ぽつりぽつりと話した司くんの本心を聞いて、ハンガーにかかっている自分の衣装を見た。
衣装を着てよりスイッチが入る役者は多い。
彼もそのひとりで、司くんの場合、より共感力が強まる分、演じるものが無くなった途端、何も出来なくなるのだろう。
「どうして、隠そうとしたの?」
事件があったあの日、まっさきに僕の心配をして、今の状態を説明することを渋っているように見えた。
「……別に、…あの時は隠そうとはしていない…。ただ、お前の怪我が心配だった」
「ああいう場面は自分の心配をして。無理に演じられてると思って僕は少し悲しかったよ」
「…………すまなかった」
「……ううん。謝るのは僕の方だ。ごめん、ちょっとキツい言い方して」
もうここまで司くんの本心が聞けたのなら、これ以上質問攻めするのも良くないと思い、小さな体を抱きしめる。
「おい、怪我に響かないか…?」
「大丈夫。…君の本心、聞けて少しだけ安心した。…だから、少しこのまま」
重たいだろうに司くんはポンポンと僕の背中を撫でてくれて、少しだけすさんでいた心が穏やかになる。
「……お前に残してやれなかったという言葉、あれは、確かに、気持ちが籠っていないように聞こえただろう。でも、」
そこまで言いかけて、司くんの声が上擦った。
続きの言葉を言うのにかなり時間をかけていて、段々と肩が濡れて行く感触がつたわり、心中を察した。
「ほんとう、に嫌だった。悔しいっ、嫌だった、んだっっ、お前に、お前にやりたかったっ、!類が、最初が良かったっっ!!」
溢れてきた涙が止まらないのだろう。怒りと悲しみの交じったその言葉に、僕も目頭が熱くなる。
きっと本心だ。それが伝わったから。
司くんはできる限り抵抗してくれたんだろう。だから、見つけるのに時間がかかったと言うのに、キスだけで済んだ。
でも、憎らしい。心底憎らしい。
彼をこんなにも傷つけてしまった男と、彼の傍から離れてしまった自分に。
「ごめん、守れなくて、ごめんっっ」
「悔しいっっ!!ムカつくっ、…!!だが、!お前が、っ!殴ってぐれだ!!スカッと、したっ……!」
耳元で大きな声を出されてそんなことを言われてしまえば、泣きながら思わず笑ってしまい、司くんも、司くんらしく少しだけ笑ってくれた。
「ねぇ、司くんっ。キスしてほしいっ、」
「いいぞ!して、やる!ていうか、させろっ!嫌がっても、やめて、やらないからなっ!」
ボタボタと涙と鼻水を流して、お世辞にもかっこいいなんてとても言えないその表情に、また笑いながら、お互いの頬に手を添えた。
「もちろんっ、僕たち、やっと恋人同士になれたんだから」
初めてのキスの味はしょっぱくて、あまり覚えてないけれど、多分きっと忘れられない。
もう彼が、彼を演じて、彼を壊さないように。間違いが起こらないように。
僕の天馬司を愛そうと心から思った。