ジャムとコーヒーと朝というには少し遅く、お昼にしては早い時間。夜間に出勤していたケイのケア、現場からの調査指示などがあると、明け方からバタバタしてこの時間に落ち着くことが多い。
日中の方がドロのトラブルは少なく、怪我人が医務室に来たりすることも少ない。そんな少し一息つく時間に扉が開く音がした。
「はーい、今日はどうしました?」
扉の向こうには、袖をまくった黒いシャツに白いネクタイ姿。綺麗にあげている前髪は少しだけ乱れていて『徹夜明け』と顔にかいてある
「お疲れ様、市村さん。顔色が良くないけども大丈夫?なにか出しましょうか?」
「…あぁ…仕事が片付いた後だからな。問題ない、ドクターは?」
部屋には入らず、扉に寄りかかるように医務室のを見回している。横になったらすぐに眠ってしまいそうなくらい疲れているように見える。
「先生はちょうど出掛けてしまって。先生じゃないとわからない用事だし、ルーキー…ドゥム君も同行しているから今は私だけなの。お急ぎかしら?」
「…いや、大したことじゃない。また出直す」
大したことじゃない。
彼が疲れた顔で先生の元に訪れる時は、先生にコーヒーをいただいているのを見かける。ビーカーにいれているから、消毒中のものじゃないかちょっとヒヤッとするときもあるけど。
「市村さん、今少しだけ良い?」
引き留めると、眠たげな目はまばたきをしてこちらを見ていた。
「ジャム…?」
手を貸してほしいことがある。
そう声をかけられて渡されたのは、ひんやりと冷えた瓶だった。
「ずっと医務室の冷蔵庫に入れちゃってて、開かなくなっちゃってね…私じゃ開けられなくて困ってたから、とてもラッキーだわ。あぁ、食品用の冷蔵庫だから安心して?」
「あぁ…職員用の簡易的なものならうちの部署にもある。酒をいれていた馬鹿がいたから、今は水しかないが」
「あら、喫煙については厳しく言われていないけども、飲酒は総務の方が飛んできちゃいそうね」
あきらめてお湯を沸かしたところだったの、と言いながらコーヒーをいれている。この医務室で来客用のマグカップは初めて見たかもしれない。
「医務室でジャムを使うことがあるのか?」
「先生がたばこばかり咥えないようにパンを焼いた時に使うかしら。給湯室にトースターもあるからね」
「パンじゃ一服できないだろうな」
ひんやりする瓶を持ち変えて力を入れようとするにも、逆に加減がわかりにくい。捻る際に瓶に力を入れすぎれば、手の平がジャムまみれになる未来が見える。今は余計加減が出来るかわからない。
「…君が瓶側を持ってくれないか?」
「えぇ、これでいいかしら?」
彼女が瓶を両手で抱えるように持ったあと、蓋を捻るように軽く力をいれる。蓋全体に力をいれて曲げてしまわぬよう、なるべく加減すると簡単に蓋は開いた。
「あ!開いた、お陰でジャムを眺めながらパンを食べなくてすむわ。ありがとう」
「そうか、まぁ役に立てたのならよか…」
「…市村さん?」
うっかりしていた。さっきまで書き損じの書類にも同じようにしていたからか。
ごみを捨てる感覚で握ってしまい、紙を丸めたかのように瓶の蓋はくしゃりとつぶれていた。
思わず蓋と瓶を交互に見てしまった。向かいで同じ仕草をする彼女は、少し間が空いてから吹き出した。
「…パン屋でも始めるつもりか?」
医務室は人の姿がなかった。用を終えて休憩室にしている隣の部屋に行けば、焼いたパンと甘い香りが漂っている。
「あら先生、おかえりなさい。ルーキー君もお疲れ様」
後ろで頭を下げている部下に声をかけたLuckyは、机の上で焼いたトーストにジャムを塗っている。ジャムのついたトーストが似合わない男と共に。
「怪力くんまでなにやってんだ」
「いや…その…」
「私がお願いしたんです。ジャムの瓶を開けてもらったので、そのお礼に召し上がってって」
「にしては随分と多くないか?」
「先生もルーキー君もお昼はまだでしょう?うっかり冷蔵庫で眠らないように、使いきっちゃおうかなって」
「はぁ…」
トーストを片手に気まずそうな顔を浮かべている破壊神に、Luckyはにこりと笑っていた。
「ジャムに含まれる糖分は、疲労回復にもいいのよ?コーヒーもタバコも息抜きにはいいけども、食事も忘れないでね」
「…気を付けます」