信gen「やっと行ったか」
食糧庫の奥で信に強く抱きしめられながら、時間が過ぎるのを待っていた。普段ならたくましい腕やふわふわした尻尾に包まれている間は落ち着くが、今はそうはいかない。
この世界の人間が突然やって来たのだ。
急いで隠れるように皆に言われて食糧庫に逃げ込むと、毛を逆立てた信が「奴らは玄武を探しているようだ」と教えてくれた。俺には聞こえない外の様子が、彼の耳には聞こえているらしい。その険しい顔に、やはり獣人族にとって好ましい状況ではないのだと分かった。
どこから俺の存在がバレたのか。やはり別の世界から来た異質な存在は他の種族も放っておけないのだろう。人間族は鬼族と共に鬼人族という大きな勢力の中にあると盟に教えてもらったのを覚えている。もし彼らに見つかれば、俺も獣人族もどうなってしまうか分からない。皆と一緒にいられなくなってしまうのかもしれない。
「玄武、もう大丈夫だ」
「ああ……」
「……心配するな。お前は絶対誰にも渡さない。俺が守る」
不安が顔に出ていたのか。信は俺を抱く腕にさらに力を込めて、人間族が去っても少しの間そのままでいてくれた。
それから数日後。
「玄武、これ」
食後に軽く片付けをしていると、信は何かを差し出しながら俺の横に座った。頼は満腹になって寝てしまったらしく、近くに他の子たちもいないらしい。誰も邪魔の入らない時間なのだと、彼の尻尾が巻き付いてくる事で察せられた。クールで凛々しい彼だが、二人きりだとスキンシップをとってくれる。この時間が俺も好きだった。
「これは?」
「作った」
手渡されたのは何かの黒い獣の革で出来た服だった。フード付きのポンチョみたいな、すっぽり頭から被るような形は着物ばかりのここじゃ珍しい。加えて、似た色をした毛の塊が付いた帯も一緒だ。ところどころに赤と黄色の毛も混ざっている。
「自分で作ったのか?器用なんだな」
「提案したのは盟だけどな」
ぶっきらぼうに言うが、ぶんぶん振られている尻尾は感情が隠しきれていない。じっと見つめてくる視線も、今すぐ着て欲しいと言っているように感じる。最初の頃は表情が読めないと思っていたが、今じゃ案外分かりやすい奴だと思う。
贈り物に首を通してみると革製だがしなやかで、腕や肩周りも動きやすかった。硬い獣の革を加工してこんなものまで作れるとは、流石は狩った動物を骨の一本まで残さず利用している種族だと思う。
帯も巻いてみたが、前に付く飾りかと思った毛玉は信によって尻の方に回されてしまった。少し垂れてふわふわ揺れているのが、まるで尻尾のようだ。
「……?こうすればいいのか?」
「ああ、あとは……」
フード部分を被ると信は満足げに頷き、頭に手を伸ばしてきた。俺も真似して触ってみると、そこにはピョンと立ち上がった飾りがついている。鏡が無いから確認まではできないが、耳が生えているみたいだ。耳と尻尾、のような装飾に意図を理解する。
「これを被っておけば、獣の耳が生えてるように見える。尻尾も付けとけば、とりあえず人間だとは思われねぇだろう……って」
「なるほど」
所謂、ネコの耳付きフードみたいな物だ。幼少期、同じクラスの女子に似たようなものを着ていた子がいた気がする。
元いた世界ではまさか自分がこんな可愛らしい装飾付きの服を身につける機会が来るとは思いもよらなかったが、実用性があるとなれば話は別だ。他の種族の目を欺けるのなら、恥じている暇なんてない。
それに、信が俺のために作ってくれたものは何でも純粋に嬉しかった。
「ありがとう。どうだ?似合ってるか?」
「……あ、あぁ」
少し浮かれながら小さい獣人族の子がやる威嚇みたいに「がお」と戯れてみると、信は顔をみるみるうちに赤くして頭をごつんと擦り付けてきた。照れ隠しが子供っぽくて可愛いと言ったら彼は怒るだろうか。
頭を撫でながら赤い髪に指を通していると、信の大きくてふわふわの尻尾が俺の腰に生えたばかりの小さな尻尾に絡んできている気が付く。これは……もしかして獣人族なりの愛情表現の一つとかなのだろうか?まだ彼らの習性については知らない事も多いが、解けなくなりそうなくらい絡みついている尻尾は見ていてなんだか嬉しくなった。
「俺も獣人族になれたみたいで嬉しいぜ」
「……玄武は元からオレたちの仲間だろ」
「うん。でもこうして同じ格好になれたら、安心したんだ。……やっぱりお前も、こっちのが好きだろ?」
「お、オレはどんな玄武も……」
そうしどろもどろに言うが、前髪の隙間から見上げてくる目はいつもよりも赤く光っているような気がする。目が合い、ぐるると喉を鳴らした信は、俺をゆっくりと押し倒した。
「信……?」
「悪い、正直自分でも驚いてる。どんな玄武でも好きだが……一層、良いと思う。なんというか、魅力的だ」
「そ、うか」
唇を寄せてくるのに応えると、繰り返される口付けは首元まで下りてきた。鋭い牙が僅かに刺さり身が震える。その感覚は肉を容易く切り裂く牙に急所を晒している恐怖であり、信へ全てを委ねている事で得られる充実感、心が満ち足りている歓喜の震えでもあった。いつもよりも、接触が多い。ちょっとドキドキする。
「あっ……!」
目の前の身体に縋り震えていると、突然さっきまで甘噛みされていた首を舐められて変な声が漏れた。驚きと羞恥心から咄嗟に信を見ると、彼は耳をぺしょりと垂れ下げている。怒られる前の犬みたいだと思った。
「わるい、血が出るまで噛んだ」
「えっ?ああ……別に大丈夫だと思う。気が付かなかった」
「……興奮しすぎて番を傷付けるなんて情けねえ。我ながら先が思いやられる」
頭を抱えて信は言う。……興奮、してたのか。いや、そうかもしれないとは多少思ったが……興奮するとああなるのか、お前は。というか、俺で我を忘れる程に……?
「……」
お互い赤い顔をして少し沈黙した後、信は「頭冷やしてくる」とのっそり起きあがろうとする。その手を取って、引き留めた。
「……一緒にいてくれ。その……もっと、噛んでもいいから」