Alea jacta est!Alea jacta est!
※学パロというよりギムナジウムとパブリックスクールを混ぜた感じの世界
「ここでいい」
「ですが、旦那様には……」
「学校には事前に伝えてあるのなら俺一人で十分だよ。送ってくれてありがとう、気をつけて」
困惑と侮蔑の表情で器用に見つめる運転手を横目に車から降りた。俺が歩き始めると諦めたのか、隣をゆっくりと通過していった。あのまま車に乗っていたら校門どころか車を降りて玄関先まで丁重に送られていたに違いない。余計な注目を浴びたくないのに。
あの人の心配性はいつになれば治るのだろうか。家を出る前に言われた言葉を思い出す。
「いいかい、セノ。この世界はとても広いんだ。だから君はたくさんの事を見て、聞いて、学んでくるんだよ。それが君に与えられるべき権利であり、義務でもある。だから向こうでの生活を楽しみなさい」
まだ撫でられた感覚が残っている気がしてきて思わず右手を頭に乗せる。あの人の期待に応えるためにもこれから頑張らないと。俺は少し袖の余る上着で風を切った。
俺がこれから通う学校はあの人の母校らしく、その縁で学園長に話をつけてくれたから、俺のような季節外れの転入も快く引き受けてくれたらしい。今までの着ていた服とは違い、白いカッターシャツに黒の長ズボン、上着には校章が金糸で刻まれていて、胸元に垂れるボウタイという正装は俺にとっては窮屈だった。首周りが締め付けられる感覚は平気だが、何枚も着込んで肩に型崩れ防止のために入れられているパッドのせいか腕の可動域が狭くなった感じがする。けれども、これを毎日着続けるのだから慣れなくてはいけないし、きっとそのうち慣れるのだろう。
目的地に向けて歩を進めていくと、左手に墓地が見えた。教会も併設されている学校だと聞いているからその繋がりなのかもしれない。十字が立ち並ぶ景色を眺める。こうやって見ると十字と一言で言い表せないほど種類が多い。シンプルなものもあれば、先端が角ばっているもの、円と重ねて十字を描いているもの等様々だ。あれらの違いにはそれぞれ異なる意味があるのだろうかと考えていると、ふと一つの墓に目を奪われた。
人が、倒れている。
墓石に寄りかかるようにして男が倒れていた。柵をひょいと乗り越えて男の所へ近づく。
男は持て余した長い足をだらりと広げていた。髪の毛は日光で反射し、自分とは対照的な肌色は筋骨隆々の肉体と相まって石膏の彫刻にも見えた。本当に人間だろうか正直不安になるくらいだ。けれども、男の左手に古びた本が見えたので、これが誰かの作品ではなく、れっきとした人間である事を証明してくれているような気がした。
それにしても何故この男は墓地で意識を失っているのだろうか。誰かの墓参りにでも来て、急に具合でも悪くなってしまったのだろうか。平日の昼下がりで葬列もない墓地は人気がない。もし意思疎通ができるのであれば、状態を確認してそれから教会にでも行って救援を呼んできた方がいい。
まずは男を覚醒させるべく俺は男との距離を縮めていく。憎らしいくらい長い足を跨いで胸元を観察する。上下に体が揺れているから呼吸は正常のようだ。あとは起きればいいだけか。
「おい、大丈夫か」
声をかけながら肩を叩く、反応はない。
「聞こえているか。具合が悪いのなら人を、」
そう言って男の顔を覗き込んだ時だった。
「人の寝込みを襲うとは、南の人間は随分情熱的らしい」
オリーブみたいな瞳がこちらを見つめてきたと思えば、不意に唇にぬるりとした感触。
「なっ、なんなんだお前…っ」
口元を左手で覆いながら目の前の男を睨みつける。男はふっと息を吐いて続けた。
「なんだ、とはこちらの台詞だ。折角人が休んでいたというのに邪魔してくるとは」
「は?休んでいただと?墓石の上で?」
「休息を取るのに時間も場所も関係ないと思うが」
「俺はてっきり具合でも悪くて倒れているのかと」
「それは君の早とちりだろう。俺はこの通り元気でどこも悪いところはない」
淡々と事情を説明する男に俺は怒りを通り越して呆れてしまった。
「じゃあ、なんで」
「ん?」
「なんで、俺が声をかけた時すぐに返事をしなかったんだ。わかっていたのなら教えてくれたっていいだろう」
「ああ、それは」
ぐい、と男の右手が俺の腰を持ち上げたかと思うとそのまま引き寄せられる。近い、近い!!
「身体に乗り上げてまで心配してくるなんて可愛いなと思ったんだ」
そう言って目元を緩めて口角を上げた男に俺は唇を啄まれてしまった。抵抗しようにも背後からがっしり抑えられてしまっては何もできない。息も苦しい。なんなんだこの男は。俺は目元がじんわりと熱くなるのがわかった。
やっと背後の力が緩んだところで俺は男の頬に平手を飛ばしてやった。
「痛いじゃないか」
男はわざとらしく打たれた頬を撫でている。力なんてほとんど入れてないんだから痛いわけがないのに。頭にきた。
「このっ、不埒な奴め……っ!!!」
もっと他にも言いたいことはあったけれど、もう限界だった俺は再び柵を飛び越えて、当初の目的地へと駆け出した。だから男がどんな顔をしてそれを見守っていたなんて知る由もなかった。
******
墓地から部屋へ戻ると今にも沸騰しそうな金髪が両腕を組んで待ち構えていた。
「おい、君。今までどこにいたんだ?学園長がずっと君を探していたんだぞ」
「休暇をどう過ごそうが関係ないだろう」
素通りして自分の机に向かうと納得のいかないらしい。
「そうやっていつも君の尻拭いをするのは僕なんだぞ!少しはこちらの苦労を労ってくれてもいいんじゃないのか、アルハイゼン寮長!!」
「そもそも寮長の仕事は全て君がやるという条件で推薦してやったのを忘れたのか、カーヴェ副寮長?こんな些細なことすら覚えていないとはな。おめでとう、今年も留年確定だ。君の指導教員が哀れに思えてくるよ」
「君ってやつはどうして毎回そうなんだ!……まあ、いい。今はこんな口論をしている場合じゃないんだ。聞いてくれよ!ビッグニュースだ!!なんと今日この学校に」
「転入生が来たんだろう。それも南出身の」
「そうそう、エキゾチックでミステリアスな転入生が……ってどうして君が知っているんだ!?さっきまで校舎にも寮にも図書館にもいなかったじゃないか!」
「うるさい。耳元で騒ぐな。まだそこらの野良犬の方が聞き分けがいいぞ」
カーヴェの騒音を無視して手に持ったままの本を机に置いた。先ほど会った少年をぼんやりと思い出す。月光の髪色に褐色の肌。そしてあの柔らかい唇に、とろりとした夕暮れ色の瞳。そして朱色に染まった頬。
「名前を聞くのを忘れてしまったな」
まあ、いい。
これからは毎日会えるし、そうでなくてもあの子はこの学校に嵐を巻き起こす。次に会ったときはどんな言葉をかけてやろうか考えながら俺は来週提出のレポートに取り掛かったのだった。