揺れて、銀糸(LOVELESSパロ)揺れて、銀糸
※高河ゆん『LOVELESS』パロ。
基本的な世界観や設定はこちら(https://poipiku.com/7286563/8573899.html)をご覧ください。
草神救出計画はなく、創神計画を旅人が無くした世界のような不思議な世界。
人は3つの名前を持つ。両親が生まれた時につけてくれた名前、友達が親愛の情を込めて呼ぶ名前、そして、自分の生涯が終わるまでに獲得する名前である。
ユダヤの格言
アルハイゼンが家族についての記憶がほとんどないのは、彼が機械生命体だからでもなければ、情がないからでもない。彼の両親は彼の物心がつく頃には亡くなっていたし、唯一残った肉親である祖母が「FACELESS」の「戦闘機」だったからだ。
この世界には、生まれる前から決められている「本当の名前」というものが存在する。しかし、この名前はごく限られた人間にのみ与えられる、いわば特別なものだ。
「本当の名前」を持つ人間は凡そ10歳前後に身体のどこかにその名前の痣が出現する。そして同じ名前を持つ人間は世界でたった二人だけ。故に惹かれ合い「運命の相手」となる。名前は絶対だ。年齢も性別も身分も関係ない。たとえ既にパートナーはいたとしても二人は惹かれ合う。そういう運命なのだ。
アルハイゼンの両親は優秀な学者であると同時に運命の相手だった。彼らの死因は表向きには事故死とされているが、実際は「言語闘争(スペルバトル)」によるものだ。
「言語闘争」というのは運命の相手同士が言葉(スペル)を具現化して戦うもので、ペア内で役割が決められている。
「戦闘機」。言葉を操り、相手への攻撃・相手からの攻撃を防御する者。一般的に語彙が豊富で想像力が豊かな者がより良い戦闘機とされている。
「サクリファイス」。相手からのダメージを引き受ける者。一般的に心身ともに頑強な者が良いとされている。
戦闘機とサクリファイスの関係性については様々な議論がされているが、戦闘機はサクリファイスの戦闘方針に従い、サクリファイスを守り抜くことが正しいという説が主流である。
戦闘機からの攻撃が当たると、サクリファイスは首・両手・両足の順で拘束され、視界を奪われて「完全拘束」をされると敗北が決まる。
たとえば、言語で「風」を具現化すると、戦闘機の技量に応じて、そよ風程度のものから嵐のような強風まで再現することができる。前者であれば多少の防御で防ぐことができるため支障はないが、後者であれば防御ができなければ相手の体を傷つけることは容易い。言語闘争は単なる舌戦ではない。心身ともにぶつかり合う戦いなのだ。
アルハイゼンの両親はこの「言語闘争」に敗れて命を落とした。彼の祖母は最初、幼い孫に対して両親の死の真実を伝えるか迷っていた。けれども、アルハイゼンから自分と同じ戦闘機の素質を感じたため、分別のつく頃に打ち明けることにした。そしてその年頃になれば「本当の名前」がわかり、運命の相手を見つけることができると考えたからだ。
しかし彼女の思惑は外れ、適齢期になってもアルハイゼンの本当の名前が浮かび上がることはなかった。それでも彼女は諦めなかった。本の虫へと成長した孫が戦闘機であると本能が告げていた。
次に彼女が行ったのは、アルハイゼンを戦闘機の講座に参加させることだった。
研究がされているとはいえ、「本当の名前」を持つ人間は多くはない。けれども戦闘機とサクリファイスという特異な性質を持った人々が自分たちは何者であるのか、生まれ持った才能(ちから)とどう向き合うのかについて教令院では密かに講座を開講していたのだ。彼女はそれに孫を参加させ、同じ戦闘機同士で刺激し合うことで運命の名前が現れ、あわよくば彼のサクリファイスと出会えるのではないかと考えた。
だがこれも失敗に終わる。
教令院に送り出した孫は半日も経たずに家へと戻ってきてしまったからだ。両耳を手でぎゅっと押さえてうずくまるアルハイゼンに、祖母は何故帰ってきたのか尋ねた。アルハイゼンがぼそぼそ答えた言葉に彼女は目を丸くした。
「耳鳴りがひどくて、他の人の左手が眩しくて気持ち悪かった」
彼女は腕の中に孫を抱えて、ゆっくりと口を開いた。
「あなたは父親に似て聡明な子ね。でも、あなたはあの子よりもっと『特別』なのよ」
彼女はアルハイゼンに両親の死の真相と、自分が戦闘機であること、そしてアルハイゼンもまた戦闘機であることを伝えた。
戦闘機は言語闘争の際に、戦闘領域を展開して戦うことになっている。この領域の広さが直接戦闘機としての才能と直結している。優秀な戦闘機は戦闘領域が1kmあるものもいるという。そしてこの戦闘領域は他人の領域と重なった際に感知することができ、脳内にキィンと耳鳴りのような音が聞こえる。
アルハイゼンの耳鳴りの原因は他の戦闘機の領域を感知したことによるものだ。まだ力に目覚めていない子供では殆ど領域を広げることができない。力の使い方を覚えて初めて領域を広げ、感知することができるのにアルハイゼンはそれを最初からやってのけた。これは彼が戦闘機として非常に優秀な才能を持っていることを意味している。
そして、左の手元が眩しいと言った理由も明白であった。それは、運命の相手は左手の薬指に見えるピアノ線のような銀糸で繋がっているのだ。アルハイゼンはそれが見えたのだろう。
だが、アルハイゼンの左手にはちぎれたピアノ線しかない。アルハイゼンの祖母は以上の点から孫が戦闘機としての才能に溢れているものの、「空白の」戦闘機であると結論づけた。
ここで、「空白の」戦闘機について補足をする。
先ほど述べたように同じ「本当の名前」を持つもの同士で戦闘機とサクリファイスという役割が振られ、言語闘争をすることができる。しかし、稀に戦闘機としての素質があるものの、名前が浮かび上がらない人間がいる。それが「空白の」戦闘機だ。
彼らは人生で一度だけ、体に好きな名前を刻むことができる。刻んだ名前が彼らにとっての「本当の名前」になり、自分のサクリファイスを得ることができる。ここまで聞くと彼らにとって非常に好ましい話のように思うかもしれないが、実際は違う。
「空白の」戦闘機はあくまで本物の戦闘機のスペアであり、万が一本物の戦闘機が見つからなかった場合、或いは死亡した場合にサクリファイスを守るためだけの存在とされているのだ。それ故に、ただでさえ戦闘機はサクリファイスに比べて冷遇されやすいのに「空白の」戦闘機は更に物扱いをされ、一部界隈では人身売買紛いのこともされているようだった。
アルハイゼンの祖母は孫にこれらのことを教え込み、翌日から戦闘機としての訓練をつけることにした。実戦だけではなく、戦闘領域を隠す方法、そして自分のサクリファイスを持つことの幸せについても語った。孫が将来何かしらの権力に巻き込まれて道具のように扱われることを恐れたからだ。また、同時に自分の亡くなった夫のようにいつの日かアルハイゼン自身が運命の相手だと思えるサクリファイスを見つけて戦闘機としての幸福を味わってほしいと願った。
アルハイゼンは祖母の期待通り、優秀な戦闘機としてスキルを磨いた。けれども、自分に運命の相手ができるとは全く想像もつかなかった。自衛のため、そして祖母のために日々鍛錬を重ねていった。
そしてアルハイゼンが戦闘領域を上手に隠せるようになった頃、祖母は亡くなった。彼女は死の直前まで孫の将来を案じ、孫へ最期の言葉をかけた。
「いつかあなたにとって『特別』に出会えますように」
こうして「FACELESS」(顔なし)の戦闘機は息を引き取った。生前は優秀な学者であったのに、本当の名前のせいで共同研究の写真や家に残っていたアルバムの写真、アルハイゼンの記憶の中からも彼女も存在はすっぽりと消えてしまった。唯一、孫にかけた言語だけは残り続けた。
祖母が亡くなってからアルハイゼンは改めて知論派の学生として教令院に通い、現在は書記官として勤務しているが、彼女がいう「特別」には未だ出会うことがなかった。同様に、彼の立派なミミもシッポも健在であった。
学生時代、オトナになることは一種の通過儀礼であると主張するグループの書いた論文に目を通してみたこともあったが、アルハイゼンはそうは思えなかった。見てくれや虚勢のためだけにオトナになるということは無意味なものだと考えたからだ。それに、オトナになる時はいつか出会えるかもしれない「特別」に一緒になりたいと思っている。
そんなわけで、アルハイゼンは時折己の左手の薬指から垂れたままの銀糸が視界に入ること以外は悠々自適で且つ平穏な生活を過ごしていたのであった。
しかし、不変のものなど存在しない。日常は突然変化する。
それは、異邦の旅人が教令院内で密かに進行していた「創神計画」を取り潰し、スメールに平穏が戻ってきて少し経った頃だった。
アルハイゼンは朝から機嫌が悪かった。目が覚めてから、いや、夢の中からずっと誰かが呼んでいる。声にならない声がずっと脳内でアルハイゼンのことを呼び続けているのだ。
今までも戦闘機たちの戦闘領域による超音波のようなものを感知したことがあり、その時は自作のヘッドフォンの設定をノイズキャンセルにしてしまえば、静寂を守ることができた。しかし、今回のソレはいくらヘッドフォンを装着していようが、限界の設定まで高度を上げようがアルハイゼンの脳内から消えない。寧ろ時間が経過するにつれて、はっきりとアルハイゼンの名前を呼ぶのがわかった。
アルハイゼンは一つため息をついて、のろのろと家を出た。煩わしさ以上にこの声の正体が気になってしまったのだ。
少しだけ戦闘領域を展開し、声のする方向を探る。どうやらスメールシティの西側のようだ。アルハイゼンはシティ内で言語闘争をしていないのを確認をして、そのままシティの外へ歩き出した。
シティ西側の林道は普段であれば腹を空かせたリシュボラン虎の群れがいるのだが、その日は虎の鳴き声は聞こえなかった。心なしか、鳥の声も聞こえない。アルハイゼンに聞こえるのは例の声、そして、何者かが戦闘領域を広げているのであろう、耳障りな超音波のような音だけだった。後者はノイズキャンセルで緩和させ、更に道なりに進む。川を越えた辺りで、人の姿が見えた。
エルマイト旅団だった。
斧を構える女と、クロスボウを携えた男が眼前の黒い塊を、にたにたと気色の悪い笑みを浮かべて見下ろしていた。様子を確認すべくアルハイゼンが更に彼らとの距離を縮めると、旅団の二人を囲むように戦闘領域が展開されているのに気づいた。
言語闘争の最中なのだろう。彼らの視線の先にある塊からは鎖が伸びていて、旅団の女が鎖の端を握っていた。しかし、旅団は二人。塊はどう見積もっても一人分の膨らみしかなかった。これは一方的な言語闘争であると判断したアルハイゼンは二人に気づかれないように岩陰に隠れて、塊の正体を探ろうと目を凝らした。黒い塊が僅かに動くと、ぴょこりと二つの耳が動くのがわかった。生まれた時からあるミミではなく、古代遺跡の彫像を彷彿させる耳。その特徴から連想できる人間をアルハイゼンは一人しか知らなかった。
「セノ……?」
アルハイゼンがそう口にした瞬間、脳内を支配していた声が収まった。黒い塊がむくりと顔をあげる。そして死角にいるアルハイゼンの方をはっきりと見つめた。首輪と鎖に繋がれたセノは眉間に皺を寄せて口をぱくぱくと動かしていた。旅団の二人はその様子を品のない笑い声を上げながら揶揄していた。しかし、アルハイゼンには二人の下劣な言葉は聞こえなかった。彼に聞こえたのはたった一言。
『助けて』
声に応えるようにアルハイゼンのミミとシッポがぴんと立ち上がった。そして偽装していた戦闘領域を元来の範囲にまで一気に広げた。半径約400m。平時の彼であれば、いくらシティの外とはいえ、戦闘領域を開放することなどしなかっただろう。相手の領域が狭かったとしても、アルハイゼンの領域は平均的な戦闘機を大きく上回るものなのだ。戦闘機に感知されて、余計なトラブルに巻き込まれるのを疎んでいたのだ。そのために戦闘領域を隠すことに力を注いでいたのだ。けれども、今の彼は違った。先ほどのセノの言葉に脳みそが沸騰するような、胸の奥底からとろけるような、今まで感じたことのない感情が彼を支配していた。
旅団の男が右耳を押えた。アルハイゼンの戦闘領域に気づいたらしく、彼の方を向いた。
「っ、この領域、お前か?」
「……言語闘争は公正で公平なものなのに、私刑とはな。勉強になるよ」
「あんた、なんなの?あたし達に何の用だい?」
女にはアルハイゼンの戦闘領域が堪えたらしく、掴んでいた鎖を離して両耳を押さえていた。アルハイゼンはセノが完全に意識を失っているのを確認して、男を睨んだ。
「本当の言語闘争をしよう。どうやら君たちは言語闘争を見誤っているようだ」
「へっ、お前とか?もしかして、コイツの戦闘機だっていうのか?」
「そうだ、と言ったら?」
「サクリファイスの危機を察知するの遅すぎない?本当に戦闘機なわけ?」
「君たちがどう判断するのかはどうでもいい。ただ、一つ覚えておくといい。俺は今非常に腹が立っている」
アルハイゼンの言葉になぜか楽しそうに笑う二人は、彼の申し出を引き受けた。
「ふん、サクリファイスを助けられなかった出来損ないの戦闘機に負けるわけないけどな」
「さっさと始めよう。『戦闘を開始します』」
「ねえ、コイツムカつくからさっさと終わらせましょ」
「わかってるさ。『応じます』」
『『システム展開』』
アルハイゼンと男が宣言した途端、二人の戦闘領域外の景色が遮断される。言語闘争の開始だ。
「俺たちはBREATHLESSだ」
「これ、どういう意味かわかる?「息もできない激しさ」ってことよ。あんたのことめちゃくちゃにしてやるから!」
「ふむ。名前と戦闘スタイルが一致しているのはわかりやすいな」
「で、あんたのサクリファイス?は気絶してるわけだが、どうするんだ?叩き起こすか?」
「何を言っている。こちらは自動(オート)でいく」
「は?バカにしてんの?あたしらのこと舐めてんじゃないの?ねえ、コイツムカつくからさっさとやっちゃってよ」
「俺も同意見だ。『裂』」
逆上した女に応えるように男が言葉を叫ぶ。短く鋭い言葉にふさわしい、鎌風がアルハイゼンを襲う。
「『防御』」
アルハイゼンの体に到達する前に彼の言葉によって作られた障壁に当たって霧散した。男は軽く舌打ちをして、次々に言語を繰り出す。
「『裂』!『裂』!『裂』!『裂』!!」
「『防御』」
男の言語をそよ風のごとく躱していくアルハイゼンに今度は女が痺れを切らしたようだ。もし彼女にシッポが残っていたのなら、きっと逆立っていたに違いない。
「ちょっと、自動だからってあんたまで手抜きしないでよ!」
「は?そんなことするわけないだろ!!」
「早く片付けて依頼主のところ行かないと報酬半減されちゃうかもしれないんだよ!?こんなぽっと出の男に手こずってる場合じゃないんだから」
「あー、はいはい、わかってるっての」
男は己のサクリファイスに促され、ふぅと息を吐いた。そして、目をぎらつかせて次の言葉を叫ぶ。
「『裂波』」
途端、先ほどの数倍の威力をもつ鎌風が複数アルハイゼンに向かって投げつけられた。アルハイゼンは先ほどと同様に言葉を使って避けたが、1つだけ完全に反らしきることができず、頬に一筋赤い線が入った。
「どう?あたしらの言語は?痛いでしょ?あんた、さっきから避けてばっかで攻撃すらできてないじゃない。降参してここからいなくなるならこれ以上怪我させないわよ」
女が両手を腰に当ててアルハイゼンに問う。アルハイゼンは少し垂れた血を拭った。
「いや、その必要はない」
「あくまで完全拘束されたいってわけ?」
「いや、俺が負けることもない」
「は?」
「お前何言ってんだ」
呆れたような男の声にアルハイゼンは口角を少しだけ上げて言い放った。
「こんな単純な言語しか扱えない貧弱なペアに負けることはないということだ」
「あぁ?」
「君たちは砂漠の出身なのだろう?ならば何故真っ先にこれを思いつかないんだ。……ああ、実力がないのか。『嵐よ』」
アルハイゼンの言語が放たれた途端、旅団二人の周囲に強風が現れた。
「『嵐よ。砂の嵐よ。この哀れな二人を故郷へ運べ。そしてもう二度と俺たちの前に現れるな』」
強大な砂嵐が轟々と巻き起こり、二人分の悲鳴を巻き込んであっという間に消えた。途端に戦闘領域が解除されて、周辺の景色も元通りになる。
「私刑から始まった非公式な言語闘争なんだから、こういう決着でもいいだろう」
誰に言うでもなく、アルハイゼンは呟いた。呼吸を整えてしゃがみ込む。そして、足元で意識を失ったままのセノに繋がれたままの首輪をむしり取り、セノの頭を己の膝に乗せた。規則正しい呼吸を確認をしてほっと胸を撫で下ろす。仕事中の厳格な雰囲気と打って変わり、子供のような寝顔のセノを見つめて、思わず顔を緩ませた。
「君が俺のサクリファイスだったんだな」
アルハイゼンはそう言うと、ちぎれたままの己のピアノ線をセノの左手の薬指にそっと結びつけたのだった。
揺れて、銀糸
******************
同日、同時刻。
とある砂漠の古代遺跡にて。
「主様。主様の愛し子がまた新しいのをたぶらかしておりますわ」
水鏡を見つめた女が言う。
「あらあら。今度はいつまで持つのかしら」
目隠しをした女が鈴を転がしたように笑う。
「主様はどうお思いで?」
女達は玉座に向かって問いかける。
「どうでもよい」
地を這うような低い声が答える。
「えぇ、いくらなんでも」
「どんな人間が戦闘機になろうが知ったことか。あの子は我のものだ。今までもこれからも、な」
くつくつと笑う男の頭上にはジャッカルの被り物が鎮座していた。