無題「雨彦、この頃はまだ事務所にいなかったもんねー」
テレビに釘付けになっている俺を見て、渡辺さんがケラケラと笑った。
「お、お前さん……」
「分かるよ。すごい分かる。なんでこの時ハマってなかったんだろうってなるよね、こういうの見ちゃった時」
俺は言葉が見つからず、首を縦に振る。
「そんな雨彦に朗報! なんとっ、このDVDとパンフレット持ってるんだよね」
「本当かい」
渡辺さんは「ちょっと待っててねー」と言うと、千鳥足で部屋の奥へ向かった。暫くして、先ほどMCが言っていたタイトルが印刷されたパンフレットとDVDケースを持ってくる。
「これがパンフレットでー、こっちがDVDね。メイキングも付いてるよ」
「……」
「そんな目で見なくても貸してあげるよ! Jupiterや神速一魂の古参ファンなら皆、貸したがる程の出来だしね。俺も神速一魂のギャップを布教するなら、これだな。この前、SNSでプチバズりしてた動物番組の切り抜きもいいけどねー」
そう言いつつ、渡辺さんは手際よくDVDとパンフレットを紙袋の中へまとめて入れた。
***
紅井へ渡辺さんから借りたDVDとパンフレットの話をすると、顔をくしゃりと歪めて「懐かしーぜっ」と笑った。
「撮影のあと、玄武のやつ役が抜けなくて大変だったんだよなあ」
彼女の膝で寝ていたにゃこが鳴き声をあげた。
「にゃこも見たよな。プロデューサーさんが事務所に入ってくるたびに背筋正して立ち上がってよお、制服のスカートを持ち上げて「お帰りなさいませ、ご主人様」ってな」
「ごしゅ、」
羨ましさから自分の舌を甘噛してしまった。俺も言われてみたい。
紅井はにゃこを撫でながら「あれは面白かったぜ」と思い出し笑いをした。
***
「どうだった?」
「5回は観た」
葛之葉の目が据わっている。渡辺は紙袋の中身を確認してからわきへ置くと、葛之葉に先を促した。
「まず映画として面白かった。それから衣装が良い。安価なコスプレ衣装じみたメイド服も良いが、黒野にはああいう造りがしっかりした丈の長いものが似合う。あと丸眼鏡さいこう」
「わかる」
「それからボンネットと言うのか……? いや、たぶん違うな。ともかく丸い、絵本のおばあさんが被ってるみたいな帽子も可愛かった。少し黒野のぴょこぴょこした前髪が出てるのが良い。かわいい。無限に可愛い」
「わかる〜。俺も、あれ好きだよ。なんていうのか知らないけど」
「黒野が、いや黒野じゃないんだが……健気すぎやしないか?」
葛之葉はそう言うと、組んだ手の甲に頭を乗せて映画のストーリー……主に黒野が演じた役の坊っちゃんへの献身について……を語りだした。渡辺は心のなかで「わかるよ〜」と何度も頷きつつ、麦茶のお代わりを注いだ。
「俺の前でも着て欲しい……」
暫くして、葛之葉がそうこぼした。
「頼めば? 玄武ちゃんなら着てくれるんじゃない?」
「俺が着せたみたいだろう」
「着せてるじゃん。頼んでるんだし」
葛之葉は眉根を寄せ、黙ってしまった。