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    2、3年前に書いたリッパー_血の伯爵×探鉱者_おかっぱ(ショタ化)の中編小説。はっずいけど頑張ってたので置いておく。

    ##ててご

    やさしいおとぎばなし村に伝わる【おとぎ話】

    ツタの絡まった古い城に住む
    血も凍るような怪物

    その伯爵の涙さえあれば
    村はのち百年間の栄花を約束される

    百年ごとに村人は伯爵の涙を所望し
    引き換えに楽園のような生活を手に入れる



    ***



    *げつようび


    「やだっ……! やだっ、むり! やだ! やだ……」

     泣き声が月夜にこだまする。その大きな声に、様子をうかがっていた梟は驚いて飛び立っていった。

     彼は伯爵の城へ連れて来られ、寝ている内に置き去りにされたのだ。少年が身にまとう、ソースのシミだらけのつなぎが、伯爵の豪奢な庭には不釣り合いだった。袖口からでた腕は傷や痣だらけで、とても細い。

     彼は泣き疲れ、拗ねたように庭へ転がった。生え放題の草に頬をなぶられる。

    「おいてかないで……おいてかないでよ……」

     涙のあとが伝った頬は風が吹けば、ヒリヒリとして痛い。何度も擦ったせいだろう。まぶたは腫れぼったくなっていた。少年がウトウトしていると、誰かの声が聞こえてくる。

    「そこで何をしているんですか?」

     少年は肩を震わせると、あわててまぶたを擦って立ち上がる。声の主を見ると、感嘆の声を上げた。
     真っ赤で、質に入れたら高くつきそうな外套だ。顔は影がかかっていて見えないが、こちらを見る紅い瞳は宝石のようでとても綺麗だ。服装も絵本に出てくる王様のようで立派だ。 少年はこんなに豪奢な服を見たことが無かった。

     彼がこの城の主だろうと思った少年は丁寧にお辞儀をする。ここへ連れてこられた時に、「はくしゃく」という人物に失礼のないようにと言われたのだ。

    「あなたが、はくしゃく さま……ですか?」

     少年は高揚する気分を抑えながら、出来うる限り無礼にならないように心掛けた。 嫌われてしまえば酷い扱いを受けるかもしれなかったし、一週間住まわせてもらうのだから礼儀は大切だろう。 緊張したように頬を赤らめる少年を見て、伯爵はため息をついたようだった。

     彼は眉を下げ、少年と目線を合わせる。

    「こんばんわ。私は伯爵、といいます。……あなた、ここがどこか分かっているのですか?」

     憐れむような伯爵の声に気づくことなく、少年は素直に頷いた。

    「はい! ここで、はくしゃくさまと、いっしょにくらせばいいんでしょ? いっしゅうかん!」

     伯爵は哀しそうにうなずいた。 それを不思議に思った少年は伯爵に抱き着く。伯爵は突然の少年の行動に驚いた。

    「ちょ、ちょっと、あなた何をしているんですか」
    「んっとね。はくしゃくさまが、かなしそうだったから、ぎゅってしようとおもって」

     顔をあげて、えへへと微笑む少年の顔には、いくつかの怪我や痣の跡が見てとれた。伯爵は少年の頬を優しくなでた。ややあって、伯爵は口を開く。

    「……あなた、お名前は?」
    「ぼく、ノートン。ノートン・キャンベル!」

    ノートンは伯爵の問いに満面の笑みで答えた。それから伯爵の胸へ自分の顔をスリスリと寄せる。そんな彼の様子に戸惑いつつ、伯爵はもう一度口を開いた。

    「ではノートン。あなたは私が怖くないのですか。村で一番大きな城に住む悪魔ですよ。昔話を聞いたことがあるでしょう。それに、あなたは……」

     伯爵は言葉を切って、困ったように視線を彷徨わせた。

    「ぜんぜん、こわくないよ!だって、はくしゃくさまは、いたいいたいしないでしょ」

     伯爵はノートンの返答に拍子抜けした。拍子抜けを通り越して呆れた。
     思わず、気の抜けた返事をしてしまう。

    「はぁ、そうですか」

     どうやらこのノートン・キャンベルという少年は思った以上に、馬鹿なようだ。伯爵が「おとぎ話」の中に出てくる怪物だと知らない訳ではないだろうに。

     伯爵はノートンを引きはがし、できるだけ優しく彼の手を取る。 自分の城に向かって歩き始めた。伯爵とノートンとでは歩幅が違い過ぎるため、伯爵は出来るだけ歩幅を縮めて歩く。

    「どこへいくの?」
    「私の城ですよ。ほら、庭の奥に見えるのがそうです。中には今日からあなたが暮らす部屋もありますよ」

     外から見ると廃墟のような城も、伯爵が足を踏み入れれば世界が一転したかのように新しくなる。ひびだらけの壁は塗り変えたように、破れほつれたカーペットはいま編み上げたばかりのように、ヒビが入った花瓶は元通りに。
     ノートンはその様子を見て目を丸くした。興奮した様子で、小さな手足をでたらめに動かす。

    「わぁっ……」

     伯爵はその様子を横目で見ながら、ノートンが使いそうな必要最低限の部屋を案内していく。

     最後に、白の入口に一番近い扉を開けた。

    「ここがあなたの部屋です。部屋にある洋服はすきに着てください。喉が渇いたら水を用意してあげますから、遠慮なく言うんですよ」

     大きな窓にノートンの身体の何倍もあるベッド。壁の隅に置かれたクローゼットと小さな椅子。
     伯爵はノートンの背を押して部屋に入れた。 ノートンは周囲の様子をうかがいながら、ぎこちない動作で部屋のなかへ入っていく。

    「ほら、もう眠たいでしょう。今日はおやすみなさい」

     ノートンはおぼつかない足取りで、ベッドへ歩いていく。高いベッドによじ登ろうとしている彼が、伯爵の目には可愛いらしく見えた。伯爵は彼の元へ近づき、彼の腰へと手をのばす。ぐっ、と力を入れて抱き上げた。ぽすん、とベッドの上へ彼を放り投げる。
    顔からふわふわとした毛布にダイブし、幾分か目を覚ましてしまった様だった。

    「ありがと、はくしゃくさま」
    「いいえ。きちんと布団をかぶって寝るんですよ」

     伯爵はベッドの上でもぞもぞしていたノートンが蒲団をかぶるのを見届けると、部屋の扉を静かに閉めた。

     伯爵は独り、廊下を歩きながらため息をこぼす。
     月光で出来た影が壁までのび、どこからかやってきた蝙蝠が廊下のろうそくに明かりをつけていく。その様子から目を背けながら、伯爵は村を見下ろした。

    「ノートンは良い子ですね。……本当に」

     そうこぼした呟きは誰の耳にも届かなかった。



    *かようび



     翌日、ノートンはふかふかのベッドの上で目覚めた。

    「ここ……て」

     キョロキョロと辺りをうかがえば、広い部屋には自分だけ。

     昨日、伯爵に案内してもらった部屋だと理解はできたが、静まり返っている部屋はなんだか薄気味悪い。ノートンは部屋に一人だけでいることに怖くなった。

    「は、はくしゃくさま?」

     心細いあまり、知らず知らずのうちに涙が出てくる。この城でノートンが知っているのは伯爵だけだ。そのことを思い知って、ノートンは鼻をぐずり、と鳴らした。

     ノートンは伯爵を探しに行こうとして、大きなベッドからズリ落ちた。マットレスへ体を打ちつける。予想だにしなかった衝撃に、ノートンは声を上げた。 打ちつけた尻を撫でながら立ち上がる。

    「いたいぃ、いたいよぉ……もうっ」

     そう声に出せば、なんだか体の傷までが痛くなってきた。

     こんな風では伯爵に迷惑をかけてしまう……と思いつつも、目から涙が流れ出してくる。ぐっと唇をかんで我慢した。幸いなことに我慢は得意だ。 ノートンは涙を腕でごしごしと拭い、扉に近づく。

     昨日は気づかなかったが、自分の背丈よりもはるかに大きい扉だ。ノートンは不安に思いつつも、全身で扉を押した。扉は思っていた以上に軽かった。ノートンが少し力を入れるだけで簡単に開くようになっている。

    「…あ、あの…はくしゃくさま?」

     ノートンは廊下を歩きながらそう呼びかけた。部屋の場所が分からなくならないように壁づたいに歩いていく。

    「はくしゃくさま?はくしゃくさま?」

     何度も伯爵を呼びながら進むと「ハイハイ」と返事が聞こえた。 今にも泣きだしそうなノートンの声に、伯爵は小走りで近づいてくる。

    「どうしました?」
    「あ、はくしゃくさま……っ」

     伯爵の顔を見るや否や、ノートンは瞳を輝かせて走りだした。
     伯爵は、昨日と変わらずに優しげな瞳でノートンを見る。ノートンは心の底がポカポカした気がした。先ほどまでの気分が嘘のように晴れていく。

    「はくしゃくさま、おはよーございますっ!」
    「おはよう……ございます、ノートン」

     伯爵は眼をこすりながらノートンに挨拶した。
     どうやら、まだ眠たそうだ。

     ノートンは構わず、伯爵に抱き着いた。頭をぐりぐりと彼の胸に押しつける。 伯爵はノートンの好きなようにさせておいた。
     自分の傍に暖かい存在がいる。彼なら自分を拒絶しない。こんなことは初めてだった。今までの子供たちは、みな、自分のことを怖がって近づいてもくれなかったのに。
     ノートンは気が済んだのか、すりよせていた頭を伯爵の胸から離した。彼は伯爵を見上げ、胸前で手を組み合わせる。どこか言いにくそうに視線をさまよわせた。

    「あの はくしゃくさま、おなべない?」

     伯爵は突然のお願いに面食らった。

    「どうしたんです。鍋なんて何に使うんですか?朝ご飯を作るんですか?」

     そういえば、人間は食べ物を食べなければ生きていけないんだった。

     ノートンは不安そうな表情になった。伯爵の問いには答えず、眉を下げたままで首を傾げる。

    「ない?」
    「………別に、ありますけど」

     伯爵の言葉を聞くと、ノートンは両手を上げて喜んだ。その様子は微笑ましいが、妙なお願いだ。

    「あのね、ぼく、ここにくるまで、おなべをかぶってたんだけどね。ここにくるときに、おなべ、すてられちゃったの。だから、かわりのおなべがほしいんだ」

     自分の頭を抑え込むようにして話すノートンに、伯爵の胸が痛む。こんなに心優しく、良い子なのに。どうして周りに恐怖を抱いているのだろうか。てっきり、今までの子のように、両親から無理やり引き離されたのだと思っていた。

     伯爵はかがんで、ノートンと視線を合わせる。

    「分かりました。それじゃあ、ノートン。一緒にあなたの頭にピッタリな鍋を探しに行きましょう」
    「うん!」

     二人は手を握る。

     ノートンは伯爵に連れられ、ダイニングへと向かった。ノートンの背丈では鍋の棚まで届かなかったので伯爵は床に布をしいて、その上に鍋を並べる。

    「わー! おなべ、いっぱい!」
    「大きいのだと危ないから小ぶりの物にしましょうね。ほら、これとか……」
    「やだっ! それ、かっこわるいよぉ」
    「でも大きな鍋だと危ないですよ。ぐらぐらしすぎて頭から落ちて、足にでも落ちたら痛いですよ」

     文句を言うノートンにそう告げると、ノートンはみるみるうちに顔を真っ青にする。瞳にうるうると涙が溜まり、今度は伯爵が青くなった。

    「ど、ど、どど、どうしたんですか⁉大丈夫ですか、ノートン。何か悪いものでも食べたんですか?」

     ノートンは伯爵の問いに応えず、伯爵へ抱きついた。

    「い、いや! いたいのヤ! いたいのやだから!」

     そう呟くノートンの瞳は塗りつぶされたように真っ黒だ。小さな体をガタガタと震わせ、痛いのは嫌だと呟き続ける。伯爵はノートンの頭にそっと手を乗せた、が……力加減がよく分からない。ノートンが自分の腕を振り払ったり、そのせいで彼が傷ついたりしないか。不安でならなかった。ノートンは頭を抱えたまま涙をぼろぼろと流している。

    「や、やなの……いたいの、や……」

     彼は伯爵の腕を振り払わず、ぐりぐりと頭を伯爵の身体へ押しつけた。伯爵は拒否されなかったことに安堵した。恐る恐る、ノートンの背を撫でる。彼の名前を呼べば、ノートンは伯爵の顔を見上げた。なんだか昨日から彼の泣き顔ばかり見ている気がする。

    「ノートン、落ち着きました?」
    「ん……ごめんなさい」
    「大丈夫ですよ。もう、良いですか?」

     ノートンは小さくうなずいた。 それから先程の鍋を持ってきて、ひょいっと自分の頭の上にかぶせる。

    「これにする」
    「良いんですか?」

     伯爵が確認すると、ノートンは頷くかわりに抱きついた。その様子を微笑ましいと思っていると、ノートンのお腹がぐるるる……と鳴った。

     伯爵は驚いてノートンを見る。ノートンは顔を真っ赤にして鍋を深くかぶった。

    「ちょ、ちょっとだけ、お、おなかすいたの!」

     きにしなくていいの!と続けるノートンに、伯爵は納得した様子で一人うなずいた。

    「そうか。朝ご飯を食べないといけませんね。ノートンが食べられるものを探しますから、待っていてください」
    「はくしゃくさまのぶんは?」

     顔を赤くしながら見上げる彼に、伯爵は微笑んだ。 ノートンは気遣ってくれているのだろう。

    「私は食べなくていいんですよ」

     伯爵はノートンの鍋を優しく叩くと、彼をダイニングの机の上に座らせた。少々行儀が悪いが、子どもは目に届くところに居なければ不安だ。

    「ノートン、ここで少し待っててくださいね」

     机の上にお行儀よく座るノートンを満足げに確認すると、長い間あけたことのなかった棚や箱を開け始める。 ほこり被ったパンや変な色のホウレンソウ、何かにかじられた跡のあるニンジンもあった。 さすがに食べられないことは分かるが、いつの物だろう。
    落胆していると、明るい色の箱が目に入った。棚の奥へと押し込められている箱で、人間の真似事が好きな友人が贈ってくれたものだ。確か、食べ物だったはず。

    「ノートン、これって飲んだり食べたりできますか?」

     箱の中身をノートンに見せると、彼はすぐに答えてくれた。

    「ちーずとくっきーだ! これ、たべられるよ。……でも、このあかいのみものはしらない」
    「んー……じゃあ、この瓶はしまいましょうね。クッキーとチーズはお皿に乗せましょう。喉が渇くでしょうから水も用意しましょうね」

     伯爵は赤い液体が入った瓶を高い棚の上に置くと、チーズとビスケットを皿の上に乗せた。適当なコップを探しだしてその中に水を出現させる。

    「ノートン、私について来てください」

     伯爵はノートンを机の上からおろす。 それから皿と杯を持って、隣の食堂へと歩いていった。ノートンはその後ろをとてとてとついて行く。

    「そこの椅子に座って貰えますか?」
    「ここ? ……すわれたよ!」

     伯爵があごで示した椅子へ、ノートンは座る。とても古そうに見える椅子だったが、ほとんど使っていないようだった。大きな家具が多い城の中で、この椅子はノートンの背丈にぴったりだ。そのことが少し不思議だったが、目の前に置かれた皿を見てどうでも良くなった。

    「どうしたんです、ノートン。食べていいんですよ」

     伯爵は皿を凝視したまま動かないノートンを見て、首を傾げた。

    「いいの?」
    「勿論です」

     ノートンはビスケットの上にチーズをのせて頬張った。
     伯爵が横から見るとノートンの顔が頬だけのように見える。たしか、たまに庭へ降りてくるリスがこんな顔をしていた。
     じーっと見つめていると、ノートンがキョトンとした瞳でこちらを見てきた。

    「ふぁい? ほふぉふぃたほ、ふぁふふぁふぁふ?」
    「口の中を空っぽにしてから話してくださいね」

     伯爵がそう言うとノートンは一生懸命、くちを動かした。そうして、全てをペロリと食べてしまった。

    「おいしかった!」
    「それは良かったです。選んだのは私では無いですが、ノートンが美味しかったならよかった」

     にこにこと口の横に食べかすをつけたまま幸せそうにしているノートンにつられ、伯爵も笑顔になる。伯爵はナプキンを取りだして、ノートンの顔についた食べかすを拭いた。

    「ノートンが嫌いな物は何ですか?」
    「きらいなものはね ないよ!」
    「そうですか、偉いですね」

     伯爵は美味しいものを買ってきてもらおうと思った。 今まで料理をしたことが無かったが、やってみるのも悪くない。なにしろ、この椅子に座ってくれたのは彼が初めてなのだ。また依存し過ぎていると友人に怒られてしまうな、と伯爵は苦笑した。



    *すいようび



     ざあざあ、ざあざあと鳴りやまない雨の音。ぼくは目を閉じて、床に耳をつける。 落ち着く。 こうしていると、この場所には自分しかいないように思えてくる。 誰もぼくのことを殴ったり蹴ったりしない。それだけがとても安心できることだ。

     でも少しだけ、さみしいな。そう思って寝返りをうった。

     何度も数えた天井の染み、天井すみに張られた蜘蛛の糸。ふっと息を吐けば、同時にほこりっぽい空気を吸いこむ。胸の奥に汚いものが絡まった感覚に、咳き込んだ。一度、咳き込むと止まらなくなる。自分の喉から変な音が漏れる。 ノートンは必死で近くにある物に手を伸ばした。

     爪を食い込ませるようにしてそれを掴み、呼吸をしやすいように力をこめる。ふわり、と花のような良い匂いが鼻腔を刺激した。嗅ぎなれたその匂いに安堵し、呼吸が落ち着く。

    「けほっ、ん。……あくしゃくさま?」

     ノートンが瞼を開くと、目の前には眠たそうな表情の伯爵があった。
     白い顔にカーテンから漏れる薄い朝日が反射している。 伯爵はノートンが起きたのを見ると、安心したように彼の頭を撫でた。

    「おはよございます、はくしゃくさま!」

     ノートンは伯爵の顔を見るとにへら、と笑った。 伯爵は黙ったまま、彼の頭を撫でる。撫で続ける伯爵を見上げ、ノートンは首を傾げた。

    「……こわい、夢を見ませんでしたか?」
    「ゆめ?みてないよ」

     伯爵はノートンの瞳をちら、と覗きこむ。真っ直ぐに自分を見返す瞳。嘘をついているようには感じられなかった。 ノートンは、どうして伯爵がそんなことを聞くのかわからなかった。 伯爵の手が居心地悪く感じたので、振り払ってからベッドから落ちた。急にベッドから落ちたノートンを見て、伯爵は声を上げる。

    「へぁっ! ノ、ノートン、大丈夫ですか。今、背中から落ちませんでした?」

     慌てて近寄ってくる伯爵を見ながら、ノートンは一人で立ち上がる。

    「だいじょぶだよ! きのう、いたかったからもうなれた」
    「昨日も落ちたんですか⁉ どこか痛いところはありませんか。ちょっと背中、めくりますよ」

     子どもは小さくて壊れやすい生き物だ。これで腕とか背中とかの骨が折れていたら大変だ。そう思ってノートンのシャツをまくろうとすると逃げられた。

     伯爵の手を振り払って、ノートンは壁際まで寄る。

    「だいじょぶだから! ぼく、ぜんぜん、いたくない!」
    「そうは言っても……」

     伯爵がまだ何かを言いたげな顔をすると、ノートンは部屋から出ていってしまった。 大方、朝ご飯を食べに行ったのだろう。伯爵は後を追って、食堂に朝食を作ってやった。 昨夜に梟へ持ってきてもらった食材を使って料理を作ったが、物凄い勢いでたいらげてしまった。小さな体にこんなに入るのか、と感心してしまったほどだ。

     さっさと朝食を食べ終えた彼は逃げるように部屋を出て行ってしまった。

    「はぁ……」

     伯爵はノートンを探しに行くことにする。ひょこひょこと城中を走り回られて迷子にでもなったら、彼はまた泣いてしまう。彼が泣いているのを見るのは好きじゃない。

    「ノートン、ノートンいますか?」

     昨日と立場が逆転しているな、と苦笑いをしながらノートンの名前を呼んだ。 屋敷を一周し、食堂へ向かう。カーテンにくるまるようにしてノートンがあたりを伺っているのを見つけた。隠れているつもりなのだろうが丸見えだ。

    「……」

     丸パンを頬張りながら、こちらをじっと見ている。向こうから出てくるつもりは無いらしい。
     伯爵はそれが可愛く思えて、笑いが込み上げてきた。

    「ノートン、出てきてください」
    「いや! であくない! ぼく、せなかいたくないから!」

     ノートンは、まだ伯爵が背中を見ようとしているのだと思っているらしい。

    「大丈夫ですよ。勝手に見たり、しませんから」
     
     そう言いながら近づくと、ノートンは残りのパンを頬張った。それからもう一度、カーテンの中へ引っ込んだ。

    「……ノートン? もしも傷があるなら、その手当てをさせてほしいだけですよ?」
    「……」
    「痛いところはありませんか?」
    「……」

     カーテンの傍まで近づいた。出てこないかと様子をうかがう。
     伯爵が顔を近づけると、カーテンからノートンの顔がひょこっと出てきた。伯爵の鼻さきとノートンの鼻さきが、チョコンと合わさる。伯爵は小さく声をもらした。 黒曜石のような瞳のなかに伯爵の真っ赤な瞳が閉じ込められる。ますで柘榴のようだと、伯爵は思った。

    「いたくないの」

     ノートンは小さな声で呟く。

    「はくしゃくさまがみるのも、いやじゃない。でも、ちょっとだけ、こわいの。こわくて、きっと、いたいの」

     一気にそこまで喋ってしまい、ノートンはカーテンの中に隠れた。

    「……はくしゃくさまは、ぼくがいたいのは、いや?」
    「そうですね。私はノートンが痛くて泣いているのは嫌です」

     伯爵はノートンの前に自分の手を差し出して、優しく微笑んで見せた。ノートンは瞳だけをこちらに向けていた。

    「だからノートンが嫌なら、傷の手当はしません。……どうですか?」

     ノートンはおずおずと顔を出し、その手を取った。小さな掌が伯爵の手にかさねられる。伯爵はその手の感覚を確認するように手を握った。そのまま二人で伯爵の部屋へ向かう。 シャツを脱ぐように頼めば、ノートンは不安そうな表情をしつつも脱いだ。骨がハッキリとわかるほど痩せた体についた痣や傷の痕。細い腕で自分の鍋を被りなおす動作を見て、伯爵は胸が締め付けられる思いだった。

    「はい。もう良いですよ、ノートン」
    「ぬぅ……へんなかんじ」

      体中に塗られた薬を、しかめっ面しながらノートンは眺めた。薬がシャツにつかないように注意しながら着替える。 伯爵は微笑ましく眺めながら、ノートンに言った。

    「ノートン、この薬は今日から毎日塗りましょうね」

     その言葉を聞いたノートンは思いっきり嫌そうな顔をした。

     次の日からカーテンの中で隠れるノートンの姿と、それを探す伯爵の姿が日常の一つになるのだった。



    *もくようび



     ノートンは伯爵にお願いして、庭の掃除をさせてもらっていた。

     伯爵は太陽の光があまり好きではないらしい城中の窓に掛けられたカーテンはそのためだろう。

     ノートンは自分の背丈と同じくらいの箒を動かしていた。
     城を覆うような広大な庭には薔薇を中心とした植物が植えられている。今は時期ではないためか、咲いている花の数は少ない。 ノートンは花に詳しくないが、春になればとても綺麗な光景だろうと思った。 伯爵は口うるさく薔薇に触らないように言い、ノートンに軍手をつけさせた。日光の下で軍手をつけて作業をしていると、中が蒸れて気持ち悪い。
    ノートンは少しだけ休憩しようと思い、近くの椅子に腰かけて軍手を外した。

     新鮮な空気に手が洗われるようで気持ちが良い。そのまま目を伏せれば、ぽかぽか陽気に眠たくなっていく。そのまま舟を漕ごうとした時、伯爵の声が聞こえた。 自分の名前を呼んでくれる優しい声に、一気に目を覚ます。

    「あ、起きましたね。まったく、こんなところで寝ていると風邪をひいてしまいますよ」
    「はくしゃくさま。しらべもの、おわったの?」

     いつもより明るい色合いに見える外套が揺れ、ノートンは格好良いなと思った。 伯爵は影のある笑顔でうなずいた。そのまま口を開くが、言いにくそうにもごもごと続ける。

    「ええ、終わりましたよ。調べて気づいたのですが、やっぱり……その…えっと……」

     言いにくいことなのだろうか。 ノートンは首を傾げる。そもそも調べ物が自分に関することとは知らなかった。

    「……ええ、えと……」

     よほどのことらしい。そう感じたノートンは、いつものように彼に抱き着くことにした。 そうすれば伯爵は話しやすくなるはずだ。伯爵はノートンが抱きつくと幸せそうな笑顔を向けてくれる。そして、「ノートンがいると気が楽になります」と言って頭を撫でてくれる。そうしようと思ったノートンは伯爵に抱き着こうとしたが、伯爵はそれを拒んだ。

    「っ、え……な、なんで……!」

     予想していなかった伯爵の行動に、ノートンの口から呟きが漏れた。

     頭の中が真っ白になって、心臓の音がとてもうるさく聞こえる。
     嫌な予感がする。もしかして、捨てられるのだろうか。それとも嫌われたのだろうか。いやだ。もうあんな場所には戻りたくない。伯爵なら、ずっと居て良いと言ってくれると思っていたのに。

    「ノートン、」

     伯爵の声が聞こえ、ノートンは頭を振った。 聞きたくない。

    「いや!」
    「ノートン、聞いてください。貴方のためなんです」
    「やだやだ!」
    「貴方のためだから、……この城から出て行ってくれませんか」

     伯爵の声がノートンの耳に届いた。ノートンは一際大きな声で叫びながら、自分の耳を覆った。

    「イヤだぁッ!」


     そのまま崩れ落ちるように庭に座りこむ。体が震え、噛み合わせの悪い歯のようにガチガチと音を出した。 ノートンが知っている伯爵はそんな事は言わない。 でも、今、目の前で言われた。確かに伯爵は出て行ってくれ、と言ったのだ。

     ノートンが荒い息を吐いていると、後ろから足音が聞こえてきた。それを確認する気も起きず、くたりと庭の上にうずくまった。酷い倦怠感を感じる。 ノートンはそのまま瞳を閉じた。

    「ノートン!? 大丈夫ですかっ」

     鍋を抱え込むようにして座りこむノートンをよく知った香りが包み込んだ。

    「ノートン。ノートン、ゆっくり息を吸ってください。ホラ、私に合わせて」

     伯爵の声が聞こえた。先ほど出ていけ、と言われた声で、ノートンを労わる。ノートンはさらに混乱して、伯爵の洋服に縋りついた。伯爵はそんなノートンの様子を見て舌打ちをした。

     目の前に立っている青年の風貌をした男を睨みつける。

    「人様の家に来るときは最低限の礼儀を守るよう、って再三いっていますよね。私の客人をこんな風にして覚悟は出来ているんでしょう」
     ジョゼフ、と呼ばれた男は伯爵の視線を避けるようにして口笛を吹いた。伯爵はノートンの様子をうかがいながら、彼の背中を程よいテンポで叩く。そのうち、ノートンから心地よさそうな寝息が聞こえてきた。彼を見て瞳を細める伯爵を見て、ジョゼフは呆れた表情をした。

    「自分の方を見てくれたからって、そんなに大切?どうせその子も長くて一週間の命じゃないか」

     伯爵はジョゼフの言葉を無視し、ノートンを抱えなおした。城の中へと入り、彼の部屋のベッドで寝かせる。後ろからついてきたジョゼフはノートンの寝顔を見ている伯爵に声をかけた。

    「ところで……、久しぶりに尋ねた友人に対してお茶の一杯も出ないのかい?」
    「……飲んだら帰ってくださいね、本当に」

     伯爵はため息をつくとジョゼフをつれて食堂へと向かう。 伯爵はジョゼフの前へティーカップを置くと、お茶を注いだ。糖蜜色の液体でカップが満たされていくのを見ながら、ジョゼフは不満を言う。

    「ワインは?」
    「阿呆に出すワインなんか一本もありません」

     ジョゼフは不満げな顔のままカップを手に取った。

    「……分かってる? 君とあの子が一緒に過ごせるのは、あの子がきてから一週間だけ」

     ジョゼフの言葉に伯爵は黙った。そんなことは分かりきっている。城の中と外では時間の流れが違い過ぎるのだ。ノートンと伯爵の時間にズレが生じないのは、彼が「初めて」この城へ入ってから「一週間」だけのこと。

     そういう決まりなのだ。

    「それが過ぎたらあの子は城を出ていくんだよ。もしくは君があの子を食べちうか……。いずれにしろ、すぐに死んでしまうんだ。ああ、なんて可哀そうな伯爵様」
     否定のしようがなかった。



     ノートンはガタン、と扉が閉まる音を聞いて、ゆっくりと目を開けた。布団の端をたぐり寄せる様にして布団をかぶる。伯爵さまは僕のことが嫌いだったんだ。丁寧なけがの手当てに、ふわふわしたお風呂、あたたかいごはん、優しい伯爵さまの匂い……。施設の中では聞いたことも見たこともないものばかりだった。

     とても幸せな生活なんだと思っていたのに、伯爵さまはそうじゃなかったんだ。きっと僕のことを煩わしく思っていたに違いない。 ノートンは伯爵からもらった鍋をだきしめた。 小さな鍋のほうが痛いことが無いと彼は言ってくれたんだ。 あれも大人特有の「気まぐれ」ってヤツだったんだろうか。

     とても胸がいたい。

    「いたいよぉ……いたい……」

     何かを考えるたびに心臓を縄で締め付けられるように苦しくなる。このまま絞められたら、きっと心臓はペッチャンコになってしまう。大人に捨てられたり、裏切られたりするのは慣れていたのに、伯爵さまにそれをされるのは嫌だ。何回もされたはずなのに、叩かれたり蹴られたりするときよりも痛くて苦しい。いたいのは、いたいのだけは嫌だ。そう思ったノートンは、あることに気づいた。

     きっと伯爵さまの近くにいるから、こんなに苦しいんだ。
     だから伯爵さまから遠くに行けば苦しくならないんだ。

     布団の中にもぐってそう考えていると、扉を叩く音が聞こえた。

    「ノートン、起きましたか?」

     優しい伯爵さまの声を聞いても思い出すのは、「出ていってください」と言われた言葉。

    「……ノートン?」

     もう一度かけられた言葉には、ノートンに対する心配が込められていた。応えないままでいれば、きっと伯爵は応えてくれるまで扉の前で待つだろう。ノートンが知っている伯爵ならば。ノートンは布団の中にもっと潜りこんだ。ふかふかの掛け布団で丸まるような体制をとって、布団の上から自分の耳を抑える。

    「い、いないよ! ノートンはいないからね! はくしゃくさまなんて、しらないからね!!」

     伯爵が何かを言う前にノートンは叫んだ。扉の向こうでガタンゴトッ! と何かが倒れた音がしたが、ノートンはそんな音に構っていられなかった。しばらくすると、伯爵の足音が遠ざかっていった。廊下から音が消えたことを確認し、ノートンは布団から出る。部屋の扉の前まで移動した。恐る恐る手を伸ばして、ドアノブに手を掛ける。
     いつも軽いと感じていた扉が、とても重たく感じた。



    *きんようび



     伯爵はいつも以上に眠れなかった。ノートンがあきらかに自分を避けていたことが心配だったからだ。

     せっかく、初めて近くにいてくれる子供だったのに……。 嫌われたまま一週間を終えてしまうのは嫌だ。それに彼が私に嫌われたことを知られたら、彼はすぐに殺されてしまうかもしれない。そう考えると、自分の通ってもいない血液がさぁーっと冷めるような気がした。いてもたってもいられず、ガウンを羽織って部屋を飛び出す。廊下を走って、ノートンの部屋の扉を開けた。

     ベッドはもぬけの殻だった。

     一気に目の前が真っ暗になる。頭の片方で騒いでいる自分がいて、もう片方でそれを眺めている自分がいた。 人は何かを失って初めて、それが必要だったことに気づくと聞いた。それは人間だけでなく、自分にもかかわることだったようだ。

    「……あ、さ、探しに行かなくては」

     そう口に出して、伯爵は我に返った。伯爵は走り出した。どこへ行ったんだろう。でもノートンは私に多少なりとも心を許していてくれたはずだ。それなら……もしかすると、城の外へは出ていないんじゃないか。そんな甘い考えも浮かんできた。彼がもしも城の外へ出ていたら、もう二度とこの城には入れないのだ。入ってしまえば、彼の時間は城の中の時間へと巻き込まれて死んでしまう。

     伯爵は適当な布を頭からかぶり、外へ出る。 庭木の下や大木の裏、土いじりの道具が入った小屋の中も探した。だが、城中のどこにもノートンの姿は見られなかった。

     伯爵がどうすれば良いかわからず木の下に座りこんでいると、目の前に影が伸びた。

    「なにやってんの、君」
    「アンタのせいでいなくなってしまった、私のノートンを探しているんですよ」

     伯爵は忌々しい友人へ、そう返事をした。

    「あの子、いなくなったんだ。君が泣いているから、てっきり死んだのかと思ったよ」
    「泣いてる?」


     自分の手でおそるおそる肌に触れてみると、頬に液体が流れていた。

    「あはっ。私、泣いているんですね……。やっぱり近くにいた子がいなくなると寂しいものです」

     伯爵の言葉を、ジョゼフはピシャリと否定する。

    「違うでしょ。君は今までも子供たちがいなくなったときに墓標や死体を見て、『可哀そう、可哀そう』って言ってたけど、今回は寂しいんでしょ」

     叱りつけるような口調だった。

    「子どもに死んで欲しくないなら、断れば良いんだよ。アイツらは僕らの言うことを何だって聞くんだから。君は一人が寂しいから、孤独と引き換えに子どもの命を貰ってたくせ
    に」

     ふわりと強い風が吹いて、伯爵が頭にかぶっていた布が飛んでいった。伯爵のジョゼフはその布を取ってやると、伯爵のそばにたたんで置いた。

    「気づいてなかったんだね、カワイソウな伯爵さま」

     何かを言いかける伯爵を無視し、ジョゼフは城の出口へと歩いて行く。

    「帰るよ」

     ジョゼフは一度だけ伯爵を見やると、赤黒い瞳をつぅっ、と細めた。

    「サヨナラ」



    *どようび



     ノートンは一人で城の庭の外れまで来ていた。

     伯爵の城はノートンから見ると、とても広いので庭の端まで来るのに時間がかかった。真っ暗闇の中で茂みだけがわさわさと揺れている様子は気味が悪い。時おり、風に合わせるようにギラリと何かが光る。その度にノートンは足を止めながら少しずつ前に進んでいた。

     伯爵に貸してもらっている洋服は置いてきたので、最初に来た時の、多少は綺麗になったつなぎを着ていた。 これは施設の中で着ていたものだから、外へ出ると肌寒い。

    「ほぉーっ!」

     城の周りにある柵へ登ろうと手を掛けたとき、梟の大きな鳴き声が庭中にこだました。 ノートンは驚いて、鍋を抱えてその場にうずくまる。

    「なに……なに、なに……なに」
    「ほぉーっ、ほぉーっ」

     梟の鳴き声は止まず、そればかりか近づいてきているような気がする。ノートンは這いつくばったまま声から離れようとした。

    「こっち、いったら、だいじょーぶ……の、はず」
    「何処へ行くんだい、ノートン・キャンベル」
    「ヒェッ! だ、だれ?」

     ノートンは突然、声をかけられた。おそるおそる顔を上げると、夜空を染め写したような仮面の青年が立っていた。黒に銀の装飾がついたマントを被り、布の下からは羽が見え隠れしている。仮面の装飾が目を誇張していて、食べられるんじゃないかとドギマギした。

    「すまない。驚かせてしまったようだね。私の名前は……ないんだ」
    「ナインダ?」

     ノートンが首を傾げると、青年は笑いながらこう言った。よく通る、それでいて気持ちの良い声が響いた。

    「違う。まぁ、私のことは梟とでも呼んでくれ」
    「ふくろう、さん」
    「そうそう」

     梟は嬉しそうにそう言うと、少し顔色を暗くして言葉を続けた。

    「……それで、ノートン・キャンベル。如何して城から出ようとしているんだい。伯爵殿に虐められでもしたのかな」

     ノートンは驚いて、大きな声を上げた。

    「ちがうよ!はくしゃくさまは、とってもいいひとだよ!」

     梟は慌てて、唇に指をあてて「しーっ」と、ノートンに声を小さくするように頼んだ。ノートンもつられて自分の口を押える。

    「そうか、それは良かった。しかしノートン・キャンベル。それなら如何して、尚更この城を出ていこうとしているんだ
    い」

     梟はノートンと目線を合わせるようにして、彼の隣に座る。ぼそぼそと喋り出すノートンの声を聞き洩らさないように、梟は瞳を閉じて耳を傾けた。

    「ぼくね、はくしゃくさまにメーワクをかけてるの……。それに、はくしゃくさま、ぼくにでてってほしいって……ったの。だあら、ぼく……」
    「一寸ばかり待ってくれ。そんな筈は無いだろう。だって、伯爵殿はノートンのことを大切に思っているんだよ」

     ノートンは、ぼろぼろと出てくる涙を擦りながら聞き返す。

    「どうして、そんなことわかるの?」
    「ははは、すまないね。私は伯爵殿と友人なんだ。君のために食料を買ってきていたのも私なんだよ。だから伯爵殿のことはよく知っているんだ」
    「……うん」
    「ノートン・キャンベル、君のことはよく聞いていたよ。伯爵殿は君のことを「とても可愛い子」、「ずっといてほしい」って言っていたんだ。この私が言うんだから間違いない」

     梟の口から語られる伯爵の話はノートンが知っているものとは少し違った。伯爵はノートンに優しくしていてくれたが、「とても可愛い」とは一度も言ってくれなかった。

    「だから君が聞いたのは何かの間違いだよ。そうに違いない。君は何か思い違いをしているんだよ」
    「そう、かな……」
    「ああ。でも、伯爵殿のところへ帰るのは気まずいかな?」

     梟にそう聞かれ、ノートンはおずおずと頷いた。梟の言うことにも納得できるが、伯爵のことを信じ切れるかと聞かれると、応えずらい。今でも耳から離れないのだ。伯爵さまに言われた「でていけ」という言葉が。
     ノートンは涙をこらえて梟の顔を見返した。

    「なら、ノートン・キャンベル、私の所に一日だけ居たらいいよ」

      梟はそう言った。

    「明日になれば伯爵殿の部屋まで連れて行ってあげるから、今日は私の巣の中でお眠り。大丈夫、ノートン・キャンベルが眠れるだけの大きさはあるよ」

     「ついてお出で」、と手を出されたのでノートンは梟の手を取った。 梟はゆっくりとノートンの歩調に合わせてくれる。

    「す?」
    「そうだよ。そう遠くは無いし、私の巣は伯爵殿の領地の中にあるんだよ」

     梟はそう言いながらノートンの手を引いた。ノートンは、伯爵が寝る前に優しく撫でてくれないのが寂しかったが、伯爵の声を聞かなくてすむことに安心していた。梟はノートンを連れて自分の巣まで行くと、簡単な夕食を用意してくれた。それは夕食とよぶには、あまりにお粗末だったが、歩き疲れていたノートンにはこれ以上無いご馳走だった。自分の巣の中で寝息を立てるノートンを見て、梟は静かに微笑んだ。

     ノートンについて語っているときの伯爵の表情は幸せそのものだった。いつも、子どもに避けられない方法ばかりを考えていたのと違って。きっとノートンがいれば、伯爵は孤独を嘆き悲しむことはなくなるのだろう。

    「どうか神様、もしあなたが本当にいらっしゃると言うのなら……孤独に耐えていた彼へ、贈り物を差し上げてください」

     梟は夜空に向かって、そう呟いた。



    *にちようび



    「おはよう、ノートン・キャンベル」

     眠たそうな梟の声でノートンは目覚めた。

    「おはよう、ふくろうさん」
    「今日は伯爵殿の元へ戻るんだよ。きっと心配されている」 ノートンは梟の顔を心配そうなに見返した。
    「おこるかな、はくしゃくさま」

     梟は口を開けて笑った。まだ寝ぼけているらしく、ふわふわとした笑い声だ。

    「怒らないよ、怒るはずがない。伯爵殿は優しい方だからね。……でも言いたいことは言った方が良いよ。はい、パン」


     ノートンは差し出された白パンを頬張った。

    「ありがと。……いいたいこと?」
    「そうだ。伯爵殿も君も全く駄目だね」
    「なにがだめなの?」
    「何でもさ。ノートン・キャンベル、君はもっと我儘になって良いんだよ。そうしないと伯爵殿は分からないからね」


     梟はそう言って、ノートンの鍋をコツンと叩いた。

    「……」
    「さ、パンを食べてしまったようだね。それなら城へ行こうか。ほら、おいで」
    梟はノートンを抱えるとひょい、と木の下へ降りた。そのまま梟はノートンの手をひいて城へ向かった。
    「やっぱり……」
    「こぉら。そう、渋っちゃいけないな。ノートン・キャンベル」
    「で、でも……」
    「もし、君が出て行くとしても、お別れの言葉はきちんと言わなくっちゃ」

     梟は言い渋って腕を振りほどこうとするノートンの手を握りなす。そのまま庭の裏手から城の入口へと入った。梟はノートンの背中を押すと、そっと離れる。

    「ふくろうさんはいっしょにこないの?」

     ノートンがそう問いかけると、梟は自分の足を見ながら応えた。

    「私の足は汚れているから、このままは行っては伯爵殿の城のじゅうたんを汚してしまう。さ、行っておいで。伯爵殿はきっと自身の部屋にいらっしゃる」

     梟にそう言われ、ノートンはゆっくりと城の中へ入っていった。

    「自分の言いたいことをはじめに言うんだよ!」

     後ろから梟の声が聞こえた。

     壁伝いに廊下を歩きながら、一度も入ったことのない伯爵の部屋を目指す。場所だけは最初に教えてもらっていた。目当ての部屋を見つけ、深呼吸をする。自分の部屋よりも重たい扉を力強く押した。ガタン、と鈍い音がして扉が開く。

    「ノートン……なんで、ここ」

     伯爵は驚きの声を上げた。ギュッと握りしめた指先は普段よりもずっと白い。
     ノートンは一日ぶりに見た伯爵の姿に抱きつきたい気持ちを抑えていた。

    「は、はくしゃくさま」

     梟がくれた助言のとおりに自分の言葉を伝えようとする。緊張からくるのか、胸がバクバクして息苦しい。

    「けが、とか無いですか。お腹が痛く、いや、熱は……?」
    「ない、です」

     心配そうに発せられた伯爵の声に小さな声で応える。

    「よかった……」

     伯爵の口から何が言われるのか、怖くて聞きたくない。でも我が儘を言って困らせたくない。梟の言うとおり、正直に話しても良いんだろうか。

    「あの……はくしゃくさま……」

     ノートンは小さな声で呟いた。だが、その声は伯爵には届かない。

    「ノートン、今日でここに来て一週間になります。だから今日でお別れですね」
    「おわかれじゃない……から」
    「最後にあいさつしに来てくれたんですか?」

     いかないで、という言葉を必死に飲み込んだ。ノートンを傷つけないような言葉を選びながら会話を試みる。目の前の彼はうつむいたまま何も言わない。

    「……そう、ですよね。貴方のことを追い出そうとしたんですもん。私のことなんて嫌いですよね」
    「ち、ちがう……」

     あれを言ったのが私に変装したジョゼフだとか、そう言ったことはノートンには関係ないに違いない。きっと彼は私のことを嫌いになっている。本当にノートンが愛おしくて仕方がない。だから幸せになってほしい。

    「でも、ノートン。貴方のためを思って言っているんです」
    「ちがっの……っ!きいて、はくしゃくさま」
    「だから、この城から今日中に出て行ってくれますね。そうしないと城から出られなくなってしまうんですよ」

     ぐっ、とノートンの瞳から涙が一筋こぼれ落ちる。

     だが、伯爵はそのことに気づかなかった。

    「ちがうの、はくしゃくさ……」
    「ノートンは良い子だから大丈夫ですよ」

     安心させるように言葉を紡ぐ。ノートンに村の栄華は約束したという手紙を持たせれば、彼は殺されることは無い。それに暴力を振るわれることもない。ノートンが健やかに成長していく様を聞くのは楽しいことだろう。

    「だから心配しないでください」

     ノートンは俯いたまま、わなわなと震える。涙を流しながら嗚咽交じりの荒い息を吐いた。苦しそうなノートンの姿に伯爵は困惑する。

    「ふぅ……っ、ん、いや…っ…やだぁ……やっ」

     ノートンがここまで泣くとは思わなかった。彼はどこまでも素直で良い子だから、きちんと話せば分かってくれると… …。 ノートンは涙を袖口で拭った。泣き止むと、肩を震わせながら怒鳴る。

    「なんできいてくれないの! はくしゃくさま、いみわかんないよ!」

     ノートンは拳をぎゅっと握りしめて、伯爵に向かって叫んだ。喉が痛くてヒリヒリする。叫んでしまうと胸の奥に異物がつっかえたような感覚がして咳き込んだ。伯爵が慌ててノートンの所へ近づこうとする。

     ノートンは伯爵から離れた。
     咳を堪えて、伯爵の顔を正面から見つめる。

    「はくしゃくさま、ノートンのヤなことしないって、いったのに! うそつき! はなし、きいてよ!」
    「ノートン、私は……」

     困惑した表情の伯爵はノートンに話しかけようとしたが、彼はいやいやと頭を振った。カタカタと小さな音がなって、鍋が揺れる。

    「ノートンは、はくしゃくさまといっしょがいいの! はくしゃくさまがノートンのこときらいっていっても、いっしょにいるの!」

     ノートンは涙を流しながら伯爵に訴えかける。
     伯爵はその様子をぼんやりと眺めていたが、すぐに我に返った。おそるおそる口を開く。

    「……本当に?」
    「ぼく、うそつかない!」
    「もう城の外に出られなくなるかもしれませんよ?」
    「いいよぉっ!」

     ノートンは涙を拭きながら、間髪入れずに答えた。

    「私、あなたを危険な目に合わせてしまうかも……」
    「へーきだよ」

     伯爵は質問をしながら涙があふれてくるのを感じた。 どうしよう。今まで生きてきた中で一番しあわせだ。

    「この城の中には面白いものなんてありませんよ」
    「はくしゃくさまがいるもん」

     もう、これ以上ないくらいの贈り物だ。 ノートンが城から出て行っても、この言葉があれば十分だ。 でも、ノートンに不幸な思いはしてほしくない。一緒に生きていくには自分と同じような怪物にならなくちゃいけない。ノートンをそんな風にするのは嫌だ。

    「ノートン……あなた、人間じゃなくなってしまうんですよ」

     それは嫌でしょう、と問いかける。ノートンは少し考える動作をした後に、ふふっと笑みをこぼした。幸せそうに口を開き、瞳を細めた。赤く腫れた目元が痛々しくも可愛らしい。

    「はくしゃくさまのそばにいれるなら、それでいいの!」

     ノートンは伯爵の元へと近づいていった。

    「太陽の下に出られなくなりますよ」
    「はくしゃくさまがきらいなら、ノートンもきらいでいいよ」
    「私、きっと……」

     ノートンは伯爵の傍まで行くと、まだ何かを言おうとしていた彼の頬にキスをする。驚いてノートンの顔を見る伯爵に彼は告げた。精一杯の笑顔を浮かべて、彼に抱き着く。

    「ぼくね、はくしゃくさまのこと……だいすきだよ!」

     ぐりぐりと伯爵の腹に自分の頭を押しつける。

     伯爵は大切な存在に、ゆっくりと触れた。人差し指で彼の背中に触れ、ノートンが拒絶しないのを確認しながら彼の背を撫でる。ノートンは満足げに笑い声をもらした。伯爵は彼を撫でながら、確認するように語りかけた。

    「ノートン……私のこと、好きですか?」
    「ううん! だいすき!」

     ノートンは顔を上げ、伯爵を見上げた。その表情はとても晴れやかなもので、幸せに満ち溢れていた。

     伯爵は苦笑すると、ノートンの頭を撫でながら言った。

    「私、大大好きですよ。ノートンのこと」

     意地悪するようにノートンに言えば、彼は頬を膨らませた。

    「ぼくのほうがだいすきなの!」



    「それからどうしたんだ?」

     梟はなんだかんだいって話の続きを聞きたがっている鷹に顔を向けた。深い藍色の瞳がソワソワとこちらへ向けられる。

    「あとはハッピーエンドだよ。少年は伯爵殿の血を頂いて彼の眷属になったんだ」
    「見た目とか変わんの」
    「……いいや、彼は彼さ」

     梟はそこまで語ると、自身の羽を撫でながらノートンの表情を思い出した。伯爵もノートンも幸せそうで、梟は心の底から安心したのだった。

    「にしても」

     羽休めに梟の隣に座っていた鷹は立ち上がった。

    「お前って話を作るの上手いんだな。暇つぶしにはちょうど良かったわ」

     じゃ、そろそろ行くな、と鷹は羽を大きく動かした。突風が吹いて、梟の羽もいっしょに揺れる。鷹は膝に力をこめると、バッと勢いよく飛び立った。夕日を背にして飛んでいく彼を見つつ、梟は笑い声を漏らした。

    「ふふふ、物語を作るのが上手だって……嬉しいはなしだね」

     梟がそんな風に独り言を言っていると、木の幹が微かに揺れた。

    「ふくろうさん! はくしゃくさまが、いっしょにごはんをたべよって!」
    「それは有り難いな。今すぐに向かわせてもらおう」

     梟はノートンに声をかけると、彼のもとへと降り立った。



    Fin.



    ***



    村に伝わる【おとぎ話】

    ツタの絡まった古い城に住む
    心優しい怪物と彼のけんぞく

    彼らが幸せであれば
    村はいつまでも栄花を約束される

    村人は伯爵の城を時おり見ては
    ニ人の幸せを願うのでした



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