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    Enuuu

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    Enuuu

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    鉄太郎さんが仰っていたドロドロ百合ドラマに出演する雨玄のお話。驚くほどヘラった。

    無題*前書き
    ・黒木怜子(演、黒野玄武)…将来が約束された才能を持つヴァイオリニスト。
    ・鳳氷雨(演、葛之葉雨彦)…高名な指導者。


    『黙ってください』
     女生徒は驚いた様子で怜子を見上げた。
     彼女の頬は赤く腫れており、制服の裾はだらしなく伸びている。大きく開いたブラウスから下着が見えていた。胸元を彩っていたリボンは外れて、いつの間にか暗闇の中だった。
    『あなたのお父様が高名な小説家で学校にどのくらい寄付をなさっているかとか、あなたのお母様のお家が音楽教室をしているとか、そういったことはどうでも良いのです。そんなことに先生を巻き込まないでください。私には先生さえいればいいのに、あなたは我儘じゃないですか?』
    『わ、わがまま?』
     彼女は心外だと顔を歪めた。
    『わがままなのはアンタの方でしょう。父親は大学教授で母親は両家の令嬢、寄付をしなくても優遇されて、氷雨さんにも認められて、小さい頃から習い事もさせてもらって、これ以上なにがいるのよ』
    『ひさめさん?』
    『私は自分がやっていることが間違っているとは思わない。私はアンタと違って、いま確実に成果を出さなきゃいけないの。その為に氷雨さんが必要。アンタには、もったいないわ』
    『ひさめさん』
     怜子に彼女の声は聞こえていなかった。握りしめた拳がわなわなと震え、色が抜ける。
     自分には許されていないそれを容易に口にする女が憎らしい。
     生かしてはおけない。
     怜子は興奮して、何度か浅い深呼吸を繰り返した。息を吐くたびに視界が明滅するようで、軽い目眩を覚える。正面に座り込んでいる女は喋り続けている。怜子を嘲笑しているようだったが、それよりも先生の名前が耳鳴りのように響くのが不愉快だった。
    『アンタみたいな女を氷雨さんが選ぶはずがないわ』
     怜子は咄嗟に振り上げた拳を女生徒へ振り下ろす。怒りで顔を赤くする彼女の横腹を蹴り、鈍い呻き声をあげて腹をかかえる様子に息を吐いた。
     ようやく静かになった。
     怜子は周囲を見渡し、女生徒のトランペットケースを手に取る。何度か彼女と揉み合った時に泥がついたのか汚れていた。怜子はケースの土汚れを丁寧に払うと、腹を抑えて逃げようとしていた彼女へ振り下ろした。ヴァイオリンよりも重く、怜子が想像していた以上に勢いがつく。
     鈍い音がした。
     ずるずると後退する女生徒を逃さないように振り下ろす。
     数度もしないうちに慣れ、振り下ろす間隔が短くなっていく。
    『せんせえのばか』
     私が一番だと言ってくださらないから、こういうことになるのだ。
     怜子は息を吐いて、もう一度ケースを振り下ろした。


     鈍い打撃音と共に画面がフェードアウトし、黒野の声で次回予告が流れ始める。
    「こっ、怖えー」
     紅井は顔を真っ青にして、いつの間にか膝に登っていたにゃこを抱き寄せた。にゃこが煩わしそうな声で鳴く。
    「にゃこは怖いと思わなかったのかよお」
     相棒である黒野と葛之葉に漫画原作のドラマへ出演してほしいとオファーが来たのは先月のことだった。最近、徐々に数を増やしている百合というジャンルの作品で、その中でもコアなファンが多い漫画の実写化だそうだ。主役だと言われ喜んでいた黒野は台本をパラパラと読んで、役作りに励ませてもらうぜと真剣な表情で言った。紅井が台本を見せてほしいと頼めば、彼女は苦笑してお前には早いと思うぜと見せてくれなかった。
     第一話から順を追って配信されている話数まで見たが、黒野が言っていたことは正しかったと紅井は思う。
     最初のうちはヴァイオリニストを志す黒木怜子が有名な指揮者である鳳氷雨と共に世界を目指すシンデレラストーリーだと思い視聴していた紅井は、その気持ちを見事に裏切られた。
    「まさか、こんなヤベェ話とは思わなかったぜ」
     いくつかのニュースサイトの見出しも、紅井と同じように想像と違った血生臭いストーリーに驚きを隠しキレない様子だった。
     黒野がドラマの撮影へ参加するようになってから学校とレッスン以外で会っていない。彼女がこのような役を演じるのは初めてだが大丈夫だろうか。黒野は紅井が思うに、かなり役に憑かれやすいタイプだと思う。真剣に役の感情や行動を再現しようとするので、仕事が終わるまでは黒野と役とが混ざっていることが多い。まるで乗っ取られたようだと思う。
     大丈夫かな、玄武。
     紅井はにゃこを床へ降ろし、先ほどまでドラマを見ていた携帯電話で黒野へ電話をかけた。5回ほどコールが鳴って、少し枯れた声で黒野が電話に出た。
    「悪ぃ、寝てたか?」
    「いや……助かった。飯も風呂も、まだだったからな」
     紅井はなんと切り出すのかしばらく悩んでから、玄武が出てる配信ドラマを見たんだけどよおと言った。
    「お前、あれ見たのかよ」
    「別に見るなとは言ってねぇだろ。相棒の仕事は出来るだけ見てぇし、お前が主役のドラマなら尚更だろ」
    「ありがとな」
     紅井は照れたように笑った。
     それから一息置いて、黒野を気遣うように柔らかい声で
    「アタシが心配しすぎてるだけかもしんねぇけどよ。玄武、大丈夫か?」
     と、言った。
    「今回の役はヴァイオリンもやらなきゃいけねぇし、普段のアタシらとは違うけど別のアツいもん持ってるじゃねぇか。あと、その……玄武の役の子が好きな人って雨彦さんが役してるだろ?」
     黒野は僅かに不機嫌そうな声で、余計なお世話だ。と言った。
    「もう演技の仕事には慣れてきたしな、雨彦アネさんとドラマの中の氷雨の区別くらいはつくさ。それにヴァイオリンが必要な箇所の撮影は先にまとめて済ませてあるしな。お前が心配するようなことは何もねぇよ」
    「そうか」
     紅井は受話器を握ったまま、深く頷いた。
    「ああ。大丈夫だ」
    「もうクランクアップしたのか?」
    「いや、明日までだ。配信もあと2、3話ほどで終わるらしいぞ」
     黒野の言葉に、紅井は思わず受話器を握っていない方の手で拳を作った。
    「ま、まじかよ。一体これからどうなるんだ?」
    「それは最終話まで見てくれ」
     黒野はくすくすと笑った。
    「ありがとうな、相棒。明日の撮影は一番の山場だから、実を言うと少しビビってたんだ。お陰で緊張が解けたぜ」
     笑い声に混じるようにして漏らされた言葉に紅井もつられて笑みをこぼす。
     2人はそれからいくつか他愛のない話をして、互いにおやすみと言って電話を切った。
     紅井は足首に頭を擦り付けるようにしてゴロゴロと泣いていたにゃこを抱き上げ、そっと頬づりをする。
    「玄武、元気そうだったぜ」
     にゃこは上機嫌な様子で少し長く鳴き声を発した。


     赤井からの電話を切ると、黒野は葛之葉からのメールを開き、小さく息を吐いた。
     メールは2、3ヶ月前に送られてきたものだった。台本を読んだ黒野は、葛之葉に役が抜けるまでは会いたくないと伝えた。葛之葉は了承したが、やはり心配だと言ってクランクインした日に黒野へメールを送ってきた。そこには台本の内容を踏まえ、黒野の体調やストレスを心配する文章が綴られている。
    「……撮影が終わったら、どこかへでかけよう。か」
     黒野は携帯の電源を切り、ベッドへ横になった。
     撮影が始まって最初の頃はメールを読めば心が軽くなって、黒木怜子と黒野玄武とを区別することができた。怜子を演じるにつれて、すり減っていく心を黒野はメールを読むことで補っていた。しかし今ではメールを読めば読むほど葛之葉のことを信じられず、かえって疑心暗鬼に取り憑かれていくようだった。
     本当に雨彦アネさんは私と一緒に出かけてくれるのだろうか。
     芸能界には私以上に綺麗で、学があって、アネさんのためになる人がいる。
     考え始めると寝られず、黒野は体を丸めた。


     氷雨の身体の上に馬乗りになって、ゲンブは彼女の頬を両手で撫でた。
    『先生のためなら、ヴァイオリンだって捨てられるんですよ。でもヴァイオリンの無い私のことなんて見てくださらないんでしょう?』
    『そんなことないよ。いつも言っているじゃない。どんな貴女も素敵だって』
    『嘘』
     怜子は頬から首へと手を下ろし、ぐっと両の親指で首を押した。異物感に眉根を寄せたアメヒコが小さく口を開けて、何度か咳き込んだようだった。その一連の動作が蠱惑的に見え、怜子はプリーツスカートの中で膝頭を擦り合わせる。
    『は、。れ、こ。いこだから』
     微かに震えを繰り返す氷雨の腕が不器用にゲンブの肩や頬を打つ。僅かに湿って、まるで燃えているように熱を持っているから怜子は今更ながらに氷雨も生きているのだとつまらない気持ちになった。
     怜子はパッと手を離す。
     氷雨の体が大仰に震えた。げほげほと聞くに耐えない咳き込む声が聞こえる。
    『私は先生のために演奏しているんです』
    『ああ』
    『私は先生さえいれば良いんです。本当に』
    『ああ、分かった。分かったから』
    『いいえ。先生は何一つ分かってらっしゃらない。私がいくら先生が満足いくように演奏したって、先生は他のお気に入りを作られるのでしょう?』
    『そんなことはないよ。私は怜子だけのものだから、』
    『いいえ、いいえ、いいえ』
     怜子は勢いよく首を横に振る。
    『先生の嘘つきっ!』
     怜子の怒鳴り声に氷雨は体を硬くした。その様子を見て、怜子は愛おしそうに目を細める。
    『先生は私に最後まで、ひさめさんと呼んで欲しいと言ってくれませんでしたね』
     怜子はスカートのポケットからカッターナイフを取り出し、躊躇なく刃を伸ばした。
    『他の子たちにはいくらでも言っていたのに。ねえ、先生』
     カッターナイフを氷雨に対し垂直に立てて、怜子は荒い呼吸を繰り返す。
     氷雨が震える手を上げるのを、怜子はカッターナイフを持っていない方の手で押さえつけた。手の下で何かが悶えるような感覚がするばかりで、怜子を害するには至らない。氷雨の顔は真っ青だった。
    『私のヴァイオリンを弾いてみせる先生のこと、一生忘れませんからね』
     怜子はカッターナイフを氷雨へ振り下ろした。


     黒野は椅子に座って、監督やディレクターが映像を確認したり、小道具や大道具を片付けたりする様子を眺める。呆然とした様子の黒野へ、葛之葉はそっと近寄った。
    「撮影、終わったな」
     黒野は答えず、寒がるように体を硬くして風景を眺めている。
     葛之葉は眉間に皺を寄せ、黒野に自分が羽織っていたコートを肩へかけた。黒野はわずかに体を揺らした。
    「確認が終わったら撤収だそうだ。今日はプロデューサーが顔を出せないから、私が送ろう」
    「……いい。一人で帰れる」
    「かなり時間がかかるぞ」
    「知ってる」
     黒野は椅子から立ち上がると、コートを畳んで葛之葉へ差し出した。
    「悪いがアネさん、しばらく私に関わらないでくれないか。このままじゃ、わたし」
     黒野はハッと自分の口を両手で押さえる。
     わずかに出掛かった言葉に葛之葉は聞こえなかったふりをした。
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