Recent Search
    Sign in to register your favorite tags
    Sign Up, Sign In

    いちか

    🐙⚡WEBオンリー開催おめでとうございます

    ☆quiet follow Send AirSkeb request Yell with Emoji 💖 👍 🎉 😍
    POIPOI 30

    いちか

    ☆quiet follow

    新しいお菓子開発の話

    緋色の雫『使用中』『関係者以外立ち入り禁止』と厳重に掛札の掛けられた研究室の扉を開く。普段なら何かの薬品や消毒液のような若干の刺激臭がする部屋だが今日に限っては甘く芳醇な香りに溢れていた。様子を窺いながら足を踏み入れると、部屋の主はにこやかにアルベールを出迎える。

    「待っていたよ」
    「すまない、遅くなった」

    ユリウスから言伝があったのは昨日の夜だった。その日、アルベールが部屋に戻ると「明日、夕餉の後に研究室で」と走り書かれた紙の切れ端が自室の飾り錠の隙間に差し込まれていた。それはまるでいつかのやり取りを想起させて、図らずもくすりと笑みが零れた。
    約束があると心の隅にあるだけで仕事も心成しか捗るものらしい。期待とは大きく違う予期せぬトラブルに巻き込まれることもあるのだが、何にせよ研究の成果の一部を真っ先に自分に見せてくれるのが嬉しかった。

    「それで、今回は何を?」

    そう言ってはみるものの、研究室を見回すまでもない。ここに大掛かりな機構があるわけでも、得体の知れない物体があるわけでもなく。いつもは乱雑に紙が積み上がっている書斎机が丁寧に片付けられて、食卓布が敷かれていれば恐らくそれが見せたいものだろうというのはすぐに分かる。板面の傷と染みを隠すように敷かれた厚手の布の上には硝子製の浅鉢が一つ置いてあった。

    「そうだねぇ……強いて言えば新しい菓子の開発、になるだろうね」

    書斎机の椅子を引き、アルベールをそこに招くとユリウスは横の低い書棚に腰掛ける。招かれるままに座り、書斎机に向かうと彼曰くの「新作の菓子」に向き合った。

    「……葡萄、か?」

    浅い硝子の器に盛られているのは葡萄の様な大粒の玉だった。艶のある表面は心無しか薄く淡い琥珀色を返し、鋼紅玉に似た深い紅紫で出来たそれは一見したところでは大玉品種の葡萄だった。
    手を伸ばして触れてみると、ふにふにと弾力を持って指を押し返して来る。摘んだそれ越しにユリウスを見ると、彼は促すように一つ頷いた。
    油断は、まだ出来ない。躊躇うように舌に乗せ、咥内に取り込むとふわりと完熟したあの甘い味が拡がった。舌先で弄び、矢張り適度な固さで口の中を跳ねるそれを追い掛ける。飴を舐める時とはまた違う感覚。端へ追い込み歯を立てると、ぷちっと何かが弾けるような感触の後、とろりと柔らかい半固体が中を満たした。

    「……ジュレ、か?」
    「ご名答」

    首を傾げながらも呟いたアルベールへパチパチと手を叩き、ユリウスもそのひと粒を手に取る。

    「正確には葡萄のジュレを少し硬めのジュレの膜で包んだもの……と言えば伝わるかな。葡萄の形そのままに更に濃厚な味を楽しめるというわけだ。折角の葡萄ジュースを飲むだけではなく他に使えないかと試行錯誤した結果がこれだ」

    まだ技術的に量産は難しい、ということだが、彼のことだ、直ぐに解決法を見つけるだろう。
    そうアルベールが伝えると、彼は愛おしそうにそのひと粒のジュレを見詰めながら口を開いた。

    「名前も決めていてね。『雷迅卿の瞳』というのはどうだろう?」

    人の眼球は成熟していれば老若男女問わずほぼ同じ大きさなのだ、とユリウスは続けた。それは丁度、葡萄の大玉品種と変わらぬ大きさ。片手で摘める綺麗で丸い形。そして適度な弾力。殆ど変わらないらしい。そんな薀蓄を挟みつつ、アルベールを射抜く瞳はじわりと熱を帯びてくる。
    偏執的専門家に有りがちな早口に若干の気詰まりを憶えながら相槌を打っているといよいよその腹の底が顕になってくきた。

    「正直、試作の度に言い知れぬ欲に襲われたがね。この綺麗な深紅にジュレ本来の薄黄色が掛かるだろう?まるで君のその双眸によく似ている」

    伏せた睫毛の下で淡い菫の瞳が何を言わんとしているかは、いくら鈍感なアルベールにでも判った。だから、手にしていた粒へ慈愛を込めた優しい表情のまま、態とらしく口付け、口を大きく開けて見せ付けるように舌へ乗せる仕草から目を離せずに居た。そして、そこから食感を愉しむ余韻もなく噛み締める所作にぞくりと背筋に悪寒が走る。

    「『食べてしまいたい』という感情が初めて解ったような気がするよ、アルベール。本物の君の瞳は、葡萄のジュレなんかよりずっと甘美で蕩けるような味わいなのだろうね」

    警戒するべきは、出された食物よりも提供してきた相手だったか。対峙するユリウスは明らかに別の意を持ってアルベールを誘っている。

    「……まさか、その名のために赤葡萄と使ったとか言わないだろうな!?」
    「おや、お気に召さなかったのかい?」

    故郷に自分の二つ名を冠した名物が新たに出来るのであれば、それは両手を挙げて歓迎したいところなのだが、そこに個人的な情慾が混じっているなら話は別だ。

    「名前以外はな。本当にこの名のまま議会に出すつもりなら、その前に却下してやる」
    「手厳しいねぇ」
    「当たり前だ」

    最後の一粒を手に取りながらアルベールは席を立つ。そうして座ったままのユリウスの膝の上に腰を降ろすと、手にした粒をその唇に押し付ける。押し付けた粒は指に追従した唇によって咥内へ押し込まれた。軟らかい球は奥へと追い遣られ、二人の舌圧によって潰される。ブチュッと弾ける嫌に生々しい感覚があったのは先刻の話のせいだろうか。甘ったるく濃厚な香りを口腔に放ってジュレがとろとろと熱で蕩けていく。それをどちらともなく絡め取って嚥下した。ちゅる。口の端に溢れる唾液交じりの紅を口付けのように舐め取り彼は微笑った。

    「"俺"はユリウス以外に喰われるつもりなど無いからな」
    「……心得たよ」

    残り香を追って、再び口唇は重ねられる。呼吸を阻む程性急に、それでも感じる場所は的確に。ぐっ、と後頭部を押さえられ逃げることを制された。それは今からでも「喰らう」という合図のようで。
    流石に視覚器官を奪われることだけは避けたかったが、獣の様にただ欲のままに求められるのは不思議と嫌ではなかった。
    Tap to full screen .Repost is prohibited
    Let's send reactions!
    Replies from the creator

    recommended works