秋の夜。
里のざわめきも落ち着いた頃、ヤチヨの居酒屋には静かな灯りが灯っていた。
「…もう、そんなに熱くないな」
猪口を傾けていたクラマの隣に、どかっと勢いよく誰かが腰を下ろす。
「おう」
この声に顔を上げなくても分かる。
「おかえりなさい、クラマ様」
「カイさんもお疲れ様」
そう言ってヤチヨが、二人の前に熱燗と猪口をそっと置いた。
「私も一緒に乾杯していいかしら?」
「お、いいじゃねぇか。じゃあ……」
カイが猪口を持ち上げる。
「乾杯しようぜ、50年ぶりの晩酌に」
三つの猪口が静かに触れ合う。音が響いた瞬間、時間がゆるりと巻き戻っていくようだった。
──
「お前がいねぇ間にさ、こんだけツケ溜まったわ」
酔いが回って頬を赤くしたカイが、何故か自慢げに言う。
「なんでそんな誇らしそうなんだよ」
呆れながらも笑ってしまうクラマに、ヤチヨが苦笑混じりに返す。
「ちゃんと払ってよ、カイさん。今日の分もね?」
「あ〜はいはい…今夜は払う。たぶん」
そんな、なんてことのないやり取り。
だけど、そんな会話が──クラマには、とても愛おしかった。
──
店を出る頃にはすっかり酔って、秋風が心地よく吹いていた。
ふらりと歩く帰り道。
クラマがぽつりとつぶやく。
「……ありがとな」
「……おう」
カイは振り返らずに、前を向いたまま応える。
「何回引きこもっても、引きずり出してやるから安心しろ」
秋の夜に、二人の笑い声が静かに溶けていった。