花の名道端に咲く花が、きれいだと思った。ピンクとか白とか黄色とか紫とか、目線を下に向けなきゃ誰も気付かないような低い視点の世界で生きてる花たちを、きれいなものが好きなあいつはきっと好きなんだろうとふと頭を過ぎり、帰路を辿っていた足は自然と駅前の大通りの方に向かって動き出していた。
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裏口から入ってみると店内は照明が全て落ちていて、物音も人の気配もない。念の為確認したが荒らされたような形跡は無く、恐らく此処の主は夜の営業に向けて買い出しにでも出たのだろう。呼び付けてくれれば荷物持ちくらいはしたし、万が一の時には護衛にだってなれるって前にも言ったはずなんだけど。裏の世界を知らないやつはみんな日本という国を安全地帯だと思い込みすぎだ。素知らぬ顔してナイフや銃を持ち歩いている奴だって居るのに。例えば、おれとか。
身近にそういう人間が居てもあいつはのほほんとしていて全然分かってくれない。命を取るつもりなんてさらさらないからおれのことまで警戒しろとは言わないが、あまり無防備に生きてくれるな、とは思っている。いつも。
(……すぐ帰ってくるかな)
手に持っていたものを下ろす。乱暴にしたら崩れてしまう、白い紙と透明なフィルムにくるまれて根元のところを赤いリボンで結んだ花束をそうっとカウンターの上に横たえた。
根を断たれた花の命がどれくらい続くものなのか、おれは知らない。人間は首を切り落とされたらまず間違いなく即死するけれど、花の命は人間の心臓が止まる瞬間までと並べるものなのか、それとも死後硬直も含めるのか。切り離した花なんてどれも生首みたいなものとばかり思っていたが、改めて考えるとだいぶ違っていたのかもしれない。もうおれの目には、路面に建つ小さな花屋が人体を切り売りする奇妙な嗜好の店には見えなくなっていた。それがいつからだったのかは分からないが、そう認識したのは今日が初めてのことだった。
「……、」
神経を研ぎ澄ませると建物の外側に人の気配。刃物を取り出しはせず、代わりに花束を手に取りおれと同じく裏口から入ってくるだろうその人物を出迎えるべく歩みを進め、開いた扉が当たらない位置に立つ。鍵が開く音、と共にビニールの擦れる音、それから目の前に人が立っているなんて予想もしていなかったのか「ひゃっ」と少し掠れた細い悲鳴が心地よく耳に届いた。
「び、びっくりした……電気くらいつけたら?」
「暗い方がおちつく」
「そう…。……?それなぁに?」
「花」
「買ってきたの」
「うん」
手に持っていたものを差し出したけど、両手にビニール袋を持っているせいで受け取れないらしい。だからおれを連れて行けって言っただろ。そう思いながら片手でそれらを取り上げ、空いた腕に花束を押し付ける。セイラは少し驚いたような顔をしたと思えばすぐにフィルムの内側を覗き込み始め「きれい」と言って笑った。おれからすれば、買ってきた花よりもセイラの赤く塗った口元が笑みを象るさまの方がずっときれいだった。
「色んなお花が入ってる」
「色がいっぱいある方が好きだろ、セイラの爪みたいに」
「あら、よく見てるのね」
「……職業病だ」
「観察眼はどんな仕事でも大事よ」
束ねた花の名前は、殆ど知らない。赤いのが薔薇だってことくらいしかおれには分からない。けどセイラはいろんなのを知っているらしくすらすらと呪文のように花の名を連ねていく。そうなんだ、とか、知らん、とか、つまらない返事ばかりするおれに呆れるでもなくひとつひとつ手を添えて教えてくれて、そして最後に「全部大好きな花だわ」と言った。それが嘘か本当か見極めることは……しなかった。どちらでもいいと思ったし、なるべく本当だったらいいなと思ったから。
「…あ」
「ん?どうかした?」
「花を、飾る………花瓶?を買ってない。…ごめん」
「あら、いいのよ。飾らないから」
「……え、」
「アレスが私の為に選んでくれたんだもの、他の人には見せたくないわ」
「…………そうか」
目を細め、化粧品の色だけじゃないピンク色に頬を染めて笑いながら花束を抱きしめるセイラはあの道端の花みたいにきれいで、真っ直ぐ向けられた言葉に何だか胸が痛いような息苦しいような気持ちになる。この顔を見ていたいけど、ずっと見ていると何だか変な気分になってきそうで。ふいと目を逸らし「ぜんぶ冷蔵庫に入れとくから」と背中越しに声を掛けても、セイラの気配はその場から動くことなく花束を抱き締めているようだった。