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    雨音@ししさめ

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    雨音@ししさめ

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    2023.12.17。敬礼無配①。⚠️獅子神にガチ片想いするモブ男子高校生視点⚠️ししさめ(🦁→←☔️両片想い)前提

    あの日の恋は その日。私は若い鳥が逞しく翼を広げ、巣立つ瞬間を目にしました。そして、“二人の男性”が、同時に恋に落ちる瞬間も。
     それは、私の初めての恋が、終わりを告げた瞬間でもありました。
     
     ***
     
     18歳になった誕生日の夜、父が私に言いました。
    「お前も、そろそろ“観て”良い頃かもしれないな」
     18といえば、成人だ。
     そう続けた父の目からは、何を“観て”なのかは読み取れませんでした。
     もっとも、父の表情から何も読み取ることができないのは、珍しいことではありません。いくつもの企業の頂点に君臨する立場の父は、いつだって、あまり感情を見せない、落ち着いた静かな眼差しで佇んでいました。
     ただ、気のせいでしょうか……その時は、ほんの少しだけ、目が冥い喜びに似たものに満ちていたように感じたのです。
     
     ***
     
     私の誕生日から数日後。父に連れられ、仮面を被り、私は初めてCROWホテルで行われるギャンブルを観ました。
     二人のギャンブラーがお互いを読み、策を巡らせ、そしてどちらかが敗れる。
     あまりに苦痛を伴う試合(ゲーム)に、私は目を背けたくなりました。けれど、向かいに座る父の手前、そうもいきません。父は昔から、私に男らしからぬ(と、いう表現はいくらか古臭さを私は感じてしまうのですが)弱さや逃げを認めない人でした。
     だから、表面上は何も感じていない風を装って、ステージで向き合う二人に視線を注ぎます。
     二人の読み合いも勝負の行方も、正直に言えばとても理解できてはいませんが、向かって右に座る紫の髪の男性が優勢だろうとは思われました。殆ど負傷も無く、余裕の表情にさえ見えます。私の席からでも、うさぎのサスペンダーがその男性にはよく似合ってるように思えました。
     ただ、その男性が何かを選択する度……それにより、相手の顔が苦痛に歪む毎に、私の眉も何度も無意識のうちに顰められてしまうのでした。
     
     ***
     
     数時間後、『試合(ゲーム)は終わりました。やはり、紫の髪の男性の勝利です。お相手の方は、命に別状は無いかもしれませんが……呆然としており、殆ど動くことがありません。
     これが、絶対的な『敗北』なのでしょう。
     この勝負では、一億以上のお金が動いたそうです。まだ己で稼ぐ術を持たない私には、その金額の大小を述べる資格はありません。ただ、人が欲して場合によっては我を忘れることさえあると、そんな金額であることは理解していました。
    「疲れたか」
     席を立ち、意識せずに深く息を吐いていた私に、父から声が掛かります。どうも、緊張感から解放された反動で、気が抜けたようです。いつもであれば、叱責されて然るべき所作でしょう。けれど、今日の父は違いました。ただ、仮面の向こうの眼差しが、己を真っ直ぐに射抜いてるいのは感じます。珍しく、その中には叱責を漂わせるものはなく……なので、私は小さく頷き「少し」とだけ答えました。
     本当は……勿論『少し』で済む程度では無いのですが。
     あんな風に、人が傷付く姿も、真っ赤な血も……読み合い暴き合う場面を、それも映画などの創作ですら無い、現実など、目にしたことがありませんでした。
     私の答えに、しばらく、父は黙ります。仮面に半分以上覆われたその顔は、何かを考えているようにも見えました。
     その時、父から告げられた言葉を……私は、生涯忘れることはないと思います。
     
     彼らが、何故勝負(ゲーム)に挑むのか。
     彼らが何故、生命を賭けるのか。
     我々は、何故、それを観ているのか。
     
     その意味を考えなさい。
     
     ***
     
    「こちらへどうぞ」
     
     銀行員の案内で、私と父はホテルの外へと出ました。つい先ほどまで照明が控えめの室内に居た為、日射しが目に突き刺さるようです。
     目を細め、何度か瞬きを繰り返します。
     ふと。その目の端を、何か、太陽ではない光るものが掠めました。不思議に思い顔を向けると、そこに居たのは二人の男性です。
     場所は、私のいるここから少し離れた辺り。CROWホテルのすぐ隣、同系列のカラス銀行の敷地でした。彼らのすぐ後ろにあるドアの控えめさから、裏口と思われます。先ほど、私の目にチラついたのは、その片方……逞しい身体をした長身の男性の金の髪のようでした。
     彼が頭を動かす度、日に透ける夏穂色の髪がサラリと揺れます。
    「本当に良いんですか?」
    「しつけーぞ。傷はこのまま残す」
     やや距離があるので切れ切れとではありますが、二人の会話が聞こえます。金の髪の彼の声は、怒気を孕んでいるようで、けれど気のせいでしょうか、どこか疲れているようにも聞こえました。
     傷?
     会話の中の単語が気にかかり、もう一度、彼を眺めます。
     人を不躾に見るのはマナー違反だと心得てはおりますが……その点は、何卒ご容赦いただけませんでしょうか。
     さて、改めて観察してみると、男性の右手から真っ赤な血が滴っていることに気が付きました。
     つい先ほど、賭博の会場でもたくさん目にした……鮮明に映える赤が、印象に残っております……あの、血液です。
     青空の下、降り注ぐ陽の光の下で見る真っ赤なソレは、どこか非現実的でまるで幻のように感じられました。
    「あれは……」
     そのひどく現実味の無い光景に……青と金と、赤に心を奪われたそのままに、私は声を出しました。
     こちらを見てくる銀行員に、訊ねます。
    「あれは、誰ですか?」
    「特四の主任の宇佐美です。もう一名は……存じ上げません」
     紺色の髪の、確か『スオウ』と名乗っていた銀行員が即座に教えてくださいました。ただそれは私の知りたい金髪の彼ではなく、もう一人の黒く長い髪の男性のことのようです。
    「シシガミケイイチ」
     もう一人の銀行員の、静かな声が響きました。
    「4リンクのギャンブラーであるという説が有力です」
     ししがみけいいち。
     聴いたばかりの名前を、ゆっくりと反芻します。
     ギャンブラー。
     4リンク。
     私の疑問を察したのか、スオウさんがギャンブラーのランクについて教えてくださいます。
     5スロット。
     4リンク。
     1/2ライフ。
     1ヘッド。
     今日観た試合(ゲーム)は、1/2ライフのものであったこと。1/2ライフ以上は今日のように観客が入り、ゲーム中に重大な身体的損傷を負うことがある(これは四リンクからもあるそうです)……場合によっては、1/2の損失(ロスト)では済まなくなる、とのこと。
     では、つまり……彼のあの傷は、ギャンブルでの損傷なのか。そう思って見つめれば……ふと、彼が何気ない動きでこちらに顔を向けました。
    「!!」
     その時の、私の想いを……心臓が飛び跳ね、汗が吹き出し、世界が色を変えたその瞬間を、どう説明すれば良いのかわかりません。
     私たちの距離は離れており、また、間にはホテルと銀行を隔てる金網もあります。だから、彼の……美しい、夏の澄み切った空や、水平線を抱く海より碧い両の目が、私を捉えたかはわかりません。
     ただ。私は……私だけは、確かに彼と目が合ったと。そう、感じていたのでした。
     その間は、数秒でしょうか。数分でしょうか。分かりませんが……風に髪を掻き乱すされ、汗が頬を伝っても……父に呼び止めかけられるまで。そして彼が視線を逸らし、背を向けるまで……私は、その場を動くことができませんでした。
     
     ***
     
     唐突ですが、自己紹介をさせていただきます。私は、さる大企業(と、私が言うのは些かの抵抗は感じるのですが)代表である父の長男です。年齢は、先日18歳になりした。高校3年生です。
     父は立場上、やはり多方面に顔が効くようです。その息子である私は、時には先日のように父に連れられ非日常な場所に赴くこともありますが……本分は高校生。日々学校に通い、時には級友たちと街に遊びに出ることもあります。
     そして、今日はその日でした。
     それが……何故でしょう。私のほんの数秒の不注意からともに来た級友たちとはぐれ、彼らを探すうちに、あまり治安の良くなさそうな場所で、見知らぬ方々に取り囲まれる状況に陥っていました。
    「あの……」
    「あ?」
    「そこを通していただくことは……」
    「あ?ぶつかっといてナニ言ってんだ」
     遺憾ながら……と言いますか、彼の言っていることは事実です。級友たちを探すことに気を取られ、今私を取り囲んでいる内の一名の肩に、私の肩がぶつかりました。
     ただ、あくまで軽く触れた程度であり……彼の言うように、慰謝料や治療費が発生する程とは思えません。また、急に100万と金額を提示されましても、家のお金ならまだしも私自身に動かせる金額には限界があります。
     そもそも、こういうことは弁護士などを通す必要はないのでしょうか。
    「一旦、我が家の弁護士を……」
    「あ?ナニ言ってんだ」
     提案は、一刀のもとに切り伏せられました。しかし、となると困ります。現状を打開する術は、何かないのでしょうか。
     辺りを見渡しますが、周りの方は皆速足で、全く気が付かずに通り過ぎるか、チラっと見て何も無いように通り過ぎるか、私と見つめ合ったまま歩き去るかのどれかでした。
    「で、どう落とし前………痛ぇ」
     落とし前、と。テレビでしか聴いたことの無いような脅し文句が、途中で途切れます。ドン、と突き飛ばされたように、三人の身体が揺れました。
     三人がよろめき移動した結果、空いた目の前の空間から、誰かが進み出ます。
    「邪魔」
     不機嫌そうなその一言だけが、聞こえました。
     半ば言葉に押されるように、三歩ほど、後ろへと下がります。空いた場所を……目の前を、男性が横切ります。
     暮れかけた街中の照明に、金髪がチラリと光りました。
    「!」
     私は、声を上げそうになるのを必死にこらえました。そんな私のことなどまるで構わず、彼……故意かは分かりませんが、私に絡んでいた数名にぶつかることで私を助けることになった彼……『ししがみけいいち』さんを、視線だけで見送ります。
     
     また、逢えた。
     
     そんな想いだけが、私の中を、静かに……けれど確かな温度を持って、満たしていました。
     
     ***
     
     それから数週間が経ちました。
     私は父に連れられ、何度もあのホテルへと足を運びました。
     お互いに全てを賭け、戦い、傷付き……それでも尚、舞台に立ち続ける。そんなギャンブラーたちの姿を何度も目に灼きつけました。
     
     神経質そうな顔をした、絵描きだという青年。
     長い銀髪の、『神』という言葉を繰り返す男性。
     ツートンの髪をした、眼鏡の男性。
     オレンジ色の髪の、八重歯の目立つ青年。
     そして、あのうさぎのサスペンダーの男性。
     
     他にも……覚えてられないほどの人たちが、闘い、勝利を手にし、或いは敗北へと堕ちていきました。
     私は彼らの試合を見るたびに、やはり眉を顰めそうになりながら……けれど、懸命に父の言葉を考えていました。
     
     彼らが、何故勝負(ゲーム)に挑むのか。
     彼らが何故、生命を賭けるのか。
     我々は、何故、それを観ているのか。
     
     ……それの、どれ一つにも、私は答えを出すことができませんでした。
     如何程に頭を巡らようと、納得する答えなど出てきません。
     そして、見つからない答えと同様に……いくら試合を見続けても、あの夏穂の金髪も碧い目も、目にすることはありませんでした。
     助けて頂いた(彼自身にその自覚があるかは、疑問ではありましたが)お礼も言えないままです。
     
     会いたい。
     一眼、見たい。
     日を重ねるごとに、私の中で、その思いは大きくなるようでした。
     
     
     ***
     
     ある日の昼休み。
     私は偶然にも、また『ししがみさん』の姿を目にすることになりました。
     あの日から何ヶ月も経ち……会うことはできないのかと、諦めていた頃です。
     正確には、彼は友人の持つ端末の中で動いていたのであり、『会った』わけではありませんが。
     その、レイメイと呼ばれる配信者の動画で、ししがみさんはケーキを作っていました。
     いえ、動画は、配信者であるレイメイが作っているように観せていました。リアルタイムに流れてくるコメントでも、彼を称賛する声に溢れています。
     けれど……何故か、私には確信がありました。あの手は、獅子神さんの手です。
     
     
     その夜。私は初めてキッチンに入り、料理をしました。父は今の時代に合わず『男子、厨房に入るべからず』を貫く人なので、見つかれば良い顔はされません。今日は接待で居ない、と聞いていたからこそできたことでした。
     卵を割り、粉を振るい、ししがみさんが使っていたのと同じ電動ミキサーで混ぜ合わせます。レシピ通りに……彼が作っていたレシピ同じ物かは分かりませんが……手順を踏みました。
     けれど、オーブンから出してみればスポンジケーキは、あの動画で観た物の半分の高さもありません。
     食べてみれば、ボソボソで硬く……あの、ふわふわの、生クリームに飾られた、真っ赤な苺が二つ載せられたケーキとはまさに雲泥の差なのでした。
     
     ***
     
     ところで。私は、あの『レイメイ』という配信者、そして一緒に映っていた『シンくん』という青年に、見覚えがありました。
     あれは、いつだったでしょう。
     やはり父と共に赴いた賭場で、私は彼らの試合(ゲーム)を観ました。
     毒、と分かっているグラスを躊躇いなく傾ける様に……そして、血を吐きながらもそれを続ける二人に、いっそ戦慄とさえ言える想いを抱いていました。
     
     勝負の間……私は、ちら、と自分の手元にあるグラスに視線を投げました。
     もし、これが毒であれば。そして、ここが勝負の場であれば。私は、これを飲むことが果たしてできるのでしょうか。
     
     ***
     
     私の、ししがみさんとの再会は……ある日、唐突に訪れました。
     もう馴染みとさえ言える場所である、CROWホテル。その賭博会場のステージに、彼は居ました。
     今回はタッグマッチとのことで、二VS二の対決です。ししがみさんと……いえ獅子神さんと組んでいたのは、あの、動画で共にいた『レイジくん』……村雨さんでした。
     そう。私は今日初めて、会場のセットで、彼の……獅子神さん(と村雨さん)の漢字を知ったのでした。
     ゲームは、村雨さん主導で(そして、対戦相手に優位に)進んでいるように見えました。獅子神さんは何度も何度も、その全身に電流を浴びます。
     白いシャツと黒いベストに覆われた逞しい胸板が震え、苦痛を感じていることがこの距離からも分かりました。
     私は……それを見詰める私は、何も、することができません。ただ、震える両の拳を握り締めたまま、嵐のように荒れ狂う頭の中で、ただ、繰り返していました。
     
     何故?
     何の為?
     どうして、貴方は……
     
     ***
     
     やがて、勝負は終わりました。
     結果は、獅子神さんと村雨さんの勝利です。
     獅子神さんが、意識を残す限界値と言われる電撃を浴びたその次の回から、彼の快進撃は始まりました。
     
    『だからオレは強い』
     
     そう言って札を出す獅子神さんの顔を……片目を充血させ、それでも不敵に笑って見せた表情を、覚えています。
     それは私の心の一番深い場所で、確かに根を張ったようでした。
    「………」
     けれど、同時に……私は、気が付いていたのです。
     試合が終わった後、並んで会場を後にした二人。その、村雨さんを見る獅子神さんの目が、確かにそれまでとは違っていたこと。
     そして。ほんの少し前に……獅子神さんが『三』の札を卓上に投げるように置いた、その瞬間。村雨さんの目も、同じ光を宿していたことを。
     彼と……獅子神さんと出会ってから今まで、彼を探し続けていた私には、それが『何』なのか、分かっていました。私自身、この数か月、身を焦がし、頭を支配し、心を縛られ、心臓を蹴りつけられてきた感情なのですから。
    「……あ」
     ガタン、と。立ち上がった私の後ろで、椅子が大きな音を立てました。このようなはしたない立ち方をしたのは、小さな子供の頃以来です。
     けれど……今は、そんなことは構っていられませんでした。身を翻し、ドアへ……ギャンブラーの方たちとは違う、私たち観客専用のドアへと、駆け寄ります。
     開ける手間さえ惜しく感じながらドアを開け、飛び出します。どちらに行けばよいのか等、分かりません。ただ、思うままに、ホテルの静かな廊下を駆けます。
     いつもは銀行の方に案内され、出入り口と会場の往復しかしていない場所です。どこに何があるかなんて、私は知りませんでした。だから、思うままに走るしかないのです。
     やがて……それは運命か、神の導き。或いは気まぐれだったのでしょうか。廊下の先に、目的の背を見つけました。
     村雨さんは別の場所に居るのか、今は彼一人です。
    「………あの……!!」
     その背に、声をかけながら駆け寄ります。ん?と振り向いた獅子神さんが足を止めたことを励みに近付き、数歩手前で足を止めました。
    「獅子神さん」
    「……あ?」
     いきなり、見知らぬ人間……しかも、VIPの仮面をつけた、まだ(彼らから見れば)子供の私に声を掛けられ、訝しそうに形の良い眉が寄ります。
    「………」
     彼を、前にして。私は、話し続けることができませんでした。
     あの時はありがとうございました。
     応援しています。
     好きです。
     言える言葉も、伝えたい想いも確かにあったにも関わらず、何もうまく取り出せません。ただ、訝しそうな表情で……少し不機嫌そうにも見える顔の彼を見つめることしかできません。
     上等な白いシャツに、黒いベスト。彼の、鍛えられた逞しい身体を、美しく引き立てる装いです。金の髪もまた息を呑むほど美しく……碧い目は……
    「!」
     ふと。獅子神さんの肩越し。背後にある壁沿いのドアが開き、一人の男性が姿を現しました。紺色のジャケットに、特徴的な金の丸眼鏡……村雨さんです。
     その、距離のある位置関係で、けれど二人を同時に視界に収めることで、私は思い出しました。実は……一度だけ。遠目ですが、私は街中で二人を目にしたことがあります。何か、買い物の帰りだったのでしょうか。ビニール袋を提げて二人で並んで歩く様は、彼らは運命の相手か、魂の伴侶か。私にはそのようにしか、見えませんでした。
    「……獅子神さん」
     彼は、まだ村雨さんには気が付いていないようです。それとも、わざと、気が付いていないフリをしているのでしょうか。もしかしたら、それは都合の良い妄想かも知れませんが、私に、時間を与えてくれたのでしょうか。
    「………」
     目を覆う仮面を外そうかと、私は思いました。
     けれど、指がそのツルリとした感触に触れた所で……外すことをやめ、手を下ろします。
     外すことに、どれほどの意味があるのでしょう?
     今、こうして向き合っているとしても……彼がギャンブラー……私たちがショーとして楽しむ『見世物』であり、私がそれを『観る』客……VIPである、という立場に変わりはないのです。
     だから、私は仮面を外すことをやめました。
    「獅子神さん」
     この数か月を、思い出します。
     ホテルの外で彼に会い、その目を見た時、心臓が高鳴り、身体に電撃が走ったようでした。
     夏穂色の髪と海や空より碧い目を、美しいと思いました。
     動画で見かけた彼に心を躍らせ、助られた夜は、何度も反芻して眠れませんでした。
     逢いたくて、堪らなくて。
     父からの課題も、学校のテストも、私には分不相応難関大学へ合格する為の受験勉強も、かみ合わない級友も……全て、彼とまた会えるなら、乗り越えられるような気がしました。
     彼のように。彼に、誇れるくらい、強くなりたいと思いました。
     これは……きっと。確かに私の中に芽生えた、はじめての、恋だったのだと思います。
    「……私……」
     なんとか、その想いの一部だけでも伝えたくて。
     けれど彼の後ろにいる村雨さんの目が気になって……いえ、獅子神さんに、早く彼の元に行ってほしくて。
     お互いに一番大事な人のそばに、在ってほしくて。
     だから。目は仮面で隠したまま、そこだけは見えているだろう口元に、精一杯の笑みの形を浮かべます。
     ニコ、と笑って。幼い頃から鍛えられてきた、好感を持たれる完璧な笑顔を、作ります。
     ぴくり、と。獅子神さんの眉が動きます。驚いたのか、不機嫌さを不快さを表しているのか……私には、わかりません。
     今は、何も、分からないフリをすると決めました。
     
    「オレ、あなたのファンなんです」
     
     やっと、取り出せたのはそんな言葉でした。仮面越しに、その碧い瞳を見つめます。
    「あなたの!獅子神けいいちさんの、ファンです、オレ」
     は?と。小さく、彼の口元が動きます。それが、声になる前に、夢中で続けます。
    「だから、勝ってください。勝ち続けてください。オレ、獅子神さんの試合は、必ず、何があっても観にきます」
     だから。
     ……だから。
     そこまで、伝えるのが精いっぱいでした。視線を下ろし、狭い視界で、己のつま先を見つめます。
     ファンです。
     応援しています。
     勝ってください。
     私の今の立場では、言えることなど、これ以上ありませんでした。
     だから、足元を見つめます。彼がどんな顔をしているか、見る勇気はありませんでした。その後ろに静かに立つ村雨さんも、無言でこちらを見ていることを気配で感じます。
    「……」
     ああ。
     足元を見つめ、後悔に襲われます。やはり、私の立場で、こんなことを言うべきでは無かったでしょうか。いや、そもそも追いかけてきたことが、間違いだと言えるでしょう。
     自分たちを見世物にする観客相手に、何を言われたところで……
     プ、と。
     吹き出すような声が聞こえた気がしたのは、その時でした。
     恐る恐る顔を上げれば……碧い視線と、ぶつかります。
     吊り気味の逞しい眉を少し下げ、少しだけ……本当に、ほんの少しだけ、獅子神さんは笑っているように見えました。
     
    「オメー……変なやつ」
     
     これは。
     私にとっては、今まで受けたどんな言葉より、賞賛に聞こえました。ゆっくりと、身体中を喜びが満たします。
     一瞬だけ浮かんだ笑みらしきものは消え去り……いつもの、ギャンブラーの表情で、獅子神さんは小さく「言われねーでも」と、呟いています。
     だから。ペコリ、と頭を下げて。さらにその向こうのもう一人のギャンブラーにも頭を下げて、私は踵を返しました。
     歩き始めた背中の方では「オメー、居たのかよ!」「気が付いていなかったのか?マヌケ」などと、言葉を交わす声が聞こえます。
     その声は、お互い、軽い口調なれど……お互いを想う心に溢れているように、私は感じました。
     せめて、そんな二人を一瞬だけ見たい、と想い。後ろを、一度だけ振り返ります。
    「……」
     万感の思いを込めて見つめた二人の背中は……やはり、生涯の『伴侶』そのものでした。
     お二人とも、まだ自覚はお持ちではないかもしれません。けれどいつか、きっと想いを伝え合い、結ばれることでしょう。
     今この世界でそのことを知っているのは……獅子神さんに恋し、見詰めてきた私だけなのです。
    「……あの!!」
     唐突に上げた声に、去ろうとしていた二人の足が止まります。あ?とこちらを振り返った獅子神さんに、私は問いかけました。
    「スポンジケーキを、おいしく焼くコツは、何ですか!」
    「スポンジケーキ?そりゃ……」
    「手順を守ることだろう」
    「なんでオメーが答えてんだよ食べる専門だろ。あー手順と……あと、卵の泡立てだろ。泡の大きさとか、見極め」
     なんでオレに?と不思議そうな顔には何も言わず。ただ、もう一度ペコリと頭を下げて背を向けます。
     廊下を真っすぐ進む私の背中越し、この世で一番格好いい男性と、その彼が愛する人、二人分の足音が聞こえます。
     その音を、聞きながら。私は、父からの問いを思い出します。
     
     彼らが、何故勝負(ゲーム)に挑むのか。
     彼らが何故、生命を賭けるのか。
     我々は、何故、それを観ているのか。
     
     
     彼らの「何故」の答えは……私には、まだ分かりません。
     けれど、いつかそれを得るために。そして、彼を観続けるために。これからも、私は賭場へと通います。
     
     あなたが、そこで、勝ち続ける限り。




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