短文(弁当) 甘辛く味つけた、炒り卵。
鮭を焼いて、ほぐしたもの。
色鮮やかな緑の、煮た絹さや。
弁当箱を二つ取り出して、冷ましたご飯を順に詰める。弁当箱に対して、ぎちぎちにならない程度に。けれど、少なすぎず。
こうやってキッチンに立ち、この弁当を作るのも、そろそろ10回目。初回に比べれば、流石にコツは掴んできた。
あの頃は瓶詰めを振りかけるだけだった鮭も、今は焼いてほぐす余裕ができる程度に、慣れている。
詰めたご飯の上に、3種の具を乗せていく。出来上がりは、恋人が「定規で測ったみてぇ」と評するくらい、きっちりとした三等分。
出来栄えを数秒眺めた後、溢れないように気を付けながら蓋をする。そして、一息。
「村雨」
背後からの声に、振り返る。キッチンの入り口から顔を出す、恋人の顔。少し乱れた金の髪の下で、碧い目が何度か眠そうに瞬く。
「おはよ」
「おはよう」
もう何度も、毎朝、交わしてきた挨拶。一緒に住むようになってからの数年、1日も欠かさずに、もうずっと。
冷蔵庫からミネラルウォーターのボトルを取り出した獅子神は、グラスに注ぎながらこちらの手元の弁当箱を視線をやる。
「できたのか、今年も」
「ああ。完成した……今年も」
同じ言葉を繰り返せば、「そっか」と笑う。その、くしゃっとした幼さの残る笑い方は、ずっと変わらない。
「今日はどこで食う?」
「外は寒い」
「まー1月だからな。今日は、3月並みの気候らしいけどよ……」
「外は寒い」
「わかったよ!!」
録音か、と。呆れたように笑う彼の腕が、調理台へと伸びる。長い指先が、乗せ切れなかった鮭の切れ端を摘み上げる。
そのまま、一口。
「ん、美味い」
「当然だ。良い鮭を北海道から取り寄せた」
「なるほどな……今年はついに、瓶詰め卒業か」
「私も日々進化しているからな」
なんでもないことのように告げれば、「10年分な」と、また笑う。
10年前。初めて、獅子神に手料理を振る舞った。今日と同じ、三食弁当。
故郷の母にレシピを聞き、全て1人で調理した。
絹さやと、炒り卵と、ほぐした鮭と。
不慣れだったことと、母からのアドバイスもあり、鮭は瓶詰めを使用した。
あれから、10年。
最初、弁当を作ったのが、1月31日。『愛妻の日』と呼ばれる日であったことは、後から知った。
弁当を手渡した時の恋人の……恋人になる人の驚いた顔も、「美味い」と笑った顔も、今でも覚えている。
あなたの気持ちを知りたかった、と。そう、告げた時の表情も。
「昼が楽しみだな」
そう笑った顔に、笑みを返す。
いつも、獅子神が自分の為に拵えてくれる料理ほど、口に合うものは無いし、それを食べるのも、食べる自分を見る恋人を見る時間も、掛け値なく好ましいものだけれど。
1年に1度。こんな日も、悪くは無い。
「獅子神」
「ん?どーした?」
「何か汁物が欲しい」
そう、告げれば。
数回目を瞬いた後、また笑う。
しゃーねぇな、と、口にする顔は、けれどこの上なく嬉しそうで。
「澄まし汁でも作るか。豆腐と三つ葉でいいか?」
もちろん、と頷いて。
鍋を取り出して出汁を取る彼を眺めながら気付かれない程度に小さく笑う。
こうやって、自分の為に料理する姿がやはりとても好ましい、と。言葉にはせずに、胸ので呟くに留めておいた。