I'm ready for love「オレ、ワンヘッドに行くんだ」
不器用に笑いながら、あの男にそう告げられたのは雨の日のことだった。
いつもの通り、真経津の家で集い、その帰り。
傘をさして、並んで歩く。歩幅の大きな彼が、いつもさりげなく、こちらの歩く速度に合わせていることには気が付いていた。
雨が、傘を叩く。
音が響く。
足先が、濡れていく。
「………そうか」
何秒も考えた末、出てきたのはそんな言葉だけ。
行くな。でも。
やめろ。でも。
頑張れ。でも。
その、どれでもなくて。
全てを己で決めたこの男の行く先を、阻むことなどできるはずもなくて。
ああ……でも。
「………村雨?」
「なんだ?」
呼び掛けに、即座に返す。
ほんの一瞬揺らいだ思考を、悟られないように。
「オレ、オメーが好きだ」
ほんの、刹那。
雨の音が、止んだ気がした。
「………は?」
「好きだ、村雨。オレ、お前が……」
「………私に」
続けられる真摯な声を遮るように、口を開く。
今、欲しかったのはそんな言葉じゃ無い。
あなただって、それをわかっているだろう?
「私に……それを、聞いて。どうしろと、言うつもりだ」
それを、分からない程に愚か(マヌケ)な男では無かった筈だ。
今この時ソレを告げられた相手が何を想うのか、想像すらできない人間では無い筈だ。
そう視線で訴えるように見詰めれば、獅子神の表情は静かで。いっそ、静謐とさえ言えてしまえるもので。
珍しく、そこにある感情が読み取れなくて。
ロングコートの裾が、冬の風に翻る。
雨の音が響く。
「オレもさ」
「?」
「オレも、このタイミングで言うつもりは無かったんだよ」
「では、何故」
「オレにも、わかんね」
ああ。
雨の音が、やけに響く。
「ただ、言わねーで往くのも違うと思ったんだよ。だから、さ」
「そうか」
「そー」
困ったように笑う顔を、美しいと思った。
「だからさ、村雨」
「……」
「オレと、一緒に生きてくれねーか」
その言葉の、なんと残酷なことか。
「……なんてな」
「…………いいだろう」
言葉は。意識せずとも、溢れて、落ちた。
「いいだろう」
もう一度、繰り返す。
自分の言葉は決して嘘でも夢でも無いと、この男にも分かるように。
その魂の隅々まで、届くように。
「私も……」
あなたを、愛している。
続く想いは、言葉にしない。
けれど、それだけで充分過ぎた。
伝えるべき言葉は、最初からそれほど多く存在していなかった。
元より。この、真摯で臆病で、そしてずっと気が付いていたこの愛を、見ないふりを続けていたこの想いを、拒める筈など無かったのだ。
しばし、二人の間を雨の音だけが満たす。
「……そか」
ぽつり、と、落ちて来た声。
いつの間にか下を向いていた顔を上げた時、彼は既に背を向けていた。
黒い傘が、遠ざかる。ロングコートが風に揺れる。
「………マヌケが」
またな。
いつも別れ際に必ずあった言葉は無かった。
そして、それは自分も。言わなかった。言えるはずも無かった。
ただ、背を向けて遠ざかる姿を、見えなくなるまで見送っていた。
雨の音が、ひどく、響いていた。
***
「来て欲しい所がある」
そう獅子神が訪ねて来たのは、あの雨の日からニ週間ほど経った頃だった。
ワンヘッドに挑んで生還したか?と考えるも、無傷な姿からそれは無いだろうと考え直す。
元より、相手である筈の真経津も無事であり、昨日もチョココロネを大量に抱えて訪ねて来たばかりだった。
「………さいごのデートのつもりなら断るが」
「違ぇーよ。ちょっと、さ」
そう言って笑った彼から、嘘は感じられなかった。
読み取れるのは、照れと、少しの戸惑いと……
「な?村雨」
再度の誘いに小さく息を吐き、首肯する。
外に出てみれば、空はあの日とは正反対の青空だった。
隣を歩く男の瞳と似た……澄んだ、青。
言葉少なに、路地を歩く。あまり村雨には馴染みのない方角。日頃よく集まる彼らのどの家とも違う方向。
どちらかと言えば町外れ。大きな公園が、近くにある場所。
確か、そう。春になれば、桜が見事に咲き誇る。
「……村雨」
呼び掛けられ、顔を上げる。
いつのまにか足を止めた獅子神に、釣られるように足を止めていた。
目の前にあるのは、一軒の家。獅子神や村雨が住む自宅よりも、さらに広い。
庭には、一本の大きな……桜の、樹。
風に枝が震える音が、微かに耳に届く。
「ここは?」
「オレの家」
「は?」
思いもよらぬ回答に、度し難いマヌケな声が落ちる。
この男は、何を言っている?
「……あなたの?」
「そ。で……オメーの」
「は?」
だから。なんだこのマヌケな声は。
いや、今重要なのはそこではないと、一旦意識を切り替える。
「買ったんだよ。オメーと、暮らしたくて。家でも買えば、帰ってくる理由が増えるんじゃねーかな、て気がしたし」
「……」
「中はまだ改装中だから入れねーけど、手術室もあるぜ。器具はオマエの家の覚えてたから、一通りはあると思うけど、必要なら買い足してくれな」
「……」
「手術器具って高ぇよな。見積もり出した業者が「これ本当に個人の家ですか?」て驚いてだけどよ」
「…………」
「………………」
「…………………………で?」
「あー……で。」
「で?」
「……口座の金、使い切りました」
「……」
三度めのマヌケな声は、なんとか音になる前に強引に封じ込めることに成功する。
「だから、オレ、今4リンク」
4リンク。
「梅野には相当文句みてーなの言われたし、笑顔の宇佐美も逆に怖ぇし。でも、使ったモンは仕方ねーよな」
「…………」
「で、だから……あー………」
ガシガシと頭を掻いて。決まり悪げに、あなたは笑う。
「オレ、と。一緒に暮らしてくれないか、村雨」
できるなら、一生。
言葉にされなかったけれど……それは、確かに耳に届いた。
「………一般的に、そう言ったことは私の返事を受けてから決めるものではないか」
「それは、悪ぃ」
「私の職場が遠い」
「駅が意外と近いし、急行に乗れば数分だぜ。それに、オレが車で送るし」
「手術室に足りない物があれば、あなたが購入しろ」
「オレが5スロットになっちゃうだろ」
「知らん。それと、毎日肉を焼け」
「野菜と魚の日もあっていいか」
「…………検討しよう。あと」
「まだあんのか?」
嫌な予感、をそのまま体現した表情に、気付かれないように小さく笑う。
「この日は毎年、私にチョコレートを作るように」
パチクリ、と。
青い目がひとつ、瞬いて。
何を言われたか考えるような、間が数秒。
やがて何かを理解したように、呆れたように、笑う。
「リョーカイ。わかりましたよ、村雨センセ」
オメーもバレンタインなんか気にするんだな、と。笑う声には応えずに。
「全部、わかったよ。だから……」
だから。
「オレと、一生暮らしてください」
風が、吹く。
春の暖かさを混ぜた冬の風が、頬を撫でる。
雨音は、今はない。
「……………マヌケ」