アイスクリームの溶ける恋 神原理子、2x歳独身。彼氏いない歴x年。
職業・看護師。そこそこ大きな病院勤務。
彼女は今、戸惑っていた。
それなりに人の行き交う、喧騒にあふれた街の中。
今日は、久しぶりの休日で。
仕事は嫌いじゃないけれど、予定外の七連勤はしんどくて……交代できる人が自分しかいなかったから仕方ないけれど……持ちつ持たれつ……
(て、私のことは今はいい! )
油断すれば延々と愚痴に埋め尽くされそうになる思考を遮り。もう一度、自分が今見ているものを確かめる。
片側一車線の道路の向こう。
行列ができている流行りのアイスクリームショップから出てきた、細身の男性。
(村雨先生だ)
理子が勤めるのと同じ病院の、外科担当。
あまりにも動かない表情ととても優秀な手術の腕、それと只者ではないような雰囲気で密かに有名な医者だった。
(……)
日頃、休みの日に外で職場の知り合いに会っても、当然じっと見たりしない。
お互い気まずいだろうし、相手が気がついていないようであれば、見ないふりでさっと立ち去る。
もちろん目が合ったりしたら、会釈くらいするけれど、今のように凝視するようなことはしない。
筈。
(でも、これは仕方ないよ……!! )
心の中で自己弁護。
オフの筈なのにきっちりとジャケットを着込んだ村雨の手には、コーンに乗ったアイスクリーム。
理子もいつも食べる濃厚なチョコレートと、期間限定のトリプルベリーのソルベ。
問題は、その隣。
明らかに連れ立って出てきた、金髪に青い目の、村雨より少し下くらいの男性。
服の上からでも分かる、鍛えられたような逞しい身体に高い身長。
同じくWのコーンを持っている。レモンソルベと、バニラアイス。シンプルなのが好き……?
(えー誰 兄弟、じゃない髪の色が全然違うし……あの金髪は天然みたい…………お友達? ご親戚 )
店から出た二人は、何か楽しそうに会話しながら、時々アイスを口にしている。
そう、「楽しそうに」。
(村雨先生……)
理子が知る村雨は、患者に対して最低限の愛想は持ち合わせているものの、本当に最低限で。
表情の変化はとても少なくて……どんなクレームをつけてくる患者にも、眉すら動かさない冷静沈着無表情、が、皆んなの共通認識で。
けれど、今。
金髪男性から何か言われて、口角を上げる。
何やらムキになった様子の男性を見て、目にからかうような色を浮かべる。
アイスを食べれば、目を細めて堪能し、下がり気味の眉が更に下がる。
(……あんな風に、笑う人だったんだ……)
ふと、何やら言葉をかけた村雨に、男性がアイスのコーンを差し出した。
それに、パクっ、と。何の躊躇いも無く口付けた。
(ええ)
驚く、などというものではなかった。
あの、村雨先生が……? 今日だけで何回、こう思ったのかは最早分からない。
(……あ! )
一口で満足したのか、村雨が顔を上げる。
それがちょうど、たまたま車の居ないタイミングで……車道越し。はっきりと、理子と目が合っていた。
ヤバい と、気が付いた時にはもう遅い。言い訳できないくらい、立ち止まってじっと見ていたことは誤魔化しようがない。
(……どうしよう。会釈くらいする…… )
言い訳は、ああ、どうしよう。
そんな迷いは、けれど一瞬で吹き飛んだ。
金縁眼鏡の奥、暗赤色の目が理子を捉えた、と思った瞬間……
()
すっと、立てられた細い人差し指。
整えられた爪のソレは、唇の前に添えられた。
内緒だ。
何も言われなくても、伝わった。
(……)
カッと、頬が熱くなる。
その村雨に男性は不思議そうな顔を浮かべたが、それに何か答えた様子も無く。
そのまま並んで歩き出し、二人連れ立って、街の人混みへと消えていく。
あとは熱くなる頬を両手で抑えた、理子だけが残された。
(えー村雨先生が、えー! あんな顔で笑って……えー!! )
頭の中に、! と? が乱れ飛ぶ。
速くなる鼓動をそのままに、先ほど見た忘れられない光景を思い出す。
金髪男性の隣で、自然と表情を変えていた村雨先生。
理子が知るどんな彼とも、結びつかないその表情。
(……ああ……)
あんな顔で、笑えるんだ。
ドキドキと、高鳴る胸を抑える。
神原理子、2x歳独身、彼氏いない歴x 年。
落ちたばかりの恋は、走り出す前に終わっていた。
(あの人は……)
あの顔は、親戚や兄弟でもない、増してやただの友達でもない。
人生の伴侶に向ける顔だ。
(………よし)
気合いを入れて、抑えていた手で頬を叩く。
この火照った顔には、アイスがいい。
濃厚なチョコと、期間限定のトリプルベリー。
きっと一口食べれば、幸せな気持ちになれるだろう。